カヨと私 の商品レビュー
内澤さんが小豆島でヤギを飼っている様子は、ツイッターで見たことがある。てっきり本書はその紙版で、お笑いをまじえたドキュメンタリータッチで書かれたものだと思って読み出したら、あらら?冒頭からなんだか雰囲気が違う。あの内澤さんがこんな風に書くなんて、ちょっと驚き。 自分の乳癌手術や...
内澤さんが小豆島でヤギを飼っている様子は、ツイッターで見たことがある。てっきり本書はその紙版で、お笑いをまじえたドキュメンタリータッチで書かれたものだと思って読み出したら、あらら?冒頭からなんだか雰囲気が違う。あの内澤さんがこんな風に書くなんて、ちょっと驚き。 自分の乳癌手術やストーカーとの闘いもいたってクールに綴っていた内澤さんだが、本書の筆致は、何と言いますかもう、ベタベタのメロメロ。ヤギのカヨに注ぐあふれんばかりの愛情、そこから来る悩み不安葛藤を、マジもマジ正面から吐露しまくっている。くり返すけど、内澤さんがこんなことを書くとは。その熱さにやられて一気に読んでしまった。 うーん、このせわしない心の動き、覚えがあるぞ。自分も愛着のあるものにおぼれやすい体質だという自覚がある。以前飼っていた猫やジュウシマツやハムスター、かわいくてかわいくて、その分心配で仕方がなくて、死なれるとダメージが強烈で、だからもう何も飼うまいと決めている。子供(人間の)の場合は、なけなしの自制心がどうにか働いて、溺愛とまではいかなかった(と思う、思いたい)が、動物だと「愛したい、可愛がりたい」衝動が全開になりそう。 内澤さんはカヨとは話ができると書いている。そうですか~。見事な開放ぶりで、清々しい気さえする。しかし、愛情の対象が子供や犬猫などではなく「ヤギ」というところが、やはり内澤さんだなあと妙な感心もしたりして。
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児童書かと思って手にしましたが違ったようです。『プラテーロとわたし』に憧れ、小豆島でヤギのカヨと暮らすようになた著者。最初は“2人”の生活だったけれどカヨの発情に伴いオスをあてがいどんどん増えていく。著者、カヨ、カヨの子供、里子に出した先の先住ヤギなどの関係を見ていると、ヤギにも当然ですが個性があり、嫉妬したり、愛情を求めたり、憎みあったりもする。家畜として飼い始めたカヨだけど、それ以上の関係何だろうな。でも、動物を飼育するのには覚悟がいる。
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烏骨鶏と3羽室内飼いしています。 飼う前は家の残飯を何でも食べるものだと思いこんでいましたが、、カヨ同様、選り好みます。わざわざ小松菜を買ってやり、しなびてしまったら人間が食べる日々です(笑)家畜と呼ぶ動物たちも繊細で賢くて尊い。
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小豆島でカヨと名付けた白いヤギと暮らし始める私.二人の会話が語りかける様子が微笑ましい.だんだん増えていくカヨの家族と関係を結び世話をし悩みつつ楽しく奮闘している.そして人間と関わる動物に対する在り方について,考えさせられもする. 絵がまた素晴らしく,カヨをはじめとしてカヨの子の...
小豆島でカヨと名付けた白いヤギと暮らし始める私.二人の会話が語りかける様子が微笑ましい.だんだん増えていくカヨの家族と関係を結び世話をし悩みつつ楽しく奮闘している.そして人間と関わる動物に対する在り方について,考えさせられもする. 絵がまた素晴らしく,カヨをはじめとしてカヨの子のヤギたちの姿が特徴を捉えていて見るのが楽しみだった.
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表紙のスペイン語を見て、あっ『プラテーロとわたし』ね!とすぐにわかった。(私が読んだのははるか昔岩波少年文庫の『プラテーロとぼく』だったが。) カヨが発情期を迎える前の内澤さんとの濃密な時間の描写にうっとり。『ストーカーとの七〇〇日戦争』が非常にヘビーだったので、こういう幸せな時...
表紙のスペイン語を見て、あっ『プラテーロとわたし』ね!とすぐにわかった。(私が読んだのははるか昔岩波少年文庫の『プラテーロとぼく』だったが。) カヨが発情期を迎える前の内澤さんとの濃密な時間の描写にうっとり。『ストーカーとの七〇〇日戦争』が非常にヘビーだったので、こういう幸せな時間を過ごす内澤さんもいたのだとほっとする。 人とヤギという種の垣根を超えて、生きもの同士のふれあい。 内澤さんはいつもキリッとした文章を書く人なのに、この部分はもうメロメロで、いつもの理知的な内澤さんとは違う部分を見ることができるのも嬉ししかった。特にカヨが椿を食べる「椿のフルコース」は素晴らしく、椿がすごく美味しそうに思えてしまう。何度も読み返した。 カヨが発情期を迎え、度々出産する後半になると、人間もちょっと前まではこうだったろうな、と感じずにはいられなかった。 本能のおもむくまま子を産み(産みたくなかろうが妊娠してしまうんだから仕方ない)、育ててヘトヘトになる。妊娠出産子育てを繰り返して身体はボロボロになる。(時にはそれが原因で命を落とす。)でもまた妊娠してしまう。何人かは死に、何人かは生き残る。気のいい子もいれば乱暴者もいる。幼いうちは自分が食べなくても子には食べさせ、手を離れてしまえば他人とそう変わらない。そういう生き方をしなくなっているのですっかり忘れているが、人間も同じだ。 私たち人間は、そういう動物本来の生き方からペットを解放してはいるが、それが彼らにとって本当に幸せかはわからない。内澤さんの葛藤もよく分かる。 ネットなんかで「猫の下僕」なんて自分のことを言う人もいるけど、そんなことはありえない。内澤さんも書いているように、動物のわがままをきくのは「日常の細かなことであって、住む場所とか、頭数とか、大きなことは、飼い主の私が決めているってこと、カヨはちゃんとわかっている。ヤギは人間の都合で動かねばならない。それがヤギにとって理不尽なことであっても従うしかないということも。」(P100) そして、やっぱり思うのは、動物が人間を許してくれているから成り立つ関係なのだということ。(P105) カヨと内澤さんだけだったら、プラテーロとヒメネスのように、一匹の猫や犬と暮らす人のように、一対一の濃密な時間が続いただろう。しかし、ヤギが増えたことで、ヤギの社会ができ、内澤さんは(深い愛情はあるものの)人間としてヤギたちと接することができるようになる。 『世界屠畜紀行』からのファンとしては、もう海外に行かないのかなあと思っていたがその辺りの心境についても巻末で書かれていて、納得した。 内澤さんの描いたヤギたちの絵も素晴らしかった。写真よりカヨの魅力、美しさが伝わった。 内澤さん自身が身体を壊さないように、心から祈っています。どうかヤギたちとの幸せな時間が続きますように。
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