神様の暇つぶし の商品レビュー
千早茜さんの小説には、いつも濃密な空気が漂っている気がします。湿気、人や物などの匂い、肌触りの温度や質感など、五感に訴える描写が生々しく迫ってくる印象を受けます。 本作は、20歳の女子大生・藤子と親子ほど歳の離れたカメラマン・全との関係を描いており、上述の表現も含め多くの歪...
千早茜さんの小説には、いつも濃密な空気が漂っている気がします。湿気、人や物などの匂い、肌触りの温度や質感など、五感に訴える描写が生々しく迫ってくる印象を受けます。 本作は、20歳の女子大生・藤子と親子ほど歳の離れたカメラマン・全との関係を描いており、上述の表現も含め多くの歪さが見て取れます。加えて、人間の本能に関わる「性」「食」が根幹をなし、おそらくそれが故に、生理的に受け入れられるか否か、賛否の分かれる作品なのかなと思いました。 個人的には、読後の不思議な余韻が長く尾を引く物語だと感じました。相手に抱く「神様」の想いが、お互いさまだったのかと後で気づきます。ひと夏の記憶を、純度の高い濾過された写真だけでなく、こぼれ落ちそうな醜い記憶も全て脳裏に刻み込もうとする藤子の姿に、2人のみが知る(他者の介入を拒む)光と闇を呑み込む世界を見た気がします。 タイトルの「神様」と表紙写真の2個の林檎が、「禁断の果実」のメタファーであることは明らかですね。手にしてはいけない、禁じられるほどに魅力が増し、欲望の対象になったお互いの関係‥。 物語は、出会った頃と今を行き来しつつ回顧する展開ですが、互いの中に「神様」を見出す関係性は、いろいろな解釈が可能だろうなと思いました。 それら全てを俯瞰して見ている千早さんを感じます。これこそ、千早さんの真骨頂でしょうね。
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あの人に溺れてたのだと後になって気づいた…というような濃密な物語 残酷というかホントに悪い男だ 酷い奴、だけど惹かれてしまうのはどうしようもないこと 解説にもあったが、食事をする描写が多いしとてもそそられる
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「人に沼る」ということを丁寧に描いている物語。 今まであまり写真には興味がなかったが、世に知れているカメラマンの写真集を見てみたいと思ったし、自分も写真を撮ってみたいと思った。 千早茜さんの他の作品も読みたいと思った。
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語り手の柏木藤子が、大学生の一夏を30歳以上歳の離れたカメラマン・廣瀬全と過ごした物語。切なくて哀しい、けれど「生きてる」ってこういうことかな、って思った。 この小説には食事のシーンがたくさん出てきて、そこで藤子の生命力や若さも感じるのだけれど、とても美味しそうな描写ばかりだった...
語り手の柏木藤子が、大学生の一夏を30歳以上歳の離れたカメラマン・廣瀬全と過ごした物語。切なくて哀しい、けれど「生きてる」ってこういうことかな、って思った。 この小説には食事のシーンがたくさん出てきて、そこで藤子の生命力や若さも感じるのだけれど、とても美味しそうな描写ばかりだった。 全さんとのたった一夏の関係。それは「暇つぶし」のようなものにも見えてしまうのかもしれないけど、当事者は、その瞬間は、本気だし永遠を願いたくなってしまう… 藤子と程よい距離感で、良き理解者の里見の存在もよかった。千早茜さんの作品は好みのものが多いが、この小説もお気に入りのひとつになった。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
胸がぎゅっとなる作品でした。 藤子と全さんの、一般的には非難されるような関係の2人の、ひと夏の出来事。出会う前の自分には戻れない。けれど、あの時の自分が間違っていたとも思わない。一度は忘れ去ろうとした、目を逸らしていた思い出。自分の中で濾されて結晶になった思い出をひとつずつ拾い上げて、大切に胸にかき抱いていくような、そんなお話だと思いました。 作中の「自分の恋愛以外は全て汚く思える」という言葉が胸に残っています。色恋沙汰だとか情事だとか、そういうことに現を抜かして盲目になっている人たちを見て、心のどこかで彼らを蔑んでいるくせに、自分の感情だけはいっとう大切に思えて、彼らのそれと変わらないのに、自分の感情を美化して酔いしれている、そんな気持ちを指摘されたように思います。 あの人は神様で、あの人の目に映る私も神様だ。
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千早茜さんの作品に初めて触れたきっかけとなった一冊。湿度の高い空気感でストーリーが進んでいく感じがとてもリアル。歪んだ愛の迎える結末に涙した。里見のアナザーストーリーが欲しい。里見のことをもっと知りたくなる。
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読み終わってすぐに『どうして装丁が"りんご"なのだろう』と不思議に思った。 物語の鍵になるのは、同じ果物でもりんごではなく桃なのに、何故?と。 神様とりんごといえば連想されるのは禁断の果実。 食べることを禁じられていたのに、口にしてしまったアダムとイブ。その...
読み終わってすぐに『どうして装丁が"りんご"なのだろう』と不思議に思った。 物語の鍵になるのは、同じ果物でもりんごではなく桃なのに、何故?と。 神様とりんごといえば連想されるのは禁断の果実。 食べることを禁じられていたのに、口にしてしまったアダムとイブ。その結果、ふたりは知恵をつけ、神によりエデンの園を追放されてしまう。 一度口にしてしまえば、口にする前には戻れない。 藤子も似たようなことを語っている。 「誰かと関わると、もう出会う前の自分には戻れなくなってしまう」と。 全さんと出会い、彼が世界のすべてと思うほどの恋を知ってしまった藤子。 残り僅かの命であるのに、命の塊のような藤子と出会い、その生命力に魅入られ、嫉妬し、執着心を覚えてしまった全さん。 関わってしまったことで、以前の自分たちには戻れなくなったふたり。ふたりは各々にとって禁断の果実だったのかもしれない。 こんなにも烈しい恋愛なんて、もうできないし、したくないなぁ。
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千早茜さんの作品の中で初めて読んだ作品。 純愛ではあるのだろうが、歪な愛の形。好きとはなんなのだろう、と考えさせられた。そもそも動物に好きという感情はあるのだろうか、本能で、惹かれ合う、本来は人間もそうではないのだろうか。 一夏を共に過ごして、季節が過ぎるのと同じように去っていっ...
千早茜さんの作品の中で初めて読んだ作品。 純愛ではあるのだろうが、歪な愛の形。好きとはなんなのだろう、と考えさせられた。そもそも動物に好きという感情はあるのだろうか、本能で、惹かれ合う、本来は人間もそうではないのだろうか。 一夏を共に過ごして、季節が過ぎるのと同じように去っていった全さん。冷静に考えたらひどいことをされているのだろうけれど、憎めない何かとかを持っていた。熱い思いだけが心に刻まれる。そんな一夏の経験はこの本の題名の神様の暇つぶし にとてもあてはまっているなと感じた。私はとてもこの作品、千早さんの世界観が好きです。
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普通の恋愛小説、、ではなく歪な恋愛小説。 それは恋なのか愛なのかそれとも執着なのか依存なのか、あるいは呪いなのか。 人の愛を、人の心を、求めてしまう感情はきっと誰にでもあって。承認欲求も性的欲求も全て自分以外の人間からしか満たして貰えない。なんて醜い生き物だろう。なんて傲慢な生き...
普通の恋愛小説、、ではなく歪な恋愛小説。 それは恋なのか愛なのかそれとも執着なのか依存なのか、あるいは呪いなのか。 人の愛を、人の心を、求めてしまう感情はきっと誰にでもあって。承認欲求も性的欲求も全て自分以外の人間からしか満たして貰えない。なんて醜い生き物だろう。なんて傲慢な生き物を神様は作ったのだろうと思ってしまう小説だった。 「みんな自分だけは綺麗な恋愛をしている」と思っているんだろうなと共感した。 思い通りにいかない恋ほど恋らしい恋はない。恋に狂わされていても狂わされているその瞬間がいちばん幸せで相手を神様だと思ってしまう恋愛感情は、ある意味宗教的だなと感じた。 千早茜さんの描く官能的な小説、人間味のある小説が大好きだから今作も出逢えてよかったの気持ち。
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千早茜さんって私は初めて読む作家さんで、図書館に結構冊数あったからなんとなく借りてみた。 面白かった。というか、雰囲気が好みだった。 時々時系列(というか今現在がどこなのか)が分からなくなる描写はあったものの、表現方法とかがとても良かった。 大学生の藤子と、30歳近く歳上の写真...
千早茜さんって私は初めて読む作家さんで、図書館に結構冊数あったからなんとなく借りてみた。 面白かった。というか、雰囲気が好みだった。 時々時系列(というか今現在がどこなのか)が分からなくなる描写はあったものの、表現方法とかがとても良かった。 大学生の藤子と、30歳近く歳上の写真家・全さんの物語。 ラブストーリーで括って良いのかが分からない。もっと深いところにある感じだけど、ラブストーリーであることにも違いないから。 写真家としての因果を持つ全さんと、写真家抜きにした全さんという1人の男性に惹かれてしまった藤子の、ほんの短期間、ひと夏の濃密な時間。 話中の藤子は、身近な人が「プリミティブ」と表現するような女性。要は美人ではない。だけど不思議な魅力があるタイプなのだと思う。 年齢としては女の子と言える歳だけど、うわついてなくて、物静かで、芯がある。 幼い頃に母が出て行き、2人で暮らしていた父が事故で突然死した。その直後に、近所の写真館の息子だった全さんと再会した。 登場人物がみなとても魅力的。とくに、藤子の友人の超絶美青年・里見がとても良い。 里見が実は…という真実と、行く末も含めて哀しい存在なのだけど、その小説の中でいちばん好きな人物だった。 その後のことは分からなくても、その時、自分にとっての「神様」は紛れもなくその人だった、という濃密な時間を過ごしたことがある人なら、この関係性を理解できるのだと思う。 周りは「間違ってる」といっても、本人にとっては、という意味で。 実際にある写真集でも、被写体と写真家がただならぬ関係だったんだろうと思える作品ってあるけど、それって写真家側の因果で、ある意味女優よりも演じる側になれるってことなのかな…と考えたりした。 あらゆる意味で丸裸にされた状態にレンズを向けられるって、物凄い体験だよな、と。 好みだったので、千早茜さん、また読もうと思います。
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