ポストモダニティの条件 の商品レビュー
原著1990年。著者は地理学が専攻らしい英国人。 芸術、社会、経済、歴史、様々な視点を駆使して「ポストモダン」という時代の現象を浮き彫りにしようとする。相当知識の幅と蓄積の大きい碩学だ。 私はあまりそこは意識して捉えてこなかったが、ポストモダンをアンチ・モダンと捉えるならば...
原著1990年。著者は地理学が専攻らしい英国人。 芸術、社会、経済、歴史、様々な視点を駆使して「ポストモダン」という時代の現象を浮き彫りにしようとする。相当知識の幅と蓄積の大きい碩学だ。 私はあまりそこは意識して捉えてこなかったが、ポストモダンをアンチ・モダンと捉えるならば、ポストモダンという概念を規定する際に、当然モダンを前提として把握しておかなければならない。 モダンというと音楽ではシェーンベルクやバルトークの時代。20世紀はじめのほうの「モダニズム」を想起するのだが、本書で言われているモダンとはもっと「近代」と我々が呼んでいるものと陸続と連なっているひとつの到達点なのだろうか(どうやらボードレールはモダンの代表の一人らしい)。しかし、一方でピカソをモダニズムの典型と考えるならば、それはやはり違うようにも思える。どうも難しい。 著者の主張の核心は「空間」と「時間」における圧倒的な「短縮」がポストモダンというものとして帰結した、ということらしい。なるほど、そういう面もあるような気がする。 本書の中では映画「ブレードランナー」と「ベルリン 天使の詩」をポストモダン状況の表出の典型として言及している部分がわかりやすくてなかなか印象的だった。 そのほか、経済上の「フレキシブルな蓄積」においては、一つの例として労働者任用のフレキシビリティが挙げられるようだが、アメリカ等では既に1980年代以降に進行したらしい。日本ではもっと近年、21世紀に入ってから顕在化し、「非正規雇用」が凄い勢いで増えたように思う。相当周回遅れで、日本はアメリカなどの真似をしたのである。が、ここでのフレキシビリティの利便性は資本家=雇用者側にあるばかりで、労働者=庶民にとってはただ単に労苦の増大でしかないと私は考えている。その心的不安定は、いずれファシズムや戦争に結び付くような状況なのかもしれない。 本書を読んでいるといろいろと考えるべきことは多く、また、ポストモダンなる状況の気分は既に終わり、いまや違う時代に入っていることは明らかであるが、それでも、現在のこの状況は「ポストモダン」の後に来たもので、その状況における認識体系の発展形として現れているのだ、ということを踏まえるならば、いまいちど「ポストモダンとは何だったか?」と考えておくことは重要であろう。 その意味で、本書はなかなかに有意味な古典的著作と言えるのかもしれない。
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