もうやってらんない の商品レビュー
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フィラデルフィアで暮らす25歳のアフリカ系アメリカ人女性のエミラ・タッカーは、大学卒業後も定職に就いていない。かといってやりたいことも見つからず、ベビーシッターのアルバイトで何とか生計を立てながら曖昧な日々を過ごしている。 ある日エミラが友人の誕生日パーティーに参加していたところ...
フィラデルフィアで暮らす25歳のアフリカ系アメリカ人女性のエミラ・タッカーは、大学卒業後も定職に就いていない。かといってやりたいことも見つからず、ベビーシッターのアルバイトで何とか生計を立てながら曖昧な日々を過ごしている。 ある日エミラが友人の誕生日パーティーに参加していたところ、突然雇い主のミセス・チェンバレンから、いつも面倒を見ている2歳のブライアーを連れ出すよう依頼を受ける。ブライアーを連れて夜のスーパーマーケットで時間を潰すエミラは、パーティー向けの服装だったこと、そして黒人だという理由から不審者として警備員に幼児誘拐の容疑を受けてしまう。毅然とした態度で警備員に反論するエミラだったが信用されず、結局雇い主の夫に頼んでようやく事なきをえる。偶然居合わせて一部始終を動画で撮影していた白人男性のケリーは、警備員の扱いを人種差別として告発するよう、エミラに強く勧めるのだった。 本文約420ページ、4パート、全28章からなる。 本作の語り手はエミラとアリックス(ミセス)・チェンバレンの二人であり、章ごとに交互して進行する。語り手ではないものの二人と並ぶ主人公格の人物として、スーパーマーケットでの騒動の一部始終を撮影していた白人男性のケリー・コープランドが挙げられる。偶然にも再開したエミラとケリーは、その後交際することになるのだが、実はケリーとアリックスが旧知の仲だったという事実が前半の山場へとつながっていく。 エミラの日常を通してアメリカの人種差別をテーマに描いた小説だが、直接的な暴力表現などは一切描かれない。そして、エミラと深く接することになる雇用主のアリックス・チェンバレン、恋人のケリー・コープランドのいずれも、エミラに対して強い好意を抱き、彼女の力になることを願っている。二人をはじめ、本作で登場する白人のキャラクターたちは、人種差別に公に反対する「意識が高い」人たちといって差し支えないだろう。そのうえで、作中のハプニングや登場人物たちの反応を通して、本人も気づかないような差別に関する微妙な意識を浮かび上がらせようというのが本作の趣旨といえそうだ。 テーマの重さに捉われることのない軽妙なタッチの作品で、エミラとアリックスという境遇の異なる女性二人を通して今日的なアメリカ社会の一部を見せてくれる。読後感はアメリカのTVドラマを鑑賞したような気楽さや爽やかさを味わった。これには登場人物たちの気の利いた掛け合いのほか、幼児として終始愛らしく描かれているブライアーの言動が全体の雰囲気を和ませている点も大きいだろう。小説としてのスケールはこじんまりとしているが、おそらく著者もその点には意識的で、出来事や登場人物たちの反応の描き方に不自然さを感じることは少なく、終局も含めてまとまった作品だと思えた。 見た目から受けるような人種差別というと日本ではそこまで日常的ではないかもしれないが、本作で提示されるような当事者が意識しない類いの差別は、例えば性差や障害者のような身近な関係性のなかでも頻繁に起きている普遍的な問題だと思える。潜在的な差別意識を描こうとする本作は、死を扱うようなわかりやすい事件よりも、差別を他人事としてではなく受けとめる機会を提供することに適しているとも思える。本作を通して、差別の本質には対象となる他人の主体性を無視した傲慢さが根付いているのではないかと、改めて考えさせられた。
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