少年 の商品レビュー
川端康成のノロケです 学生時代に同室の少年と添い寝していた思い出が綴られています 唇まで許していたとありますが、挿入描写とかはなかったです とことん愛撫描写で留まっており、性欲が指先に集まっていました 回想を見るなり、川端康成は体育会系気質な作家だと思いました 少年から向けら...
川端康成のノロケです 学生時代に同室の少年と添い寝していた思い出が綴られています 唇まで許していたとありますが、挿入描写とかはなかったです とことん愛撫描写で留まっており、性欲が指先に集まっていました 回想を見るなり、川端康成は体育会系気質な作家だと思いました 少年から向けられる思慕に痛く快感を覚えられているようで、気持ちよさそうでした 少年はまるで神のごとく偶像のように敬意を向けられ、それを受け止めている様子から、器が人と違うなと思いました 自分に陶酔しているワケではなく、少年のもつ信仰心に萌えているところが作家性なのかなとおもいました 翻って少年が帰依している宗教は平熱でディスっており、巫女の醜さをこれでもかと書いていました 青年となった少年をみるに、少し女々しいところに少し萎えたのかなと思いました 少年から送られてくる手紙はどれも助けを乞うような内容ばかりで、おそらく家族よりもアテにしてる様子が伺えました 川端康成も変に距離を取らず、すぐに迎えに行っていれば少年との関係性を手に入れることが出来たのに、勿体ないなと思いました
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9/3 少年を性的に愛す話ではなく、幼年期のさみしさを分かち合った友人の話だった。愛し合っていたのは確かで肌の触れ合いや接吻の描写もありはしたが、性愛ではなく互いに尊敬しあい心の支えあう仲のだろうと私は思う。 自傷し卑下してきた川端を清野少年は能動的に包み込み、畸形と称した心は柔...
9/3 少年を性的に愛す話ではなく、幼年期のさみしさを分かち合った友人の話だった。愛し合っていたのは確かで肌の触れ合いや接吻の描写もありはしたが、性愛ではなく互いに尊敬しあい心の支えあう仲のだろうと私は思う。 自傷し卑下してきた川端を清野少年は能動的に包み込み、畸形と称した心は柔和していった。その純愛チックな様相は少年の崩れ落ちそうな心の機微に相反して堅固に守られている。 自分の少年時代を懐古して読むと、空しいと思う反面遠くに望む星のように輝いていることを思い出す。
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川端康成の言葉は重みがありすぎる。 彼であるからこそ語られる言葉であるが、読み手が快く受け取るものかと問われれば、難しいものがある。
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初川端康成。 宮本と仮名し青年時代の清野との日々を綴ったもの。 長らく日記を続けた同士であり清野には川端が唯一信頼できる相手だった様子。 本書を書いた後、川端は日記を処分したそう。 友のような恋人のような名をつけられない関係性だなとおもった。
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日記や手紙を記録的に書き連ねたもの。 川端の不純のなさ、エロスを書いても下品にならない上級さはやっぱり良い、白や水色など清らかで涼しげな色を感じさせる。 清野の手紙は重くて、暗くて、自意識過剰で、縛りを感じる。川端はその感情を文を書くことによって消化させているからそこまでのグ...
日記や手紙を記録的に書き連ねたもの。 川端の不純のなさ、エロスを書いても下品にならない上級さはやっぱり良い、白や水色など清らかで涼しげな色を感じさせる。 清野の手紙は重くて、暗くて、自意識過剰で、縛りを感じる。川端はその感情を文を書くことによって消化させているからそこまでのグロさは感じない。 けどむしろわたしは、清野に共感してしまった。 自分を受け入れてくれた1人を己の存在価値の裏付けに利用して、相手なら全てを受け止めてくれると信じ、その人の存在を自分を支える柱とする。けれどその柱は不安定で時には目に見えなくなってある種の幻覚ではなかったのかとすら思う。 深い感情を覚えた相手に程、醜くて自分勝手な気持ちを抱いてしまうもの この赤裸々な思いを負担なく受け止められる川端もきっと醜くく、歪んだ欲を根底に持っているはず。人間の本当の自己顕示は手紙に現れるのですね。
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旧制中学のころの川端康成の文章がうますぎる。ノーベル文学賞をとることになる素地が垣間見える。しかし、文通相手の清野少年の文章も美しい。全体を通して日本語の美しい響きを教えてくれる。そのうえに、川端少年の思春期の心模様が映し出されて、なお美しい。
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もし期待して読もうとする人がいたら伝えたい、案外そんなことないよって 短い話で読みやすい、けど頑張って読む甲斐はないかもしれない。でも次は伊豆の踊り子を読みたいと思った。一応それっぽい感想を言うと川端康成特有の孤独感、悲壮感があってエモいけどちょっと失敗したかも。けどやっぱり時代...
もし期待して読もうとする人がいたら伝えたい、案外そんなことないよって 短い話で読みやすい、けど頑張って読む甲斐はないかもしれない。でも次は伊豆の踊り子を読みたいと思った。一応それっぽい感想を言うと川端康成特有の孤独感、悲壮感があってエモいけどちょっと失敗したかも。けどやっぱり時代を考えるとこれが精一杯なのかなと
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川端康成にとって、尊く瑞々しい記憶のカケラ。 男女にはない、男同士の思慕や憧憬。言葉で形容することの難しい感情。それらを羨ましくすら思う。
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川端康成作品の中でもあまり整理されていない(いい意味で)、直球の表現が多い感じがする でもその表現が好きだった
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「私は本年五十歳に達し、これを記念する心も含めて、全集を刊行することになった。」(P5)ことをきっかけに旧稿をまとめて見て自身の過去を追憶。 小学六年の綴方が凄すぎて(川端本人は「自分のこと自分の言葉を一つも書いていない。」(P18)とは言うものの)級友たちはどう感じていたんだろうか。 清野との愛は歳を重ねるにつれて「少年時代の愛」という良き想い出に昇華されたのでしょうか。 川端は本当に文章が良いなぁ。内容はさておき読んでると癒されます。難しいけど。 ※以下は自分用にメモ。 ***************************************** 中学二年の時の作文帳や谷堂集で想い出を振り返る中… 「しかし同性愛というようなことはなかった。」(P21) いきなりこの一文。続いて次の章の始まりは 「大正五年の九月十八日から大正六年の一月二十二日までの日記には、同性愛の記事がある。」(P21) 大正五年十二月十四日の日記に、清野、登場。床の中でぎゅうぎゅうと抱き合っている。 大正六年一月二十一日、清野、大口に狙われる。 (ちなみに川端は1915年(大正4年)3月から、中学校の寄宿舎に入っている。) 大正六年、川端は十九歳で中学五年だった、ということは十九歳のときに後輩とベタベタしてたのかぁ。 「また私は高等学校の時に清野少年あての手紙を作文として提出した。教師の採点を受けてから実際の手紙として清野に送ったと記憶する。」(P27) 愛の手紙を先生に?昔はそういうのアリだったのか??(汗)高等学校一年生(19~20歳)のものだそう。 川端の手元に残っている部分に書いてあったのは 「お前は私の人生の新しい驚きであった。」(P30) 「お前はなんと美しい人だったろう。」(P33) ものすごいラブレター。これを先生に(汗) 24歳のときに書いた「湯ヶ島での思い出」を28歳の時に「伊豆の踊子」に書き直す。「湯ヶ島での思い出」では湯治、清野少年訪問、大本教の教祖の入湯の想い出が語られる。 22歳の8月に清野を訪ねる。清野少年は宗教二世。 「私は彼の信じるものにではなく彼の信じる心に快く染まりそうなのである。」(P72) 時を遡って中学五年、清野の信仰心について語られる。 再び日記に戻る。学生時代の出来事、清野とのやり取り、大口君の恋愛、進路。川端は次から次にもの(時計と書籍)を買う 。 「「私のヘングインになってくれ。」と言うと、「なってあげまっせ。」と言った。」(P93) ペンギン? 再び大学時代の「湯ヶ島での思い出」にもどる。 ここから逆に清野からの手紙が転載されている。22通。私からすると多いように感じるけれど当時は普通だったのだろうか。 最後の二行が衝撃的でした。勿体ない、と思ってしまいます…。
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