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フォンターネ 山小屋の生活 の商品レビュー

3.7

16件のお客様レビュー

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2024/09/24

何も手につかなくなった時、あえて自分を自然の中に放り込む。 そうすると、木々の音や動物たちの足音、風の音、家が呼吸する音、それらが雑音から自然の音色になる。 澄んだ空気を吸い、空に広がる星々を眺め、動物たちと心を通わせ、自分の中に眠っていた何かが冬眠から覚めるような、そんな素晴...

何も手につかなくなった時、あえて自分を自然の中に放り込む。 そうすると、木々の音や動物たちの足音、風の音、家が呼吸する音、それらが雑音から自然の音色になる。 澄んだ空気を吸い、空に広がる星々を眺め、動物たちと心を通わせ、自分の中に眠っていた何かが冬眠から覚めるような、そんな素晴らしい時間を過ごした作者を素直に羨ましいと思う。

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2024/07/25

山での生活を星のように美しい言葉で綴った良作。言葉を持っていることの素晴らしさがわかる。 それでも、地球上に手付かずの自然が存在し得ないことも理解しながら、人と自然の営みについて考えさせられる。

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2024/07/01

【琉大OPACリンク】 https://opac.lib.u-ryukyu.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BC12988970

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2024/05/04

フォンターネとは給水所の意味を持つイタリアの村なのだそうだ 巣穴にいるマーモットに歌を聞かせてやったり、漁師にかられたウサギに涙して怨んだり、下山を甘く見て滑落しむせび泣いたり、ワイルドな男性像でなく都会のハイブロウで繊細な少年のままであること、失敗もを隠そうとしないのがこの本...

フォンターネとは給水所の意味を持つイタリアの村なのだそうだ 巣穴にいるマーモットに歌を聞かせてやったり、漁師にかられたウサギに涙して怨んだり、下山を甘く見て滑落しむせび泣いたり、ワイルドな男性像でなく都会のハイブロウで繊細な少年のままであること、失敗もを隠そうとしないのがこの本の魅力なのかもしれない P69 ワインをもう一本絞るか?山の上では、飲み食いまでもが野性味を帯びた言葉で言い表され、豚のスペアリブは砕く、ワインのボトルは絞るとなる。 P103 子どものころから僕は、山に入ると自分が豹変するように感じたものだ。肉体を有しているという喜びがふつふつと湧き、山の元素(エレメンツ)の中でからだを動かすことによって調和の感覚が見いだされ、ひとりでに手や足が動き出し、怪我などあり得えないかのように駆け回り、飛び跳ね、よじ登る自由を堪能する。 P115 自力で道を見つけられるか試すために恋に迷ってみたり、誰かに必要とされているか確認するために人のいるところから逃げてみたり。山にこもって一定以上の期間耐え抜けば、別の人間になれるだろうと思っていたのだ。しかもその変化は不可逆だと。ところがことあるごとに以前の自分が頭をもたげ、そのたびに自己主張を強くする。【中略】身体はより強くたくましくなったと言うのに、精神のほうは強くもたくましくもなっておらず相変わらず軟弱だったのだ。孤独は、森の中の小屋というより鏡の家に似ていた。どこに目をやろうと、歪んで醜い自分の鏡像ばかりが際限なく増殖されていく。 P156 ソローはこんな風に書いていた。「私の家には3つの椅子があった。一つは孤独のため、もう一つは友情のため、3つ目は交際のためである。僕も最後の最後に、山の小さな交際の場を作ってみたのだ。僕がなにか善行をしたとしたら、あるいは自慢できる行いを一つ選ぶとしたら、山を下りる前に二人の友人と一緒にテーブルを囲み、三人で楽しい時間を過ごしたことだろう。

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2023/11/12

こういう流し読みできない本も良い。 一言一句しっかり読んで想像しないと置いてかれてしまう。思考が無くなった瞬間に、あたりは暗闇に包まれて自分がどこにいるか分からなくなる。 2回読んで少し理解できたかなっていうレベルだけれど、雑音のない世界での静かな暮らしを自分も体験できたように...

こういう流し読みできない本も良い。 一言一句しっかり読んで想像しないと置いてかれてしまう。思考が無くなった瞬間に、あたりは暗闇に包まれて自分がどこにいるか分からなくなる。 2回読んで少し理解できたかなっていうレベルだけれど、雑音のない世界での静かな暮らしを自分も体験できたように感じる。 また読んで、隠遁生活に身を投じてみたい。

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2023/10/06

スランプに陥った著者が、 言いしれない虚無感を抱えたまま、 都会の喧騒を離れ、 アルプス山中の打つ捨てられた集落 フォンターネへ移り住んだ経験が綴られています。 孤独をかみしめるには、 美しい場所が最適だと思います。 陰鬱な場所だと、 気持ちまで沈んでしまいますが、 アルプスの...

スランプに陥った著者が、 言いしれない虚無感を抱えたまま、 都会の喧騒を離れ、 アルプス山中の打つ捨てられた集落 フォンターネへ移り住んだ経験が綴られています。 孤独をかみしめるには、 美しい場所が最適だと思います。 陰鬱な場所だと、 気持ちまで沈んでしまいますが、 アルプスのような環境の中で、 孤独に生きることほど 贅沢なことはないような気がします。 美しい自然の中で、 孤独を楽しむことができれば、 人生はもっと豊かなものになるはずです。 このような暮らしに憧れます。 べそかきアルルカンの詩的日常 http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/ べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え” http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ” http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2

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2023/08/16

ハン・ジョンウォンの詩と散策と同時期に読んだが、どちらも歩きながら自問自答しているところ、詩や本を引用しながら自分の中を見つめているところが似ている

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2023/03/15
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「帰れない山」がすごくよかったので、その3年前に書かれたという著者の山小屋生活のエッセイも読んでみることにした。都会暮らしに疲れてエネルギーを使い果たし、ものを書けなくなった著者が子供の頃の夏に訪れていた田舎へ行き、山小屋で生活する、という内容。「帰れない山」につながる部分もたくさんあって、それは読んでいて楽しかったのだが、著者自身は寂しがりで、孤独を深めて楽しむというよりは山で出会った風変わりな友人たち、動物たちとの生活の話が主である。 「山に籠って一定以上の期間耐え抜けば、別の人間になれるだろうと思っていたのだ。ところが、…略…孤独は、森のなかの小屋というより、鏡の家に似ていた。どこに目をやろうと、歪んで醜い自分の胸像ばかりが際限なく増殖されていく。たとえすべてから解放されたとしても、その胸像から逃れることは不可能なのだ」 山小屋で夏を過ごした著者はこう語る。いつか、なにかをすれば、違う自分になれるという幻想は、誰しもが持っているように思う。でも、現実はそうではない。嫌な自分がどこまでもどこまでも、いつまでも追いかけてくる。山小屋生活で著者はそのことを悟って、そのためかは分からないが、また書けるようになっていくのである。他の山籠もりエッセイとは趣はちょっと違うが、その生々しい自己分析は都会暮らしの人間たちへと通じる水脈を確かに持っていて面白いと思った。

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2023/02/10

コニエッティの名を高めた「帰れない山」の前哨戦とでもいう感覚の作品。 読んで何かを得ると言う類ではなく、遠景に浮かぶ世界を見て共感を得たり 何かしらのポエジーを嗅げる様な作品。 「孤独は鏡の家に似ている様・・歪んだ醜い自分の鏡像ばかりが際限なく増殖されて行く」とある。筆者は仕事...

コニエッティの名を高めた「帰れない山」の前哨戦とでもいう感覚の作品。 読んで何かを得ると言う類ではなく、遠景に浮かぶ世界を見て共感を得たり 何かしらのポエジーを嗅げる様な作品。 「孤独は鏡の家に似ている様・・歪んだ醜い自分の鏡像ばかりが際限なく増殖されて行く」とある。筆者は仕事にも恋愛にも疲れてはるかモンテローザを眺める標高1900メートルにある集落の一軒家に移り住む。 寝たり起きたり何事にも拘束されないで自然と共に流れて行く時間の細やかな描写は 読むものへも耐寒体験の共有の世界へ誘ってくれる。 寝られず、シェラフに包まって野外で寝る事も。 一人になりたかった彼が 同じく武骨で寡黙な友と交流を深め 犬とも連帯して行く様がほほえましい。 雪が深くなり、山を下りて行くラスト・・又なる再生の時間が始まる力強さを感じる。 自然と一体化して己を見つめ直すには、再生のエネルギーを生み出せるしなやかさが不可欠だと再認識する・・30歳だもの、彼は。

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2023/01/31

パオロ・コニェッティは2作めで、『帰れない山』の前に書かれた作品。 小説ではなくて、ミラノという都会の生活に疲れた著者が、本とノートとペンだけを携えてアルプス山麓のフォンターネに山小屋を見つけ、春から秋まで過ごした体験の記録である。 『帰れない山』が、このフォンターネでの体験が...

パオロ・コニェッティは2作めで、『帰れない山』の前に書かれた作品。 小説ではなくて、ミラノという都会の生活に疲れた著者が、本とノートとペンだけを携えてアルプス山麓のフォンターネに山小屋を見つけ、春から秋まで過ごした体験の記録である。 『帰れない山』が、このフォンターネでの体験が基になったことはすぐに分かった。ブルーノのモデルとなったのはきっと、山小屋の生活で親しくなった牛飼いのガブリエーレと家主のレミージョだろう。 仕事にも恋愛にも人間関係にも行き詰まり、創作の源泉さえも枯渇してしまったと感じた著者が一人で彷徨う山、登山小屋のアンドレアとダヴィデとの夏の束の間の暮らし、アルプスの山人の習慣、春から夏、秋へと移り変わる山の暮らしと人との交流のなかで、少しずつ回復していっているのが感じられた。 そうとは書いていないけれど、秋、登山小屋から山小屋に戻り、新しいノートを開いた場面でそれは確信に変わった。 山と山の暮らしの様子が淡々と、でも力強く綴られている。 著者の素晴らしさもあるが、翻訳者の力量を感じた。 本を閉じると、良質のドキュメンタリーを観たような満足感が広がった。 旅に出るときに携えたい1冊。 よく旅したインドでは、お気に入りのゲストハウスやカフェに旅人たちが置いていった本が並んでいて、よく借りて読んだ。 旅のお供に連れて行った『フォンターネ』を、そんな宿やカフェの本棚に並べたい。 どんな旅人が手に取るだろう。 きっと気に入ってくれるはず。 著者は執筆以外にも、恩恵を与えてくれた山々に恩返しがしたいと、『野生の呼び声』と称する活動を行っているそうだ。 彼のそういった山に対する想いの深さ、心根の優しさが作品に表れて、わたしは魅かれているのかもしれないなと思った。

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