共有地をつくる の商品レビュー
資本主義の先の話、でしょうか。 いろいろ示唆に富んだ本。 払ってもいい金額:1,800円 貼った付箋の数:8
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秋葉原にあったリナックスカフェ、隣町珈琲の平川さんの著。喫茶店、食堂、銭湯、資本主義に贈与論、所有しないで共有することとその可能性、思いがけない所で点と点が繋がる感覚がある。
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※このレビューにはネタバレを含みます
この本の共有地は、地縁的なコミュニティーによってできる場所ではなく、誰もが所有権を主張するわけげもなく、共同体のメンバーのものでもない、開かれた場 無縁の場所として、誰もが出入りできる。 借金でしては1番いけないのが、必要なお金を借りることという引用文が面白かった。
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地縁共同体は鬱陶しい。都会へ出てくれば誰からも干渉されず自由に生きていける。近所からはアノニマスな存在として、お金さえあればとりあえず何でも手に入る。でも勝ち組になれるのはごく一部。結局ネオリベにこき使われて搾取されるだけ・・ かといってかつて自分が所属した地縁共同体にいまさら戻...
地縁共同体は鬱陶しい。都会へ出てくれば誰からも干渉されず自由に生きていける。近所からはアノニマスな存在として、お金さえあればとりあえず何でも手に入る。でも勝ち組になれるのはごく一部。結局ネオリベにこき使われて搾取されるだけ・・ かといってかつて自分が所属した地縁共同体にいまさら戻る決意もできない。 確かに高齢化が進む中、都会で生きていくためには近所に共有地を作る、というアイデアは魅力的。ただしネオリベ勢は共有地となるべきコモンを私有化し、収益物件に変え続けていてその中で抵抗の拠点を作っていくのは難しいかも。 かつて高齢者がたむろした道ばたの縁台のようなものを作っていくのも一つだけど、もしかしたら増加し続けている子ども食堂も共有地候補として活用できるかもしれませんね。
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老人や子どもたち、そしてそのまわりの大人たちの居場所作りに奮闘する女性が、福祉・教育・地域に関わるようなカフェやグループホームを作る上で感じること、そしてそれまでの挫折と軌跡ーみたいな内容だと思ってたから、びっくりした 古希を迎えた男性が、縁側のような場所は大事だということを少...
老人や子どもたち、そしてそのまわりの大人たちの居場所作りに奮闘する女性が、福祉・教育・地域に関わるようなカフェやグループホームを作る上で感じること、そしてそれまでの挫折と軌跡ーみたいな内容だと思ってたから、びっくりした 古希を迎えた男性が、縁側のような場所は大事だということを少しアカデミックな視点を交えて説明されている本でした 内でも外でもない、そのどちらでもない縁側のような場所が必要だということ それはみんな大きく頷くわけで、では具体的にどうして行きましょうかというところまで考えたい
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銭湯、喫茶店、大衆食堂、本屋に良く行く自分にとって、共有地という概念は割と容易に腑に落ちた。 帯にもあるが、共有地とは縁側である。 内側の者にも、外側の者にも開かれた空間で、 誰しもが介入する事が出来るし、しなくてもいい。 それは公共的でも村社会的でもない Linuxマインド...
銭湯、喫茶店、大衆食堂、本屋に良く行く自分にとって、共有地という概念は割と容易に腑に落ちた。 帯にもあるが、共有地とは縁側である。 内側の者にも、外側の者にも開かれた空間で、 誰しもが介入する事が出来るし、しなくてもいい。 それは公共的でも村社会的でもない Linuxマインドなオープンソース空間でもある。 資本主義社会のルールの上で、 お金至上主義的トリリオンゲームに興じる事だけが正解ではないのではないか? と考えてしまうのは、消費資本主義社会の限界が露呈してしまってるからに他ならない。 だから小さく商いを始め、一人一人が自分の看板をもって生活し始めている流れは、肌感で今後益々増えていくんだろうなと感じている。 最近頻出して書いている江戸時代回帰な百姓化のリバイバルの気配でもある。 1km圏内レベルで地に根を張るような商売の仕方だったり、ノマド的根無草な働き方だったり、個人事業主の増加はコロナ禍以降さらに増えたような気がする。 消費資本主義の肥大した私有化を危惧するように、 断捨離だとかミニマリストだとかの極論的カウンターが出現したが、 そこまででなくとも、最大公約数の文化的生活を営むことができれば良くない? 純白のメルセデス、プール付きのマンション、 最高の女とベッドでドンペリニョンしたいと思うOSハマショーは、既にサポート終了してない? なんて事を本書の内容をなぞれば、 現代社会の小さくない流れを読み解くヒントが綴られている。 本書も言及していたが、 小津安二郎とかの50年代の邦画を観ると、 隣人から酒やら味噌やらお金やら借りているシーンがある。 現代では隣人なんて赤の他人で、自分事の外の世界、背景と同義な今の目で観ると、 そんな光景に斬新だなと思う。 恐らくほとんどの現代人は会社、学校、家族ぐらいが自分圏内、世界の全てで、それ以外は異世界な閉鎖社会になってしまっている。 それはひとえに行き過ぎた潔癖症的オールオアナッシングな人間関係構築の流れがあって、個人個人が一見さんお断りの会員制飲み屋化しているからな気がしている。 他人との共通知が無さすぎていつも未知との遭遇並みのハードルの高さのある昨今。 寛容さの失われた、寛容になる為の時間も許容量も削ぎ落とされた合理化、効率化の拍車。 それは常に他者との関係性においてミルグラムの実験をしているようなもので、正論や世論に服従し他者に電気ショックを与える事に何の躊躇も感じない社会で、ネットという仮想現実化した個においてはよりその電圧は強烈になる。 ミスした人間から堕ちていくカイジの鉄骨渡り社会。 と世を憂いていても仕方がない。 せめて自分圏内レベルで自他の失敗に寛容な精神構造でいられるように、なるべくメンタルヘルスの管理に努めるくらいはやっておいてもいいのかもしれない。 共有地というのは、一種の地域社会的インフラというか、昭和レトロな文化のリバイバルで、現代人にはロストしていて、かつ必要性があるかもしれない価値観の再認識なのだと思う。 漫画「メタモルフォーゼの縁側」や、「海を走るエンドロール」のように、 世代も文化も嗜好も習慣も違う人との邂逅は、 アマゾンの奥地の原住民族とのコンタクトや異世界転生と最早同義であると言っても過言ではないかもしれない。 共有地というコミュニズムや小商いの方法には、 新資本主義社会や、生きづらい世の中を生き抜く為のヒント、解決策となりうるのかもしれない。 それはまた、温故知新な古き良き時代のご近所付き合いのアップデートで、そこに新たなご近所物語が紡がれるのかもしれない。 個人個人が、ダブついた私有財産を共有地に勧進、喜捨する事で豊かさを育む事が出来るかもしれない。 共有地をつくるということは、 人間が人間らしく生きる上で、 非常に重要な概念なのかもしれない。 明言を避けるため、 かもしれない文章を書き過ぎたかもしれない。 これだけは断言できます。 血の通った良い本でした。 おわり。
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著者の経験を基に、消費資本主義や相互監視社会などの生きづらさから解放されるための居場所を作ろう、という提案。ハウツー本ではないので、答えが書かれているわけではないのですが、それでも背中を押してもらえました。参考文献として挙げられる本がどれも興味深い。
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自分が将来したいことに関係あるかも、と思って初めて電子で買ってみた本。 この本以前に読んでいた、『くらしのアナキズム』と重なる部分があったりして、興味深く読んだ。 思っていたほど濃密に『共有地』について書かれているわけではなかったけど、いくつか、「これ参考にしたいなあ」と思え...
自分が将来したいことに関係あるかも、と思って初めて電子で買ってみた本。 この本以前に読んでいた、『くらしのアナキズム』と重なる部分があったりして、興味深く読んだ。 思っていたほど濃密に『共有地』について書かれているわけではなかったけど、いくつか、「これ参考にしたいなあ」と思える部分があって、自分の将来の仕事や夢をよりクリアに考える機会を与えてもらったなあと思った。
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あまり新しい知見が感じられない 新しくなくてもいいのかもしれないが、類書で面白いのはたくさんありそう 筆者の経験部分や具体的な手法部分があまりおもしろくないせいか 理屈はいいからと言いたくなる
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最後にガーンと来た。ご本人が雑誌に書かれた文の引用 けど俺はさ、コミュニティは自分が作るつもりにならなかったらダメだ、って言っているの。つまりね、どこかで自分を救済してくれると思っているコミュニティはお金と同じなんですよ。、お金に代わって、自分を助けてくれる、何かより楽に助け...
最後にガーンと来た。ご本人が雑誌に書かれた文の引用 けど俺はさ、コミュニティは自分が作るつもりにならなかったらダメだ、って言っているの。つまりね、どこかで自分を救済してくれると思っているコミュニティはお金と同じなんですよ。、お金に代わって、自分を助けてくれる、何かより楽に助けてくれる何かを求めているだけ。大事なことは自立なんですよ。
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