味の台湾 の商品レビュー
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現代詩と料理のレシピを融合させた詩集をだしたため美食家だと誤解されたのがきっかけで台湾の食文化を研究し始め、フィールドワークにも出かけるようになった台湾の詩人・焦桐さんの台湾の料理にまつわるエッセイ 原書となる本には160篇収録されているそうですが、この日本版には60篇選ばれてい...
現代詩と料理のレシピを融合させた詩集をだしたため美食家だと誤解されたのがきっかけで台湾の食文化を研究し始め、フィールドワークにも出かけるようになった台湾の詩人・焦桐さんの台湾の料理にまつわるエッセイ 原書となる本には160篇収録されているそうですが、この日本版には60篇選ばれていて、たくさんの台湾の食べ物が紹介されています。 知らないものがほとんど! 食材も日本にはないものが多く、丁寧に作り方や材料が紹介されているので、想像しているととても楽しくなります。 食べてみたいな〜。 著者の生い立ち、人生、家族が合間合間に食べもののエピソード共に語られ、それがまた心に響いてきます。 特に奥様への愛情がにじみ出るエピソードに温かい気持ちになりました。 「人生とはやはり茶葉蛋のようなものだ。ときに傷跡や欠損があり、茶葉を煮こんだように、かすかに苦味がある。苦味の中に甘さがあり、渋みの中に楽しみがある。それはほほえみの中に涙がきらめくようなものだ。茶葉蛋は味のしみこむことによるうまさを表現したもので、ひび割れが多ければ多いほど味が入る。」 ちょうど菜脯蛋(干し大根のオムレツ)を読んでいておいしそう〜と思っていた翌日、台湾料理屋さんに行くことになり、メニューにあったので食べることができました。 まさに「シンプル」で「外はさくっと中は軟らか」くてとってもおいしかったです
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読みながら近隣の台湾小吃(シャオチー)を食べられる店を探し、鹹豆漿(シェンドウジャン)にいたっては家で作るほどになってしまった。台湾の詩人が書く料理エッセイ…と簡単に言ってはいけないと思うくらい文章は表現力に富み、台湾の歴史と作者の人生を垣間見ることができる本。 日本版は160篇...
読みながら近隣の台湾小吃(シャオチー)を食べられる店を探し、鹹豆漿(シェンドウジャン)にいたっては家で作るほどになってしまった。台湾の詩人が書く料理エッセイ…と簡単に言ってはいけないと思うくらい文章は表現力に富み、台湾の歴史と作者の人生を垣間見ることができる本。 日本版は160篇から60篇を抜粋してあるようで、全部読んでみたかった。味覚も嗅覚もすべて人生と深く繋がっている。
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図書館。 仕事で何度か高雄から台北まで行ったけれど、台湾のごはんは現地で食べるととても美味しい。 臭豆腐なんかは日本ではきっと食べられないけれど、あの場だからこそ食べられる「何か」がある。 その「何か」を感じられた本。
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やばい。どれも美味しそうで、お店を検索しながら読んだら、1ヶ月かかった。 日本にもお店はいっぱいあるけど、やっぱり台湾に行きたい。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
とにかく読んでいてお腹が減る。 食いしん坊というより食を大いに堪能する著者の情熱が凄い。 朝市に何度も行くのに奥さんに浮気を疑われたり、挨拶の場で1人黙々と食べ続ける笑ってしまう場面もあれば、 パートナーが亡くなってしまい悲しみに暮れながら食べ物を思い出すほろ苦い場面もある。 人生は食事とともにある。 悲しくても嬉しくてもお腹は減る。
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詩人としても知られる著者が「『台湾の味』とはなんなのか」を考えながら魅力的な台湾料理の思い出を語るうち、記憶と味の結びつきに深く分け入っていくエッセイ集。 本書で取り上げられるのはどれも屋台や家庭の味。焦桐は自身が愛着を持つ類いの料理を「労働者階級の美食」と呼んでいる。一見粗...
詩人としても知られる著者が「『台湾の味』とはなんなのか」を考えながら魅力的な台湾料理の思い出を語るうち、記憶と味の結びつきに深く分け入っていくエッセイ集。 本書で取り上げられるのはどれも屋台や家庭の味。焦桐は自身が愛着を持つ類いの料理を「労働者階級の美食」と呼んでいる。一見粗野に見えるものにも料理人の美学が宿っていることを丁寧に説きながら、それでいて心理的ハードルは限りなく低い庶民の味を称揚する。露店の雰囲気を伝える挿画もいい味をだしている。 台湾は移民の国であり、先住民と漢民族はもちろん、オランダ・スペイン・日本の統治時代を経て混淆された食文化が「台湾の味」をなしているという。日本版まえがきでは「ポスト植民地時代の飲食文化」と言い表されている。「天婦羅」と表記される料理が「さつま揚げのおでん」だという衝撃。冬瓜を砂糖漬けにしてお菓子として食べたり、未熟なパイナップルを漬物にしてスープに入れたりする食べ方も知らなかった!フルーツの使い方ではやっぱり和食は大陸に勝てない。鶏肉とパイナップルとゴーヤのスープ美味しそうだなぁ。 食いしんぼうとしての焦桐のスタンスにはかなり親しみをおぼえた。「情欲に満ち、人を魅惑する封肉(客家風角煮)のかたまりがあるのに一杯のあつあつの白飯がなければ、どんなに寂しいことか」なんていう一文に、いい意味での暑苦しさと少しの気持ち悪さと嫌いになれない食いっぷりの良さが表れている。恋人として初めて妻の実家に行って食事したときのエピソードも強すぎる。客家というエスニシティの話も面白かった。 取り上げられる料理はどれも著者の個人的な思い出と結び付いているが、特に後半で生き別れの兄と再会したエピソードのあたりから〈記憶と食〉の関係性が一段深堀りされていく。父とは再会しないまま亡くなり(この章の気持ち全体的にわかりすぎる)、妻のガン発症と死が食の記憶と共に語られる。できたての料理が並ぶ湯気の立つ食卓はどうしようもなく生者の領域だが、同時に味の記憶で死者とつながれる空間でもあるのだ。 邦訳にあたって160篇(!)あった原書から60篇を抜きだし、食材別になっていた収録順を並び替えたという。完全な時系列順ではないものの、著者の人生を辿るような順番にしたのは正解だと思う。滋味深いスープのような食エッセイの良作だった。
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知っている味、知らない味、60の料理。 どんな料理なのか、どんな美味しさなのか、だけでなく、そこにまつわる自身の思い出や、台湾の歴史、人々の暮らしが滋味ある筆で描き出されていて、口が台湾料理になりつつも、しみじみした気持ちに。 台湾で味わってから再読したら、また味わい深いだろうな...
知っている味、知らない味、60の料理。 どんな料理なのか、どんな美味しさなのか、だけでなく、そこにまつわる自身の思い出や、台湾の歴史、人々の暮らしが滋味ある筆で描き出されていて、口が台湾料理になりつつも、しみじみした気持ちに。 台湾で味わってから再読したら、また味わい深いだろうな。台湾、行きたいなあ。
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詩人である著者が魯肉飯や麺線、刈包など台湾の食べ物をネタに綴るエッセイ集。閉店してしまっているのもあるものの、実在のお店が登場する。いつの日か台湾に行く時を考え、ゴーグルマップでお店の場所を見ながら読むと楽し。
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台湾料理とは◯◯である、という固定観念はないが、魯肉飯や小籠包だけを指すのではない。現地で生まれたものから大陸から伝来したものまでありとあらゆる「台湾の味」が紹介されているこの本を読むと、遥か昔に台湾で初めて食べた料理の味を思い出されてもうたまらなかった。そして食は一緒に食べた人...
台湾料理とは◯◯である、という固定観念はないが、魯肉飯や小籠包だけを指すのではない。現地で生まれたものから大陸から伝来したものまでありとあらゆる「台湾の味」が紹介されているこの本を読むと、遥か昔に台湾で初めて食べた料理の味を思い出されてもうたまらなかった。そして食は一緒に食べた人や愛する人との記憶も思い出させてくれることも実感するし、食から台湾人の生活や歴史も見える。グルメ本とライフヒストリーと民俗学がミックスされたような1冊。
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