地上で僕らはつかの間きらめく の商品レビュー
あまりにも生々しく、大胆かつ繊細に描かれる「生きづらさ」「居心地の悪さ」に息を呑む。アメリカで暮らす移民(ベトナム出身)という出自に加えて、ともすれば保守的なモラルの下では人権・尊厳すら疑われかねない「クィア」という性愛のアイデンティティ。ロラン・バルトを読みこなすだけの知性と繊...
あまりにも生々しく、大胆かつ繊細に描かれる「生きづらさ」「居心地の悪さ」に息を呑む。アメリカで暮らす移民(ベトナム出身)という出自に加えて、ともすれば保守的なモラルの下では人権・尊厳すら疑われかねない「クィア」という性愛のアイデンティティ。ロラン・バルトを読みこなすだけの知性と繊細さ、そして蛮勇・勇敢さを備えた著者が記すこの小説は、古典的な小説としての完成度を時に食い破るようにして著者のレアな思い・叫びが響き渡る。ゆえにキャッチーな青春小説ではありえないのだけれど、それでも胸を打つ何かが確実に内在している
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文字が読めない母へ手紙を書くように、自伝を書き連ねてる小説。主な登場人物はベトナムからアメリカに移り住んだ祖母・母・僕、親しくなった少年。 時系列通りに語っているわけではなく、話の途中で飛んでは戻るという感じ。文章は詩的なものが多い。作者の見ているもの・見てきたものを全て感じ取れ...
文字が読めない母へ手紙を書くように、自伝を書き連ねてる小説。主な登場人物はベトナムからアメリカに移り住んだ祖母・母・僕、親しくなった少年。 時系列通りに語っているわけではなく、話の途中で飛んでは戻るという感じ。文章は詩的なものが多い。作者の見ているもの・見てきたものを全て感じ取れたかというと自分には難しかった。それでも心に響く場面やギュッと掴まれる場面もあり、これは読む人によって何かを感じる場面は違うのかもと思う内容だった。なので深く考えず感じるまま右から左に読んでいくのがいいと思った。
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昨年アメリカ在住の親友よりいただいた本。ひさびさの長編、そして海外翻訳小説ということで時間をかけて読了。詩的だな、と思っていたら詩人なのですね、この方。ベトナムからアメリカへ、祖母、母、そして自分の生きようが、文字が読めない母への手紙として綴られるというそのコンセプトが興味深かっ...
昨年アメリカ在住の親友よりいただいた本。ひさびさの長編、そして海外翻訳小説ということで時間をかけて読了。詩的だな、と思っていたら詩人なのですね、この方。ベトナムからアメリカへ、祖母、母、そして自分の生きようが、文字が読めない母への手紙として綴られるというそのコンセプトが興味深かったです。翻訳小説はなかなか慣れないのですが、自分としてはどんなものか挑戦、まずは最後まで読み切った感です。
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ベトナム系移民の子供である著者の自伝的小説らしい。文字の読めない母への手紙という体裁を取っているけれど、ストーリーや時間の流れがかっちりしておらず、時間や場面が行ったり来たり、抽象的なイメージが挟まったりして断片をつなぎ合わせたような話になっている。 読者は、祖母のベトナム戦争の思い出話、家庭内DV、貧困、いじめ、農場の重労働、同性の親友にして恋人の登場、その彼のドラッグ依存、人の死、そういう断片をひょいひょいと渡りながら、主人公や周りの人たちの「地上でつかの間きらめく」生を見ていく。 もちろん内容は全くキラキラしていなくて常にドロドロで悲惨なのだが、時折登場するキャンディや指輪、オオカバマダラのイメージなんかのちょっとしたことが、その泥の中で時折きらりと光るのがとても印象的できれいだった。文章というか詩のようだ。 「僕たちは美から生まれた」 終盤に主人公がそう悟る場面がある。これこそ、母に、祖母に、彼に言いたかったことだろうけど、これは読まれない手紙なのだ。でも読まれなくても、あなたも分かっているだろう、ということを含意しているように思える。文字ではなくて、一緒に生き抜いた時間、一緒に見たものまるごとがそう語るのだから。
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母へ宛てた手紙、という体裁をとりながら息子は自身のルーツを、色々な視点から紡ぎ出す。 豊かな表現にとにかく圧倒された。
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自分の両親と会話したくなる。美しいね。 自分以外の特定の誰かを思い出せる本は尊い。 読んでる本の題材と世の中を騒がせてるニュースがリンクすることが割と多くあり、不思議だなあと思いつつも、その度にぐっと読書が好きになるね。
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ベトナム系アメリカ人でかつゲイの詩人ヴォンの初の小説。新聞の書評でとりあげあれていたので読んだ。図書館からかりてきた1回目は通読できず挫折。2回目でなんとか苦労しながらも通読。よみにくさの一つは出来事が起こった時間順にはかかれていないこと。目の前で起こっていることと想像していることの区別がつきにくいこと。僕と一人称でかいているのと少年はと三人称で書くことが混在していること。詩人ならではの比喩的な表現がそこかしこに散見さえることなどである。 登場人物はすくないベトナム系アメリカ人3世の僕、ベトナム人の祖母リリー、ベトナム人とアメリカ人の混血の花ローズ、とうもろこし畑で愛を育むこととなる白人の年上の少年トレヴァー、それに暴力的な父親、血のつながりのない祖父のポールその他10人以下である。 小説で扱われる題材は境界をつなぐ愛。(ベトナム人とアメリカ人の恋愛、男性同士の恋愛)、そして死(祖母やトレヴァーが死ぬ)、麻薬、戦争(ヴェトナム戦争)、貧困、言葉の問題、これらの問題は全て痛みを伴うが、100%の痛みというものはなく痛みを越えたところに喜びを見いだす。 236ページより「しばらくすうると痛みは溶けるようにして奇妙な鈍痛に変わった。より暖かい感覚を鈍らせてそれを仕方なく受け入れることで身体中にもたらされる、ありえないほどの快感・・・気持ちいいと感じるのは痛みを乗り越えたときだと、僕は知った」 このような主題が次々と崖からおちるバッファロー、渡りをする蝶のオオバカマダラと重なる。 ヴォンは自分と自分を取り巻く環境を、一度分解し、時空を隔てた上から俯瞰し、どのようなときに喜びを感じるかについて書きたかったのではないだろうか。 再読する元気あるかなー?
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ベトナムから祖母・母と共に移住した詩人が書く自伝的小説。 ベトナム戦争に翻弄された祖母、移民となり英語が話せずアメリカでの底辺の暮らしの中で働きながら子育てする母、その2人と暮らしている僕は苛めを受けつつ成長していき性的マイノリティを自覚。同性の恋人・トレヴァーは薬物に溺れていく。 単なる移民の物語を超えて、著者特有の言葉の選び方、文章の運びで独特の雰囲気を持つ作品。時系列が入れ替わっていたりあちこちに話が飛ぶのですらすらと読むのは難しいですが、その分だけ心に訴えかけるものを大きく感じました。 祖母、母、主人公の精神的な逞しさと恋人トレヴァーの当時のアメリカの価値観でがんじがらめになった破滅的な儚さが印象的。 時々グロテスクな出来事の描写があるので少しお勧めしづらい、でもそれは現実でもある…。 「母さんへ 僕は今、あなたに声を届けたくて手紙を書いていますー」(P7)から始まる物語。人生のきらめいていない長い時間ときらめくそのつかのまの一瞬。一瞬だからこそ最大にきらめくのだろうか。 母親は英語が読めないのでこの手紙は読めない。だからこそ書けたこの人にしか書けない物語。
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ベトナム戦争による心の傷、というのはアメリカ軍人のものしか見られてこなかったように思う。生活を壊され、家族を殺されたベトナム人の方がもっと深いであろうことに、私は気づかなかった。 ベトナム難民の子供がこうして避難先の外国で苦労をしながら、身を立てていくことは本当に大変だったろうに...
ベトナム戦争による心の傷、というのはアメリカ軍人のものしか見られてこなかったように思う。生活を壊され、家族を殺されたベトナム人の方がもっと深いであろうことに、私は気づかなかった。 ベトナム難民の子供がこうして避難先の外国で苦労をしながら、身を立てていくことは本当に大変だったろうに、この作品に書かれてある世界はグロテスクな美しさを持っている。 母親にあてて書かれた手紙のような形式で始まるが、読み終わった後は、目も髪も黒い肌の浅黒い子供が、タバコ畑の間にある農道を、必死に走る子供がいた。青い空の下を息を切らしながら足を前に進め、子供は少年となり、そして青年へと成長していく情景が残った。
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リトル・ドックと呼ばれるベトナム系アメリカ人の主人公が、文字の読めない母に向けて書いた手紙という形で語られる自伝的小説? 母さんとランおばあちゃん、アメリカ人のポールおじいちゃんがいて、黄色い肌の僕がいる。 そして2つ上の白人の男の子トレヴァーとの出会い。 出てくる人たちは誰も彼...
リトル・ドックと呼ばれるベトナム系アメリカ人の主人公が、文字の読めない母に向けて書いた手紙という形で語られる自伝的小説? 母さんとランおばあちゃん、アメリカ人のポールおじいちゃんがいて、黄色い肌の僕がいる。 そして2つ上の白人の男の子トレヴァーとの出会い。 出てくる人たちは誰も彼もが生きづらさを抱えています。 ベトナム戦争は 私が子供時代に初めて知った戦争だった。日本に戦争があったことより先に植え付けられた記憶。。 それだからか、とても身近に、普遍的な物語として入ってきてしまった。 時にひるむくらいの貧しさや暴力的な哀しみが押し寄せてきて、何度も本を置いてしまったけど それ以上に表現が美しくて、ドラッグ、セックス、暴力、死すらも、その奥にある愛がつかの間きらめいて、胸をつかまれてしまいます。 比喩、というか表現?言葉の美しさと描かれる哀しみとのギャップが魅力的なのかな。気がつくと付箋だらけになってしまった。 "僕は昔からずっと、僕たちは戦争から生まれたのだと自分に言い聞かせてきた_ でも、母さん、それは間違いだ。僕たちは、美から生まれた。 僕たちは決して、暴力が生んだ果実じゃない_むしろ美の果実はその暴力にも耐えたんだ。" トレヴァーという男の子は、とても白人的で男性的に描かれていたけど、彼もまた傷だらけなのです。そんな彼の優しさを見せられた時にはその愛にキュンとしてしまった。 「俺に会う前のおまえはどんな存在だった?」 「溺れかけてたと思う」 沈黙。 「じゃあ、今のおまえは何なんだ?」と彼は眠りに沈みながら言った。 僕は一瞬考えた。「水」 このシーンが大好きだ❕ 物語の合間にメタファとして、タィガー・ウッズや、蝶、ヘラジカ、バッファローなどが出てくるのも印象的。(仔牛については私のトラウマに…) だのに最後にこんな風に書いてる 猿、ヘラジカ、牛、犬、蝶、バッファロー。人間の物語を語るのに動物の悲劇を使ってどうしようと言うのだろう_私たちの人生自体が動物の物語なのに。 オーシャン・ヴォンという名前も素敵ですよね、訳者の木原さんのあとがきにもあり、興味をそそられました。 ヴォンの詩集もぜひ読んでみたい いつか翻訳されることを切望致します。
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