姫君を喰う話 の商品レビュー
人間の生と性を、食という角度から描いた作品が多く、読んでいて、食欲が湧いたり減退したり、ジェットコースターに乗っている気分だった。
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食と性に焦点を置かれた話が多い印象。 官能的と強調されているせいか、普通のこともなんだか少し官能的に見えてくる。 脚に焦点が置いている表現が多いのも印象的。語彙力の高さは舌を巻くものがあるが、本を読む瞬間のない人間が読んだら退屈そうな内容にも感じられた。 歴史小説を読んでいる...
食と性に焦点を置かれた話が多い印象。 官能的と強調されているせいか、普通のこともなんだか少し官能的に見えてくる。 脚に焦点が置いている表現が多いのも印象的。語彙力の高さは舌を巻くものがあるが、本を読む瞬間のない人間が読んだら退屈そうな内容にも感じられた。 歴史小説を読んでいるような感覚にもなるし、男向けの作品のようにも感じられる。 面白いとは思うが、あくまで読書好きならば、という言葉が付随しそう。 解説→気になる話を読むの順番が個人的にはおすすめ。
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奇妙な感触が得られる6篇だが、「鯨神」に登場するシャキと紀州男の戦いは心理作戦も含めて強烈なものだ.鯨退治に挑む二人だが、紀州男の配慮が秀逸だと感じた.隠れキリシタンに対する酷い仕打ちが出てくる「花魁小桜の足」では, 官僚たちの醜さが目立った.「ズロース挽歌」は共感する部分が多か...
奇妙な感触が得られる6篇だが、「鯨神」に登場するシャキと紀州男の戦いは心理作戦も含めて強烈なものだ.鯨退治に挑む二人だが、紀州男の配慮が秀逸だと感じた.隠れキリシタンに対する酷い仕打ちが出てくる「花魁小桜の足」では, 官僚たちの醜さが目立った.「ズロース挽歌」は共感する部分が多かった.女学生に憧れる男の習性は永続すると感じた.「リソペディオンの呪い」では鍾乳洞で安楽を得る釜足の気分は理解できる.解説にもあったが、著者のほかの作品を読んでみたい気持ちになった.
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「姫君を喰う話」居酒屋にいた坊主は、はるか昔高貴な姫君をなぜ喰ってしまったのか・・・ 「鯨神」鯨神と呼ばれた巨大鯨と祖父、父を鯨神に殺された漁師の戦い。
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筒井康隆のエッセイでよく見た名前だな、くらいのとっかかりと、タイトル、表紙に惹かれて買いましたが面白いのなんの。 「姫君を喰う」とはそういう意味なの?と読んでびっくり。何を読まされているのだ(笑)。 とは言え古い元ネタがありそれを現代(といっても1970年の作品!)にエロくかつ...
筒井康隆のエッセイでよく見た名前だな、くらいのとっかかりと、タイトル、表紙に惹かれて買いましたが面白いのなんの。 「姫君を喰う」とはそういう意味なの?と読んでびっくり。何を読まされているのだ(笑)。 とは言え古い元ネタがありそれを現代(といっても1970年の作品!)にエロくかつ怪談のように蘇らせてお見事。食事と性欲の身近さが濃密に感じられて若者が読むと性癖が捻じ曲げられそうです。 続く「鯨神」も明治初期の話で、巨大な鯨に祖父、父、兄貴が殺され仇を討つ若者が主人公。 そこまで熱も無いのに鯨と死闘を繰り広げる主人公の独白がまたしても現代に通用してしまうのが全く恐ろしい。 他の作品も楽しみです。
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1961(昭和36)年から1970(昭和45)年にかけて発表された短編小説を集めたもの。 令和3年8月に出たこの新しい新潮文庫を店頭で見かけ、「宇能鴻一郎ってどこかで聞いた名だけど誰だっけ」と首をかしげ、巻末の解説をパラパラ見てみたら、そういえば「官能小説家」ではないか。団鬼...
1961(昭和36)年から1970(昭和45)年にかけて発表された短編小説を集めたもの。 令和3年8月に出たこの新しい新潮文庫を店頭で見かけ、「宇能鴻一郎ってどこかで聞いた名だけど誰だっけ」と首をかしげ、巻末の解説をパラパラ見てみたら、そういえば「官能小説家」ではないか。団鬼六と並んで、中学時代にはこれらの作家の名を出しただけで淫靡な笑いを友人たちと共有したものだ。 知らなかったのだが、この宇能鴻一郎さんはもともと芥川賞作家であって、当初は純文学畑の小説家であったそうなのだ。この新刊の帯には「ただならぬ小説がここにある。」「官能の巨匠か、文芸の鬼才か。」「人間の深淵を容赦なく抉る至高の六編。」と書かれ、なかなか力を込めて売り出している。 興味を持って買って帰り、さてどんなものか、と読み始めたら巻頭の作品「姫君を喰う話」は結構エロで、しかも普通でなくヘンタイっぽい情欲が盛られていたのでのけぞった。新潮文庫のラインナップにこんなのがさりげなく入っていたら、これで性に目覚めちゃう中学生が続出するのではないか。いや、今時の中学生は小説なんて読まないのか。 しかし、2つめの作品で芥川賞受賞作である「鯨神」は、エロの場面はほとんど無く、巨大な鯨と戦う漁師たちの物語であり、メルヴィルふうであった。当時の芥川賞選考委員は、本作の土俗的なところや力強さを推したのだろうか。 他に「西洋祈りの女」は不条理なクライマックスのエロシーンが奇妙な味をもっているし、「ズロース挽歌」は女子学生のズロースにフェティッシュな欲望を持つ男の物語で、それぞれに意外と面白い。 ズロースへのフェティッシュな欲望というのは、きっと、個人的体験の中で深い意味内容を背負わされることとなった対象=記号が、その過重なシニフィエにまとわれて神話じみて主体を支配するという、その私的な意味論上の円環構造に基づいているのではないか、などと考え始めると楽しくなってくる。 当然のように、この作家は谷崎潤一郎の影響を受けているようだ。やわらかく流れ、どことなくエロチックさをも浮かべる文体も、何となく似ているように思った。 それでも、本書中の作品群はのちの本当の官能小説とは截然たる違いを呈しているはずだ。そこの一線を超えた作家の行動には、どんな意味があったか。そんな点にも興味を感じる。
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著者、宇能鴻一郎さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。 ---引用開始 宇能 鴻一郎(うの こういちろう、1934年7月25日 -)は、北海道札幌市出身の小説家、官能小説家、推理作家。本名鵜野 廣澄(うの ひろずみ)。下の名前を音読みした「...
著者、宇能鴻一郎さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。 ---引用開始 宇能 鴻一郎(うの こういちろう、1934年7月25日 -)は、北海道札幌市出身の小説家、官能小説家、推理作家。本名鵜野 廣澄(うの ひろずみ)。下の名前を音読みした「ウノコウチョウ」をもじったペンネームであり、同人誌時代には「宇野興長」の筆名も用いていた。嵯峨島 昭(さがしま あきら)名義で推理小説も執筆している。 ---引用終了 で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 煙と客が充満するモツ焼き屋で、隣席の男が語り出した話とは……戦慄の表題作。巨鯨と人間の命のやりとりを神話にまで高めた芥川賞受賞作「鯨神」、すらりとした小麦色の脚が意外な結末を呼ぶ「花魁小桜の足」、村に現れた女祈禱師の異様な事件「西洋祈りの女」、倒錯の哀しみが詩情を湛える「ズロース挽歌」、石汁地蔵の奇怪なる物語「リソペディオンの呪い」。圧巻の迫力に満ちた六編。 ---引用終了 宇能鴻一郎さんというと、官能小説専門の作家というイメージしかないのですが、官能小説を書く以前は、純文学作家だったようですね。
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筆力は重厚で迫力がある。特に表題作や『ズロース挽歌』など男の性倒錯・変態性を描いた話は本人もノリノリの為凄まじい出来栄えだった。 ただ、そういった作品とその他で露骨なバラつきがあり、得手不得手を感じた。
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最近の作家とは違い、文体に酔うことなんて久しぶり。鯨神は、凝縮された世界。昔ながらの芥川賞作品。官能作品ばかりでなく、本当に文学と感じた。 今まで避けていて損した気分。読み終わるのがもったいない。 芥川賞受賞作は、流石!
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表題作の前半は、語り手である私がモツ焼き屋で内蔵料理を食しながら、性を絡め語る独特の世界観に戸惑いながらも圧倒されました。後半は、語り手が虚無僧に変わり、姫君を喰う話へ。人肉を食べるなんて…と思う以上に、虚無僧の姫君を愛おしく思う気持ちを想像し、愛し過ぎたが故の悲しい結末に切なく...
表題作の前半は、語り手である私がモツ焼き屋で内蔵料理を食しながら、性を絡め語る独特の世界観に戸惑いながらも圧倒されました。後半は、語り手が虚無僧に変わり、姫君を喰う話へ。人肉を食べるなんて…と思う以上に、虚無僧の姫君を愛おしく思う気持ちを想像し、愛し過ぎたが故の悲しい結末に切なくなりました。他の話も、男の妄想の行き過ぎた感があるような物だけど、心の機微などにやるせなさを感じる。「鯨神」は男のロマンというか別格だなぁ。この本は、たぶん女性より男性が読む方が共感できるのではないかと思いました。
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