蛇の言葉を話した男 の商品レビュー
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2022.04.13 図書館 これ絶対になにかの本の中に出てきたから予約した気がするんだけど なんの本だったか全く思い出せない… メモしておけばよかった泣 なにかの後書きか、解説か… 本棚見ると、最近読んだ中だと筒井康隆のような気もするんだけど……… 検索したけどわからなかった! で、予約が回ってきたから なんの前情報もなく読み始めた。 (なんかの本にはタイトルだけで、内容は全く紹介されてなかった気がする) 海外文学のSFで上下段! 読みにくいかと思ったけど、すごく読みやすい文体ですらすら読めた。 割と細かく数字で段落分けされてたのも、読む目安になってよかった。 蛇の言葉が話せる少年の一生。 蛇の言葉で動物を操れるのは彼が最後のひとり。 昔は森に蛇の言葉を話す人々が沢山いたが、今は海を渡ってきた外国人からキリストを布教されて、村で近代的な暮らしをする人たちばかりで、蛇の言葉は忘れ去られてしまう。 蛇の言葉があればオオカミやシカやヘビを操れ、食事にも困らない。 しかし人々は近代的な生活に憧れ、畑を耕しパンを食べる生活を好む。 森にはもう人が残っていない。 主人公の友達はヘビのインツ。 前半はまだ森に少しは家族や子供がいて、森での暮らしや風習、蛇の言葉を使った生活が描かれている。 中盤では森に人が居なくなり、村人のキリスト信者の異常性と、森での精霊信者の異常性が描かれる。 後半は主人公の親しい人がどんどん死んでいき、主人公の異常戦闘性が表れ、むごい殺戮や拷問シーンが増える。 さいごは主人公はひとりになり、伝説のサラマンドルへ辿り着き一生を終える。 森での暮らしから人の増悪まで、ファンタジーを交えて複雑だけどわかりやすく読めた。 後書きによると、エストニアの作家で、エストニア情勢を風刺しているそう。 昔からの言葉を使える人は少なく、若者は近代言語に行ってしまうみたいな。 たしかにそう言われればそうだけど、 この本のすごいところは、そう言われないと風刺って気づかないくらい自然で、どちらにも肩入れしていないところ。 近代文明の信者を悪く書いてはいたけど(神を信じても何も変わらない的な当たり前のことだけど)、結局廃れず、彼らは信じ続けてその文明は発展していくし、 森に残った人々は主人公も含めて、皆孤独に死んでいく。 どちらがいいとか悪いとかはなく、 ただ自然の摂理でそうなるだけ。 目まぐるしい展開ではあるけど、基本の倫理観は淡々としてるところがすごくよかった。 みんな自分の正義でそうしてる。 難しいな〜〜〜〜 別に正解はないしね 自分だったらどうするかな。 長い物に巻かれちゃうんだろうな。 主人公不幸すぎたけど、奇跡的に助かったところもたくさんあったからプラマイプラくらい? 人間の女の子にすぐ手出しちゃうクマの設定が面白かった。 インツは話のわかるやつだった。 おじさんも。 すごく面白かった!!! 出会わせてくれた作家に感謝。なんの本だっけなー。
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エストニアのダークファンタジー。 2段組350ページ程ですが、惹き込まれる語りと展開の面白さに一気読み。本当に面白かった。 本編は肉・血・肉・骨・肉…みたいな感じ。主人公をつねに付き纏う死臭と腐敗臭と獣の生臭さ、そして女たちの匂い。 想像するとキツいんですが、この"臭いのメタファー"が好きでした。 あと蛇。インツ好きです。 ゆいいつ、蛇の言葉を解さない動物や昆虫への見下しが読んでて苦しい。でも、全て彼女の最期のために仕込まれていたのかなと思うと、運命というよりも諸行無常・盛者必衰…と感じました。これは蛇たちに対するだけでなく、蛇の言葉も、猿人や森の民も、そして農村も。 伝統や文化や神話、信仰、それらを皮肉るこの物語の態度は一言で表せば「反教権主義」なんでしょう。 美化も理想化も、ナショナリズムに利用され得るノスタルジーやロマンティックも許さない淡々とした出来事の羅列と語りです。 怒りと諦観が同居し、運命への抵抗と受容が共存する。 そんな普遍的な物語でした。
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日頃から戦隊モノを視ていて奇想天外には慣れていたはずだが、かなりぶっとんだ内容だった。作者はエストニアだそうだが全く国籍関係ない。日本で例えると、ムラの風習と野蛮と決めつけ、迫害する町の人間と戦うという図式。主人公は身内や仲間を惨殺された少年なんだが、なんだか世界観もぶっとびすぎ...
日頃から戦隊モノを視ていて奇想天外には慣れていたはずだが、かなりぶっとんだ内容だった。作者はエストニアだそうだが全く国籍関係ない。日本で例えると、ムラの風習と野蛮と決めつけ、迫害する町の人間と戦うという図式。主人公は身内や仲間を惨殺された少年なんだが、なんだか世界観もぶっとびすぎてるし、どうもこの少年に正義を感じられなくて、うーん。とにかく登場人物のキャラが濃くて(性格でなくて生態)郷愁みたいなのが漂っていて始終ざわざわしながら読みました。作者のメッセージは「人間でいる限り幸せを感じることはない」ってこと?
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エストニア文学なのだが、最初のうち意識していなくて、宣教師の布教活動が出てくるのでアフリカかアジアの話かと思って読んでいた。無意識に読んでいた割には、旧ソ連から独立した国の文学ということで、意外にタイムリーな本を読んでいたかもしれない。蛇の言葉を話す者は、森に住み、ほとんどの動物...
エストニア文学なのだが、最初のうち意識していなくて、宣教師の布教活動が出てくるのでアフリカかアジアの話かと思って読んでいた。無意識に読んでいた割には、旧ソ連から独立した国の文学ということで、意外にタイムリーな本を読んでいたかもしれない。蛇の言葉を話す者は、森に住み、ほとんどの動物を自分の意志に従わせることができる。動物を呼び寄せることができるので、常に肉を食べることができる。一方で、海外から修道士と騎士がやってきて、農耕文化を広めたことにより、森を出て村に住むものが増えてくる。彼らは、動物に話しかける必要がないので、蛇の言葉をわすれてしまう。失われていく言葉、文化について、宗教について考えさせられる物語だった。
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とても面白かった。レーメットの言葉は端折られる部分が少なくて、読みながら窒息するかと思った。 主人公が悪態ついてる本は一気に読みやすい。 あの帯の寒気がする文言に最初は怯んだけど、読んで良かった。早く帯が変わる事を祈ってます。
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<森には、もう誰もいない。P3> エストニアの作者による、失われる少数民族の寓話的長編小説。 かつてエストニアの人々は森に暮らし、蛇の言葉を話していた。 蛇の言葉は動物たちと気持ちを通わせ、彼らを操ることもできる。 だがもう蛇の言葉を理解する動物もほぼいない。 ファンタジーとい...
<森には、もう誰もいない。P3> エストニアの作者による、失われる少数民族の寓話的長編小説。 かつてエストニアの人々は森に暮らし、蛇の言葉を話していた。 蛇の言葉は動物たちと気持ちを通わせ、彼らを操ることもできる。 だがもう蛇の言葉を理解する動物もほぼいない。 ファンタジーというか風刺的と言うか寓話的なのだが、森の人々はエストニア人、森から村に出ていった人達が憧れるのはローマの教皇や司祭たちなど、現実と即してもいる。 森に住む人々は、洞窟や洞穴や木の小屋に住み、毛皮を着て、川の水を飲み、火を通した肉を食べる。ウサギやシカに蛇の言葉をかければ彼らは自分から首を差し出すので、肉はいくらでも手に入る。女たちは年に一度みんなであつまり木のてっぺんに登り月の光を浴びながら裸で自分自身を鞭打つ儀式を行う。自己研鑽のための満足感を得る。 かつて鉄で身体を覆い船に乗って攻めてくる侵略者たちがいたが、森には巨大で空を飛ぶ大蛇サラマンドルいて敵を一掃していた。 だがサラマンドルはもうどこかで眠りについている。どこにいるのかもわからない。目覚めさせる方法もない。 他に森で蛇の言葉を理解するものは、好色なクマたち、より原始的な暮らしを送る猿人たち、そしてもちろん蛇たち。 だが人々は森の暮らしを嫌がり、村に出て、パンと小麦のおかゆ(オートミール?)を食べてワインを飲み、教会の洗礼を受け、去勢された修道士たちや鉄の鎧兜をまとう騎士に憧れる。村の人々には明快な序列がある。自分たち農夫は教会に、ローマの司祭に、騎士たちに従わなければいけない。序列というのは文明の証なのだから。 「どうしてエストニア人たちは文明化に1番乗り遅れなければならないのか?我々も他の民族と同じ権利を持っても良いのではないか」 ここで皮肉なのは、森にいる人々も、先祖からの森の暮らしの本質を忘れてしまっているということ。 本来は、蛇の言葉で動物たちと意思を通わせたり、必要なものだけを手に入れて、序列もなく暮らしていればそれで良かった。 しかし森の人々が少なくなると、一部の人達は古来の正しい生活に拘るあまりに、見せかけだけの精霊の存在を作り上げ、本来は不要な生贄の儀式を行い、普通の木や泉を神聖視して無理やり意味をもたせることで、森の暮らしを引き継いでいると思い込むようになる。 それは村の人々と同じだ。村人たちは森の生活を恥に思い、森にある蛇の言葉を話す人々や動物の姿が見えなくなり、その代わりに有りもしない精霊や人狼を信じ込んでいる。 語り手のレ−メットは、森で生まれた最後の子供であり、家族の中でも最後の男、妻にとっては最初で最後の男、蛇の言葉を話す最後の人間、そして誰もいなくなった森で最後の人間となる。 人々はもう森の生活の本質を理解しなくなっている。友人も村に移住し、家族は次々に殺され、動物たちも蛇の言葉を理解しなくなってゆく。 もはや森からも、人間からも、そして自分からも腐敗臭しかしてこなくなる。 森の人々、村の人々は、互いに殺し合っているうちに自分の家族が殺され、自分も殺される。 <恐れなければならないのは、森の精霊ではなく、その存在を信じる者たちだ。あんたの神にしても同じこと。修道士たちが森の精霊に別の名前をつけたに過ぎない。例えば、修道士がぼくに洗礼名をつけたとしても、なにかが変わるわけじゃない。どんな名前であれ、ぼくはぼくで有り続けるのと同じように、森の精霊にしても同じ、どんな名で呼ぶにせよ代わりはしない。ぼくはその遊びには乗りたくないP275> 失われる少数民族を書いているが、決して理想化していない。 ファンタジーでありながら、残酷で過酷で冷酷な現実描写、そして息苦しく悪臭が漂うような描写が続く。 すでに失われたものへの郷愁と、いままさに失われつつあるものの腐ってゆく匂い。 少数派も、文明もどちらも美化はせず皮肉に、しかし哀愁と生きようとする目線は力強く感じる物語だった。
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文学ラジオ空飛び猫たち第60、61回紹介本。 エストニア発のダークファンタジー。 蛇の言葉を話すことができる森の民の話。かつて外敵から森を守った伝説のサラマンドルを目にすることを夢見た少年の成長物語であり、一方で孤独と幻滅を描いた作品でもあります。原始的かつダークな世界観は「風の...
文学ラジオ空飛び猫たち第60、61回紹介本。 エストニア発のダークファンタジー。 蛇の言葉を話すことができる森の民の話。かつて外敵から森を守った伝説のサラマンドルを目にすることを夢見た少年の成長物語であり、一方で孤独と幻滅を描いた作品でもあります。原始的かつダークな世界観は「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」にも通じると思いました。 ラジオはこちらから→https://anchor.fm/lajv6cf1ikg/episodes/60-e19hin4
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ファンタジーのような内容ながら、容赦なく残虐な描写もある。 何だかよく分からないが引き込まれてあっという間に読んだ。 作者はエストニアの歴史や政治を風刺しているという。エストニアについてあまりに何も知らないため、歴史を知ってみたいと思った。
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2007年にエストニアで出版され、ベストセラーになった小説。2段組み355頁は、見た目の重み以上に多くを訴えかけてくる物語であった。 タイトルどおり、蛇の言葉を話した男の話。「森」に住むその男(最初は少年)を中心に、クマと結婚する姉、かつてクマと不倫(!)していた母、蛇や人間の...
2007年にエストニアで出版され、ベストセラーになった小説。2段組み355頁は、見た目の重み以上に多くを訴えかけてくる物語であった。 タイトルどおり、蛇の言葉を話した男の話。「森」に住むその男(最初は少年)を中心に、クマと結婚する姉、かつてクマと不倫(!)していた母、蛇や人間の友人たち、おじさん、毒牙をもつじいちゃん、そして、文明や宗教に心奪われつつある「村」の人々の本性をえぐっていく。 そして、「森」に住む人々のなかにも、古い古い伝統にとらわれすぎた悪人や、「村」に住む人々のなかにも、森の人間に興味をもつ娘がいて、善と悪、愚かさや賢さでは決して区別できないさまざまな人々の生き方が描かれる。 彼らそれぞれが自らの生を精一杯生きているのだが、そこには、悲しいかな、争いが絶えることはない。 フランス語版訳者による解説で印象的だったのは 「どれほど自分たちが伝統的だと思い込んでいても、私たちはいつでも誰かよりも新しい人間」「どんな伝統も、ある日生み出されたもの」という言葉。 遠い国で書かれた、いつの時代背景のものともわからぬ壮大なファンタジーは、今、この現実社会を生きる私たちに、355頁、2段分は、じっくり考えさせてくれる。考えなくてはいけない。 でも次は、もっと軽い本を読みたい…(バランス)。
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残念ながらちょっとしんどかった。SFではあるけれど、クマとの獣姦とか巨大なシラミとか生理的に受け付けないものが多くて読み続けるのがしんどかった。エストニア好きなんだけど...
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