チーズとうじ虫 新装版 の商品レビュー
1584年、イタリアの農村に住む粉挽屋の男 メノッキオが異端審問にかけられた。「神とは空気である」「人間はみな神に生まれついている」「チーズからうじ虫が生まれるように、世界から天使や神が生まれでた」と語る彼の反カトリック的な思想を読書履歴から分析し、農村の周縁的存在である粉挽屋と...
1584年、イタリアの農村に住む粉挽屋の男 メノッキオが異端審問にかけられた。「神とは空気である」「人間はみな神に生まれついている」「チーズからうじ虫が生まれるように、世界から天使や神が生まれでた」と語る彼の反カトリック的な思想を読書履歴から分析し、農村の周縁的存在である粉挽屋と異端の関係を解き明かす。ミクロストリア研究の代表作。 カルロ・ギンズブルグってナタリア・ギンズブルグの息子なのかー! 単に同じ姓の人だと思ってた、鈍すぎ。そうと知ると、ミクロストリア(特定の共同体や個人を対象にした歴史学)という考え方自体が『ある家族の肖像』的だ。 解説によれば、発表当時から「農民ラディカリズム」の定義付けが曖昧なこと、メノッキオの〈誤読〉は「農民的なもの」ではなく「周縁的なもの」なのではないかということは指摘されていたようだ。私も、メノッキオには江戸時代のメディア・ネットワークを担っていた人びととの類似を感じた。 このメノッキオというおじさん、同時代の最高知性であるモンテーニュとすらシンクロを見せる先進性がありつつも、議論に付き合おうとしない村人たちを30年相手にしてきたせいで、異端審問官が自説を聞いてくれるという喜びに浸り、めちゃくちゃ喋りすぎてしまう。友人の神父に忠告受けてもまだ喋る。彼のキャラクターのおかげで、小説のように面白く読めたのは嬉しい驚きだった。 メノッキオの思想の組み立て方を、彼が読んだと語る本の読み方から分析していくギンズブルグのスタイルは大胆で面白い。メノッキオは異端審問のなかで、『マンデヴィルの旅行記』や『デカメロン』を援用したらしい。「審問官は自分たちが知っていることを私たちに知られたくないと思っている」と村人に語ったメノッキオの言葉は、自分は特権的な知識に触れたんだ、〈知っている〉んだ、という喜びからくるものでもあったろう。そして知を共有したがったがために、メノッキオは殺されてしまった。 しかし、「教会の律法や戒律は『売り物』」「私がキリスト教徒なのはキリスト教の国に生まれついたからであって、トルコ人に生まれついたら、トルコ人にとどまり続けたいと望むだろう」などと喋りまくっていたメノッキオが何十年も告発されなかったということは、16世紀にもなればこれぐらいのアンチ・カトリック的な考えは田舎でも共有されていたことを表してもいるだろう。現代人はついうっかりメディアが発達する前の田舎の人間なんてみんな盲目的に宗教を信じているものと考えてしまうが、彼らは今と同じく面倒くさくなりそうなことは口にださないだけなのだ。中世からの宗教システムは既に瓦解しはじめていた。一農村の老人に教皇自ら死刑執行を命じるほど、カトリック教会側が追い詰められていたとも言えるのだ。 老いたメノッキオが再審に呼びだされ、教皇直々の命令でジョルダーノ・ブルーノの結審と同月に死刑が執行された、という幕切れは、学術書というより歴史小説のようなエンタメ性にあふれている。ブルーノと並べられることで、この議論好きな老人の死が歴史の転換点のように思えてきてしまう。実際、末端の人びとの意識を変えていったのは、こういう身近な偏屈人間の死だっただろう。
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16世紀後半,一人の粉挽屋メノッキオの異端裁判の記録を読み解くことで見えてくる世界の広がり,農民つまりは民衆と支配する階級との関係性の崩れの様相,この時代の宗教改革などにも表れる考え方の変遷あるいは変わりなさ,など興味深かった. そして何よりこのメノッキオの好奇心,拷問にも覆すことのできない真理,黙っておれない性格など,手強い異端審問官とのやり取りなどからも,あっぱれだと感心した.
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