数の発明 の商品レビュー
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数を持たない文化もある、そもそも人間は数をどう認識しているのか、なぜそれが必要だったか、どう生まれたのかを言語人類学、認知心理学、考古学、大脳生理学、動物行動学といった分野の知見を横断して書かれた、知的好奇心に溢れた本。
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普段はあまりにも当たり前の存在すぎて、その概念に名前がついていることの意味まで考えないで生きている。 そんな自己認識の発掘をしてくれる1冊がコチラ、ケイレブ・エベレット著の「数の発明」だ。 自己認識の発掘は、単純に数という見えない、触れられない概念に文字が当てられて、そのおかげ...
普段はあまりにも当たり前の存在すぎて、その概念に名前がついていることの意味まで考えないで生きている。 そんな自己認識の発掘をしてくれる1冊がコチラ、ケイレブ・エベレット著の「数の発明」だ。 自己認識の発掘は、単純に数という見えない、触れられない概念に文字が当てられて、そのおかげでここまで文明が発達した…という再認識に留まらず、スタンダードになっている5や10で区切る文化、なぜ10進法の数学がこの世界で広く伝播したのか、などについて、カラダのある部位がキーとなっているのではないかという仮説をもとに提示される本書を読んでいるうちに知らず知らず深く進んでいく。 人類学、言語学、心理学の実証データを提示しながら(動物についても)興味深い数の発明について解き明かしていく内容なのだが、実験の方法とかこれまた本当に面白い。生後すぐの赤ちゃんの実験、そんなところに注目してデータをとるのか…、と、それだけでも読み応えがある。 こちらの本、ゆる言語学ラジオからの出会いなんだけど、同じくゆる言語学ラジオから購入に至った「ピダハン」繋がりでもある、内容もさることながら読む前からエモい作品。 正直、難しいなー、退屈だなー、と思うところも多々あったけど、認識の掘り起こしの時間はとても楽しかった。 ピダハンと合わせてもう一度読み返したい。
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本書では,数の開発がどのように人類に影響を与えてきたのかの一端を知ることができる. 数は,他の道具のように人類によって開発されたものであり,生まれながらに持ち合わせた概念ではない.ヒトはどのように数という概念を獲得したのか.ムンドゥルクやピダハンに代表されるように,数を表す言...
本書では,数の開発がどのように人類に影響を与えてきたのかの一端を知ることができる. 数は,他の道具のように人類によって開発されたものであり,生まれながらに持ち合わせた概念ではない.ヒトはどのように数という概念を獲得したのか.ムンドゥルクやピダハンに代表されるように,数を表す言葉を殆ど持ち合わせない言語を使う人々がいる.彼らを対象とした研究や,何らかの事情で標準的な手話を学ぶ機会がなかった自己流手話話者・言語習得していない幼児に対する調査を通し,ヒトは,数を表す言葉の存在の上に,自然数1から3までの備えもった数の感覚を発達させていることをみる.更に,比喩的表現と算術,数と文化の関係性等についても言及し,数が歴史を変えうるほどの影響力を持っていたことを見ていく. (ラーニング・アドバイザー/数学 EGASHIRA) ▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/opac/volume/3993812
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人類はいつごろから「数」を数え、「数字」を使い始めたのか。数を数え、操ることは私たちにとって当たり前のことで、それなしに日時用生活は送れない。いったい、なぜ?いつから?この本は「数と人類」の驚くべき出会いと、付き合いの長さ、奥深さを教えてくれる。 読み易くとてもくだけた日本語訳で...
人類はいつごろから「数」を数え、「数字」を使い始めたのか。数を数え、操ることは私たちにとって当たり前のことで、それなしに日時用生活は送れない。いったい、なぜ?いつから?この本は「数と人類」の驚くべき出会いと、付き合いの長さ、奥深さを教えてくれる。 読み易くとてもくだけた日本語訳で、この未知の領域の問題についてぐいぐいと頭の中に入ってくるのもありがたい。 一つ言えるとしたら、この本を読む前にジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」を読んでおくことをお勧めする。 今生きている私たち人類すべてが、かつては過酷な自然の中を寄り添い、協力し合いながら生き延びた者たちの祖先なのだ、ということを思い知れば、戦争や殺し合いがなんと愚かしいことかがわかるはず。初めて「数」を見出した人類のDNAは、必ず私たちに受け継がれている。その悠久の時間を、この本で感じていただきたい。
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名著「ピダハン」の著者の子息が書いた本ということで手に取った. 普段我々は数の概念をなんなく使いこなしており,この能力は人間のような知的に高度な進化を遂げた生物には生来備わっているものではないかと思っていたが,実はそれは違うということ. つまり,数とは車輪や白熱電球のように人間...
名著「ピダハン」の著者の子息が書いた本ということで手に取った. 普段我々は数の概念をなんなく使いこなしており,この能力は人間のような知的に高度な進化を遂げた生物には生来備わっているものではないかと思っていたが,実はそれは違うということ. つまり,数とは車輪や白熱電球のように人間によって発明された数を表す言葉や記号という文化的産物があるからこそ使いこなせたんだと主張する. ただし,人間が生物的に全く数量識別能力がない訳ではない,現代を生きる人間は当然ながら,数を持たない文化の政治や生まれて間もない赤ちゃん,人間ではない動物には生まれもったといっても良いざっくりとした数量識別の能力がある.このざっくり識別能力に数の言葉や記号といった道具・概念の入れ物があるからこそ,これほど高度に数を使いこなせるようになったのである. まさに”私たちは数をつくり,数につくられた” ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー “言葉は本質的に,のちに登場する概念が入る場所を示す目印の役割を担う” →言葉は概念の入れ物 概念の靴紐結び: 以前からある概念を使って新たな概念を生み出し,まだ意味が形になっていない言葉を理解しようとするプロセス ========================== 我々の知的適正の多くは遺伝子的に組み込まれたものではなく,文化に依存して学習されたものなのだ. →人間は生き抜くための知恵を,先祖代々からの継承を通し高度化させてきた →その集団の知恵の要がなくなると,共同体の存続自体が危ぶまれるという事例も.(長老の死,共同体であったイヌイットで生活の知恵が失われ人口が減少) 「数」という数量を示す象徴記号・概念は言語を基盤とする人間という種が際立つに至った進歩の要.(現代人が人体や認知の進化ではなく文化から受け継いだ,進歩の一つ) なぜ「数」という大発明が,石器や車輪の発明ほど取り上げられてこなかったのか? →「数」と呼ばれる道具の重要性を現代人がようやく気づき始めたから. →私たちには当たり前すぎる「数」という概念は実は石器や車輪と同様,過去の人間の知能の産物であり,私たちはそれに気づくことができないくらいその恩恵に預かっていただけだから 時は左から右,自分の背後に過去があり全面に未来があるという感覚自体も, たまたま属する言語・文化の賜物. (時間感覚を右から左に流れるものと認識していることを示す実験結果や太陽が登って降りる方角をそれと示す結果も) なぜ時間は12分割で数えることがある? →古代エジプト(10進数).10分割した時間に曙と黄昏を足して12分割 ピダハン 健常な成人でも3以上の数量の識別が困難→人間の数的処理能力は先天的ではなく文化的影響でみにつく→数は火の取り扱いや車輪と同様の、先祖からの遺産 生まれたばかりの乳幼児でも3程度を識別する数間隔が備わっている.
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人類がどのようにして数という概念を生み出し、使いこなすようなったのかを、言語人類学、考古学、大脳生理学といった幅広い観点からの分析により解き明かした一冊。 著者は、人間が生来、概ね1〜3程度の少ない数を正確に認識する「きっちり感覚」と、”17個の木の実は8個よりも多く見える”と...
人類がどのようにして数という概念を生み出し、使いこなすようなったのかを、言語人類学、考古学、大脳生理学といった幅広い観点からの分析により解き明かした一冊。 著者は、人間が生来、概ね1〜3程度の少ない数を正確に認識する「きっちり感覚」と、”17個の木の実は8個よりも多く見える”といった量の規模感を把握する「ざっくり感覚」を備えていたことを、数字を持たない民族や乳幼児による実験を通じて明らかにするとともに、1〜3よりも大きな数の概念の世界が、数字の発明によって切り開かれた背景には、農業革命との相乗効果があり、数字とは即ち、人類が共同社会を維持・発展させるために育み受け継いできた文化的ツールであると主張する。 人類だけが数字を発明できた要因として、二足歩行によって自由になった手に5本ずつ付いた指の存在があり、”指折り数える”行為がやがて数の概念、更には数字の発明に繋がったとする著者の洞察は、10進法が根付いた社会に生きる我々にとって説得力がある。また、数字を持たない少数民族を進化の遅れや認知的問題とみなす考え方に異を唱え、数字は農耕民が必要性によって生み出した発明品であり、一部狩猟採集民にとっては必要性がなかっただけの話であるとの主張は、著名な言語学者を親に持ち、幼い頃から両親の研究のためピダハン族とともに暮らした経験も持つ著者ならではのものであり、興味深い。
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※このレビューにはネタバレを含みます
タイトル通り、数を表現する言葉の成り立ちと、その人間の思考への影響を大いに語ってくれる一冊。動物が生得的に把握できる「きっちり数」は2(と、1+2=3)までで、「ざっくり数」となる4以上の数は言葉なしに判別できないとか、だから「双」「両」など2までを表す語はあっても3以上はほぼないとか4を「2+2」の形で表現する言語が多いとか、5は指の数で10や20までその延長で表現されるとか、5進数も10進数も12進数も身体感覚に基づくものだとか、とにかくもう納得と気づきの連発。左に小さい数、右に大きい数を配する横書き文化では脳までも左側が小さい数、右側が大きい数に反応するのが早くなるくだりなどはたまらない。もはや感想じゃなくただの抄訳になりつつある。
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私たちの生活において、「数」は非常に重要だ。 今日は何日? あなたはいくつ? この品物はいくら? これは何グラム? 多くのものが「数」によって描写され、規定される。数がない暮らしはちょっと想像しにくいほどだ。 だが、世界には、実際に「数」を理解しない文化がある。身長はどのくらい?...
私たちの生活において、「数」は非常に重要だ。 今日は何日? あなたはいくつ? この品物はいくら? これは何グラム? 多くのものが「数」によって描写され、規定される。数がない暮らしはちょっと想像しにくいほどだ。 だが、世界には、実際に「数」を理解しない文化がある。身長はどのくらい? お給料はいくら? そんな質問がまったく意味をなさない人々がいるのである。 本書の著者は人類学・言語学を専門とする研究者。彼は、「数」は自明のものではなく、一種の発明品であると主張する。本書で繰り広げられる、数を巡る旅は、世界の諸言語の研究から始まり、認知心理学、考古学、大脳生理学、動物行動学にまでわたる。目くるめく「数」の世界へいざ。 ものの量を「数」という抽象的なものに置き換えるのは、実はそう簡単ではない。 目の前に1つのリンゴがあるとして、それを「1」という数値で捉えるのは自然なわけではないのだ。 実際、「2」より大きな量を正確に表す単語を持たない民族がいる。さらには、「1」を表す言葉すらない民族もある。 こうした人々では、1、2、3といった数までは認識しても、4より大きなものは1対1対応で捉えられない傾向がある。但し、4と8とか、6と12とかを比べてどちらが多いかを認識することは可能である。本書では、1、2、3がはっきり区別可能であることを「数のきっかり感」、4より大きい数の大小をおおまかに認識する能力を「数のざっくり感」と呼ぶ。こうした感覚は人間だけでなく、動物でも持つものはいるようだ。 世界の多くの民族で、10をひと塊とする10進法が使用されるが、著者は、これは手指の数によるところが大きいとしている。ごく小さい赤ん坊がまず身近なものとして眺めるのが手指。物の数を数えるときに小さい子は指を折って数えるが、そんなところからも人の間で10進法が発展してきたのはごく自然なことのように思える。 とはいえ、すべての文化が10進法を取るわけではなく、3進法、4進法、6進法、8進法、9進法なども存在する。現代でも時間に関しては60進法(1時間が60分、1分が60秒)が使われている。これは古代シュメール人、バビロニア人が60進法を採用していた名残であるという。 著者の専門とする言語から見ていくと、単数形・複数形を区別する言語はかなり多く見られる。英語の場合は、単数形の名詞の語尾にsを付けて複数形を表す単語が大半である(tooth/teeth、mouse/miceなど例外はある)。中には、話題に上っている量が「きっかり2つ」であるときに用いられる「両数」という区分法もある。英語でもeitherやbothはその名残りである。 変化するものの多くは名詞だが、それに合わせて動詞が変化する言語も多い(英語ならis/areなど)。ほかの品詞が変化する場合もあり、定冠詞や指示詞が変わることもある。語学学習者を悩ませるわけだが、それだけ1つかそれ以外か(ときには1つか2つかそれ以外か)が、その言語を使用する人々には重要なことだったということだろう。 ところで、人文書を愛読される方には、この著者の名に「おや?」と思われる人もいるかもしれない。著者、ケイレブ・エヴェレットは、『ピダハン』の著者、ダニエル・エヴェレットの息子である。 『ピダハン』は、「言語本能論」を揺るがせた著作である。ピダハン族は「右と左」、数の概念、色の名前を持たない。神も、創世神話もない。キリスト教伝道師であり言語学者でもあるダニエルは、当初、「未開」の人々に布教をするために現地に入る。だが研究を進めるにつれ、逆にその独特の世界に魅かれ、ついには無神論者になってしまう。 幼いケイレブはダニエルの伝道・研究に、母や兄弟たちとともに同道し、ピダハン族と過ごしている。その当時の思い出も綴られる。 ケイレブにとっては幼少時の記憶は好意的なものであったようである。それが本書に記されるような、人類学者としての研究に結実したのであれば、ある意味、父の研究を幸福な形で継いだともいえるだろう。 「数」の概念の発展についてはまだ不明の点も多い。 さまざまな観点から「数」を俯瞰し、知的好奇心を刺激する好著。
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レビューはブログにて https://ameblo.jp/w92-3/entry-12707270805.html
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