感情史の始まり の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
歴史学の本だと思って読み始めると面食らう。ポストモダンの衰退をめぐる思想史の本だといってよいと思う。それはそれで面白いし、そこから歴史研究の方法論を得ることも可能ではある。 本書を読めば、ローゼンワインの「感情の共同体」や、レディの「エモーティブ」といった感情史"史"上で正統に位置付けられる思想を学ぶことが出来る。 だが、それだけではない。ホックシールドの感情労働、イロウズのロマンティック・ユートピア、ネグリとハートの『帝国』『マルチチュード』、オースティンの言語行為論、それに関連してバトラー…というように、現代思想における重要人物の主張をなぞってくれるため、多様な分野で応用可能な知識のインプットをも行える点で、本書の価値は高い。 一方で、やや研究史や思想史に傾倒しすぎの感はあり、感情史それ自体の具体例は豊富とはいえないため、面白さが伝わりにくい。 筆者の核心的な主張の一つは、9.11が触媒となってポストモダンの退潮を決定づけたということだ。テロリストをして同時多発テロのようなむき出しの暴力に向かわしめた"憎悪"は前言語的に思え、言語をもって世界を分析するポストモダニズムにはなす術が無かった––––これが「生命科学的展開」をもたらした、と筆者は言うが、私としては、この論理がいまいち納得のいくものではなかった。 9.11が思想史上の画期になり得た可能性は否定しないが、憎悪/むき出しの暴力は、なぜ"前言語的"なのか。それこそ、「アメリカが憎い」というエモーティブ(第4章参照)--もちろん言語でもある--が、テロを推進したのだ、と言語を以て分析することは可能ではないか。 本書は、社会構築主義(ポストモダン)と本質主義の対立を弁証法的に止揚していくという構成で書かれている。 それ自体は分かりやすくてよいのだが、止揚したすえに得られるものが、レディの言うエモーティブというものでしかないのであれば、あまりに単純な「構築主義と本質主義のがっちゃんこ」に過ぎないのではないか。エモーティブが倫理的判断を行いうる理由もレディの独りよがりな主張に見えるし、そもそもエモーティブは認識論的な正しさを追い求めるという点において何も貢献していないのではないか。それは、構築主義に政治性を取り戻しただけであって、両陣営の認識論的対立は続いていくのではないか? 私の浅く未熟な読みでは、以上のように9.11とエモーティブの議論にまつわる疑問を解消しきることはできなかった。
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ドイツ人研究者が、感情研究の歴史についてまとめた本。感情については昔から研究されてきたにも関わらず、強力な定説が構築されてきていない。根底にあるのは文化か普遍かから始まり、文化人類学や社会構築学、心理学や行動学、最近の脳科学につながる神経科学に至るまで、多くの研究者を悩ませてきた...
ドイツ人研究者が、感情研究の歴史についてまとめた本。感情については昔から研究されてきたにも関わらず、強力な定説が構築されてきていない。根底にあるのは文化か普遍かから始まり、文化人類学や社会構築学、心理学や行動学、最近の脳科学につながる神経科学に至るまで、多くの研究者を悩ませてきた。多くの論争が説得的ではなく示唆的と述べられているとおり、証明が難しく、実証も十分に行われてこなかった。それら感情に関する歴史を忠実にまとめた本書は、研究者にとっては有意義であると考える。感情について解明していくことの難しさを認識した。 「感情は不安定で、非本質的で、反決定論的で、社会構築主義的で、文化相対的で、文化に特有で、文化的偶然性をもつ」p7 「軽率な借用」p11 「それぞれの文化での感情の理解の仕方は非常に多様であるため、人類がみな同じように感じ、それどころか感情こそが人類を人類たらしめているといった考えは、どのみち上手くいかない」p102 「(イロンゴット族の首切り)20歳以上のイロンゴット族男性70人のうち65人が、それまでの人生のある時点で人を殺したり首を切り落とした経験があったという(1968年)」p136 「首狩りをする者にとって、自分の重荷を「投げ捨てる」ことに喜びがあるのだ。殺人や復讐ではなく、人間の首を切り落とし、それを放り投げて地面に落とすことで、彼が感じている重さが取り除かれることが、雲を追い払い彼の心に新しい生命をもたらすのである」p138 「感情についてキリスト教的思想の長い伝統が表面化で影響力を持ち続けた」p245 「人は認知的能力によってのみ賢くなるのではなく、第二級の模倣、すなわち他の賢い人について考えることによっても賢くなる」p305 「伝統的に、感情は非直線的(自由連想的、詩的、象徴的な)思考と、生理的覚醒(赤面、アドレナリンの流れ、心拍数の変化など)の両者に結び付けられてきた」p356 「(感情について)どれほどの影響を文化に帰し、どれほどの影響を根底にある普遍的な心理的要因に帰すべきか」p357 「感情史はいまだ神経科学の影響下に置かれるには至っていない」p414
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感情史の歴史〜人類学〜生命科学までは非常にわかりやすく 感情史について学ぶには良い本だと思ったのだが、最後の 「感情史の展望」の章は「感情史とは何か」の読後と同じ ような掴み所の無さを感じてしまった。原書は2012年刊行 の本であり、感情史の研究がまだ端緒についたばかりの頃と い...
感情史の歴史〜人類学〜生命科学までは非常にわかりやすく 感情史について学ぶには良い本だと思ったのだが、最後の 「感情史の展望」の章は「感情史とは何か」の読後と同じ ような掴み所の無さを感じてしまった。原書は2012年刊行 の本であり、感情史の研究がまだ端緒についたばかりの頃と いうのがやはりその原因なのかな、と。今後の研究に期待 するばかりである。 エクマンやダマシオが痛烈に批判されていて目の覚める思い だった。本に書いてあるからと無批判に受け入れ賛辞する のは問題があるのですぞ(苦笑)。
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近年注目される感情史。辞書のようなぶ厚さと細かい文字に少し怯むが、読み通す価値は十分にある。 著者プランパーは、感情史のターニングポイントが9.11同時多発テロであることを強調する。そして、感情の研究には大きく分けて、社会構築主義と普遍主義、2つの解釈があると指摘する。感情は文...
近年注目される感情史。辞書のようなぶ厚さと細かい文字に少し怯むが、読み通す価値は十分にある。 著者プランパーは、感情史のターニングポイントが9.11同時多発テロであることを強調する。そして、感情の研究には大きく分けて、社会構築主義と普遍主義、2つの解釈があると指摘する。感情は文化、社会により規定されるとする社会構築主義的解釈は、人類学のフィールドワークにより主導されてきた。他方、感情は人類に共通のものだとする普遍主義的解釈は、心理学、認知科学に基づく。 歴史家であるプランパーは、社会構築主義にやや偏りがちながら、普遍主義の価値も認め、両者を統合した先から新たな感情史の展開を試みる。 人文科学が神経科学の知見を取り入れる傾向は今後も続くことは明らかだろう。ただしプランパーは、日本でも知られるポール・エクマンやアントニオ・ダマシオを痛烈に批判しつつ、人文科学者が流行りにのせられて、玉石混交の一般向け概説書を1〜2冊読んだだけで、胡散臭い「科学的根拠」を引用する危険性を述べる。これは耳の痛い研究者もいそうな気もする。 本書は感情史の新たな展望を示す待望の書である。これまでの流れも整理できる、ありがたい一冊。
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歴史を研究するときには、感情を考えなきゃならんらしい。少なくとも取り扱うことで得られる洞察は増える。 言われてみればその通りで、歴史上の人物にも私たちと同じように、感情があったはず。 資料には残らない感情をどうやって汲み上げようかって話として、一般に使われている2種類の方法が分析...
歴史を研究するときには、感情を考えなきゃならんらしい。少なくとも取り扱うことで得られる洞察は増える。 言われてみればその通りで、歴史上の人物にも私たちと同じように、感情があったはず。 資料には残らない感情をどうやって汲み上げようかって話として、一般に使われている2種類の方法が分析されてる。現代に生きる自分達と同じ思考回路を持つと考える普遍主義に偏るのは、さすがに傲慢。単純化された神経科学を軽々しく多用することも問題。一方で、感情は文化によって作られると考えて、当時の思考回路を組み立て分析する社会構築主義だけでも、問題は解決しない。 難しかったけど、こんなところでしょうか。特に今後の展開の部分は分かりませんでした。 どちらが良いって訳ではなく、結局はバランスです。世の中の大抵の問題に、単純な最適解はありません。
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