「色のふしぎ」と不思議な社会 の商品レビュー
子供の頃には色盲 検査があった 今はないようだ 検査方法は 古く 戦前のもの 丸い枠の中に色のついた丸がたくさん書いてあるものだ 今でも改良して使っている 新しいもっと正確な色の検査方法は日本の発明であるらしい 世界的にも正確に判定できると多くの国に使われているようだ=アノマ...
子供の頃には色盲 検査があった 今はないようだ 検査方法は 古く 戦前のもの 丸い枠の中に色のついた丸がたくさん書いてあるものだ 今でも改良して使っている 新しいもっと正確な色の検査方法は日本の発明であるらしい 世界的にも正確に判定できると多くの国に使われているようだ=アノマロスコープ 色覚の検査は現実には特別な職業の人しか検査はしていないようだ 色の見え方には個人差がある 心理的な色の印象は異なる 判断基準が必要なのか 疑問である ユニバーサルデザインカラー JIS 安全色 2018
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医学的見地と遺伝学的見地、生物学的見地からは見方が異なるという事。いろいろな角度で色覚•色を語ると、いろいろな考え方ができる。 私は聴覚障害を抱えているけど、医学的には治療を勧められ、嫌でも自分は異常である事を受け入れざる得なくなるが、生物学的からはどんなに条件が整っていても一定...
医学的見地と遺伝学的見地、生物学的見地からは見方が異なるという事。いろいろな角度で色覚•色を語ると、いろいろな考え方ができる。 私は聴覚障害を抱えているけど、医学的には治療を勧められ、嫌でも自分は異常である事を受け入れざる得なくなるが、生物学的からはどんなに条件が整っていても一定数の割合でハンディを持つ個体が産まれるという理論で励まされる。 一昔前の色覚差別がいかに異常であったかを考えさせられる本でした。
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あらゆる「障害」とされていることに共通することだが、障害と正常というのはゼロかイチかで区分できるものではなく連続的、多次元的は広がりを持っている。 障害があるのは個体の方ではなく、それを受け止められずに排除して狭めている社会の方なのだろうと常々思う。 私は色覚では社会的に不自由を...
あらゆる「障害」とされていることに共通することだが、障害と正常というのはゼロかイチかで区分できるものではなく連続的、多次元的は広がりを持っている。 障害があるのは個体の方ではなく、それを受け止められずに排除して狭めている社会の方なのだろうと常々思う。 私は色覚では社会的に不自由をしなかったが、弱視でモノを立体的に見えないようで子供の頃から苦労した。おそらくこの違いは他人とは永遠に理解しあえないものなのだろうと思う。色覚においても同じように思って生きている人たちはたくさんいるのだろう。
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何の根拠もなく、見え方って人によって違っていて、同じものが見えていないのではないかと考えていた。色覚が人によってかなりバラつきが大きいと良くわかったので、同じ物でも同じに見えてはいないことがハッキリした。 やはり多様性を受け入れて、違うことを追求する事は止めるべきだ。
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私が小学生のころは、健康診断で石原式色覚検査表の検査があった。皆面白がってやっていたが、確かに読めない子がいて、どうして読めないのかと不思議だった。馬鹿にしたりはしなかったが、読めない当人はショックだったろう。「負のラベリング」という言葉が重い。 「色というのは、個々人の脳内で...
私が小学生のころは、健康診断で石原式色覚検査表の検査があった。皆面白がってやっていたが、確かに読めない子がいて、どうして読めないのかと不思議だった。馬鹿にしたりはしなかったが、読めない当人はショックだったろう。「負のラベリング」という言葉が重い。 「色というのは、個々人の脳内で形作られる内的な感覚」「つまり、主観」 男と女では色の見え方が違うと男脳女脳の本で読んだ。性別に限らず、そもそも色がどうみえているのかは、自分以外はわからない。他人も同じ感覚なのかどうかはわからない。 「人は加齢とともに水晶体が着色して、青みを感じにくくなる」 年齢によっても色の見え方は違うのだ。 爬虫類、鳥類は4色型だったが哺乳類は2色型で明暗を使ってものの輪郭を見分ける明度視に秀でている。霊長類は森の中で果物を見つけやすいように3色型に進化したのだという。2色型の人はコントラストに敏感だという。 「みんな自分の持っている感覚を総動員して生きている」 それぞれが自分の個性で生きている。それを異常というのはおかしい。負のラベルを正のラベルに貼り替えて、負けずにポジティブに生きて欲しい。
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小さな窓でも、そこから世界の本当に大事なことがよく見えるような窓がある。そんな感じだった。(色覚異常もとい多様性というのはそういうほど小さくもマイナーでもない問題なのかもしれんけど) 正常/異常という図式から、多様性と連続性への発想の転換がほんと強く求められると思う。 著者は色覚...
小さな窓でも、そこから世界の本当に大事なことがよく見えるような窓がある。そんな感じだった。(色覚異常もとい多様性というのはそういうほど小さくもマイナーでもない問題なのかもしれんけど) 正常/異常という図式から、多様性と連続性への発想の転換がほんと強く求められると思う。 著者は色覚の問題を考えることを「より健全な世界観を手に入れるための練習問題」と述べていたが、まさに! すごく広がる、読んで良かった本でした。
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色盲、色弱、色覚異常、そんな呼ばれ方をする人たちがいる。 特に男性では決して少なくない「異常」。 その特性から、本人はもちろん、家系事態が忌避されていた。 日本人男性では20人に一人、女性では500人に一人の割合でいるにもかかわらず、だ。 (公社)日本眼科医会 https://w...
色盲、色弱、色覚異常、そんな呼ばれ方をする人たちがいる。 特に男性では決して少なくない「異常」。 その特性から、本人はもちろん、家系事態が忌避されていた。 日本人男性では20人に一人、女性では500人に一人の割合でいるにもかかわらず、だ。 (公社)日本眼科医会 https://www.gankaikai.or.jp/health/50/06.html 私は「保因者」である(女性は10人に1人)。 これまで私が知る限りの近い親族に色覚異常を持った者はいない。 色覚異常ではつけない(とされていた、いる)職業についていることが多かったため、ほぼ間違いない。 誰も知らなかったが、ずっと、保因者の家系であったのだ。 それを知った時はショックを受けなかった、と言えば嘘になる。 だがよく考えてみるとかなり人数の多い「障害」、色覚異常は、本当に障害なのか、という疑問が出てきた。 そして、この生涯を理解したい、と思った。 過去を見れば、就けない職業があまりに多く、また、学生生活や結婚にまで、つまり人生におけるほとんどの期間、色覚異常の人々は差別されてきた。 確かに、職業選択をする年齢で初めて絶対に無理だ、と言われたら本人の心のうちは如何程だろう。 本書でも登場した中村医師を受診した際、やはり、早いうちに就けない職業があることを自覚する様に、と話されていた。 中村医師を非難するつもりは毛頭ない。 単純に、果たして過度に職業を制限する意味はあるのか、それが疑問だった。 本書は色覚異常の過去から現在、そして、そもそも色覚がなぜ発達してきたのか、そのメカニズムだけではなく最新の研究や、これからの社会のあり方も述べている。 ノンフィクションとしての質の高さもあるが、本人や、その親、親族の心の持ち方にも寄り添った書き方がされていて、本書はそんな当事者たちの助けにもなろうと思う。 「負のラベリング」という言葉が何度も登場する。 このことは多くを考えさせられる。 誰しもが遺伝子上の「欠陥」を持っている。 誰もが少数者、差別される側に回りうる。 ずっとこうだったから、ではなくて、これからどうあるべきか、多様性がなぜ保たれているか、そのことを考えなければならない。 そして、わからなからしょうがない、ではなく、だったら誰でもわかりやすく、それがこれからの当たり前なのだ。
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医学的知識は「正しさ」or「正しい」と強固に信じる人々がいる故、イデオロギー化しやすい側面はあると思っている。 それは、常に「正しい側」に立てると限った話ではないが、イデオロギー「そのもの」になってしまうか、それと対立する「勢力」として認知されるし、いずれにしろ「巻き込まれる」人...
医学的知識は「正しさ」or「正しい」と強固に信じる人々がいる故、イデオロギー化しやすい側面はあると思っている。 それは、常に「正しい側」に立てると限った話ではないが、イデオロギー「そのもの」になってしまうか、それと対立する「勢力」として認知されるし、いずれにしろ「巻き込まれる」人の数は多くなる。 ただ、個人的には「医学/医療」というのは原点として「個人の苦痛を癒す」があるため、各個撃破には強いが、今回のように「世論」を大々的に巻き込むのはやはり不得手に思うし(いまのマスコミとの生産的とはいいがたい対立を見れば…)やはりそこは「宗教」や「政治」の十八番なのだろう。 あとは人は集団になると「異質なものはラベリングして排斥したい」という本能的なものが働く(ように思う)。 発達障害傾向のある労働者の就労調整をしていて、何度も苦い経験をしたけれど、「どこまでが障害でどこまでが個性か?」というのは非常に線引きが難しいし、実は引いたところで基本、無意味だったりする。単に合法的に排斥する理由が欲しいだけだったりするから。 残念ながら、結局「診断名をつける」という医療行為に、「排斥するための理由付けのラベリング」としてそれを求めてくる人たちが一定数いる(悪意はない。組織を守る大義だと彼らは思っているだろう)。「治療的」ではない、それをはねつけてギリギリまで粘るのも産業医の役目の一つのうちには(一応)思っている。 =================================== P291 かつてこんな社会があった。 「先天性しきっ格以上は危険であり、見逃すことなく、すべて検出して、進学や就労を制限しhなければならない」と眼科医が言い、 「それならば、うちの会社では制限を設けます」「うちの大学でも門前払いします」と企業や教育機関が追従する。 「日本人がよりよくなっていくためには、劣った遺伝を排除していくことも必要だろう」と遺伝学に詳しい科学者が言い、 「ならば、中学、高校の教科書でも、注意喚起しましょう。学校検診では色覚検査を必須項目にして、すべての色覚異常者を見つけましょう」と教育行政がお墨付きを与える。 「医者も、企業も、大学も、科学者も、行政も、色々言っているみたいだから、やっぱり色覚以上は怖いんだね」と多数派の「正常色覚」の人は思い、娘が先手印色覚以上の男と結婚しようとするなら、一族を上げて大反対する。 先天色覚以上の当事者たちは、ひたすら黙り込み、自制を強いられる。生まれつき列島に生まれたものとして、自らの出自を呪い、その呪いの遺伝子が娘や孫に伝わることを恐れる。あるいは遺伝子を伝えた母や祖父を恨む。 色覚以上をめぐって語られるさまざまな言説が互いに補強しあい、今から見ると滑稽ですらあるほどの過剰反応が蔓延した。20世紀の「実話」である。
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末っ子は色覚がちょっと特殊らしく、緑と灰色の区別がむずかしいらしいと小学生の時に気がついた。私の父もそういう感じだったので、遺伝したのだろう。 その末っ子が最近、右目と左目で見える色合いや明るさにちがいがあると言っていて、不思議なものだな、そういう見え方の人も少なからずいるのだろ...
末っ子は色覚がちょっと特殊らしく、緑と灰色の区別がむずかしいらしいと小学生の時に気がついた。私の父もそういう感じだったので、遺伝したのだろう。 その末っ子が最近、右目と左目で見える色合いや明るさにちがいがあると言っていて、不思議なものだな、そういう見え方の人も少なからずいるのだろうかと興味深く思っている。かつての「色盲」「色弱」はいまではあまりいわれなくなり、「色覚異常」とくくられて、学校での検査も希望者のみとなっているが、「正常」と「異常」とはどう違うのだろう、はっきり境界があるではなくもっとゆるやかな幅のある感覚なのではないかという直感がある。 そんなわけで、刊行の宣伝を見て、すぐに手に入れて、しばらく積んだ後ぼちぼち読み始めている。
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自分は小学生の時に学校の検査で赤緑色覚異常と言われた。中学では、何人かが別室に呼ばれ、就職で制限があるからと説明を受けた。化学、生物、工学でも色々な色の電線を扱う電気工学の分野は難しいとか言われて、自然に進学の方向を数学、物理の方向にせざるを得なかったな。この本は色はどうやって感...
自分は小学生の時に学校の検査で赤緑色覚異常と言われた。中学では、何人かが別室に呼ばれ、就職で制限があるからと説明を受けた。化学、生物、工学でも色々な色の電線を扱う電気工学の分野は難しいとか言われて、自然に進学の方向を数学、物理の方向にせざるを得なかったな。この本は色はどうやって感じるのかから始まって、色覚異常の検査とその歴史と問題、現在の色覚検査、眼科医による認識、再度の学校での検査の開始可能性などが述べられ。色覚は異常・正常ではなく、広範な連続性があるものととらえていこうとしている。自分で不便と感じるときは、白いハンカチやシャツを買ったつもりでも、それピンクだよ!って家人に指摘されるときかな。
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