性からよむ江戸時代 の商品レビュー
性は人間と人間社会にとって避けられない営みであり,時代や場所で性をどのように扱っていたかは興味深い。生物的な営みは大きく変わらない(変えられない)が,どのような意味を持たせるかは時代背景やその価値観によって変わるため,江戸時代と現代とは異なる。交わる,孕む,産む,堕ろす,間引く,...
性は人間と人間社会にとって避けられない営みであり,時代や場所で性をどのように扱っていたかは興味深い。生物的な営みは大きく変わらない(変えられない)が,どのような意味を持たせるかは時代背景やその価値観によって変わるため,江戸時代と現代とは異なる。交わる,孕む,産む,堕ろす,間引く,買う,売る,といった動詞をキーワードに江戸時代の性の捉え方を解説する。江戸時代あるいは日本の性がおおらかという表現がよくあるが,明治時代に入って急速な西洋化による大転換の影響が大きそうだ。性は命に対する見方にも影響を受けるのだろう。
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性の言葉の語源、心をまっすぐにして生きることにある。 江戸時代前期は、交合について、割と奔放。後期は、打って変わって、家計の存続ということで、性交渉と家族が一体化して、前期ほど頻繁な交渉は避けるようにと養生訓で言われるようになる。いわゆる武士道というやつになる 今まで江戸時...
性の言葉の語源、心をまっすぐにして生きることにある。 江戸時代前期は、交合について、割と奔放。後期は、打って変わって、家計の存続ということで、性交渉と家族が一体化して、前期ほど頻繁な交渉は避けるようにと養生訓で言われるようになる。いわゆる武士道というやつになる 今まで江戸時代全体で、筆者も語る「性についておおらかな江戸時代」という印象が強かったが、後期になると、全く反対とはビックリ。 現代武士道は売れていて、今に伝わる本であるが、見方が変わったかも。至上な生き方的な感じで見るのもどうかと思った。遊女と妻の差別化、セックスレスとか、恋人とセフレのいざこざとか、 性についてわだかまりがたくさん語られる現代だけど、ここにもしかして真髄ある?のかな
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史料をもとに論じる歷史研究において、「からだ」と「こころ」がテーマになったのは1990年代、「性」がテーマになったのはそれよりさらに遅く、2000年以降のことである、と著者はいう(iiiページ)。そんなに遅かったかしらんという感じがしなくもないが、比較的最近であることには間違いな...
史料をもとに論じる歷史研究において、「からだ」と「こころ」がテーマになったのは1990年代、「性」がテーマになったのはそれよりさらに遅く、2000年以降のことである、と著者はいう(iiiページ)。そんなに遅かったかしらんという感じがしなくもないが、比較的最近であることには間違いなかろう。ことに江戸時代となると史料的制約もあってそうした側面が強いことはわかる。 本書はそんな研究状況のなかにあっても見いだされてきたレアな史料に基づいた「性からよむ江戸時代」である。 第一章は小林一茶と妻・菊の性の営みを、一茶の『七番日記』から読み解いていく。なぜ一茶は執拗に「交合」を記録したのか。第二章は「不義の子」をめぐる善次郎ときやのもめ事に関する裁判記録が取り上げられる。第三章は、産む、堕ろす、間引くという観点から医者・千葉理安の診療記録から。お産の現場が文字史料として残っていることは非常に珍しい。第四章は、「太助の日記」から性売買の大衆化について考察される。そして、第五章で江戸時代の性について総括されている。 他人のセックスの記録などあまり興味がないので、たとえそれが江戸時代の有名人のものだとしても、生々しすぎてちょっと引いてしまったのが第一章。しかし、第二章からは興味深い史料の紹介とそれに基づく江戸時代の日常生活についての鋭い考察が展開されて面白かった。性の問題は、妊娠・出産管理政策=人口管理政策や労働問題にも繋がってくる。そこに家とか藩とかという問題も絡んでくるわけで、時代の全体像を考える上で性の視点は欠かせないのである。
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歴史を、細かいところは置いといて、ざっくりと大きな視点で捉え、おもしろくしよう!という、「絶対に挫折しない日本史」(けっこう話題になっていた)を読んで、私は全然面白くなかったので、逆にものすごぉおおく細かいところに着目した「性からよむ江戸時代」を読んでみました。で、断然こっちの方...
歴史を、細かいところは置いといて、ざっくりと大きな視点で捉え、おもしろくしよう!という、「絶対に挫折しない日本史」(けっこう話題になっていた)を読んで、私は全然面白くなかったので、逆にものすごぉおおく細かいところに着目した「性からよむ江戸時代」を読んでみました。で、断然こっちの方が面白かったです! もう、中学高校の歴史の教科書には絶対載っていない、江戸時代の庶民の夫婦の、離縁するだのなんだの揉めたり、それを領主がどのように裁定したかという記録まで書かれています。そんな記録が残ってるんだ!というのも驚き。 近代以前、記録が残っている江戸時代に、性はそのまま妊娠・出産に結びつく。庶民の家庭ではそれは「子どもを産み育て、イエの労働力となる」ことにつながるが、子どもの数が多すぎると養っていくことはできず、口減らしをしなければならない。産まれた子を殺したり、里子に出したり、遊女として売られたり…。しかし体を売る女性は、妊娠することはNGだから、現代の医学では考えられないような民間療法で妊娠を避けようとしたり、堕胎しようとしたりした。 領地を治める武士からすると、農民はしっかり働き、子どもを産み育ててイエを維持させるべしと考え、子育て支援策も行っていた。子育て支援って、今に始まったことじゃないんだー!と、これも非常に興味深いと思いました。 中学生に歴史・公民(少子高齢化)を教えるときのネタとしても面白いです。 近代以前は、出産が本当に命懸けだったということも、どれくらいの母親が難産で亡くなったか、今のような帝王切開がない時代に、難産のとき人々がどう対処したかという記録をもとに明らかにしており、これもとても興味深かったです。
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この本では男女間の出来事の記述は全て「男と女の・・」ではなく「女と男の・・」と書かれていて、その視点から読まなければならないと気づかされた。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
<目次> 第1章 交わる、孕む~小林一茶『七番日記』 第2章 「不義の子」をめぐって~善次郎ときやのもめごと 第3章 産む、堕ろす、間引く~千葉理安の診療記録 第4章 買う男、身を売る女~太助の日記 第5章 江戸時代の性 おわりに <内容> 江戸時代の後期の庶民の性と家族をさまざまな文献から考えていく本。子供の死が身近だった江戸時代。幕府も藩も結婚と出産を奨励した(一方で、「恋愛結婚」は否定的だったのは面白い)。一方で性が売り物にもなっていた。遊郭などの話も出てくるが、話のメインは庶民の生活である。出産や結婚にスポットを当てつつ、江戸時代の庶民のぎりぎりの生活が見て取れた。
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性にまつわる話しは敬遠されがちだが、江戸時代からの性の営みを通して現代の性を見つめ直すのも良い機会ではないか。江戸後期は、性の営みやいのちの問題を考えるときに、大きな画期をなす時代。家を守り子孫に引き継ぐために子どもと子どもを産む女いのちを守ろうとする意識が高まり、医者や産婆が各...
性にまつわる話しは敬遠されがちだが、江戸時代からの性の営みを通して現代の性を見つめ直すのも良い機会ではないか。江戸後期は、性の営みやいのちの問題を考えるときに、大きな画期をなす時代。家を守り子孫に引き継ぐために子どもと子どもを産む女いのちを守ろうとする意識が高まり、医者や産婆が各地域に誕生する。一方で、家を維持するために、飢饉等の食糧難により、子どもの数を減らしたり、出生間隔をあけたり、時には堕胎、間引き(出生後赤子を殺す)、捨て子をする、など少子化への志向がみられる。幕府や藩は、人々の出生への意識を取り締まり、人口を増やすために、妊娠出産を把握し。堕胎・間引きを監視する仕組みを作った。 おわりに(引用) 1995年に北京で開かれた第四回世界女性会議では、「強制や差別を受けることなく、性について自由にコントロールする女性の権利」が「性の権利(sexual rights)として提起される。女性たちは、性の権利を守れているか、自由に行使できているかといえば、性の問題は現在も大きな課題であり続けている。 生きることと切実に結びついていた江戸時代の女と男の性の営みは、私たちに、生きることの原点から性の問題を考えることに、歴史に学ぶことを求めているのではないだろうか。 本書がそのささやかな手がかりになればと願っている。
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第1章の一茶の日記も面白かったが、第4章の性売買の話が重要だと感じた.多くの庶民が生活に困って、娘を売りに出す.そのような社会が存在していたことが多くの資料で明らかになって、女性の権利など全く考慮されていない時代があったことを認識した.私の祖父の時代には、ある程度お金のある人は妾...
第1章の一茶の日記も面白かったが、第4章の性売買の話が重要だと感じた.多くの庶民が生活に困って、娘を売りに出す.そのような社会が存在していたことが多くの資料で明らかになって、女性の権利など全く考慮されていない時代があったことを認識した.私の祖父の時代には、ある程度お金のある人は妾を持つことが当然であった由.そのような歴史を遡って考察していくことも必要だと感じた.
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タイトルから興味を感じ、この本を選んだ人は多いと思う。自分もその一人だが、実際に読んでみると、性の現場に関する多くの史料を丹念に読み解き、江戸時代の性の全体像と歴史的意味合いをあぶり出す学術書であった。 著者は、人々が残した史料を読み解いた結果、「おおらか」という江戸時代の性につ...
タイトルから興味を感じ、この本を選んだ人は多いと思う。自分もその一人だが、実際に読んでみると、性の現場に関する多くの史料を丹念に読み解き、江戸時代の性の全体像と歴史的意味合いをあぶり出す学術書であった。 著者は、人々が残した史料を読み解いた結果、「おおらか」という江戸時代の性についての常識に疑問を投げかける。仲人を立てた婚姻以外は不義・密通とし、婚姻内の夫婦の生殖のための性を特権化する婚姻・性・生殖の一致という制度規範が民衆の中にも入り込んでいた。一方で、抑圧され行き場を失った快楽としての性への欲望を吸収する性売買の大衆化が起きていく。言い換えると、夫婦の性は子どもをもうける「生殖のための性」であり、快楽としての性は非日常で、暮らしを危機に至らしめるものでもあった。 途中から難しくなり、味気なさを感じながら読んだが、始めにあった一茶の性の営みの回数の凄さ、「懐胎の腹中の図」には思わずニヤリとしてしまった。また、不義の子をめぐる揉め事が、家だけでなく、村、藩が深く関わるほどの大問題だったという史実には驚いてしまった。
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そう言えば、江戸時代の「性」が出てくる小説は、大抵は「遊郭」モノばかりだ。この新書には「買う男、身を売る女」の章もあるが、大半は人口的に最も多い百姓の性実態を描く。封建社会で表に出てこない人たちに焦点を当てた、新しい江戸時代史料の読み解き本。 一章目には比較的有名な小林一茶の「...
そう言えば、江戸時代の「性」が出てくる小説は、大抵は「遊郭」モノばかりだ。この新書には「買う男、身を売る女」の章もあるが、大半は人口的に最も多い百姓の性実態を描く。封建社会で表に出てこない人たちに焦点を当てた、新しい江戸時代史料の読み解き本。 一章目には比較的有名な小林一茶の「七番日記」(1810-1818年)を紐解く。妻との交合を克明に記録したのは何故か。そして何が判るのか。 48歳でやっと土地と家を手に入れた一茶は初めて妻を娶る。子供を持ち、家を存続させたい。その目的のために、一茶は民間の知恵を参考にしながら徹底的に「妊活」をした。そのための克明な記録である。しかし、よく見ていくとそれだけではない。妻との間にもうけた三男一女をすべて夭折させたこともあるかもしれない。記録からは、民間療法では「忌日」に当たる日にも一茶は妻に交合を強要している。閨の中の真実はわからないとは言え、日記からも一茶の要望が強いことはわかる。妻は産後の肥立ちが悪くて若死にする。一茶は気の良い俳人ではない。それは知っていったが、これを読んで更に嫌いになった。 二章目は、本書のメインイベント、村の夫婦の不倫疑惑に端を発する離婚訴訟(1805)である。生まれてきた子供の認知をどうするか、が問題になったために藩のお裁きが必要になり、克明な裁判記録が残された。 著者は出来るだけ現代読者にも判るように、サスペンス形式で叙述する。歴史書なので限界はあるが、私は楽しめた。 ここからわかるのは、村の三役(肝煎、欠代、長百姓)の端っこにいる両家の当事者の力関係とそれに翻弄される女性、並びに特定の人口政策をもつ藩の要望である。夫婦の思惑、家の思惑、藩の思惑が交錯して、結果的には現代的に見ても妥当な判決が下される。しかし、このことが本人たちの幸せに結果的に繋がっていないのが哀しい。 その他、多くの出産・堕胎・間引きに立ち会い啓蒙書も著した医師の記録(第三章)、遊女の史料的検討(第四章)を経て、第五章「江戸時代の性」で著者は以下のようにまとめる。 (1)幕府は特に人口減少地域で、18世紀末から妊娠・出産の管理政策を取るようになった。そして、現代とは少し違う「性規範」が作られる。 「男も女もフェミニストでなきゃ」を読んだばかりということもあり、私は当初ジェンダー論の視点から本書を読もうとしたが、ムリだった。そもそもガチガチに型にはめ込む社会の中で、それに抵抗する人たちを見つけるのは困難である。ただ、19世紀になって、都市部に逃れて「馴合ひ夫婦=恋愛結婚」と男の「遊郭」通いが増えているという情報は抑圧の帰結と見えなくもない。 (2)江戸時代前期から貝原益軒「養生訓」が人々の性意識に大きな影響を及ぼす。「長生きのためには性欲をコントロールせよ」一言で言えばそういう内容。類似書は19世紀に武士から民衆へと広まってゆく。 (3)百姓の名主が書いた「農書」(1808)には、家と土地の存続を大事とし、妻に求めるのは「労働能力と生殖能力」だけとなっていた。反対に言えば、そうではない現実があったから書いたのだろう。 一方では生きるのが厳しい時代ではあった。研究によれば、出生児の20%近くが一歳未満で死に、五歳までの幼児の死亡率は20-25%。10-15%が死産。産後死と難産死は21歳から50歳の女性の死因の25%を上回っていた。平均余命は18世紀は男女ともに30代半ば、19世紀には30代後半。よって「家」は「いのち」を支える最初にして最後の砦ではある。性のコントロールは藩の思惑であると同時に民衆の願いでもあったろう。 平均余命が50歳を超えるのは、1947年以降。ジェンダーを論じることができるのは、こういう時代的背景もある。反対に言えば、現代は昔と違ってみんなが「フェミニスト」になるべき時代なのだ。現実は遠の昔に変わっているのだから。 著者は「江戸時代の性はおおらか」という一般的な学者の常識に異議を唱える。確かに明治以降の「家」制度で管理される時代よりはおおらかだったかもしれないが、決して現代よりもおおらかではなかった。それよりも、明治時代には江戸時代の民衆意識が、現代には過去の性規範が我々の意識を囲んでいるように思える。歴史を学ぶことは、現代を考えることである。
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