歩く江戸の旅人たち の商品レビュー
江戸時代に大流行した「お伊勢参り」。旅人たちは2000kmを超えるルートを、一日に30km前後も歩いて踏破していたのだとか。そんな旅の実情をスポーツ史の観点から解説した一冊。旅の装備や費用なども解説されていて抜群に面白いです!
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江戸時代の旅行者がどのように歩いたかを史料やデータを使って考察した本。 当時の記録や旅日記から、江戸時代の旅人の歩行について、データ分析した結果を紹介する。 江戸時代の人たちが大変な健脚で1日に30から40キロ歩いていたことは知っていたが、どのような歩行形態なのか、どのような...
江戸時代の旅行者がどのように歩いたかを史料やデータを使って考察した本。 当時の記録や旅日記から、江戸時代の旅人の歩行について、データ分析した結果を紹介する。 江戸時代の人たちが大変な健脚で1日に30から40キロ歩いていたことは知っていたが、どのような歩行形態なのか、どのような用具を使っていたか、旅の目的は何なのかを具体的にまとめられていて大変面白かった。 全てデータの裏付けがある考察だが、それは当時の人たちが、まめに日記や記録をつけていたおかげだ。学者や知識人でもない無名の人たちが、習慣として旅のデータを取ってくれたおかげで当時の様子を知ることができる。昔の日本人の 律義さを感じた。
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旅行好きは令和だろうが江戸だろうがいつの時代にもいる。 江戸時代の人々はどのくらい歩いていたのか。そんなことが分かるのが今回の本。 スポーツ史を専門にしている著者が近世後期の日本人の旅を「歩く」という行為に注目した。 昔なので、大名でもない限り、歩いて移動...
旅行好きは令和だろうが江戸だろうがいつの時代にもいる。 江戸時代の人々はどのくらい歩いていたのか。そんなことが分かるのが今回の本。 スポーツ史を専門にしている著者が近世後期の日本人の旅を「歩く」という行為に注目した。 昔なので、大名でもない限り、歩いて移動するしかない。 著者も言及しているが、当時の旅人はもはや「アスリート」と言っても過言ではない。 近世の庶民が行った伊勢参宮で、今に残る資料が多く、陸路で移動する距離の多い東北地方を取り上げている。 基本資料は、東北の庶民が伊勢参宮の道中で書き残し旅日記。 そこから分かることは、東北地方の庶民の1日平均の歩行距離は、約34.1km。 男女で分けると、男性は平均で34.9km、女性は約28.6km歩いていた。 この距離を見るとアスリートだと思ってしまうが、庶民の1日の平均歩行距離だ。 長い距離を歩いてでも、参拝と美味しいものを飲み食いしたり、男性の場合、鼻の下を伸ばして女性とデレデレしたいという欲求が強かったのかな。 この他にも江戸時代の人々の歩き方、杖の使い方、さらには旅費まで触れていて興味深いなあ。
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江戸時代の伊勢参詣の様子を道中記から読み解いた本。 伊勢参詣とセットでどこを回ったのか(近畿、富士山、四国)とか、1日当たり最も歩いた人についてとか。 何と一日に75.0㎞も歩いた男性もいたらしい。 当時は「伊勢講」といって集団で参詣をすることも多かったため、一日当たりの歩行距離...
江戸時代の伊勢参詣の様子を道中記から読み解いた本。 伊勢参詣とセットでどこを回ったのか(近畿、富士山、四国)とか、1日当たり最も歩いた人についてとか。 何と一日に75.0㎞も歩いた男性もいたらしい。 当時は「伊勢講」といって集団で参詣をすることも多かったため、一日当たりの歩行距離の目安や、平均値を大幅に超える長距離を歩く場合は同行者に相談するよう取り決めた事例などもあるようだ。目安はそれでも十里(約39㎞)とある。具体的に数字で示されると大変な旅路だったのだなと実感する。 この本では他に、江戸時代の人の歩行の方法と着衣や履物の影響、旅費の調達や農村の庶民と、都市の富豪の旅行スタイルの違いなども紹介されている。 本を読むと、散歩中にあちこちで見かける伊勢神宮の遥拝所や四国八十八ヵ所の祠が境内にある神社などが目新しいものに見えてくるような気がする。
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※このレビューにはネタバレを含みます
【1】 通説1日10里-約39㎞ 東北男 平均約3㌔/最長75㌔ 東北女 平均約28.6㌔/最長59.7㌔ とある伊勢詣グループの取り決め『伊勢詣同行』には 「一日10里を目安とし、12里に及びそうな場合は、同行グループ間で相談する」という例が ※ただし、庶民の旅は農閑期の冬・江戸では夜間歩行は基本しない→夏ならもっと歩いていたかも 集団人数2~34人→平均約11人 年齢18~56才 構成はどうあれ、歩く距離は同じくらい 「七歳までは神のうち」 平均余命 0才30代→5才まで生き残ると50代まで伸びる 近世印刷技術の革新+高い識字率→種々の旅行案内書 【2】日本人の歩き方 和装は歩きにくいか/天正遣欧使節千々石ミゲル?「洋服はいかなる動作もさまたげない」 e.g.すり足 e.g.なんば歩き←なんばは山歩き・ぬかるみ歩きに使えるp71 能や狂言のように、原則的に、腕は垂直に下げたまま足だけで歩行する 半身 【3】棒 歩く・運ぶ・休憩の補助 【4】草鞋 4.50㌔くらいはもつ。訪日外国人によると2日。ただし雨天だと1日。 履きつぶした草鞋は捨てるところがきまっており、肥料にリサイクルされた由。 「女性の旅人は男性旅人と比べて描かれ難い」←実際に少なかった? 【5】旅費 金1両=銀75匁=6300文=賃金から考えると30万円相当/★1文8.8円 →米大から換算すると5.5万程度にしかならない。米代高い・・賃金安い? 田中国三郎:世田谷→伊勢→四国.中国86日=37,271文=327,984円 国三郎は江戸近郊の農民となっているが、苗字あるし、詳細な覚書を残しているし、「一般的な庶民」ではないのでは? 捻出)講+餞別(国三郎は1両以上受取っている) 講/代参講(講によっては「総参り」設定も) 積み立て額e.g.江戸の富士講で100文~2朱(786文)←積立年数不明 受取額e.g.江戸の富士講1両(6300文) 伊勢の恩師=旅行社・・・営業マン+ツアコン+ホテル ←宿泊料として1日400文(3520円)-普通の旅籠200文 抜け参り=大人への通過儀礼の意味合いもp142 【6】庶民が旅行できた世界 ・インフラ:参勤交代のためもあり整備された 一里塚・道の両側に対で小さな丘そつくり、上に木を植えた 道標 並木(隣接する田畑は、日照不足配慮で年貢が軽くなるなど配慮有) トイレ(周囲の農家がトイレ小屋を作っていた→肥料に) 道の維持管理:排水溝-溝さらい.路面固め.砂敷・平地のみ→箱根は石畳に ※ここで、現存する石畳写真あり「石が凸凹な状態」と書かれ、当時の記録としても「歩きやすいものではなかった」となっているが、きれいな石畳に見える ・貨幣経済 →最小限の荷物で身軽な旅・両替も可能・後期には為替も 元禄期ごろから農村にも浸透 ・荷物 運搬(遠方.近距離).一時預かり 旅館によっては伊勢から京都まで運ぶサービスも ・マナー 列になって歩く(多人数で旅する傾向) 左側歩行←武士が左腰に帯刀していたため(刀に当たらないように)と思われる。 また、左腰帯刀だと、左側から襲われる方が返り討ちにしにくいそう。 →明治初期も左側通行 e.g.日本橋の道路事情@明治7年 【7】近代化過渡期 明治22年 鉄道・東海道線全線開通→東京~神戸.男性で2週間が1日に 明治26年 参宮鉄道.津~宮川 明治27年 神戸~広島開通→日清戦争で出港地神戸まで鉄道で 鉄道 ・時間感覚激変 太陽の位置でみる「刻」→時計で見る「時分秒」発着にあわせる為 ・目的地間エリア 道中の異文化に触れる→ただの「通過地」 とはいえ明治ではまだまだ合理性よりも道中の見物楽しみ優先。(?旅先での楽しみではなく?)踏破距離も減らず。 巡礼=行楽・途中を楽しむ 柳田國男:巡礼.日本における発達.参拝の意義は道途にあった。「(参拝の)ついでに京見物大和廻り、思い切って琴平宮島掛けて来たという類の旅行も、信心として許されたのであった」『明治大正期世相篇』p210 ←?外国では許されない? 日清戦争の戦利品は、国内の寺社学校陳列場等に配布展示された 岡山吉備「砲弾」鎌倉鶴ケ丘「分捕品沢山」上野動物園「戦利品動物特別展示場」
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当たり前ですが江戸時代の移動手段は 「徒歩」だけでした。 果たして一日に何キロぐらい歩くこと が出来たかのでしょうか。 実は江戸時代には数多くの、今でいう 旅日記のようなものが数多く残されて います。 それらを紐解き、江戸時代の旅人がど ういう日程で、いくらぐらいのお金を ...
当たり前ですが江戸時代の移動手段は 「徒歩」だけでした。 果たして一日に何キロぐらい歩くこと が出来たかのでしょうか。 実は江戸時代には数多くの、今でいう 旅日記のようなものが数多く残されて います。 それらを紐解き、江戸時代の旅人がど ういう日程で、いくらぐらいのお金を かけて、そしてどのような出で立ちで 旅をしていたのかをつぶさに考察しま す。 白眉は履物や歩き方にも注目している 点です。 文献や当時の風景画から読み解いた「 真実」には、驚きが満ち溢れています。 時代小説好きにも楽しめる一冊です。
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意外な掘り出し物!江戸時代の伊勢参りを、残っている旅日記から旅ルートや平均値などのデータを割り出し、絵画から服装や装備や道々のマナーなどを読み取る。 1日平均35キロ、多い日には60キロ以上もの距離を歩くこともあったということに、まず驚く。貨幣価値の浸透や道の整備がこうした旅を可...
意外な掘り出し物!江戸時代の伊勢参りを、残っている旅日記から旅ルートや平均値などのデータを割り出し、絵画から服装や装備や道々のマナーなどを読み取る。 1日平均35キロ、多い日には60キロ以上もの距離を歩くこともあったということに、まず驚く。貨幣価値の浸透や道の整備がこうした旅を可能にしていったこと、多くの人がこうして歩いての観光旅行を楽しんだことがわかって面白い。 そして明治時代に鉄道が開通した後になっても、徒歩と鉄道を組み合わせて、旅は合理的になりながら続いていく。 「スポーツ史から」の観点が新鮮。
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お伊勢参りに関する史料を基に、江戸時代の“歩く”旅を読み解く。 第1章 旅のルートと歩行距離 第2章 幕末~明治初期の日本人の歩き方 第3章 街道の必須アイテム「棒」 使い方と身体技法 第4章 旅の履物 第5章 旅の家計簿 第6章 旅人の健脚を支えたもの 第7章...
お伊勢参りに関する史料を基に、江戸時代の“歩く”旅を読み解く。 第1章 旅のルートと歩行距離 第2章 幕末~明治初期の日本人の歩き方 第3章 街道の必須アイテム「棒」 使い方と身体技法 第4章 旅の履物 第5章 旅の家計簿 第6章 旅人の健脚を支えたもの 第7章 近代化による旅の変化 各章末に、注記および引用・参考文献有り。図表豊富。 江戸時代の旅の基本は“歩く”こと。 お伊勢参りの各種道中記から、歩く距離や歩き方、旅の必需品等を 読み解き、更に、明治時代以降の旅の変化についても書かれている。 また、来日した外国人の記録からは、江戸時代の庶民の歩き方、 歩行の姿勢等が現代とは異なっていることを考察している。 各種名所図会からは旅の様子を探り、他にも、旅の家計簿を 調べたりと、多くの史料にあたって分析&考察している。 一日30~40㎞、ときには70km近く歩き、東北から旅立って、 主要目的である伊勢神宮以外にも、ルートによっては、 京や大坂に寄ったり、香川の金毘羅さんまで足を延ばしたり、 富士山登山までするグループ有りと、その健脚ぶりと行動範囲の 広さには驚くばかりです。明治時代になっても、鉄道での移動 だけでなく、巡る場所によって歩行もかなり含まれています。 また、当時の装いや履物等が影響している現代とは異なる歩行が あったこと、運搬や旅での杖、棒の使用方法が書かれていたり、 草鞋について事細かに説明されていたりと、知識が深まりました。 不必要な草鞋を捨てる場所が決められ、農民により再利用されて いたとは、驚きました。また、便所や路面、交通マナー等、 知りたいと思っていた事項が多く書かれていて、良かったです。
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伊勢参宮の旅の歩行距離【P11】 ◯男性一日平均歩行距離:34.9km(最長75.0km) ◯東北地方在地者総歩行平均距離:2,361km(最長3,174km)
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サブタイトルがちょいと反則気味なような。スポーツ的な内容(歩行距離や方法)は1/3程度だ。 とはいえ、面白くないかといえばそうでもなく、江戸期の人びとの健脚ぶりに驚いたり、外国人の意見に苦笑したりと、割と楽しめた。
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