流人道中記(下) の商品レビュー
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仙台藩の城下に着いた青山玄蕃と石川乙次郎。玄蕃と仙台藩主の陸奥守殿が昵懇な間柄という。そのために、玄蕃はお城に登城することに。乙次郎は藩主と昵懇な玄蕃はいったいどれほどの地位の旗本かと戸惑うが…。二人は奥州街道の終点、三厩を目指して歩む。その道中で玄蕃のいきさつが段々と分かってくる。
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すごい本を読んでしまった。何て深くて重みのある、蝦夷地までの旅路だったんだろう。 姦通の罪を犯したという旗本の青山玄蕃は切腹を言い渡されるが、「痛えからいやだ」と拒否。蝦夷松前藩への流罪となり、押送人に選ばれた十九歳の見習与力、石川乙次郎とともに、蝦夷地まで旅をすることとなる。旅の道中、たくさんの様々な事情を抱えた人たちと出会い、その人たちの心に触れていく。乙次郎は玄蕃のことを軽蔑していたが、出逢った人たちの心に見事に寄り添う玄蕃を目の当たりにして、乙次郎の心に変化が生じてきて―。 時代が変われば、法が変わり、当たり前が変わる。しかし、「礼」はどうなのだろう。確かに、変わるものもあると思う。けれど、「礼ってのは ―略― ひとりひとりがみずからを律した徳目のこと」で、「人間が堕落して礼が廃れたから、御法ができた」のであれば、人間が守るべき倫理の様なものは、人が人であるために大切にすべきものは、変わらないのかもしれない。 玄蕃は「法の戒めのもとにある人ではなく、礼に則って生きてきたのだろう。」「そして礼が法に優先する徳目である限り、吟味も判決も意味を持たない。」のだ。 この一ヶ月で、乙次郎がどれほど成長したか。器が大きく懐の深い人に出逢うこと、出逢う時機、受け入れる自分の器。全てが作用する。 「大勇は怯なるが如く、大智は愚なるが如しという。ならば俺は、破廉恥漢でよい。」カッコよすぎる。 本当に、玄蕃にもっともっと色々教えてほしかっただろうな。途中で出会った侍が、よくぞ生きて下されましたと、涙声を絞った気持ち。生きていてくれて、出逢ってくれて、辛抱強く見守っていて諭してくれてありがとうございました。 何だか乙次郎になった気持ちで涙目で、そう思ってしまいました。 途中に出逢った人たちのエピソードも心に残るものでした。また読み返したい、素晴らしい作品でした。
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やっと青山玄蕃の不義密通の詳細が語られ,石川乙二郎も私もその理不尽な理屈に納得できない.千年の武士の罪か何かは知らないが,やっぱりモヤモヤした気持ちは納まらない.ただ歴史を知ってる読者としては,後数年で幕府は瓦解するのだから,この始末は案外ラッキーだったのかもと思ったりした.
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いよいよ明かされる玄蕃の罪。上巻からの2人の関係、道中で出逢う、素朴でちょっと癖のある人物たち。読み終えるのがもったいなく、でも気になって読んでしまう、の繰り返し。最後の場面は心に訴える迫力に涙、涙でした。読売新聞連載時から話題になっていた理由が分かりました。浅田次郎さんの他作も...
いよいよ明かされる玄蕃の罪。上巻からの2人の関係、道中で出逢う、素朴でちょっと癖のある人物たち。読み終えるのがもったいなく、でも気になって読んでしまう、の繰り返し。最後の場面は心に訴える迫力に涙、涙でした。読売新聞連載時から話題になっていた理由が分かりました。浅田次郎さんの他作も読んでみたいです。
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平和な徳川時代も幕末くらいになると、幕府や武士の在り方に疑問を持つ人たちが大勢いたのかなと思えるような内容でした。 下巻は告白文のようでした。 乙次郎の心の動きがもう少し具体的だと感情移入出来たかな 最後、乙次郎が振り返らずに帰っていく姿が、凛々しく目に浮かぶようでした。
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流人・青山玄蕃と押送人・石川乙次郎は流刑地、奥州街道の終点三厩(みんまや)へと旅を続ける。 ただいまは、仙台の陸奥守様の招きに預かり、登城、接待を受けようかというところ。またしても玄蕃おぬし何者? その間乙次郎は、城下を案内してもらうことになり、牢屋を見学に行く。 そこで亀吉とい...
流人・青山玄蕃と押送人・石川乙次郎は流刑地、奥州街道の終点三厩(みんまや)へと旅を続ける。 ただいまは、仙台の陸奥守様の招きに預かり、登城、接待を受けようかというところ。またしても玄蕃おぬし何者? その間乙次郎は、城下を案内してもらうことになり、牢屋を見学に行く。 そこで亀吉という丁稚に出会う。 亀吉は、たまたま出会った(向こうにしてみたら計画的)旅の商人に騙され、図らずも盗人の手引きをしたかどで、磔さらしの刑が確定していた。 亀吉にしてみたら、何が何やら訳がわからず、申し開きもなにも、あれよあれよという間にこういうことになり、乙二郎にまで哀れに命乞いをする。 ここで出てくるからには、何とか助けられるのだろうと希望を持っていたが、 叶わず、処刑は執行されてしまった。しかしそのおかげで、父の仇を探し今まさに行われようとしていた仇討ちを思いとどまらせ、一人の命を救った。 亀吉よ、これで浄土に行けよと。これも玄蕃の思惑だった。 次に行き会うのは、伊勢参りをした帰り、病を得て行き倒れになった女、何とか故郷の水を飲みたいと、その時分そう願うと何としてもそのものを故郷まで連れ帰らねばならない、という法があったそうな。 いわくありげな女との道行、その合間に語られる玄蕃の罪状の本当の経緯、はぁそんなことであったとは、「武士が命を懸くるは、戦場ばかりぞ」という信念で、女房子供、家来を路頭に迷わせ、流刑を選ぶとは。それも冤罪で。 武士とはなんとも厄介なものでござるな。 すべてを知った乙次郎、江戸へ取って返し、再審議と思ったが、己の力のなさ、その後の騒動、お家取りつぶしになるやも知れず等々、思い切りはつかず、三厩に着いてしまった。帰りの道中まで心配されて、最後まで堂々としている玄蕃にありったけの敬意を表して別れた乙次郎である。 ひと月足らずの玄蕃戸の道行、なんとも意味深い濃密な日々であったろう。 江戸に帰ったなら、一回りも二回りも成長した乙次郎になっていることだろう。
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2020年8月23日読了。青山玄蕃の抱えた罪の真実とは。下巻クライマックスの玄蕃の回術にあった。 『ああ、そこいらは誤解なきようにの。おれは武士が嫌いだったわけではない。武士道というわけのわからね道徳を掲げ、家門を重んじ、体面を貴び、万民の生殺与奪を恣にする武士そのものに懐疑した...
2020年8月23日読了。青山玄蕃の抱えた罪の真実とは。下巻クライマックスの玄蕃の回術にあった。 『ああ、そこいらは誤解なきようにの。おれは武士が嫌いだったわけではない。武士道というわけのわからね道徳を掲げ、家門を重んじ、体面を貴び、万民の生殺与奪を恣にする武士そのものに懐疑したのだ。』中略『俺は俺のなすべきことをさとった。 二百幾十年の間にでっち上げられた武士道をぶち壊し、偽りの権威で塗り固めた「家」を潰してやる。 それは青山玄蕃にしか出来ぬ戦いだった。 大勇は今日なるが如く、大智は愚なるごとしという。ならば俺は、破廉恥漢でよい。
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もちろん当時に玄蕃のごとく武士が武士を定義することなどあり得るはずもないけど、当節だって「武士」とは何か、「家」とは何かをかような視点で説いてくれる師には巡り合わん。武士は変革を忌避し、理屈に合わぬ儀礼と慣習で身を鎧った化物であり、存在自体が罪であるとまでこきおろす。そのことは、...
もちろん当時に玄蕃のごとく武士が武士を定義することなどあり得るはずもないけど、当節だって「武士」とは何か、「家」とは何かをかような視点で説いてくれる師には巡り合わん。武士は変革を忌避し、理屈に合わぬ儀礼と慣習で身を鎧った化物であり、存在自体が罪であるとまでこきおろす。そのことは、武士玄蕃が素町人一助として客観視した自身に対する否定であって、その決着の様を道すがら乙次郎に伝授する。いなせな男っぷりだ。それでも身内を案ずる心根を吐露するかと思えば、武士ならばおのれのことは二の次ぞ、妻子のこととて二の次ぞ、って貫き通しちまう。はて?しからば武士としての矜持もあるではないか。この矛盾に安堵なり。
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「武士が命を懸くるは、戦場ばかりぞ」流人・青山玄蕃と押送人・石川乙次郎は、奥州街道の終点、三厩を目指し歩みを進める。道中行き会うは、父の敵を探し旅する侍、無実の罪を被る少年、病を得て、故郷の水が飲みたいと願う女…。旅路の果てで明らかになる、玄蕃の抱えた罪の真実。武士の鑑である男が...
「武士が命を懸くるは、戦場ばかりぞ」流人・青山玄蕃と押送人・石川乙次郎は、奥州街道の終点、三厩を目指し歩みを進める。道中行き会うは、父の敵を探し旅する侍、無実の罪を被る少年、病を得て、故郷の水が飲みたいと願う女…。旅路の果てで明らかになる、玄蕃の抱えた罪の真実。武士の鑑である男がなぜ、恥を晒して生きる道を選んだのか。
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この本を読み、読書は人生を豊かにするという言葉を思い出した。 久々にいろいろな感情に揺さぶられた。生き方、人との関わり方、礼について考えさせられた。 どんな人生であろうとも、深く味わいながら生きていきたいと思った。
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