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流人道中記(下) の商品レビュー

4.2

65件のお客様レビュー

  1. 5つ

    26

  2. 4つ

    21

  3. 3つ

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2021/01/16

江戸から津軽三厩(みんまや)まで一路流人との道中。 一緒に旅をしている気分になれた。最終地点の三厩をGooglemapで調べてみたが、義経ゆかりの彼の地に行ってみたくなった。 江戸時代も後期。もう戦もなく、なぜ武士は腰に二本差しを持つのか。武士とは何か?と問う最後。

Posted byブクログ

2021/01/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

登場人物が皆魅力的だった。 青山玄藩も、乙次郎も、その他脇役の面々も。 特に宿村送りのエピソードは、出てくる人出てくる人皆が優しく、それぞれが抱える背景もあり、心温まると言うより切なくなった。堅物の乙次郎が仮病を知ってなおお菊を抱き寄せるシーンは胸を打たれた。 礼と、法の考え方も面白かった。たしかに、皆に礼があれば法はいらないのかもしれない。話は飛躍するが、仕事においても礼を重んじて取り組めば、線引きのための細かい規定も必要なく、気持ちよく仕事ができるのかもしれない。変にギクシャクするのは、自分に礼の気持ちが足りていないのかもしれない。 命は重いものである。だからこそ、武士だからといって無闇に潔く命を捨てることを良しとせず、表面的な武士道ではなく己の信じる武士道に準じて、あえて命をかけなかった。己の命を張る場所は、己の基準で決める。青山玄藩はとても深い人物であった。 人生は一度きり。この命は何に使うべきか。自分も今一度考えてみようと思う。

Posted byブクログ

2020/12/23

玄藩と乙次郎、特に乙次郎が玄藩に影響され変わっていく姿が印象的である。それは玄藩の知識、器、人格そして武士としての覚悟から来るものであり、世の中を大きく捉えているからだと思う。その人を知ることで今まで見えていなかったオーラを感じるようになる。そんな事を物語の中きら感じ取れる作品で...

玄藩と乙次郎、特に乙次郎が玄藩に影響され変わっていく姿が印象的である。それは玄藩の知識、器、人格そして武士としての覚悟から来るものであり、世の中を大きく捉えているからだと思う。その人を知ることで今まで見えていなかったオーラを感じるようになる。そんな事を物語の中きら感じ取れる作品である。

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2020/12/22

押送人与力の乙次郎と流人元旗本の玄審の2人旅は仙台伊達家お殿様に接待を受け、乙次郎は1人で阿部勘之丞なる町奉行役人の案内で興味が有る牢屋案内を受ける、そこには幼顔の亀吉が冤罪で裁きを待つ。阿部は、亀吉が不憫でならないがどうしようも無い。。玄審は、その亀吉死罪磔と先の仇討を成そうと...

押送人与力の乙次郎と流人元旗本の玄審の2人旅は仙台伊達家お殿様に接待を受け、乙次郎は1人で阿部勘之丞なる町奉行役人の案内で興味が有る牢屋案内を受ける、そこには幼顔の亀吉が冤罪で裁きを待つ。阿部は、亀吉が不憫でならないがどうしようも無い。。玄審は、その亀吉死罪磔と先の仇討を成そうとする神林内蔵助と仇敵佐藤性の雲水との果し合いの場を同時刻、同場所に画策し亀吉死罪の姿を見せる事で仇討を思いとどめさせる。冤罪亀吉の死罪を玄審が画策するとの期待をしていた分ちょっと割り切れないが。。 その後、「宿村送り」と言う知らなかった当時の掟で里に帰する病気のお菊に出逢い、玄審は仮病と知りつつ代官次郎兵衛一行を旅供にし国境を越え宿村送りを成し遂げる。その後、旅の終わりが近づくにつれ徐々に話の流れで玄審から破廉恥罪ので経緯、内容(同様の旗本対馬なる上司の策略で反論もせず時代にそぐわない武士なる家系制度に一石を投じようとの考え)が語られその内容に乙次郎は、最後尊敬の眼差しで蝦夷に渡る玄審を見送る。 浅田次郎真骨頂の名作!! 青山玄審なる自称町人上がりの大身旗本の生き様に感銘する。

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2020/12/18

道中も仙台辺りで色々事件が絡んでくる。仇討ちと子供の冤罪。 違う展開を予想していたんだが、なんともはや。 仕方ないかなと思いつつ、納得できない気持ちが残る。 仮病を使い宿村送りになった老婆との道行。 難路の果ての旅の終わりと玄蕃の巻き込まれた陰謀の話。 これも予想と違って至極あ...

道中も仙台辺りで色々事件が絡んでくる。仇討ちと子供の冤罪。 違う展開を予想していたんだが、なんともはや。 仕方ないかなと思いつつ、納得できない気持ちが残る。 仮病を使い宿村送りになった老婆との道行。 難路の果ての旅の終わりと玄蕃の巻き込まれた陰謀の話。 これも予想と違って至極あっさりとしたものと感じた。その分、玄蕃の武士に向けた気持ちについてツラツラ考えてしまう。 物語の後日をつい考える。 玄蕃は御一新を北海道で迎えるのだろうし、乙次郎は江戸でどうしただろう。 この物語は、映画かテレビドラマにならないかな。そうなったら、長い物語だけど、じっくり観てみたい。

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2020/12/12

20201212 江戸時代の風俗に付いてしっかりと取材しているので違和感なく一緒に旅をしている気分になる。下巻ではその他の登場人物も皆それぞれの解決を得て終わる。この本は読むだけで男のあり方を判ったような気分になる。

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2020/12/13

下巻読了。(やっと届きました。上巻読了からめっちゃ間あいた・・涙) 流人・青山玄蕃と、押送人・石川乙次郎の旅は続き、行く先々で“面倒ごと”に巻き込まれていく二人。 場面場面での読ませ方が絶妙で、物語の中にぐいぐい引き込まれていきます。それだけに“(個人的に)望まない”展開がすご...

下巻読了。(やっと届きました。上巻読了からめっちゃ間あいた・・涙) 流人・青山玄蕃と、押送人・石川乙次郎の旅は続き、行く先々で“面倒ごと”に巻き込まれていく二人。 場面場面での読ませ方が絶妙で、物語の中にぐいぐい引き込まれていきます。それだけに“(個人的に)望まない”展開がすごく辛かったです。亀吉の結末は思わず天を仰ぎました。 そして、徐々に明らかになっていく玄蕃の生い立ちや、この度の事情に“どうしようもない理不尽”を感じ、乙次郎よろしく義憤に駆られる思いで読みました。 玄蕃の選択は自己犠牲に見えがちですがそうではなくて、武士という存在に対しての答えなのでしょうね。 本当、玄蕃の器の大きさは、あなたはイエス・キリストですか?という感じです。 考えさせられながら読み進んで、ついにラストの乙次郎のセリフを読んだ瞬間、涙があふれ出てきました。 この後の個人的な希望ですが、玄蕃と乙次郎が数年後に再会してほしいな、と願います。もうちょういで武士の世も終わることですし。

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2020/12/12

青山玄蕃の来し方が後半になってから明かされる展開の妙に感じ入った。人の見方を変えさせる味わい深さが浅田文学の持ち味だといつも思う。

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2020/11/22

https://book.asahi.com/article/13287932 より 流人道中記(上・下) [著]浅田次郎  2013年刊行の『一路』は、19歳で家督を継いだ若き主人公が江戸への参勤を差配する物語だった。中山道の旅を描いたロードノベルであり、主人公の成長物語で...

https://book.asahi.com/article/13287932 より 流人道中記(上・下) [著]浅田次郎  2013年刊行の『一路』は、19歳で家督を継いだ若き主人公が江戸への参勤を差配する物語だった。中山道の旅を描いたロードノベルであり、主人公の成長物語であり、そして根底には〈制度〉とは何かという読者への問いかけが込められていた。  新刊『流人道中記』も、家督を継いだばかりの19歳の青年がお役目で長い旅をする物語である。  万延元年、姦通の罪を犯したとして、奉行所は旗本・青山玄蕃(げんば)に切腹を言い渡した。ところが玄蕃は「痛(いて)えからいやだ」と拒否。旗本を打ち首にもできず、困った奉行所は古い慣例を持ち出して、蝦夷松前藩の大名預かり――つまり流罪ということにした。  この玄蕃を津軽の三厩(みんまや)まで押送することになったのが、19歳の若き見習与力、石川乙次郎だ。彼は罪人・玄蕃とともに、片道1カ月かかる奥州街道の旅に出る。  まず目を引くのが、青山玄蕃の人物像だ。身分の高い旗本でありながら、気取ったところがない。豪放磊落(らいらく)にして明朗闊達(かったつ)。世故(せこ)に長け、道中で出会った人々を助けたり、厄介事を見事に捌いたり。実に魅力的なのである。  だが彼が魅力的であればあるほど、読者の疑問は膨らんでいく。なぜ彼は切腹を拒否したのか? 本当に玄蕃は罪人なんだろうか? 『一路』では〈制度〉がテーマだった。本書で問われるのは〈法〉とは何か、だ。  彼らが道中で出会う事件も、すべて〈法〉と人の関わりが背後にある。お尋ね者への報奨金、当時の少年法、敵討ち、旅先で倒れた病人の「宿村(しゅくそん)送り」などなど。こんな決まりがあったのかという驚きもさることながら、それに縛られる人々の苦悩を、浅田次郎は時には笑いを、時には涙を誘うその熟練の技で描き出す。  最初は罪人と押送人だったふたりが、旅を通じて次第に師匠と弟子のようになっていくのがいい。歩きながら師匠に問い、反発し、迷いながら成長する弟子が乙次郎だ。彼が最後に到達した〈法〉の意味は、現代の私たちにも深く強く響いてくる。法に携わる人には特に読んでほしい。  ここにはこれまでの浅田次郎が詰まっている。『一路』との共通点だけでなく、宿場町での群像劇は初期の傑作「プリズンホテル」シリーズを思い出すし、大事なものを守ろうとする人間の矜恃は『壬生義士伝』に通じる。上下巻を長いと感じさせない。むしろもっとふたりの旅を読んでいたい、この後が知りたいと思わせる。これぞ浅田節だ。  江戸から津軽までの風景や文化の描写も読みどころ。物語の中でふたりとともに東北の旅が味わえる。手練れの一作である。     ◇ あさだ・じろう 1951年生まれ。97年『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞、2008年『中原の虹』で吉川英治文学賞、16年『帰郷』で大佛次郎賞など受賞多数。15年に紫綬褒章。近著に『天子蒙塵(てんしもうじん)』『大名倒産』など。 大矢博子(おおやひろこ) 書評家 1964年生まれ。書評家・文芸評論家。著書に『読み出したら止まらない! 女子ミステリー マストリード100』『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』など。2020年4月より書評委員。

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2020/11/10

ふと、呟いた。御法ができる前は、各自の徳を持って世が成り立っていた。その秩序が儘ならぬから御法が施行されたのだと、青山玄蕃が嘆く言葉か読後にも心に打ち響く。江戸の法のもとで、咎人として冤罪の汚名を着せられても、旗本三千石の矜持を持ち続け、与力になり立ての押送人、石川と共に三厩迄の...

ふと、呟いた。御法ができる前は、各自の徳を持って世が成り立っていた。その秩序が儘ならぬから御法が施行されたのだと、青山玄蕃が嘆く言葉か読後にも心に打ち響く。江戸の法のもとで、咎人として冤罪の汚名を着せられても、旗本三千石の矜持を持ち続け、与力になり立ての押送人、石川と共に三厩迄の珍道中記です。当初の青山玄蕃に対する石川の不信感が、道中で出会う各藩の難事件の解決により信頼そして尊敬へと変わりゆく。最後の別れの言葉もまた素晴らしい、青山玄蕃、身も心も、全てがでかい!

Posted byブクログ