ゴリラの森、言葉の海 の商品レビュー
・ふだん、言葉だけじゃないなと感じている部分について、やっぱりそうだよね、という安堵感が得られたように思う ・類人猿の中でも人間が変わっている部分がわかった
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この本もフォローしている方のレビューを読んで面白そう!と思って借りてみた。 霊長類学者の山極寿一さんと小川洋子さんの対談集。 最後は、屋久島でのトレッキング対談…俄然、屋久島に行ってみたくなる。 ヒト科の類人猿(主にゴリラ)と人間が、進化の過程で枝分かれした後、人間は何を得て何...
この本もフォローしている方のレビューを読んで面白そう!と思って借りてみた。 霊長類学者の山極寿一さんと小川洋子さんの対談集。 最後は、屋久島でのトレッキング対談…俄然、屋久島に行ってみたくなる。 ヒト科の類人猿(主にゴリラ)と人間が、進化の過程で枝分かれした後、人間は何を得て何を失ったか…というようなことが、一般人にも分かりやすく興味深く書かれている。 小川さんの質問や合いの手がこれまた絶妙で、我々目線で世界を広げてくださる。 人間の祖先は、自ら新天地を求めて偉大なる冒険に出たのかと思いきや、実は森から追い出されサバンナを放浪するしかなかった…というような話や、言語の獲得が、巡り巡って人間を縛る術になってしまっている…というような話など、初めて知ることばかり。 ゴリラのオスは、ゴリラのオスとしてのみ存在する。人間のオスはオスとしてのみ存在する事は許されず、色々な顔を持たなければならない。という話が印象的だった。 気の毒ではあるが、言語文化を有する人間の性であろうか…。 何年か前にイケメンゴリラ、シャバーニが話題になったけど、ゴリラのオスって、その佇まいから溢れるオーラがハンパない、人間、太刀打ち出来ず…。 一つ前に読んだ本が「脳科学者の母が認知症になる」だったのだが、脳と言語の話など、この本ともリンクする所があり、より深い読書となった。記憶がある内に読めて良かった。2020.4.13
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先に読んだ山極さんの本「ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」」がなかなか面白かったので、続けて手に取ってみた本です。こちらは、作家の小川洋子さんとの“対談集”です。 さて、読み終わっての印象ですが、勝手に一人合点で思っていた(期待していた)内容とはかなり違っていまし...
先に読んだ山極さんの本「ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」」がなかなか面白かったので、続けて手に取ってみた本です。こちらは、作家の小川洋子さんとの“対談集”です。 さて、読み終わっての印象ですが、勝手に一人合点で思っていた(期待していた)内容とはかなり違っていましたね。 もう少し山極さんからの「ゴリラの興味深い生態」の話が聞けるかと思ったのですが・・・。そういった点からいえば、かなり欲求不満が残りました。また、別の本でリベンジしなくてはなりません。 とはいえ、「対話形式のエッセイ」だと位置づけると “組合せの妙” を感じる結構楽しい本ではありますよ。
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京都のとある 街角の学生さん相手の「タイ料理屋」さんで お昼ご飯を、山際さんと一緒にいただいたことがある。 山際さんはタイ・ナンプラーラーメン 私はトムヤンクン・セット どちらも780円だったと思う。 その時に 最近に観た「映画」のお話しを させてもらった 細かなことはほぼ忘...
京都のとある 街角の学生さん相手の「タイ料理屋」さんで お昼ご飯を、山際さんと一緒にいただいたことがある。 山際さんはタイ・ナンプラーラーメン 私はトムヤンクン・セット どちらも780円だったと思う。 その時に 最近に観た「映画」のお話しを させてもらった 細かなことはほぼ忘れてしまったけれど 日本ではない 異国の文化に触れることは やはり興味深いものですねぇ というお話が印象に残っている それと あぁ そういえば と どんな話題にも 興味深いお話を持ってこられて 博覧強記とは 山際さんのような方を言うのだな と印象を強く持ちました。 小川洋子さんとのこの対談集で その時の 口調とトーンを 思い起こしながら 興味深く読ませてもらいました 小川洋子さんの 「単にゴリラの気持ちを代弁できるではなく、 脳のコントロールに支配されない 人間の肉体に刻まれた記憶を読み解ける」 そんな人が山際寿一さんという 表現がなんともお見事! さすが 文学者ですね。
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小川洋子と京都大学の霊長類学者・山際寿一の対談本。 収録された4回の対談の中では、やはり山際さんのガイドで屋久島の森を巡りながらの対談がいちばん印象的。小川さんの意外なアウトドア派な一面も見られて楽しい。 小川さんが聞き手に回る側が多く、『ゴリラの森、言葉の海』の『言葉の海』の色...
小川洋子と京都大学の霊長類学者・山際寿一の対談本。 収録された4回の対談の中では、やはり山際さんのガイドで屋久島の森を巡りながらの対談がいちばん印象的。小川さんの意外なアウトドア派な一面も見られて楽しい。 小川さんが聞き手に回る側が多く、『ゴリラの森、言葉の海』の『言葉の海』の色が薄かったのが少し残念ではあったけれど、下記のような金言や、この対談で得た閃きが小川さんの作品にいつか反映されるだろうという期待感も込めて、帳消しとしよう。 山極さんの「作家を前にして申し訳ないけど、言葉ができてしまって、(感性ではなく)論理が優先し始めたと思うんです」という言葉に対する小川さんの独り言…「いえ、申し訳なく思っていただく必要はないです。言葉の獲得によって人間は、自らを滅ぼすかもしれない道を歩みはじめた。その危険の代償として、他の動物には享受できない、かけがえのない文学の喜びを得たのです。それだけの覚悟で小説は書かれなければなりません。」
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ゴリラ専門家の山極寿一さんに対して小説家の小川洋子さんが様々な問いかけをする形で会話が進むが、小川さん とても事前の準備が凄い.山極さんは自分の研究成果を通常な形で次々と出してくるのだが、それを引き出す小川さんの問いが核心をついている.ゴリラやと人間の違いの事例で面白かったのは、...
ゴリラ専門家の山極寿一さんに対して小説家の小川洋子さんが様々な問いかけをする形で会話が進むが、小川さん とても事前の準備が凄い.山極さんは自分の研究成果を通常な形で次々と出してくるのだが、それを引き出す小川さんの問いが核心をついている.ゴリラやと人間の違いの事例で面白かったのは、ゴリラには年子がいない由.また、ヒト科の動物 人間・チンパンジー・ゴリラ・オラウータンは生物学的に自分の子供かどうかを見分けられないこと.動物的な感覚では未熟児状態で生まれてくる人間を、何人もの協力で育てていた祖先の状況と現代の格差は、子育てに関する様々な問題の原点であるような感じがしている.
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面白かった。山極さんはゴリラの世界に足を踏み入れ人間のことを見る。そこから人間のおかしなところに気付く。小川さんは小説の世界に入って人間界から離れる。「おわりに」で山極さんはこう述べる。「言葉の森と自然の森は似ていることに気がついた。どちらも多様性に富み、それぞれの構成要素がいく...
面白かった。山極さんはゴリラの世界に足を踏み入れ人間のことを見る。そこから人間のおかしなところに気付く。小川さんは小説の世界に入って人間界から離れる。「おわりに」で山極さんはこう述べる。「言葉の森と自然の森は似ていることに気がついた。どちらも多様性に富み、それぞれの構成要素がいくらか見えているのに、そのつながりがよくわからない。森に入る時、道は見えていると思っても、思わぬところで消え失せ、意外なものに出くわし、高みに上ると新しい風景が見えている。どちらの森でも、僕たちはストーリーを求めて彷徨っていることに変わりはないような気がしてきた。しかもそれは、自分のストーリーではない。小川さんは作中の主人公にはなれないし、僕はゴリラにはなれないからである。フィクションの中で自分が作った主人公を歩かせる小川さんも、現実の森でゴリラの後を追いかける僕も、この世界に潜んでいる未知の物語を探しているのである。」 ああ、なんだかまるで生き物好きの夫と物語好きの自分のようだと感じた。わたしたちはストーリーを求めて彷徨っているのかもしれない。 「そう思うと、なぜか意気投合できるような気がしてきて、一緒に長い旅をしてしまった。」
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目から鱗なことが多々あった。 このお二人の対談は新たな発見の連続でした。 言葉が人間を進化させたのではなく、言葉により失ったものもあるというような事も印象的でした。またしばらくして読み直したい一冊。
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なんとも魅力的なお二人 全くイメージが違うのですが 小川洋子さんってもっとインドアかなと 扉の写真が素敵です もちろんそれぞれの言葉にも深みがあって ヒトって何だろう? ≪ 偉そうに してるヒトより ゴリラ・サル ≫
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
想像してほしい。若き霊長類学者と、子どものゴリラが、ぴったりと身を寄せ合っている姿を。安心しきったタイタスは、やがて寝息をたてはじめたらしい。「わたしは、人間以外の世界にも生きていたのである」(『野生のゴリラと再会する』くもん出版)。山極さんはタイタスとの再会を、このように感動的な言葉で表現している。(p.21) 言語の獲得というのは、おそらく人間の進化の中でもとても新しいできごとだから、まだ安っぽいんですよ。でも、対面して見つめ合うのは、おそらく機嫌が古くて、気持ちを通じあわせながら心を共有できるコミュニケーション何だろうと思うんです。相手をじっと見つめるのは威嚇になるからサルにはできない。でもゴリラにはできる。ただ、白目の動きを察知するためには互いにある程度は慣れないといけない。だから逆に、言葉が生まれたのは、この距離を保つためなのかもしれないなと僕は思うんです。意味が最初ではなくて向き合うことが重要だった。(p.41) 言葉を使うというのは、世界を切り取って、当てはめて、非常に効率的に自分の都合のいいように整理をしなおすってことなんです。(p.80) (小川)ゴリラにとっては、子供が殺されたという事実は今と無関係の過去になっていて、そのことに左右されないのですね。 (山極)僕たちは因果というものを非常に大事に思っています。でも、ゴリラにとっての因果論に、過去は含まれません。だから、自分の子どもを過去に殺したから、次に生まれる子どもを殺すかもしれない、とはたぶん思わないですよ。 人間なら、過去にしたことはまた繰り返されるかもしれないから、警戒しようと思います。先ほどの話と同じだけど、過去の蓄積の上に自分があるから、同じ過ちを繰り返すのは愚の骨頂だということになる。過去を参考にして、未来に備えたいと考える。それは動物もある程度やっていることだけど、人間ほど過去にこだわらない。そこが動物と人間との大きな違いです。(p.87) (山極)歩くって考えを浮かべるのにすごくいいですよ。自転車や車に乗っているときは、走ることに神経を集中させなきゃいけないけど、歩くのはその必要がない。だから同時に思考ができる。しかも目や耳にいろんな刺激が入ってきて、その中で考えられる。部屋の中で考えてばかりだと、しかも何もない部屋なら、もう自滅しますね。 (小川)ですから作家をホテルに缶詰にするのは良くない(笑)。ベートーベンでも、ハイリゲンシュタットの森を一日中歩き回っていました。明治の小説を読んでいると、しょっちゅう散歩をしています。約束などせず、徒歩で相手を訪ねていって、留守だったらまた帰ってくる。無為の時間が多いんですね。現代人のわれわれから見れば非効率的な時間の中に生きている。しかしそうした無駄が人間には必要だと感じます。現代社会はそういうものを切り捨てる方向に動いていますが。(pp.120-121) (山極)ゴリラは表裏がないんです。一方人間は表裏ができちゃう。これは宿命ですね。先ほども言いましたが、ゴリラは一元的な集団で暮らしています。だからゴリラのオスはゴリラのオスというだけでいい。そのパーソナリティを崩す必要がない。でも人間は、あらゆるところで変えないといけない。(p.136) (山極)死を特別なものとしてしまったことが、人間の世界観を変えましたね。だからこそ、未来という考え方ができた。未来というのは自分が死ぬまで、あるいは死後のことでしょう。そういう死を基本としたものの考え方は、人間にしかできません。(p.155) (山極)アフリカに「オーファネージ」という動物孤児院があるのですが、サルでもチンパンジーでもゴリラでも、いったん人間の手で飼った動物を野生に戻すのはものすごく大変で、ほとんど成功していないんです。なぜかというと、食べるというのは、子どものころ母親の食べるものから覚えるからなんです。野生のサルが食べるものを。人間が自分で食べてみて、子ザルにそれを見せて覚えさせれば、少しは野生の生活になじむかもしれませんがそれはできません。(p.181) (山極)実はセックスを隠したというのは、人間生活にとってものすごく重要なことなんです。あれをチンパンジーとかゴリラのように人前でやっていたら、今のような高密度に人間が暮らすことはできなかったでしょう。家という隠れられるパーソナルな空間を作ったから、落ち着いていられるのです。(p.195)
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