技術とは何だろうか の商品レビュー
後期ハイデガーの短篇集。やはり難解だった。 人間は世界の中に投げ込まれており、主体や認識は後成的であるというのは、「存在と時間」からも一貫するテーマ。四方界の概念など、あまり論理的必然性を感じられず、試論的側面が強いと感じた。これ自体、「説明する概念」ではなく、「説明衝動を止め...
後期ハイデガーの短篇集。やはり難解だった。 人間は世界の中に投げ込まれており、主体や認識は後成的であるというのは、「存在と時間」からも一貫するテーマ。四方界の概念など、あまり論理的必然性を感じられず、試論的側面が強いと感じた。これ自体、「説明する概念」ではなく、「説明衝動を止めるための概念」だからそれもそのはずか。 警戒するのは、概念化、体系化、原理化、こうしたもの自体が存在を対象化する運動になること。技術的な開示など、開示の様式があり、技術として対象化される時点で、その様式の中にいる。世界が「意味あるものとして立ち現れる」以前にすでに絡み合っている次元があり、後期ハイデガーの「物論」「技術論」は、その仕方にスポットを当てているものと捉えた。
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「建てること、住むこと、考えること」の章があって、集合住宅設計に活かせるかなと思ったけど哲学すぎて何も活かせなかった悔しい…
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哲学の門外漢ですが、ハイデガーの技術論を勉強したいと思い本書を手に取りました。薄い本ですが読み進めるのにだいぶ時間がかかります。しかも1回読んだくらいでは、彼の主張が半分くらいしか理解できていない気もしました。本書では「物」「建てること、住むこと、考えること」「技術とは何だろうか...
哲学の門外漢ですが、ハイデガーの技術論を勉強したいと思い本書を手に取りました。薄い本ですが読み進めるのにだいぶ時間がかかります。しかも1回読んだくらいでは、彼の主張が半分くらいしか理解できていない気もしました。本書では「物」「建てること、住むこと、考えること」「技術とは何だろうか」の3篇が収録されています。(間違っているかもしれませんが)ハイデガーがいわんとしているのは、技術とは(ものであれ人であれ)その本質を現前させることである、ということでしょうか。これを読んで、禅で有名な鈴木大拙がどこかの本で述べていた「自然(じねん)」という概念をふと思い出しました。つまり鈴木大拙風に言えば、存在を自然(じねん)たらしめる行為こそが技術なのでしょうか。 さらに技術には、本書でも指摘されているように創造性も関係します。クリエイティビティの研究者であるチクセントミハイは、自分が好きなことをしているときは、時間に束縛されず、いわゆる「フロー状態」になると指摘しています。もくもくと仏像を彫る彫師、一心不乱に何かを書く小説家などは、ある意味クリエイティブな「物」を作っていますが、まさにその彫る所業や書く所業そのものが、自身のありのままの姿を現前させるという意味で、ハイデガーのいう「技術」なのではないでしょうか。 他方ハイデガーは、近代資本主義によって、これまで論じてきた「技術」とは異なる、単なる道具的な意味の「技術」が一般的になってしまったと論じます。彼は近代資本主義を「総駆り立て体制」(これは名訳だと思います)と呼び、もはや人間が自分の本質に出会う場所などない、と断言します。つまり自分の本質を顕現させるような行為とは全く関係のない労働を多くの人が強いられているということです。その意味では、技術の本来的な意味を取り戻すべき時が来ている、すなわち人々の「ウェルビーイング」あるいはeudaimoniaを実現するものこそが「技術」ということではないでしょうか。
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ハイデガーの『講演と論文』から、三つの講演録が収められている。 物 建てること、住むこと、考えること 技術とは何だろうか
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ハイデガーの短篇は難解。四方界が云々って、言ってることはわかるけどそれを言うことによって何が言いたいのかはよくわからなかった。
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2019年3月13日アマゾンから到着。 薄い文庫本なのに、昔の岩波文庫なみの活字の小ささだった… 価格を抑えるためだったのぽだろうか。これなら試し読みでまえがきだけ読んだKindle本にしておけばよかったと、かなり後悔。 やはり本屋さんで現物を確かめたほうが良さそうだ。
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