吃音 の商品レビュー
吃音を抱える人の深い悩みと、人生の中で続く苦労を知らなかった。吃音を抱える人にたいして上司や先生という立場になる人や、クラスメイトや同僚になる人に、強く勧めたい本です。
Posted by
父親が重度の吃音だったので興味深く読んだ。 父親とはまともに会話すらした事がないけどこの本を読んで何となく今になって内面が垣間見えたような気がする。 死のうの思った事も一度や二度はあったのだろうな。
Posted by
私も吃音持ちで苦労の多い人生を送ってきたため、書中の数々のエピソードは共感の嵐だった。 P23 吃音の苦しみとは、 他者とのコミュニケーションの一端が絶たれること。 吃音は個人差が大きく、個性だとプラスに捉える者もいれば、恥や短所とネガティブに捉えている者もいる。 重度になる...
私も吃音持ちで苦労の多い人生を送ってきたため、書中の数々のエピソードは共感の嵐だった。 P23 吃音の苦しみとは、 他者とのコミュニケーションの一端が絶たれること。 吃音は個人差が大きく、個性だとプラスに捉える者もいれば、恥や短所とネガティブに捉えている者もいる。 重度になるとみじかい言葉でさえ発声に長い時間を要するため、障害者認定を受け、手帳を発行してもらい障害者として生きる道を選択するケースもある。 P74など。 P101 就職面接で吃音症状が出たために落とされた人は少なくないが、原因は全て吃音という訳では無い。 何でもかんでも吃音のせいばかりにしていてはいけない。 その通りだ。 自分も何かにつけて、「自分には吃音があるからだめなんだ」と卑屈になっていた。 壁にぶち当たったとき、直視することから逃げていたのだ。 吃音があっても自分にはこういう長所、強みがある。ということをアピールすることは、吃音の有無問わず誰でもできることだと、あとがきで著者も記している。 また、私の父は吃音者だが、母は非吃音者だ。幼少期に吃音の兆候が出見え始めたころ、母は私のことを心配し地元の小学校に開設されている「言葉の教室」を探して通わせてくれていた。 自身の吃音や息子である私に対して否定的な態度だった父とは対照的に、母は私を見守り、大切に育ててくれた。 しかし、時折私が激しく吃ったときに笑ったり、茶化すような態度をとったこともあり、それらの場面は今も悲哀の思い出として胸に残っている。 ただ、吃音のない人間にとって吃音とはどんなものが理解するのは難しいと、大人になってから思ったのだ。 子供の自分はそれを母に強く期待し、甘えていたのだと。 吃音のある子供への向き合い方に悩む親は多いが、 「息子と共に悩み、考え続ける中でようやく、吃音のあるそのままの息子を、心から愛せるようになった」 とP177の 母親は語っている。 P198〜の吃音改善トレーニングの方法は参考になる。 吃音を不便に感じている当事者は多く、巷には信ぴょう性の不確かな吃音改善に関連する情報が溢れかえっている。 そんな中、自分も少しでも不自由さを無くすために吃音改善に向けて自主トレを行っている。
Posted by
星10個つけたい本!! 私自身吃音に長年悩まされて、 学校での発表、友達や先生と話すときの焦り、うまく喋れないときの周囲の反応への恐怖など、常に感じながら大人になった。 だから自然と無口になり、他の人の顔色を必要以上に気にするようになった。 周りの人はなんで普通に話せるのに、自...
星10個つけたい本!! 私自身吃音に長年悩まされて、 学校での発表、友達や先生と話すときの焦り、うまく喋れないときの周囲の反応への恐怖など、常に感じながら大人になった。 だから自然と無口になり、他の人の顔色を必要以上に気にするようになった。 周りの人はなんで普通に話せるのに、自分にはできないんだろう? 自分がもし、普通に話せるようになったらどんなに楽しい人生なんだろう?と考えたりした。 著者の近藤さんも吃音に悩んでおり、同様の障害を抱える人への丁寧な取材のおかげで、本書にはたくさんの当事者が登場します。 各エピソードは当事者苦悩や葛藤をリアルに伝えてくれるし、吃音とその周辺の問題について、とても分かりやすく過不足なく伝えてくれる近藤さんの文章も素晴らしい。 自分のことを思い返すと、 言葉やコミュニケーションについて、たぶん吃音のおかげで他の人より悩んできた。 言葉やコミュニケーションを武器に仕事をする「教師」という職業を選んだのも、もしかしたら吃音の存在があったからなのかも、と考えたりもします。
Posted by
大事なことは相手を理解しようとする姿勢。 吃音が個性と捉えるか否かは、本人の気持ち次第。周りが決めることではない。 吃音であることは恥ずかしいこと、馬鹿にされることだと、大人が保険のためによかれと思ってあらかじめ本人の意識に植え付けることはときに本人を苦しめる原因となる。 吃音を...
大事なことは相手を理解しようとする姿勢。 吃音が個性と捉えるか否かは、本人の気持ち次第。周りが決めることではない。 吃音であることは恥ずかしいこと、馬鹿にされることだと、大人が保険のためによかれと思ってあらかじめ本人の意識に植え付けることはときに本人を苦しめる原因となる。 吃音を理解しようと思って読みました。とても読みやすかったです。
Posted by
吃音、つまり「どもり」という症状を抱えた人たち。 吃音と言っても色々ある。同じ音を繰り返してしまう「連発」、音を伸ばしてしまう「伸発」、出だしの音が言えない「難発」。 昔から一定数の吃音の人たちがいるが、なぜ吃音が起きるのか、先天的なものなのかどうかなど詳しくはわかっていない。...
吃音、つまり「どもり」という症状を抱えた人たち。 吃音と言っても色々ある。同じ音を繰り返してしまう「連発」、音を伸ばしてしまう「伸発」、出だしの音が言えない「難発」。 昔から一定数の吃音の人たちがいるが、なぜ吃音が起きるのか、先天的なものなのかどうかなど詳しくはわかっていない。年齢とともに吃らなくなる人もいるが、全く解消されない、逆に進行してしまう人もいる。そもそも原因がわかっていないし、決定的な回復法というものも確立されていないのだ。 冒頭に登場する吃音を抱えた高橋さんは、若い頃に吃音に悩み、学校でもいじめを受け、苦しんだ末にマンションから飛び降り自殺を試みる。本人の望みは叶わず、奇跡的に助かり、結果として吃音者として生き続けることになった。 その高橋さんが自殺未遂から二十年近く経って、NHKの「バリバラ」という障害者情報バラエティー番組に出演し吃音者の社会における現実を語った。 それを見た筆者自身も大学を卒業して結婚する頃まで吃音を抱えていた。筆者の吃音はその後解消されてしまうのだが、高橋さんが自殺しようとまで追い込まれた吃音を隠さずに、赤裸々に心情を吐露するところを見て、取材を始めるところから始まる。 高橋さん以外にも、さまざまな年代の吃音者や、その治療法を研究する人々、吃音のために会社や社会から疎外され、自殺をしてしまった肉親を持つ遺族、等々を追う。 吃音は当然目に見えない。当人が話すことを避ければ周囲からも気づかれない。ましてや原因もわかっておらず、日本ではかつては「どもりを真似する事で習慣化されたもの」と認識されていた時期もあり、訓練すれば治ると考えられていた経緯もあり、中々理解が進まないという状況にあるらしい。 自分の身の回りでも吃音を持つ人は数名いた。 彼や彼女がそれをどう思っていたかはわからない。 しかし、例えば電話がかかってきてもうまく受け答えができる自信がなく、しかし応対できなければ仕事としては失敗になるし、解雇されかねないという状態で、電話番を任されて、電話がいつなるだろうかと思いながらいるのはすごいストレスだろう。 流暢でなくてもいいから、自分が思うように自由に喋るという事が、こんなに苦しくて、それでも叶えてみたいという希望を持ちたい人たちがたくさんいるのだ。
Posted by
吃音者の赤裸々な生の声が語られているといった内容。 吃音は個性の一種と割り切って受け入れられる人もいれば、本書で取り上げられている人たちのように吃音に苦しみ、克服したいと切に願っている人もいる。正直、この本を読むまでここまで深刻な問題だとは想像してはいなかった。 吃音の原因が未...
吃音者の赤裸々な生の声が語られているといった内容。 吃音は個性の一種と割り切って受け入れられる人もいれば、本書で取り上げられている人たちのように吃音に苦しみ、克服したいと切に願っている人もいる。正直、この本を読むまでここまで深刻な問題だとは想像してはいなかった。 吃音の原因が未だ解明されず、根本的な治療法も確立されていない。しかし、他社とのコミュニケーションに関わる問題に直結してしまうので、社会で自立した生活を送るのに支障をきたす面が多い。この曖昧な状況の中、活路を見出そうと前進を続ける話には心打たれた。 過去の自分も含め、どもってしまってうまく喋れないのは個人の怠惰ややる気の問題と片付けてしまう社会が今まではあったのだろう。当事者・周りの人々による相互理解を深めようという取り組み、姿勢が大切なのだと切に実感。まずは、自分自身の認識を正しく持てるよう精進していきたい。
Posted by
ビブリオバトル(テーマ「音」)にて紹介させていただきました。 身近にいそうであまり考えたことがなかった、吃音 を抱える人々の苦悩。 ディスカッションタイムで、改めて当事者が暮らしやすい社会になるにはどうすればいいか、参加者全員が考えるきっかけになりました。
Posted by
著者はとても優しい人なんだろうなあ 読んでいて只々辛くなる話もあったけど 繰り返してはいけないというご家族の意を汲んだんでしょう 僕も毎日の様に軽くどもります このコロナ禍ではめっきり行かなくなりましたが 呑み会で初対面の方々に囲まれると言葉を発せなく事もあり、僕は吃音持ちなの...
著者はとても優しい人なんだろうなあ 読んでいて只々辛くなる話もあったけど 繰り返してはいけないというご家族の意を汲んだんでしょう 僕も毎日の様に軽くどもります このコロナ禍ではめっきり行かなくなりましたが 呑み会で初対面の方々に囲まれると言葉を発せなく事もあり、僕は吃音持ちなのかな?と日々悩んでます しかし本書にも書かれていた通り、僕にとってもこの症状は色んな意味で曖昧なんですよね 普通な時は普通ですし もちろん僕の場合は軽め中の軽めなんでしょうが 一番は何事に対しても思いやりと察しが有る社会になれば良いのに そして当事者も理解を得られる様に行動をしないとね そして僕も思いやる事が出来る優しい人になろう
Posted by
正直なところ、吃音について考えたこともなかったし、吃音で苦しみ悩んでいる方のことも想像したこともなかった。この本を読んで良かったと思う。 吃音に限らず、最近、人の心の中の苦しさや悩みはなかなか他人にはわからないものだと感じている。恵まれた美貌と才能に溢れる華やかな芸能人の死につい...
正直なところ、吃音について考えたこともなかったし、吃音で苦しみ悩んでいる方のことも想像したこともなかった。この本を読んで良かったと思う。 吃音に限らず、最近、人の心の中の苦しさや悩みはなかなか他人にはわからないものだと感じている。恵まれた美貌と才能に溢れる華やかな芸能人の死について考えたり、自分自身のことを考えたりしても、表面に見えないところで辛い思いを抱えている人は思っている以上に多いのだろう。 著者の近藤雄生さんは「遊牧夫婦」の人(読んでないけど)という認識だった。対談を最前列で聞いたこともあるのだが、まさか吃音で悩まれていた過去があるなんて。その驚きも読むきっかけになったように思う。 自分の知らないところで、自分が想像できないほど悩んだり苦しんだり人がいることを忘れないようにしながら毎日を送っていきたい。
Posted by