「空気」の研究 の商品レビュー
日本人がどのような社会に生きているのか教えてくれる一冊。自分が納得する選択をする上でなぜ空気に拘束されるのか知っていると対策も出来る。
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山本七平の名著。40年以上経って、当時とは状況が変化しているけれど、日本人の世間の空気を読む能力は変わらない。政治もメディアも空気を読んで動いている。その空気を読んで、人が動く。みんな昔から知っていた事だけど、それを考察して本にした功績はあると思う。
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※このレビューにはネタバレを含みます
内容が難しく読みにくい箇所もあったが、印象に残ったところは以下。 戦争直後に軍部に抵抗した人として英雄視された多くの人は勇敢にも当時の「空気」に「水を差した人」であった。 「竹槍で醸成された空気」に「それはB29に届かない」という「事実」を口にしただけである。 戦後最も強く「空気」の拘束をうけ続けてきたのが共産党だったと思われる。「空気」は火炎瓶闘争も生んだし山村工作隊も生んだしそれに類する様々な行動を生んだ。 空気と水なしに人間が生活できないように、「空気」と「水」なしには我々の精神は生きていくことができない。 「自由」について語った多くの人の言葉は結局「いつでも水が差せる自由」を行使しうる「空気」を醸成することに専念している。
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日本人特有の空気。 何より水をさすの水の話も面白い。 太平洋戦争だけでなく、西南戦争の話は必読です。
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日本人論の名著?空気によって支配されるのは、日本固有の現象なのか? 【感想】 なぜ、日本では、空気によって支配され、空気によって意思決定を行うのか?そのメカニズムついてのエッセイ。「研究」と銘打ってあるが、作家である山本氏の著書であり、論文や研究の本ではない。そのため、著者の...
日本人論の名著?空気によって支配されるのは、日本固有の現象なのか? 【感想】 なぜ、日本では、空気によって支配され、空気によって意思決定を行うのか?そのメカニズムついてのエッセイ。「研究」と銘打ってあるが、作家である山本氏の著書であり、論文や研究の本ではない。そのため、著者の得意分野である宗教、文化論、からこの「空気の支配」を説明する。読みながら、そこに違和感を感じてしまった。「日本人は空気によって支配される」ということを主張するが、社会心理学や行動経済学からみれば、そうも限らないのではないかと。空気によって支配されるのは、ヒト全般にみられる、普遍的な行動なのではないの?という私は考える。 著者は、まず「空気によって支配されている日本人」という現象を取り上げる。その後、その現象の原因を、日本特有の文化や歴史の中に求めていく。確かに、その説明自体は筋が通っている。聖書は世界を相対的に把握するのに対し、アミニズムの文化では全て一元的になる、などの説明がある。ただ、別にこれらの行動の現象の説明は、宗教や文化以外からも解説できるだろうし、そちらの方が科学的に信用できるだろうと思ってしまい、筆者の論にのめりこめなかった。 加えて、この筆者の宗教論とか政治論とかの説明が極めて難解なのが辛い。当時の時代を知っているものではないと理解できない事例紹介を連発するものだから、とても読みづらい。ある程度のキリスト教や神学、共産党の知識が無いと読み解けないケースや文章が多い。その難解さが、本書による説得力を下げている(少なくとも、私にとっては)。その時代にホットであったであろう事例を使って解説をする文も多く、発刊から30年以上たった今では、著者がどういう意図を持っているのかもい読みづらい。 本書を読んで、「日本人は文化的、歴史的に鑑みて、空気の影響を受けやすいのかもしれない」とは思ったが、「日本人は空気に支配されやすく、キリスト教圏のアングロサクソン系民族はそうではない」とまで合点することはできなかった。 【本書を読みながら気になった記述・コト】 ■>>人は、何かを把握したとき、今まで自己を拘束していたものを逆に自分で拘束し得て、すでに別の位置へと一歩進んでいるのである。人が「空気」を本当に把握し得たとき、その人は空気の拘束から脱却している。 ■>>天皇は人間宣言を出した。だが、面白いことに明治以降のいかなる記録を調べても、天皇家が「自分は現人神であるぞよ」といった宣言をだした証拠はない。従って「人間宣言」を出すべき者は、現人神だと言い出した者であっても、現人神だと言われた者ではないはずである。これは、警察がだれかを間違って犯人だと言ったら、これを否定する義務は警察にあるのであって、間違われた人間にあるのでないのと、同じ理屈であろう。だが、奇妙なことに現人神だと言い出した人間を追求しようというものはない。(中略)天皇制とはまさに典型的な「空気支配」の体制だからである。 ■>>「経済の発展」と「公害問題」という相対立するものを対立概念で捉えることを拒否し、相対化されていた対象を、一方を削除することにより、「公害」の方を絶対化して、これを臨在感的に把握して、「熱しやすい」すなわちブーム的絶対化を起こした ■>>あらゆる事実は状況に対応するのだから、その"真実"が事実になるように情況を設定すればよい、いわばゴムの尺度を事実の方に合わせればよいわけである。 ■>>「『空気』の研究」とともに、これまで記してきたことは、一言でいえば日本における拘束の原理の解明である。 【本のエッセンスを抽象化すると】 日本人は周りの意見に忖度して行動する。「周りの意見」のことを「空気」と呼び、直接的に他人のせいであることを言わない ※筆者はこのように書いていないが、自分なりに解釈するとこういうことだと思う。筆者は空気のことを虚構と書いているが、私なりに平易に言い換えると「他人の意見」である。
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読書会課題本。あまり論理的にカッチリした文章ではないが、独特な説得力があって面白く読めた。取り上げられている事例が古くてわかりにくい印象を受ける人もいるだろうが、本書の考察は今のコロナ禍を言い当てているようにも感じる。いろんな意味で日本社会って変わってないなと思う。
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最初のうちはまだ理解できる話であったが、後半聖書が絡むあたりになるともう理解が出来なくなってしまった。 例を用いてわかりやすい部分もあったので「空気」という考え方は何となくであるが理解はできた。水を差すということも併せてなるほどという感じ。 根本的に、空気とは何で、どう克服す...
最初のうちはまだ理解できる話であったが、後半聖書が絡むあたりになるともう理解が出来なくなってしまった。 例を用いてわかりやすい部分もあったので「空気」という考え方は何となくであるが理解はできた。水を差すということも併せてなるほどという感じ。 根本的に、空気とは何で、どう克服すれば良いのかが結局よくわからないまま終わってしまった。何度も読まないとわからないのかもしれないが、すぐ再読する体力は今のところない。 空気に呑まれず水を差す事も必要なのか。もしくは空気に呑まれる事を理解し、冷静に考える事が大事ということか。そういう民族である事をよく理解する事が大事か。
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『「空気」の研究』 評論家の 山本七平 氏の著書です。 1983年に刊行された本の復刻盤になります。 本書の内容は、以下のようになります。 日本で拘束力をもつ「空気」とは? ・非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」 ・論理的判断より空気的判断が優先される 例)...
『「空気」の研究』 評論家の 山本七平 氏の著書です。 1983年に刊行された本の復刻盤になります。 本書の内容は、以下のようになります。 日本で拘束力をもつ「空気」とは? ・非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」 ・論理的判断より空気的判断が優先される 例)戦艦大和の特攻、日本版マスキー法など 発生のメカニズムは、以下による ①対象の臨在感な把握 物に何かが宿るといった歴史観的把握 ②感情移入 感情移入だと考えない、日常化・無意識化 「空気」の利用事例としては、西南戦争が好例である。 この「空気」は一神教の国では発生しづらく、日本のようなアニミズムで発生しやすい。 空気を壊すには、「水=通常性」を差すことが必要である。 しかし、水を差す通常性は、一君万民・状況倫理をもたらし、結果的に空気支配に到達する。 結局のところ、日本はこうした「虚構の支配機構」でなりたっている。 以上より、日本的根本主義(ファンダメンタリズム)を考えた場合、次のような結論に至る。 状況を臨在感的に把握し、それによってその状況に逆に支配されることによって動き、これが起る以前にその状況の到来を論理的体系的に論証してもそれでは動かいないが、瞬間的に状況に対応できる点では天才的。 人は未来に触れられず、未来は言葉でしか構成できない。しかしわれわれは、この言葉で構成された未来を、一つの実感をもって把握し、これに現実的に対処すべく心的転換を行うことができない。 【本書で学べること・考えること】 ・空気とはなにか? ・どのように醸成されるか? ・なぜ、空気の支配から逃れられないのか? 読んでみての感想です。 この本の出版は1983年と約37年前です。 最近の日本を見るとこの「空気の支配」が更に加速しているように思います。 コロナ禍での対応などをみても、SNSの状況を見ても・・・ 「空気を読め」という圧が強まっているように思えます。 面白いのは、著者の論によれば、「企業などは一種の鎖国状態に陥り、私的信義に基づく忠誠を醸成し強固にしていく。」とあります。 いわゆる、ガラパゴス状態を予見しているように思えます。 グローバル化という流れは、日本人にはなかなか馴染めないようで、苦戦はしばらく続きそうですね。
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場の「空気」を読むことが、西欧に比べ、日本人社会には強く存在するといわれる。最近でいえば、官僚組織の中で、上席から支持されていなくとも「空気」を読み「忖度」する。ということが、組織の中で、当然とされているように思われる。 昭和時代の作品ではあるが、ジャーナリストの口などから、...
場の「空気」を読むことが、西欧に比べ、日本人社会には強く存在するといわれる。最近でいえば、官僚組織の中で、上席から支持されていなくとも「空気」を読み「忖度」する。ということが、組織の中で、当然とされているように思われる。 昭和時代の作品ではあるが、ジャーナリストの口などから、よく引用される作品であるため、通読してみた。昭和50年代の社会情勢(学生運動、ロッキード事件など)を理解していない世代には、読みにくい部分もある点には注意が必要である。 「空気」とは、何なのか。また、日本人が「現人神(である天皇陛下)と進化論(天皇もまた、猿の子孫であるという考え)」を違和感なく、信じていたことについての分析が西欧における対比とともに丁寧に書かれている。筆者は、キリスト教徒にもかかわらず、客観的にそのあたりを論述している点は興味深かった。 現在、連日報道されるコロナ禍で揺れる国内の現状や、ここ数年の政権と官僚間で繰り広げられる「空気」「臨在観的把握」を客観的に理解するうえで、有益な示唆を得られたように思う。
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公害、差別、いじめなどの問題に対してその事象そのものを絶対悪として消滅せしめんとすると空気というベクトルが生じて正常な判断に至れませんよというお話。 事象は相対的に捉えなければそもそもなんの解決にもならないのである。 差別はいけないけれど、なぜ起こってしまうのか、人間的な性なのか...
公害、差別、いじめなどの問題に対してその事象そのものを絶対悪として消滅せしめんとすると空気というベクトルが生じて正常な判断に至れませんよというお話。 事象は相対的に捉えなければそもそもなんの解決にもならないのである。 差別はいけないけれど、なぜ起こってしまうのか、人間的な性なのか、だとすれば妥協点はどこなのか等々... 昨今の政治団体やその他諸々の運動家達の主張が陳腐であるのはまさに相対化をしていないからではないだろうか。
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