日本の同時代小説 の商品レビュー
あらすぢ紹介本 いちいち本とあらすぢを取りあげれば、さういふ時代もあったかと思はなくもないです。 しかし、いかんせん傍證、状況證拠で確信には迫らない。海外旅行記をポスト私小説として扱ふのも、実情に則してゐないとかんじる。それならエッセーはみな私小説になってしまふ。 日本では...
あらすぢ紹介本 いちいち本とあらすぢを取りあげれば、さういふ時代もあったかと思はなくもないです。 しかし、いかんせん傍證、状況證拠で確信には迫らない。海外旅行記をポスト私小説として扱ふのも、実情に則してゐないとかんじる。それならエッセーはみな私小説になってしまふ。 日本では私小説の伝統があるので、ノンフィクションとフィクションの境が曖昧言説も耳タコ。んなわけあるか。海外にも似たのはある。 一方で、純文学と大衆文学とに区別があるか問題では「ある」の立場を取ってゐる。まあこれは妥当だ。
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1960年代から2010年代までの純文学を中心に日本文学の流れを解説している一冊。文学について論じた岩波新書の『日本の近代小説』は戦前の日本文学がメインのため、戦後の文学について論じた手軽に読める新書判の本は多くはない。そのような状況のなかで、斎藤美奈子さんがこの新書を出版した。...
1960年代から2010年代までの純文学を中心に日本文学の流れを解説している一冊。文学について論じた岩波新書の『日本の近代小説』は戦前の日本文学がメインのため、戦後の文学について論じた手軽に読める新書判の本は多くはない。そのような状況のなかで、斎藤美奈子さんがこの新書を出版した。 1960年代以降の現代日本文学は多くの流れの中で存在し、このような簡潔にわかりやすくまとめられた本がなければ、現代日本文学を俯瞰することは難しいと感じる。 この本を読んで完全に自分のなかに落とし込むことはできてはいないが、大方は現代日本文学の流れをつかむことはできたと考える。
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10年ずつ区切られた、その当時の文学のかたち。 1960年代 知識人の凋落 1970年代 記録文学の時代 1980年代 遊園地化する純文学 1990年代 女性作家の台頭 2000年代 戦争と格差社会 2010年代 ディストピアを超えて 相変わらず読書量も凄ければ、分析力もハンパ...
10年ずつ区切られた、その当時の文学のかたち。 1960年代 知識人の凋落 1970年代 記録文学の時代 1980年代 遊園地化する純文学 1990年代 女性作家の台頭 2000年代 戦争と格差社会 2010年代 ディストピアを超えて 相変わらず読書量も凄ければ、分析力もハンパない。 知らないことを読めば「ふむふむ、そうか」と思い、知ってる部分を読めば「そうでしょうとも」と膝を打つ。 子どもの頃の私は学校にある子ども向けの世界文学全集を読み、そのほか中学生くらいまでは海外のミステリを中心に読み、高校生でSFにハマり、同時代小説を読み始めたのは子どもが小学生になった頃からだった。 というわけで、この本に関して言えば、1990年代以降からしかピンとこないのが実態。 それはつまり、出版不況が始まってからなんよ。 そんな中、ある程度時代を代表する作家だったり、世の中の確信を作用の作品はたいてい網羅しているのに、西加奈子がなかったなあ、と思いました。
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「1960代 知識人の凋落」から「2010年代 ディストピアを超えて」のように10年ごとに、当時の社会状況の中で小説がどう変ってきたかという目線で数々の小説を紹介する。 登場する400人以上の作家の小説には大家の名作や人気作家のベストセラー作品も多く含まれるが、媚びずに容赦がない斎藤美奈子の評論は相変わらず切れ味が抜群。 新たな視点を知り再読したくなったり、これは読みたいと思わされる小説があまりに多すぎて困った。 #日本の同時代小説 #斎藤美奈子 #岩波新書 #読書 #読書記録 #読書記録2023
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中村光夫「日本の近代小説」「日本の現代小説」は若い頃,人に紹介されて読んだ.その後継を目指して書かれた本書.著者は56年生まれ.同時代小説は1960年台から始まる.(わたしの同時代小説は1970年代から.ブクログでもカテゴリ分けしてる.) 目次を見るだけで内容がわかるような感じ...
中村光夫「日本の近代小説」「日本の現代小説」は若い頃,人に紹介されて読んだ.その後継を目指して書かれた本書.著者は56年生まれ.同時代小説は1960年台から始まる.(わたしの同時代小説は1970年代から.ブクログでもカテゴリ分けしてる.) 目次を見るだけで内容がわかるような感じ. 1. 1960年代 知識人の凋落 2. 1970年代 記録文学の時代 3. 1980年代 遊園地化する純文学 4. 1990年代 女性作家の台頭 5. 2000年代 戦争と格差社会 6. 2010年代 ディストピアを超えて たくさんの作家と小説を紹介しているのでいささか急足だが,小説の視点からうまく時代の空気を掬い上げている. 私が現役で読んだ小説が出てくる 1980年代から,現代小説に興味をなくす1990年代前半までの記述が懐かしい.今思えば空虚ではあるが,幸せな気分もあった. 少なくとも小説家からみて2000年以降の日本社会はそうとうひどい.(まあ現実にも気分が悪いことは多い.)しかし著者も言う通り,「厳しい時代に,厳しい小説なんて誰も読みたくない」(p.259) . そう考えると文芸評論家でもない私が2000年以降の小説を読む無理して読む義務もないわけだ.
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小説は社会を映すことがよく分かった。社会風俗とその時代の代表作を結びつける筆致が巧み。これまで、小説は古典を優先してきたけど、今後は積極的に現代作家を読みたいという気持ちにさせられた。各論で言えば、私小説の系譜とポストモダン系は読む価値がないと思ったが、現代におけるプロレタリアー...
小説は社会を映すことがよく分かった。社会風俗とその時代の代表作を結びつける筆致が巧み。これまで、小説は古典を優先してきたけど、今後は積極的に現代作家を読みたいという気持ちにさせられた。各論で言えば、私小説の系譜とポストモダン系は読む価値がないと思ったが、現代におけるプロレタリアートの系譜は読んでみたい。
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小説のようなスタイルで書かれたノンフィクション、つまり物語 性をもった事実の記録が生まれたのが1970年代。その後、私小説と いうジャンルが幅を効かせていた時代から、多様な書き手による相 対化の時代となる1980年代には、文化の担い手であったオトナの男 の対極として「少女」がクローズアップされるようになった。そし てジェンダーという媒介が挿入され、鮮度の高いポストモダン文学 として1990年代には女性作家が台頭するようになっていった。 私が成人するまでの時代は、小説の書き手が多様化した頃にあた る。世代でモノを語る風潮があるが、同時代小説の感性の持ち主は、 世代を超えていけるのだ。そんな小説の魅力を感じる一冊。 ◎3つのキーワード ・記録文学 ・遊園地化 ・女性作家 ◎3つのセンテンス 1番目:「小説のようなスタイルで書かれたノンフィクション」は「次の一手」としての意味を持ったはずです。 2番目:もう一つはやはり「脱近代」との関係です。近代の文化の担い手が「オトナの男」である以上、「コドモの女」の視点が導入されること自体、文化の相対化につながります。 3番目:女性作家のポストモダンは、ジェンダーという媒介項が挿入されている分、鮮度が高かった。
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非常に面白く、興味深かった。「同時代小説」を俯瞰的な視点で分析し、特徴を抽出することがいかに難しいか、ちょっと考えてみればすぐわかる。その困難に果敢に挑んだ本書、なるほどねえ、言われてみればその通りとうなずくことしきり、さすが斎藤美奈子さん。 60年代から10年ごとに、売れたり...
非常に面白く、興味深かった。「同時代小説」を俯瞰的な視点で分析し、特徴を抽出することがいかに難しいか、ちょっと考えてみればすぐわかる。その困難に果敢に挑んだ本書、なるほどねえ、言われてみればその通りとうなずくことしきり、さすが斎藤美奈子さん。 60年代から10年ごとに、売れたり話題になったりした作品をとりあげ、そこに刻印された「時代の空気」を鮮やかに読み解いていく、その切れ味に唸ってしまう。文学というのは、現実から遊離した場所で行われる営みのように思ってしまいがちだが、なんのなんの、本書を読むと、これほど「時代」の要請によって創り出されたり読まれたりするものなのかと、目から鱗が落ちる思いだった。 また、自分の読書歴を振り返るという点でも実に面白い。教科書的な「名作」ではなく、まさに「同時代」のものとして読んだ作品の数々。はっきりそう感じた最初のものは、高校生の時、刊行後しばらくしてから読んだ「赤頭巾ちゃん気をつけて」だった。それから2000年あたりまではここに出てくる作品の多くを読んでいたのだが、それ以降は急に未読のものが増える。そうだ、この辺で自分の趣味嗜好が固まって、手当たり次第に読んだりしなくなったんだなあ。特に最近の小説がどうも苦手で敬遠してしまうのは、やはり自分が旧世代に属するようになって、作家の問題意識を共有しにくくなっているからなのだろう。 多くの作品について内容が簡単に紹介されているのも嬉しいところ。食わず嫌いはやめて、気になったものを読んでいこうかと思う。 オマケ 美奈子姐さんおなじみの啖呵は、ここでは控えめ。それでも村上春樹へのピリッとした批判や、セカチューとか百田のベストセラーをバッサリ斬っているところなんか、やっぱり痛快。
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読んでいて、非常に濃い時間を過ごし愉しかった。本好きと称しつつも、如何に偏っているかを知ったし、「読めない時期」が結構あって、意外と知らない作家、作品が多いのも解った。 自身が「純文学は嫌い」とかねてより思っているし、今も変わらないのだがその中でも少しは読んできたつもり。純文学に...
読んでいて、非常に濃い時間を過ごし愉しかった。本好きと称しつつも、如何に偏っているかを知ったし、「読めない時期」が結構あって、意外と知らない作家、作品が多いのも解った。 自身が「純文学は嫌い」とかねてより思っているし、今も変わらないのだがその中でも少しは読んできたつもり。純文学に有る「オープンエンド」が好きというせいもある。ヘタレの知識人から始まったというそのルーツの表現法に納得。 同時代文学史とは言い過ぎと感じたのは、そう行ってしまうと「思想史」に通じてしまいかねない事。 それにしては、1960年からの諸々の動きを俯瞰し、見つめ切れているかと簡単に攻撃を食らいそう(そういった流れが好きな人が多いし)とは言え、2000年までがもはや【現代史】と語り始められている今ではタイムリーと捉えられる。しかも女性の口から言われているのはとても好ましい。 やるなぁと言った感慨。 2010年まで、2010年からと大きく分けて語っているのが多論沸騰の可能性を持たせて愉しい。 少年犯罪・DV・格差社会・不倫・母子家庭・キャリア小説等といった食料を糧に書き手が広がり 増えたこの時期。小説は弱者や敗者に敏感という言い方にも納得。 そして今は ディストピアの時代という今、それだけかという気がしないでもない。 しかし、リーマンショックがもはや甘いと言われ、コロナ時代のビフォーアフターがテーマになるのは論を待たぬと言えよう。 女性作家の台頭は認めつつも、ファンタジー、カルチャー、BL,LGBTとひとくくりにできないのがその中身。性差を越えての語りが待たれる。 戦争~イライラ戦争を経ていま、日本の小説も国際化多国籍化は留まるところを知らない。いつ、どこが紛争の場となるのが解らないのだから。 ラスト「1960年は文字通り、航海記」だったがこれからの次代もそうなってほしいと結んでいるのは同感。
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1960年代〜2010年代までの小説を 時代背景ととも分析。 近代日本文学(〜1950年代)は「ヤワなインテリ」がいつまでも悩んでいるヘタレども。 60年代 大学進学率上昇に伴う 知識人の凋落 70年代 公害問題等による 記録文学の時代 80年代 バブル経済 遊園地化する純文学...
1960年代〜2010年代までの小説を 時代背景ととも分析。 近代日本文学(〜1950年代)は「ヤワなインテリ」がいつまでも悩んでいるヘタレども。 60年代 大学進学率上昇に伴う 知識人の凋落 70年代 公害問題等による 記録文学の時代 80年代 バブル経済 遊園地化する純文学 90年代 バブル崩壊後 女性作家の台頭 00年代 9.11.リーマンショック 戦争と格差社会 10年代 3.11以降 絶望的ディストピア 芥川賞受賞した芸人さんのあの作品も往年の私小説に近い自虐的なタワケ自慢と貧乏自慢と一刀両断。 市場縮小も著しく、新しい表現による小説は なかなか厳しい時代のようです。
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