文系と理系はなぜ分かれたのか の商品レビュー
文系と理系の区分が立ち上がる経緯を追う。 理系と非理系、その中がさらに分化して社会科学と、最後に人文科学が括りだされた、ということらしい。 ここに実学と虚学、儲かるか儲からないかという対立軸が重ね書きされて、社会の評価軸が揺れ動く。 こういうプロセスを、証拠を押さえつつ書いてい...
文系と理系の区分が立ち上がる経緯を追う。 理系と非理系、その中がさらに分化して社会科学と、最後に人文科学が括りだされた、ということらしい。 ここに実学と虚学、儲かるか儲からないかという対立軸が重ね書きされて、社会の評価軸が揺れ動く。 こういうプロセスを、証拠を押さえつつ書いていくのは大変なことだろうと察せられる。 面白いと思った指摘もいくつもあった。 博士人材の活用。 戦後の高度成長期、大学と企業はムラ社会的ネットワークでつながっていたために、博士の就職にもつながり、企業での開発力向上にも益があったという。 これがなくなっていったところで、博士の就職難と、企業でのイノベーションが生まれなくなって現在に至る、というのは皮肉なこと。 しかし、これからどうしていくかということへの提言は、この本にはない。 もう一つは、専門分野の分化とタコツボ化への批判が、意外な落とし穴を生むこと。 これは昔から繰り返されてきた議論でもあるようだが、その反動の一つに還元主義があるとのこと。 これは社会学が心理学に、心理学が生物学に、生物学は化学に、そして化学は物理学にと還元され、科学の統一性を謳うというもの。 これが政治的な権威を求める動きとリンクすると危険だということだった。 最後の方に書かれる、シチズン・サイエンスやアクション・リサーチの試みが生まれてきた件は、面白かった。 これも進んでいったらマイナス面も見えてくるのだろうけれど、国の施策に振り回されない研究ができる可能性を積極的に評価するといいんではないかしらん?
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日本の文系と理系モンダイについての本ではなく、文系と理系、社会科学・人文科学・自然科学の由緒の話についての本。星海社新書なのに中身はけっこう硬い
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自分はいわゆる“文系学部”に所属している大学教員で、担当している専門科目も文系にカテゴライズされている。一方、研究ではデータ解析を欠かすことはできず、ゼミ教育でも統計に力を入れている。つまり、“文系”でありながら教育・研究に“理系”の要素を欠かすことはできない。 さらに、昨今頻...
自分はいわゆる“文系学部”に所属している大学教員で、担当している専門科目も文系にカテゴライズされている。一方、研究ではデータ解析を欠かすことはできず、ゼミ教育でも統計に力を入れている。つまり、“文系”でありながら教育・研究に“理系”の要素を欠かすことはできない。 さらに、昨今頻繁に耳にする文理融合にも強い関心を持っている。 こんな背景から、書店でタイトルに目が止まり興味を持ったので、購入して読んでみた。 本書は科学の歴史を、とりわけ文系と理系の分離という観点から俯瞰したものである。 文系と理系がいつ分かれたのかということを、ピンポイントで特定するのはそもそも不可能だろう。本書でもはっきりとは書かれていない。 しかし、欧米諸国と日本、いずれも科学研究が高度化・専門化したあたりから文系と理系が分かれるようになったというのは読み取れる。欧米の場合はおそらく18世紀中頃だろう。 筆者は後半で文理融合にも触れているが、現実を見ると、文理融合に関心を持つ大学は少なくなく、実際に文理融合学部を設置する大学も出てきている。 一方で、筆者も指摘している通り、そもそも自然科学と人文社会科学とでは人間の捉え方が根本的に異なるため、文系と理系が完全に融合するのは容易でないし、そもそもその必要はない。 必要に応じて学べば良いと思う(もちろん、文系の人間が理系の学問を学ぶことや理系の人間が文系の学問を学ぶことは大切だし、必要なのは言うまでもない)。
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序盤の歴史的な学問の分類の変遷は非常に興味深かった。 しかしながら、読み進めるに従い、常日頃から自分が持っている、理系文系の不毛な境目無くしたいという気持ちが盛り上がってきてしまった。 文系理系が分かれた経緯はともかく、戦略的に教育ステップを検討し直したい。あくまでまずは個人的に...
序盤の歴史的な学問の分類の変遷は非常に興味深かった。 しかしながら、読み進めるに従い、常日頃から自分が持っている、理系文系の不毛な境目無くしたいという気持ちが盛り上がってきてしまった。 文系理系が分かれた経緯はともかく、戦略的に教育ステップを検討し直したい。あくまでまずは個人的に。
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ここ数十年、英語や仏語の議論で、学問の諸分野を二分して論じることが増える一方、教育やイノベーションには理工系と人文系学問の双方が必要という議論もある。既存の文系・理系の分裂がどのようにでき、人生や社会制度とどう関わり、学際化している現状に触れる。 分けることの是非や、よりよいあ...
ここ数十年、英語や仏語の議論で、学問の諸分野を二分して論じることが増える一方、教育やイノベーションには理工系と人文系学問の双方が必要という議論もある。既存の文系・理系の分裂がどのようにでき、人生や社会制度とどう関わり、学際化している現状に触れる。 分けることの是非や、よりよいあり方を考えていくための基礎として、二分に至る歴史的な事実とその流れが示されていました。
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大変興味深かった。学問の歴史にはじまり、学問自体の熾烈な生存競争が書かれているが、筆者は常にそれを一歩引いた目線で語っており、その姿勢が印象的だった。語り口もやさしくとても読みやすかった。 結局生き物の一人勝ちが良くないように、学問の一人勝ちは良くないのではと感じた。理系と文系のどちらが優秀か、という問いではなく、なぜわかれたか、という本書の問いの立て方自体が筆者の立場を代弁している。完璧な生き物がいないように、完璧な学問も存在しえない。お互いが相互に補い合って完璧をめざす、間違っていても中立な立場でもいいから、議論はすべきで対立を恐れて口をつぐむことの方が問題だという言葉に勇気づけられた。理系と文系の人たちがぶつかってこなかったこと、議論が十分にされていないことが問題だと述べられている。 それ以外にも随所に議論のきっかけとなりそうな糸口がたくさんあって、読み応えもあるし思想のヒントになる刺激がもらえて、非常におもしろかった。ただ、学際的なことやこれから学問に興味を持った一般の人への次のステップが何か提示されていればな、と思った。とにかく面白かった。だからこそ、面白かった、で終わりにしたくないと思った。
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文系理系と当たり前のように使われてきた言葉を丁寧に解説し、そしてその背景、未来を語る興味深い書籍だった。ただ、どうしても内容的に多岐にわたってしまうぶんどことなく薄いものに感じてしまった。
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一般的に、日本では高校時代に理系・文系を選択します。その選択に戸惑いを感じたことはありませんか?そんな人は是非読んでみてください。きっと興味深く読めるはずです。
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日本では大学の専攻を「文系」「理系」に分けるのが一般的である。理系を目指すか文系を目指すかで、受験勉強の内容も変わる。 だが実は、この二元的な分類は日本特有のものである。アメリカでは主専攻のほかに副専攻を選ぶことができ、文・理を超えた自由な選択が可能な場合もある。フランスの大学入...
日本では大学の専攻を「文系」「理系」に分けるのが一般的である。理系を目指すか文系を目指すかで、受験勉強の内容も変わる。 だが実は、この二元的な分類は日本特有のものである。アメリカでは主専攻のほかに副専攻を選ぶことができ、文・理を超えた自由な選択が可能な場合もある。フランスの大学入試バカロレアは、人文系、経済・社会系、科学系の3つに分かれている。 日本では、いつ、どのように、この「文系」「理系」の区分が生まれていったのか。 本書は、西欧における諸学問の成立や日本の近代化の過程をたどることで、その歴史的背景を探り、また、受験や就職活動、研究の学際化等の問題も考察する。 西欧の大学の起源は中世に遡る。教養課程に当たる下級学部では、文法、修辞学、論理学および弁証学、算術、幾何学、音楽、天文学を学ぶ。より専門性の高い上級学部は、神学部、法学部、医学部に分かれており、卒業すれば聖職者・弁護士・医者になることができた。数学も教えられてはいたが、古代ギリシャの知識が元になっていて、さほど重要視されてはいなかった。 ルネサンス以降、徐々に、「数学を共通言語とする理工系」が発展していく。それとともに、ギリシャ・ローマやイスラム文化圏の書物や遺産を解読し研究する、私的な同好会が数多く生まれる。アカデミーと言われるこうした同好会は、学問談義に加えて、音楽を楽しみ、晩餐会なども行った。特定の学問のみを究めるというよりも、なるべく多くの分野を知り、数学も音楽も詩もオールマイティに学ぶことがよしとされていた。 その後、次第に、自然科学のみを扱うアカデミーが生まれ、18世紀以降、発展を遂げる。ニュートンが所属したイギリスのロイヤル・ソサエティや科学の近代化を進めたフランスのパリ王立科学アカデミーがこれらの旗手である。 産業革命がおこると、工学分野が発展していく。 文系の学問は古くから理系の学問より古くからありはしたが、「近代化」はむしろ理系学問よりも遅れていた。教会や王権が学問を牛耳っており、そこから抜け出して自由に発展を遂げるのは難しかったことが一因だとはいえるだろう。 もちろん、理工系の学問にしても、宗教の影響から抜け出ることは困難であったわけだが。 著者は、宗教からの「自律」には2つの方向性があり、1つは「神の似姿である人間を世界の中心とする自然観」から距離を取るもの、もう1つは神を中心とする世界の秩序でなく、人間中心の秩序を追い求めるものとしている。前者を追及すれば理工系の学問となり、後者は文系の学問となる。 このあたり、もう少し議論が必要な印象も受けるが、大まかな捉え方としてはおもしろいかもしれない。 いずれにしろ、現在の形の諸学問が興ってきたのはそう古いものでもなく、学問自体の枠組みも今後形を変えていく可能性は大いにあるわけだろう。 日本で文系・理系が生じていくのは、明治維新以後のこととなる。 初めの頃は、「科学」という用語すら定着していない。朱子学で用いられていた「窮理(理を窮める)」(物事の本質や仕組みを調べることを指す用語)を使っていた者もいる。 哲学が「実学」に分類されることもあった。仏教や儒学等に比べれば現実対象を経験的に扱うということらしいがちょっとわかりにくい。 諸学問は細分化した形でバラバラに入ってきて文と理の分け目も明確ではなく、揺らぎがある。 文系・理系を分ける大きなきっかけとなったのは、官僚制度と中等教育であったらしい。殖産興業や土木工業にあたる技官と、行政で法務に携わる文官は明治の早い時期に分けられていた。1910年代の第二次高等学校令では、「高等学校高等科ヲ分カチテ文化及理科トス」という文言が記される。 著者の主張では、日本の大学が、当初、法学と工学の実務家を養成する機関としての役割を求められていたことが大きいようだ。 その他、理系は「儲かる」のか、理工系に女性が少ないのはなぜかといったトピックも挙げられる。 学際化が叫ばれる昨今、旧来の文系・理系の枠組みはどれほど妥当なのかは疑問だ。もう少し大きな視点から考えていく必要があるように思う。官僚制度が成立に関わっているとなると、そう簡単にも変わらないのだろうが。 この1冊でクリアカットに答えが得られるわけではないのだが、文系・理系に関して考えるきっかけとしては手頃かもしれない。
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文系も理系もどっちも大事。これからは分野を分けずに両方の知識をもった人材が必要〜みたいなことかなと予想して読み始めたが少し違った。 細分化している学問を再統合することは難しい。これからは各分野の専門家が集まり集合知となって、分野をまたがる複雑な問題に取り組んでいくべき、みたいなことが書かれていた。 確かに、例えばいくら高度なAIが発達したところで、どこまで活用してもいいのかみたいな倫理問題を扱うには理系の学問だけでは足りない。人文社会学系の考え方が必要になる。その意識を持ってるのと持ってないのだけでも大きな違いじゃないかな。 その他、学問におけるジェンダー差論争や、就活事情等にも触れられていて飽きることなく楽しく読めた。
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