どもる体 の商品レビュー
【琉大OPACリンク】 https://opac.lib.u-ryukyu.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB26228264
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体は細かい制御を効率よくオートマ化するんですね、そこにバグが生まれる。ランニング中とか人の話を聞くとき、この本を思い出す。体がどもると言う捉え方をするだけで誰もが生活の中で感じる体と向き合うことになる、恐るべしパワーを持つ本だった。
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吃音という現象に対して広く知見が得られてよかった本。 そして、「吃音」というくくりについて、少し羨ましく感じた本。 わたしたちはみな、身体性に縛られている。 大きいくくりで言えば性別。 小さく見ていけば無限に。 生が何によって制限を受けているのか、 理解して生きている人なんて...
吃音という現象に対して広く知見が得られてよかった本。 そして、「吃音」というくくりについて、少し羨ましく感じた本。 わたしたちはみな、身体性に縛られている。 大きいくくりで言えば性別。 小さく見ていけば無限に。 生が何によって制限を受けているのか、 理解して生きている人なんて存在するのか。 結局は、身体を通してしか、世界を感じることはできない。 身体をどう乗りこなすかは、結局、本人が選ぶしかない。
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"「自分のものでありながら自分のものでないもの体」をたずさえて生きる"というフレーズが印象的だった。 また、連発、難発、言い換えは言葉が出ないことへの対策であり症状でもある、という言葉が印象的だった。
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身体論からみた吃音 ギターを改めて読み返してたくなった パターン化の功罪は身近にある 音楽練習で誤った運動パターンを習得するとか、人間関係における非合理的な解釈や行動とか 三善、三島勉強します
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序章 身体論としての「どもる」 自分のものだけど自分のものではない、「ノる」と「乗っ取られる」、「うまくいかない」は二元論、吃音という現象がそもそも二元論的 第1章 あなたはなぜしゃべれるのか 声はひとつのビープ音(発声器官)のモーフィング 第2章 連発、第3章 ...
序章 身体論としての「どもる」 自分のものだけど自分のものではない、「ノる」と「乗っ取られる」、「うまくいかない」は二元論、吃音という現象がそもそも二元論的 第1章 あなたはなぜしゃべれるのか 声はひとつのビープ音(発声器官)のモーフィング 第2章 連発、第3章 難発 連発は「意図していないのにそうなってしまった」、難発は「意図したのにできなかった」 第5章 ノる なぜ歌うときはどもらないのか リズムは「新しくなく」すること、運動の部分的アウトソーシング パターンの使用としての演技、流暢な音読を支えているのはストックされた「しゃべり方のパターン」 第6章 乗っ取られる 工夫の逆襲 乗っ取りからの決別、連発は吃音を隠していないありのままの姿(と考える人もいる) 重要なのは「工夫を封印すること」ではなく、むしろ「工夫を使いこなせること」
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
どこまで「自分」と捉えるか、身体との付き合い方 私は吃音当事者ではないが、ASD傾向があり過剰適応に悩んでいる。過剰適応的な演技に悩んでおり、「言い換え警戒派」に共感した。社会でうまくやるために身につけた工夫によって、「本当の自分」との乖離や周りからの期待にがんじがらめになり、身動きが取れなくなります。まさに、「工夫が牙を向く」です。 でも、演技を含めて自分なのかもしれない。無理に切り離さなくてもいいのかもしれない。 また、事例として載っていたように、私も「素」の私と円滑に進めるために演技をする私と、選択的になれると楽なのではないかとも感じた。 以外メモ ・思ったのとは違うことを言う自分もまた自分である ・自分とはそもそもズレていくものである」という感覚 ・「本当の自分」という明確な輪郭はなく、思いから切り離された言葉や振る舞いも、事後的に「これも自分だ」と認めている ・「こうしよう」という思いから半ば切断されているぎこちない動きも、やはり自分の体がやった行いであることには変わりない。ズレていても、それもまた自分である。
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「どもる」ということを、分析的に論理的に、掘り下げて掘り下げて書かれていて、吃ること自体にそこまで関心がなくても、なんだか引き込まれてしまう。 分析力と言語化が、伊藤さんは本当に上手だなと思う。他のテーマでも面白く興味深く読めた。他の著者なら、もちろん私も、同じく吃りをテーマにし...
「どもる」ということを、分析的に論理的に、掘り下げて掘り下げて書かれていて、吃ること自体にそこまで関心がなくても、なんだか引き込まれてしまう。 分析力と言語化が、伊藤さんは本当に上手だなと思う。他のテーマでも面白く興味深く読めた。他の著者なら、もちろん私も、同じく吃りをテーマにしても、こんな風には書けない。 すごい研究者だなって思う。少しでも、あやかりたい。
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やっと読むことが出来た。気になっていながら、この大きい本をどうしようかという思いがあり、手が付けられていなかった。今年に入って図書館で借りる習慣が復活したので、こうして読むことが出来た。なんだか分かる。僕自身に吃音の経験はないが、気持ちが分かる。このことのために生き方そのものに大...
やっと読むことが出来た。気になっていながら、この大きい本をどうしようかという思いがあり、手が付けられていなかった。今年に入って図書館で借りる習慣が復活したので、こうして読むことが出来た。なんだか分かる。僕自身に吃音の経験はないが、気持ちが分かる。このことのために生き方そのものに大きな影響があったはずだ。そういうことが僕にもある。その話は長くなるので、別の機会に考えることにしたい。自分の身体や思考が原因で、行動を余儀なく変更させられる経験。そういうことについてもう少し考えてみたい。本書を読んだことで、そんなふうに思えた。ところで最近の経験で、自己紹介をするときに言いたいことがあったのだがどうしてもそのことば(反抗期)が出てこなくて、しばらく沈黙してしまった。お酒が入る前でみんなこちらに注目している。本当にあせった。結局、子どもたちのエネルギーがなくなっているというように言い換えたのだが。吃音はそれとは違うらしい。言いたいことははっきりしているがそのことばが口から出てこない。僕の場合は、言いたいことはあるが、そのことば自体が思い出せない。もうこれが最近はしょっちゅうある。妻との会話の中なら、何の問題もないし、すぐスマホで調べれば出て来るのだが。ふと思ったが、何でもスマホに頼っているから、思い出す機能が衰えているのではないか。年齢のせいだけではないのではないか。ちょっと気をつけないといけない。さて、著者自身が「あとがき」で後出しジャンケンみたいと書いているが、著者が吃音であることが本分では全く触れられていなくて、どうしてだろうかとずっと思っていた。2020年から利他学会議をYoutubeで見るのが楽しみになって、何度も伊藤亜紗さんのしゃべるのを聞いてきた。もちろん、自分自身の経験があって本書ができていたのだろうと思っていた。それなのに、あくまでインタビューをもとに本書が仕上げられていた。「あとがき」にその理由があってなるほどと納得はした。しかし、僕は本書をきっかけに自分自身の過去の経験と向き合って見ようと思う。いつかはそうしたいと思っていた。同じような思いをしている人の体験をインタビューできるとより良いのだけれど、そんな力は僕にはないし、まあ、僕よりひどい経験をしている苫野一徳さんの話などをふまえて書いてみたいと思う。 しかし、なんとインパクトの強い装幀なんだ。このイラストのセンスがすご過ぎる。階段を駆け下りる人びととか。そして、このピンクのショッキングなこと。
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「どもり」を身体的な面から考える面白い本だった。 どもるってマイナスだし、治すほうが良い、と思われがちだけど、そのどもる体とどう付き合うか、居心地のいい体の在り方も考えさせられた。 文章だけだとちょっと分かりづらいところもあるけど、ポジティブな体の付き合い方が書いてあった。
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