どもる体 の商品レビュー
序章 身体論としての「どもる」 自分のものだけど自分のものではない、「ノる」と「乗っ取られる」、「うまくいかない」は二元論、吃音という現象がそもそも二元論的 第1章 あなたはなぜしゃべれるのか 声はひとつのビープ音(発声器官)のモーフィング 第2章 連発、第3章 ...
序章 身体論としての「どもる」 自分のものだけど自分のものではない、「ノる」と「乗っ取られる」、「うまくいかない」は二元論、吃音という現象がそもそも二元論的 第1章 あなたはなぜしゃべれるのか 声はひとつのビープ音(発声器官)のモーフィング 第2章 連発、第3章 難発 連発は「意図していないのにそうなってしまった」、難発は「意図したのにできなかった」 第5章 ノる なぜ歌うときはどもらないのか リズムは「新しくなく」すること、運動の部分的アウトソーシング パターンの使用としての演技、流暢な音読を支えているのはストックされた「しゃべり方のパターン」 第6章 乗っ取られる 工夫の逆襲 乗っ取りからの決別、連発は吃音を隠していないありのままの姿(と考える人もいる) 重要なのは「工夫を封印すること」ではなく、むしろ「工夫を使いこなせること」
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
どこまで「自分」と捉えるか、身体との付き合い方 私は吃音当事者ではないが、ASD傾向があり過剰適応に悩んでいる。過剰適応的な演技に悩んでおり、「言い換え警戒派」に共感した。社会でうまくやるために身につけた工夫によって、「本当の自分」との乖離や周りからの期待にがんじがらめになり、身動きが取れなくなります。まさに、「工夫が牙を向く」です。 でも、演技を含めて自分なのかもしれない。無理に切り離さなくてもいいのかもしれない。 また、事例として載っていたように、私も「素」の私と円滑に進めるために演技をする私と、選択的になれると楽なのではないかとも感じた。 以外メモ ・思ったのとは違うことを言う自分もまた自分である ・自分とはそもそもズレていくものである」という感覚 ・「本当の自分」という明確な輪郭はなく、思いから切り離された言葉や振る舞いも、事後的に「これも自分だ」と認めている ・「こうしよう」という思いから半ば切断されているぎこちない動きも、やはり自分の体がやった行いであることには変わりない。ズレていても、それもまた自分である。
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「どもる」ということを、分析的に論理的に、掘り下げて掘り下げて書かれていて、吃ること自体にそこまで関心がなくても、なんだか引き込まれてしまう。 分析力と言語化が、伊藤さんは本当に上手だなと思う。他のテーマでも面白く興味深く読めた。他の著者なら、もちろん私も、同じく吃りをテーマにし...
「どもる」ということを、分析的に論理的に、掘り下げて掘り下げて書かれていて、吃ること自体にそこまで関心がなくても、なんだか引き込まれてしまう。 分析力と言語化が、伊藤さんは本当に上手だなと思う。他のテーマでも面白く興味深く読めた。他の著者なら、もちろん私も、同じく吃りをテーマにしても、こんな風には書けない。 すごい研究者だなって思う。少しでも、あやかりたい。
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やっと読むことが出来た。気になっていながら、この大きい本をどうしようかという思いがあり、手が付けられていなかった。今年に入って図書館で借りる習慣が復活したので、こうして読むことが出来た。なんだか分かる。僕自身に吃音の経験はないが、気持ちが分かる。このことのために生き方そのものに大...
やっと読むことが出来た。気になっていながら、この大きい本をどうしようかという思いがあり、手が付けられていなかった。今年に入って図書館で借りる習慣が復活したので、こうして読むことが出来た。なんだか分かる。僕自身に吃音の経験はないが、気持ちが分かる。このことのために生き方そのものに大きな影響があったはずだ。そういうことが僕にもある。その話は長くなるので、別の機会に考えることにしたい。自分の身体や思考が原因で、行動を余儀なく変更させられる経験。そういうことについてもう少し考えてみたい。本書を読んだことで、そんなふうに思えた。ところで最近の経験で、自己紹介をするときに言いたいことがあったのだがどうしてもそのことば(反抗期)が出てこなくて、しばらく沈黙してしまった。お酒が入る前でみんなこちらに注目している。本当にあせった。結局、子どもたちのエネルギーがなくなっているというように言い換えたのだが。吃音はそれとは違うらしい。言いたいことははっきりしているがそのことばが口から出てこない。僕の場合は、言いたいことはあるが、そのことば自体が思い出せない。もうこれが最近はしょっちゅうある。妻との会話の中なら、何の問題もないし、すぐスマホで調べれば出て来るのだが。ふと思ったが、何でもスマホに頼っているから、思い出す機能が衰えているのではないか。年齢のせいだけではないのではないか。ちょっと気をつけないといけない。さて、著者自身が「あとがき」で後出しジャンケンみたいと書いているが、著者が吃音であることが本分では全く触れられていなくて、どうしてだろうかとずっと思っていた。2020年から利他学会議をYoutubeで見るのが楽しみになって、何度も伊藤亜紗さんのしゃべるのを聞いてきた。もちろん、自分自身の経験があって本書ができていたのだろうと思っていた。それなのに、あくまでインタビューをもとに本書が仕上げられていた。「あとがき」にその理由があってなるほどと納得はした。しかし、僕は本書をきっかけに自分自身の過去の経験と向き合って見ようと思う。いつかはそうしたいと思っていた。同じような思いをしている人の体験をインタビューできるとより良いのだけれど、そんな力は僕にはないし、まあ、僕よりひどい経験をしている苫野一徳さんの話などをふまえて書いてみたいと思う。 しかし、なんとインパクトの強い装幀なんだ。このイラストのセンスがすご過ぎる。階段を駆け下りる人びととか。そして、このピンクのショッキングなこと。
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「どもり」を身体的な面から考える面白い本だった。 どもるってマイナスだし、治すほうが良い、と思われがちだけど、そのどもる体とどう付き合うか、居心地のいい体の在り方も考えさせられた。 文章だけだとちょっと分かりづらいところもあるけど、ポジティブな体の付き合い方が書いてあった。
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この本を読んでも吃音の気持ちの良い解決方法は書いてない。でも、本質的で気持ちの良い理解にはつながる。
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吃音に対して色んな角度から考察している本。 吃音は、連発から始まり、難発になる事が多い。 難発は連発の対処法として、なる場合が多い。 それで難発を避けようとして、言い換えを行うというメカニズムはなるほどなと思った。 このように吃音と言っても、その人がどの段階にいるかで症状は変わっ...
吃音に対して色んな角度から考察している本。 吃音は、連発から始まり、難発になる事が多い。 難発は連発の対処法として、なる場合が多い。 それで難発を避けようとして、言い換えを行うというメカニズムはなるほどなと思った。 このように吃音と言っても、その人がどの段階にいるかで症状は変わってくる。 話すタイミングがわかりやすい対話はいいが、会話だとタイミングがつかめなくなるのはなんとなくかる気がする。
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吃音 という言語障害を詳しく分析し、体系的に書き記した本。 その分野の素人にも非常に分かりやすく、表記の絵もコミカルかつダイレクトでインパクト大だった。 吃音の1つ、連発を如実に言い表した、 P71の 「言葉じゃなくて肉体が伝わってしまう」これは秀逸。 また、周りからも吃って...
吃音 という言語障害を詳しく分析し、体系的に書き記した本。 その分野の素人にも非常に分かりやすく、表記の絵もコミカルかつダイレクトでインパクト大だった。 吃音の1つ、連発を如実に言い表した、 P71の 「言葉じゃなくて肉体が伝わってしまう」これは秀逸。 また、周りからも吃っているのが分かりやすい連発を隠すために意識した結果、難発を会得するというプロセスはその通りだ。 吃りたくないから言い換えをする。連発になりたくないという思いが難発を引き起こす。 P101 「ひとつの現象が症状であり、かつ対処法でもある」 その通りだ。 吃音者は歌や一定のリズムに乗っている時は不思議と吃らない。 「口が走っているところに言葉を乗せていく」P169 表現がズバリ的確。 言いたい言葉を言おうと口を動かすのだが声が出てこない。 しかし最初の一音が出れば後はスラスラ言えるのだから、いかにスムーズに口を走らせるか。 息を吸い込み肺を膨らませ、ゆっくり息を吐きながら、音を出す。 自分なりに言いやすい方法を探し出したとしても、それが永続的に有効かと言われればそうではない。 P205 工夫に苦しめられる人もいる。 「句風が牙を剥く」 そうだ。 優しく手を広げて迎え入れようとしても、私の中の吃音は暴れ、牙を剥いて襲いかかるのだ。 三島由紀夫「金閣寺」の 吃音者の発話困難時の描写 鍵を開け、錆を落としてから扉を開ける。 が腑に落ちた。 これほどにまで吃音のメタファーはないのでは? 読んでみたい。 そして、自分が死ぬまでに吃音をマシにさせたいと思いつつ、上手く付き合っていく方法を模索している自分であった。
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言葉の代わりに体が伝わってしまう。 うまく言えないのですが、もし大人になって初めて鏡を見た人がいたら、こんな気分なのかもしれない、と思いました。なるほど、こうなっていたのか!それまであまりに当たり前すぎて、よくわからなかったことを、ズバリ言い当てられたような気がしました。
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言葉を発することを分解して、意識する。連発の”言葉じゃなく肉体が伝わってしまう”。体と心との折り合いをつける。”書かれたとおりに読むことの拘束性”。音読。本を読むことは徹底的に拘束されていることなのか。本を読むことは徹底的に拘束されていることなのか。
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