軌道 の商品レビュー
福知山線脱線事故の被害者の目線から事故を追ったルポ。 事故で、妻と娘を失った淺野さんは、JR西日本を感情的に弾劾するのではなく、二度とこのような事が起こらないように、事故が何故起こったのか、二度と起こさない為にどうすべきか、というスタンスで西日本に接する。 民営化による利益追...
福知山線脱線事故の被害者の目線から事故を追ったルポ。 事故で、妻と娘を失った淺野さんは、JR西日本を感情的に弾劾するのではなく、二度とこのような事が起こらないように、事故が何故起こったのか、二度と起こさない為にどうすべきか、というスタンスで西日本に接する。 民営化による利益追求。阪急など強い私鉄との熾烈な競争。過激なサービスの向上は結果として、安全面を犠牲にする事になる。 資本主義、利益追求のなか、人の命を預かる基幹業務との安全性をいかに意識しなければならないか。 官僚的な大規模な組織は硬直し、現場でも責任の所在は曖昧に。失敗すると個人が責められる。 最近はヒューマンエラーを責めない会社が増えて来ているとの事。 人はミスを犯すものだからこそ組織的な安全の仕組みが必要だ。 何よりも前半の事故の生々しい描写、悲惨な様子に衝撃を受ける。 筆者は長年淺野さんの近くに居たとの事。 だが、そんな筆者も淺野さんのスタンスを図りかねてこの本をどうまとめれば良いかわからない時期があったとの事。 想像もしなかった事に出会い、一瞬で大切なモノを失う。 当事者としても整理がつく事はないのでは、と思う。 その中で今までの活動の延長で事件と向き合う。 社会性の面とプライベートのどうしようもない喪失感が、カオスの様に個人の中でも渦巻いてあるような状況なのではないのだろうか。
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2005年に起きたJR西日本の福知山線脱線事故。多くの犠牲者を出したこの事故において、妻と娘を失った一人の男性の姿を追うドキュメントである 信念を持って、巨大かつ頑迷なJRという組織に立ち向かう姿には、感動を覚えた。怒り、悲しみをぶつけるのでなく、悲劇を二度と繰り返さない、繰り...
2005年に起きたJR西日本の福知山線脱線事故。多くの犠牲者を出したこの事故において、妻と娘を失った一人の男性の姿を追うドキュメントである 信念を持って、巨大かつ頑迷なJRという組織に立ち向かう姿には、感動を覚えた。怒り、悲しみをぶつけるのでなく、悲劇を二度と繰り返さない、繰り返させないためにできることを追求する。国鉄民営化をはじめとする背景によって染みついてしまった、見直されるべき企業体質に、一歩一歩改善を迫っていく。先の見えない状況に、時にいら立つこともあった思う。それでもあきらめず、歩みを止めることなく、自らの使命、遺族の責務として活動を続けていく、その生のあり方には圧倒さえされた。
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ニュース映像を見て絶句した福知山線脱線事故。事故のその後と、その要因を被害者家族の一人を起点に書き上げたノンフィクション。 こういった大企業が起こした事故についてのルポは犯人が誰かということに終始することが多い気がするけれど、本作では趣が異なる。 もちろんJR西日本が当事者として...
ニュース映像を見て絶句した福知山線脱線事故。事故のその後と、その要因を被害者家族の一人を起点に書き上げたノンフィクション。 こういった大企業が起こした事故についてのルポは犯人が誰かということに終始することが多い気がするけれど、本作では趣が異なる。 もちろんJR西日本が当事者として一番の責任があるのは間違いないけれど、被害者遺族にもこの事故を社会化させ、二度とこのような惨事を引き起こさないようするために会社と一丸になって問題の抽出と事故の教訓を引き出すのが責務があるとしている。 妻と妹を失いながら、そのような冷静な判断と行動ができる本作の遺族に畏敬の念を感じる。 ニュースでは懲罰的な日勤教育ばかりが問題視されていたと思うけれど、ことはそれほど単純ではなく、会社の成り立ちや地域性、国の政策等が絡み合った結果このような事故が引き起こされたのだと気付かされた。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
タイトルの通り、福知山線の脱線事故後のルポルタージュです。特筆する点は、一つに遺族の一人、淺野弥三一氏の側からの視点で書かれていること、その淺野氏がJR西日本に対する責任追及よりも、JR西日本と一緒に今回の事故を検証して再発防止に繋げていけないかを模索した点です。紆余曲折ありながらも、最終的には、JR西日本、遺族側、第三者機関が同じテーブルについて、話し合いが行われることになりました。可能な限り冷静に客観的なデータに基づいて議論していく姿勢に感銘を受けました。また同時に「遺族の責務」という言葉が重くのしかかってきました。 リスクアセスメントの考え方によれば、ヒューマンエラー、今回の件で言えば、運転士のスピード超過がカーブを曲がり切れず脱線に至ったわけですが、それは「原因」ではなく「結果」とします。もっと大きな視点に立って組織風土や環境要因など様々なファクターが複雑に絡み合って、今回の「結果」が生じたのだと。日本は昔から個人にその責を負わせる風潮があるようです。もちろんヒューマンエラーが主要因かもしれませんが、現代社会では事件・事故が大きくなればなるほど、その原因は複雑化します。個人に「原因」を集中させることは、ともすれば、複雑化した原因解明を遠ざけてしまう可能性があります。 淺野氏は事故で妻と妹を同時に亡くしました。遺族としての辛い気持ちや葛藤も抱えながら、一方で氏のエンジニアとしてのプライドをもって事故の本質を詳らかにしようと、何度もJR西日本と交渉を重ねます。その姿勢はJR西日本を糾弾するのではなく、問題をオープンにして、一緒に考えていこうという非常に成熟した発想に思えました。 3者で開催された「課題検討会」のオブザーバーであった柳田邦男氏がその報告書に寄せた一文があります。 「私はこの社会に人間性の豊かさを取り戻すには、被害者(1人称の立場)や社会的弱者(同)とその家族(2人称の立場) に寄り添う視点が必要だと感じる。『これが自分の親、連れ合い、子どもであったら」と考える姿勢である。もちろん、専門家や組織の立場(3人称の立場)に求められる客観性、社会性の視点は失ってはならない。そういう客観的な視点を維持しつつも、被害者・加害者に寄り添う対応を探るのを、私は『2.5人称の視点』と名づけている。課題検討会におけるJR西日本の遺族たちに対する応答の仕方に、私は『2.5人称の視点』に近づこうとしている姿勢を感じた」 柳田邦男氏の『犠牲(サクリファイス)ーわが息子・脳死の11日(文春文庫)』の中では1人称、2人称、3人称の死について述べられていました。相反する発想や価値観、立場を自らのうちに留めて、決して安易な結論に流されないよう、その葛藤に身を置く姿勢と解釈しています。それが、本質に近づける手段のように思えます。 著者は元神戸新聞の記者で、現在はフリーランスです。文書構成もさることながら、非常に読みやすく、その文章力についつい引き込まれていった部分も否定できません。秀逸なルポルタージュには間違いありませんが、史実を元にしたドラマのような感動も覚えました。
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死亡者数107人、負傷者数562人を出した福知山線脱線事故を題材にしたノンフィクション。 著者は、元神戸新聞記者で現在はフリーランスのライター。 この事故で最愛の妻と妹を失い、娘が重傷を負うという悲痛な体験をした都市計画コンサルタントの淺野弥三一氏の「肩越し」に、淺野氏ら遺族会と...
死亡者数107人、負傷者数562人を出した福知山線脱線事故を題材にしたノンフィクション。 著者は、元神戸新聞記者で現在はフリーランスのライター。 この事故で最愛の妻と妹を失い、娘が重傷を負うという悲痛な体験をした都市計画コンサルタントの淺野弥三一氏の「肩越し」に、淺野氏ら遺族会とJR西との闘いを追った書です。 この種の本は、加害者(ここで言うJR西)を断罪して終わることが多い。 だが、本書はそうではありません。 JR西を真に安全を最優先する組織に変えようという淺野氏に共感し、そこからブレずに文字通り1つの軌道を走ります。 はじめは通り一遍の謝罪でその場をやり過ごし、事故の責任を運転士1人に負わせたJR西。 だが、淺野氏ら遺族会の粘り強い交渉で、利益重視偏重や極端なトップダウンなど組織的な問題であることをJR西に認めさせます。 そして、遺族会とJR西が同じテーブルに着き、お互い納得のいく、合理的で実効性のある安全対策を立案するに至るのです。 そこがまずもって本書の大きな読みどころでしょう。 これは、淺野氏ら遺族会の地道な努力によるところが大きい。 ただ、それだけではJR西という巨大な組織を変えることは難しい。 実は、事故後に社長に就任した山崎正夫氏の存在が大きかったと本書は指摘します。 事務屋の指定席だった社長ポストに、技術屋として初めて就いたのが山崎氏。 同じ技術屋として、淺野氏も「話せる相手」として山崎氏に信頼を置きます。 これが先述した安全対策へと結実するのです。 いろいろと考えさせられる逸話です。 懲罰的な日勤教育は、実は事故の抑止にはほとんど効果がないなど、安全について考えるうえでも本書は非常に有用です。 ぜひ多くの方に読んでいただきたい1冊です。
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事故後13年以上もたって、初めてこの事故についての詳細な事実を確認することとなった。とにかく安全システム、安全設計について多くを考えさせられる本。リスクアセスメントの学習を始めたところで本書を知ったのは良かった。まずは浅野氏の凄さにひれ伏すのみ。せめてその足元でもがける程度には...
事故後13年以上もたって、初めてこの事故についての詳細な事実を確認することとなった。とにかく安全システム、安全設計について多くを考えさせられる本。リスクアセスメントの学習を始めたところで本書を知ったのは良かった。まずは浅野氏の凄さにひれ伏すのみ。せめてその足元でもがける程度にはなりたい。 本書に示されるJR西日本安全フォローアップの資料をJR西日本のサイトから入手した。こちらもじっくりと読んで学習し、今後の糧としたい。
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あの日のことは、覚えているが、事故の原因追求を被害者が中心となってやっていたとは知らなかった。時々利用する乗客としても色々と考えさせられた。
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最後の井手会見はよかったが、全体的にパンチのない内容。 瑣末な事項と、著者自らの推定や想定を並べ立て、なんとかJR西日本を悪者に仕立てようとしているように見えた。事故の真実は事故調査報告書にあると考えるべきである。真実の追究は、物的証拠と、双方からの聞き取り、専門家からの意見から...
最後の井手会見はよかったが、全体的にパンチのない内容。 瑣末な事項と、著者自らの推定や想定を並べ立て、なんとかJR西日本を悪者に仕立てようとしているように見えた。事故の真実は事故調査報告書にあると考えるべきである。真実の追究は、物的証拠と、双方からの聞き取り、専門家からの意見から行うしかないのに、遺族と反政府・反巨大組織を訴える市民からの一方的な一方向からの意見によって覆そうとしているとしか思えない。 JR西日本は株式会社であり、社会インフラの中核を担う組織である。JA西日本がどのようなビジョンをもって平素から営業活動を行っているのか、その利益追求のために、安全はどのような位置づけにあったのか、そのバランスはどうだったのかというような基本的なビジネスの始点に立って分析するのが基本であるのに、その配慮に欠けている。 被害者に対する謝罪や、補償は大事である。事故の再発防止も極めて大事である。ただし、本作品は、被害者という一部の市民にスポットライトを当て、世論の力をかりて巨大組織に衝撃を与え、自らの手柄とばかりに自慢するマスコミの常套手段をそのまま使って本にした作品のように思える。私はJR西日本とはまったく関係ない人間だが、この手の日本社会に対し無用に亀裂を生じさせるような活動には、断固反対したい。 私には、カリスマ井手社長や裁判官の言葉の方が、容易に理解できるし納得できる。著者が批判する「個人の意見より組織論理を重んじる」こと、「安全より利益を重んじる」ことのどこが悪いのか。著者の方がはるかに視点が低く、事故調査や裁判結果に即さず自論を展開しても議論が成り立つわけがない。本書の内容は、井手氏が要請した「事実だけを書いてほしい。憶測を交えたり無用な修飾語をつけないでほしい」ということを、巻末だけでなく、本全体に適用すべきだったのではないか。
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インフラを扱う一人にとって、吉村昭著の高熱隧道に並ぶ、重要な作品となった。 淺野氏及び事故被害者の方々には心からの追悼の意を表すると共に、淺野氏の行動に、大きく心を揺さぶられた。 JR西はもとより、社会インフラに関与している全ての人が、本書から訴えられる安全に対する意識を持ち、何...
インフラを扱う一人にとって、吉村昭著の高熱隧道に並ぶ、重要な作品となった。 淺野氏及び事故被害者の方々には心からの追悼の意を表すると共に、淺野氏の行動に、大きく心を揺さぶられた。 JR西はもとより、社会インフラに関与している全ての人が、本書から訴えられる安全に対する意識を持ち、何度も反芻しながら業務に従事することが出来れば、と思う。 この気持ちを拡げて周囲を巻き込む事が、淺野氏や著者への恩返しになるのではないか。 終わりなき旅だが、不断の努力はきっと意味がある。
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遺族を少し変わった視点から描いたドキュメント。 妻と妹を亡くし、娘は重症。 考えただけで気が遠くなります。 読み応えが重すぎて読むのが辛くなるほどです。
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