インド哲学10講 の商品レビュー
図書館で借りた。 哲学の本を何冊か読んだことで、調子に乗ってインド哲学に手を出してみたが…、ちょっと通勤に読むにはハードだった。 インド哲学は哲学の中でもザ・哲学といった感じ。世界を論理で突き詰めていくというか、「考えよ!」というインパクトで、寝ぼけ眼で程々なストレスの中では厳し...
図書館で借りた。 哲学の本を何冊か読んだことで、調子に乗ってインド哲学に手を出してみたが…、ちょっと通勤に読むにはハードだった。 インド哲学は哲学の中でもザ・哲学といった感じ。世界を論理で突き詰めていくというか、「考えよ!」というインパクトで、寝ぼけ眼で程々なストレスの中では厳しい~。 多分、落ち着いて調子の良い頃に読めば問題ないと思うので、またの機会にリベンジしたい。
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途中から難しすぎて何がなんだか分からなかった。特に第7章シャンカラのあたりはもう詭弁というか屁理屈を並べてコネコネしているだけのような気がして、特に新たな洞察が得られる訳でもなかった。神(イーシュヴァラ)の議論は総じて納得できなかった。インドの哲学が神と密接に関係した宗教を包摂す...
途中から難しすぎて何がなんだか分からなかった。特に第7章シャンカラのあたりはもう詭弁というか屁理屈を並べてコネコネしているだけのような気がして、特に新たな洞察が得られる訳でもなかった。神(イーシュヴァラ)の議論は総じて納得できなかった。インドの哲学が神と密接に関係した宗教を包摂するものなのか、それともこれは宗教を突き詰めるとみんな神に行き着くのか、気になるところだ。 存在と非存在、存在性についての議論は面白かった。存在と非存在の二元論ではなくて、そもそもそれは一つのもので私たちの認識が二つに分けているというような話だったのかな? 存在と非存在のディレンマのくだりもよかった。ここを突き詰めた哲学(カントとか?)これから読んでみたいと思う。
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これは面白い。これまでインド哲学=仏教思想程度の認識しかなかったが、実のところその実態はもっと広大なもので、仏教は寧ろ異端の扱いであることがわかった。 この世界や様々な物体は何からどうやってできたのか(生成と存在)、人の運命は何によって決まるのか(因果と業)、が本書で扱われている...
これは面白い。これまでインド哲学=仏教思想程度の認識しかなかったが、実のところその実態はもっと広大なもので、仏教は寧ろ異端の扱いであることがわかった。 この世界や様々な物体は何からどうやってできたのか(生成と存在)、人の運命は何によって決まるのか(因果と業)、が本書で扱われている主なテーマだが、これだけでも古代インド人の思考スケールの大きさに驚く。 運命に関することは現代でも答えがないが、世界の成り立ちや物質世界の構造は2000年の時を経て科学があらかた解明してしまった。それらを知っている我々から見るとブラフマンによる創世とか前世の業など『たわごと』の類にしか見えないが、当時としては最新の科学だったのだろう。 あとがきで著者自身が自賛している通り、テーマを絞った上で重層的に物事を解説するスタイルも成功していると思う。また、哲学書は往々にして「上から目線」で語られることが多いが、躓きやすい部分で「この説は奇妙だ」と読者目線に降りてきてくれるので大変理解しやすい。「そうそう、そこが奇妙だと思ったのよ」ど同意するとこが多かった。良書。
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同じ哲学でも、ギリシア哲学とインド哲学では、後者の方が圧倒的に触れる世界が少ない。本書では、インド哲学の主要な考えを10の講義に分けている。1つ1つの講義は短いページで終わるので、コツコツ読み進めることができた。
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赤松明彦はインド哲学の専門家で、著作としてはヴァガヴァットギーターの解説書や5世紀インドの言語哲学者バルトルハリの主要著作の邦訳などがあるほか、多くの論文を発表している。https://researchmap.jp/read0172343/ この書籍を執筆したころは仏教やウパニシ...
赤松明彦はインド哲学の専門家で、著作としてはヴァガヴァットギーターの解説書や5世紀インドの言語哲学者バルトルハリの主要著作の邦訳などがあるほか、多くの論文を発表している。https://researchmap.jp/read0172343/ この書籍を執筆したころは仏教やウパニシャッド哲学等よりジャイナ教の研究に傾倒しているようで、書籍全体の構成もジャイナ教の「観点車輪」という議論構成法を採用して論じていると述べている。しかし本編それ自体は、日本語圏において必ずしもアクセス可能な文献が豊富でない中期以降のウパニシャッド哲学、特に六派哲学のうち、二元論的なサーンキヤ学派、神性を導入する一元論であるヴェーダーンタ学派、徹頭徹尾実在論を取るヴァイシェーシカ学派、の3つの存在論を要約する手際は見事であり、新書でこれが読めることの幸福を考えざるを得ない(各派ごとの分厚い研究書がある中で、この水準のサマリーを自分で整理できるとはとても思われない、専門家の恩寵である)。 さらに赤松明彦独特の観点として、彼が2000年代に翻訳を完成させたバルトリハリの言語哲学を、井筒俊彦『意識と本質』における「意味分節・自己分節」の議論と比較するところがある(第8−9講)。これは国内で赤松明彦にしか書けない話であり、井筒俊彦的な言語哲学・東洋思想的形而上学を好む人には必読の箇所と思われる。 巻末の10ページにわたる読書案内も、斯界の専門家による端的なコメントがついており、極めて有用である。十代の意気盛んな若者であれば、この読書案内からドイツ語の東洋哲学・インド哲学論文に手を伸ばしたくなるかもしれない(※東洋思想研究の本場のひとつは、20世紀ごろからドイツ&オーストリア、つまりドイツ語圏であり、インド哲学を深めるためにはドイツ語のスキルは欠かせないものだという)。
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著者も述べているように、インド哲学の概説書ではない。存在に対して考察している。アプローチが比較的慣れている西洋的なものとかなり違っていて、なかなか難解である。人の名前すら戸惑ってしまう。後半になってようやく仏教との接点が出てくるとすこしわかりやすくなる。何度も行きつ戻りつ読んでは...
著者も述べているように、インド哲学の概説書ではない。存在に対して考察している。アプローチが比較的慣れている西洋的なものとかなり違っていて、なかなか難解である。人の名前すら戸惑ってしまう。後半になってようやく仏教との接点が出てくるとすこしわかりやすくなる。何度も行きつ戻りつ読んではみたが、十分理解できたとはいいがたい。概説的なものを読んで、全体像をつかんだうえで、再度挑戦してみたい。評価は暫定的なもの。
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