2011年の棚橋弘至と中邑真輔 の商品レビュー
プロレス好きの旦那から「読め」と渡された本です。 皆様、イロイロな思いをもってプロレスをされてるんですね。 だから、棚橋さんは『アメトーク』に出演されてたんですね。 と、すみません。プロレスさっぱりの私の感想です。 プロレス好きの方なら、楽しめるハズ!
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著者は柳澤健はこれまで、『1976年のアントニオ猪木』『1985年のUWF』など。プロレス界においてターニングポイントとなった年を軸に、そこへ至る過程を本人や関係者へのインタビューでエビデンスを集めながらまとめていく形を確立してきた。 本書は、今のに続く新時代のプロレスの形と、中...
著者は柳澤健はこれまで、『1976年のアントニオ猪木』『1985年のUWF』など。プロレス界においてターニングポイントとなった年を軸に、そこへ至る過程を本人や関係者へのインタビューでエビデンスを集めながらまとめていく形を確立してきた。 本書は、今のに続く新時代のプロレスの形と、中心人物である二人の進む道が明確になった2011年に繋がる流れがまとめられている。 カリスマの影響から脱出し、自分を作り上げて唯一無二の存在となる中邑真輔の行動が心を打つ。
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面白かった。 柳澤健のこのシリーズは本当に打率が高い。 本作がこれまでの作品との違いは、主役の二人が未だ、現在進行形の存在であること。 猪木も馬場もクラッシュギャルズもUWFも過去のものだったけど、棚橋と中邑には、まだ先が有る。 僕は本書で主に描かれている新日本プロレスが本...
面白かった。 柳澤健のこのシリーズは本当に打率が高い。 本作がこれまでの作品との違いは、主役の二人が未だ、現在進行形の存在であること。 猪木も馬場もクラッシュギャルズもUWFも過去のものだったけど、棚橋と中邑には、まだ先が有る。 僕は本書で主に描かれている新日本プロレスが本当に低迷していた時代に、プロレスから離れていた。ゴングの休刊もあってプロレス雑誌も読まなくなったし、ネットで毎日、プロレスの記事を追うのもやめてた。一方でPRIDEやK−1の会場には何度か行った。 なので、棚橋と中邑が新日本プロレスを再生させた物語をリアルタイムでは追えてなかった。後追いで本とかを読んで知識を得た感じ。本書を読んでますます思うのだけど、今にして思えば本当に勿体なかった。リアルタイムで体感したかった。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「私は躊躇した。棚橋弘至は自分で本が欠けるからだ。著書も複数ある。とっさに”棚橋弘至ひとりの本は難しいが、棚橋弘至と中邑真輔ふたりの本なら書けると思う“と返事をした。新日本プロレス再生の主役は、じつは棚橋弘至と中邑真輔のふたりではないかと感じていたからだ」 1976年のアントニオ猪木、1993年の女子プロレス等、過去の記事とインタビューを丹念に読み取り、エポックメイキングな出来事のあった年を中心にプロレス史を書いていった著者。過去の著作と異なっているのは、本人たちへのインタビュー記事の割合が多いことだ。共に現在進行形の人物のためだろうか?今の彼ら自身が過去を語ることで、当時の状況がより鮮やかに描かれる。 「棚橋は思想家であり革命家であり、それゆえに孤独だった」 確固たるビジョンを持ち、自己プロデュース能力に長けた棚橋。その歩んできた道は、理不尽な誹謗中傷や罵倒に耐え抜いてきた厳しい道だった。愚直にプロレスを続けることで、世界を変えた。 一方、デビュー直後から“神の子”と言われ、期待された役割を果たすべく、もがき続けた中邑。ストロング・スタイルの後継者たるべく、IWGP最年少戴冠、総合格闘技での実績を積んできたが、どこか殻を破り切れない。しかしある時、ふと我に返る。 「今こそ、会社が自分に求めるレスラー像を離れ、自分自身に立ち返る時ではないか」棚橋弘至の最大のライバルが、最大の理解者にもなった時だった。総合格闘技の経験、アントニオ猪木との葛藤など、過去の経験全てを昇華させ、中邑真輔でしか作りえないレスラー像を磨き上げる。ゾーンに入った中邑が全世界でブレイクするのに時間はかからなかった。 「戦う姿勢や自分の感情をお客さんに伝えるプロレスは、言葉を超えて世界中の人に届くんです。」 そして今、次世代へのバトンタッチも果たした後も、棚橋弘至は“エース”として新日本プロレスに君臨している。一方中邑はWWEのスーパースターとして、USベルト・ICベルトを戴冠し、世界のプロレスを牽引する存在である。 そんな棚橋ももう43歳、中邑も39歳。彼らはどこに行きつくのだろうか?この先、どこまで行くのだろうか?いや、どんな結末でもいい。彼らが進む道、それ自体が正しい道だ
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新日本プロレスを再び見るようになったのは、ちょうどオカダが戻ってIWGPを取ったくらいの時期からなんだけど、この本を読んで一時期低迷していた新日本プロレスがどのように再生・復興してきたのかがよく分かって面白かった。 棚橋の話は知っている件も多かったんだけど、中邑がどうしてあのよう...
新日本プロレスを再び見るようになったのは、ちょうどオカダが戻ってIWGPを取ったくらいの時期からなんだけど、この本を読んで一時期低迷していた新日本プロレスがどのように再生・復興してきたのかがよく分かって面白かった。 棚橋の話は知っている件も多かったんだけど、中邑がどうしてあのようなスタイルになったのか(そして、あの独特の脱力の意味はなんなのか)が、本人の苦悩も含めて良く理解出来た。 また、当初ベルトの位置づけが不明瞭だったインターコンチネンタルのベルトの価値が、中邑の試合を通じて高まっていく様も肌で感じていたので、中邑のすごさを改めて再認識できて良かった。 この本を通じて、棚橋・中邑って猪木・馬場に匹敵する位の二人だな、というのを改めて感じたりもした。最近の新日本プロレスが好きな人は読んで損なしの内容だな、と思ったりした。
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棚橋が昭和プロレスのファンを切り捨てて、新規ファン(主に女子供)の取り込みに成功して今日の隆盛を築く話。猪木からの脱却。
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どん底だった新日本プロレスが、再び人気を取り戻すための棚橋の奔走…!偉大です。大ファンになること必至。もちろん中邑真輔もかっこいいです。
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読み終わった後、とても寂しい気持ちになりました。「××××年の〜」シリーズが発散していた、現状にもがき苦しむ人々の狂おしい一瞬の眩さ(一瞬だから、××××年の、という切り口が成立してたのに…)がまったく感じられなっている自分に対する寂しさ?まるで企業のペイドの広報みたいな印象で、...
読み終わった後、とても寂しい気持ちになりました。「××××年の〜」シリーズが発散していた、現状にもがき苦しむ人々の狂おしい一瞬の眩さ(一瞬だから、××××年の、という切り口が成立してたのに…)がまったく感じられなっている自分に対する寂しさ?まるで企業のペイドの広報みたいな印象で、お仕事頑張っている人のインタビューを読んでいる気分になりました。もちろん、ユークスの新日からプロレスと距離をとってしまっている自分の棚橋弘至や中邑真輔に対する愛情の無さがそう思わせるのかもしれません。だけど、クラッシュギャルズやブル中野に愛情なくても、著者の切り口には心揺さぶられたんだけどなぁ…予兆はありました。前著「1964年のジャイアント馬場」のあたりから、心の闇を表現のエネルギーにする人々の一瞬の煌きではなく、普通の人の大いなる頑張りの顕在化に著者の興味がシフトしている感じ、ありました。でも、こんなこと言っているから古いプロレスファンって言われるんだろうな。まあ、いいや。テレビつけてW杯サッカーでエムバペやモドリッチの「一瞬の煌き」堪能しよう、っと!
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中邑がいたから棚橋が輝き、棚橋がいたから中邑が輝いたということ。 棚橋にも中邑にも圧倒的努力を感じた一冊でした。 プロレスラーの仕事とは、観客を熱狂させること。チャンピオンが必ずしもベビーフェイスである必要はないのだ。 プロレスが一種のアートであり、パフォーマンスであり、...
中邑がいたから棚橋が輝き、棚橋がいたから中邑が輝いたということ。 棚橋にも中邑にも圧倒的努力を感じた一冊でした。 プロレスラーの仕事とは、観客を熱狂させること。チャンピオンが必ずしもベビーフェイスである必要はないのだ。 プロレスが一種のアートであり、パフォーマンスであり、エンターテイメントであるという前提の上で、強靭な肉体がぶつかり合う迫力を楽しみ、生命の危険さえ感じる技のスリルを味わう。 僕はプロレスを即興の芸術だと思っています。芸術とは、一般的なコミュニケーションを超えて人の心に訴えかけるもの。戦う姿勢や自分の感情をお客さんに伝えるプロレスは、言葉を超えて世界中の人達に届くんです。
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大好きな柳澤健さんの「****年の」シリーズの最新作。今度のテーマは、棚橋と中邑。それは、私がついに行かなくなった2000年代の1.4東京ドーム興行から先の新日本プロレスの混乱と停滞、そして見事な復興の熱い物語だった。 90年代後半、"闘魂三銃士"が大ブーム...
大好きな柳澤健さんの「****年の」シリーズの最新作。今度のテーマは、棚橋と中邑。それは、私がついに行かなくなった2000年代の1.4東京ドーム興行から先の新日本プロレスの混乱と停滞、そして見事な復興の熱い物語だった。 90年代後半、"闘魂三銃士"が大ブームだった頃に新日本プロレスに入門した棚橋と中邑は、棚橋が学生プロレス上がりであるのに対して、中村は本格的なアマレスラーと出自がだいぶ異なる。そして、時代は2000年代のリアル格闘技ブームであり、その元祖のようなアントニオ猪木は本来エンターテイメントであるはずの新日本プロレスを思いっきり格闘技路線に引きずり込む。その中で見出された選手が中邑であり、その中でプロレス全体の不遇を背負ったのが棚橋であった。ただ、両者に共通していたのは新日本プロレス愛。それぞれのプロレスラーとして開花する時期は異なったが、やがて両者が格闘家ではなくプロレスラーとしての才能に目覚めた時、長く混乱に満ち倒産の憂き目にも見舞われそうになった新日本プロレスは再生を遂げる。 私の知らない時期の新日本プロレスにこんなドラマがあったとは。。この本の中で特に興味深いのは二人がプロレスラーとしてどのように悩み、突き抜け、セルフプロデュースをしていったかの過程である。プロレスラーは強さは弱さではなく、「お客をいかに沸かせられるか」が実力の軸であり、それは感情の爆発(ファイヤー)を通じて織り成されていく人間ドラマでもある。この辺りの「正しいプロレスラーの見かた」をこの本ではなんどもなんども教えてくれる。早期に目の肥えたプロレスファンになりたい方は、ぜひともこの本を読んでみることをオススメします。「プロレスとは何か?」ということを改めて理解できる本でした。
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