変身のためのオピウム/球形時間 の商品レビュー
22人の女性の短編連作のような話と、喫茶店で時間旅行をしている?イザベラ・バードに逢ったりする話。 何を伝えたい話なのか良く分からないが、形容詞とか面白い。
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球形時間、の感想 一体、いつの時代の話なのか?カタカナで表現される人物達は、何者なのか、コロコロと主観がかわる文章が続き、最初しばらくは、?の時間が続き、ココを抜けられないと面白さは分からないかもしれない。 抜けたとしても、相変わらず、何の話だかさっぱり分からないまま進み、何とな...
球形時間、の感想 一体、いつの時代の話なのか?カタカナで表現される人物達は、何者なのか、コロコロと主観がかわる文章が続き、最初しばらくは、?の時間が続き、ココを抜けられないと面白さは分からないかもしれない。 抜けたとしても、相変わらず、何の話だかさっぱり分からないまま進み、何となく形が見え始め、人と人との繋がりが見え始め、 読み終わったら、もう一度読まないと分からない。 確認したくなりました。 何とも言えない不思議な世界観で、後からじわじわきます。
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『変身のためのオピウム』は2001(平成13)年、『球形時間』は2002(平成14)年の作。 前者はそれぞれローマ神話の女神の名を持つ22の章から成り、その各章は数行のほんの短い断章の集まりになっている。このようなアフォリズムふうの前衛的なフォルムで、確かに「シュールな」描写も...
『変身のためのオピウム』は2001(平成13)年、『球形時間』は2002(平成14)年の作。 前者はそれぞれローマ神話の女神の名を持つ22の章から成り、その各章は数行のほんの短い断章の集まりになっている。このようなアフォリズムふうの前衛的なフォルムで、確かに「シュールな」描写もあるのだが、各断片はおおむね明確につながっており、不可解な印象はあまりない。 『球形時間』の方はもっと一般的・オーソドックスな、高校生らの日常生活を中心に描いた普通小説に見える。しかし、描出される思惟(割と「妙な」思惟傾向)などはどこか漠然と放り出されており、求心的な結合は満たされない。 言葉に対する感覚は鋭敏で、その意味で川上未映子さんの作品に通じるものもあるが、あのように非常な多弁傾向は無くて、かなり慎ましやかに感じられる。 そのような言語の飛翔を楽しむのに(特に『変身のためのオピウム』は)いい作品だが、やはり「大きなゲシュタルト」の登場が無いために、どこか散漫で、ひたすらユルい散策が続いているような印象で、私の好みとしては物足りなさを感じた。詩的なたたずまいのある、芸術度の高い作風とは思うものの。
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とても面白かった。言葉と言葉が化学反応を起こしているようで、でも人と情景が舞台になって立ち上る。 ********** 『変身のためのオピウム』 わたしは一週間後にまた怪我をしてひとり、シュレースヴィッヒ・ホルシュタイン州の田舎道に横たわっていた。それから、一カ月後には...
とても面白かった。言葉と言葉が化学反応を起こしているようで、でも人と情景が舞台になって立ち上る。 ********** 『変身のためのオピウム』 わたしは一週間後にまた怪我をしてひとり、シュレースヴィッヒ・ホルシュタイン州の田舎道に横たわっていた。それから、一カ月後にはまた同じことになった。時間は繰り返し、わたしは締めくくりの言葉を探すことができなかった。もう少しというところまで来ると、幸福という単語が表れて、思考の流れを断ち切ってしまう。幸福という言葉ほど無神経な言葉はない。出かかった芽を次々積み取り快活さを踏みにじる。 「ガランティス」 ラトナはどんな仕事も習い始めて最後まで続いたことがない。職業訓練の道もいろいろ歩き出してみるが、めでたくゴールインの鐘の鳴る前に見放してしまう。~試験が難しいと感じたことはこれまで一度もなかった。ラトナは、指先が器用で、耳もよく、記憶力には伸縮性があった。~叔母さんはその度に笑って、どうして煙突掃除人になりたいの、と尋ねた。少女はそんなことは当然だとでも言うように、「他人の家に自由に出入りできるからよ、テントウ虫みたいに。」と答えた。 「ラトナ」 数字には基本的にどこかおかしいところがある。クリメネはそのことに子供の頃から気がついていた。たとえば、二十二は二十三よりも小さいというが、数そのものに量があるわけではなく、数は料金支払い窓口の前に列を作って並んでいる人間たちのようなもので、大きい小さいではなく、順番の問題なのである。 毎日充分食べることです。そうしないと、身体の形が曖昧になって幅がでてきます。少ししか食べないようにするというのは、少ししか読書しないようにするというのと同じです。読書が足りないと、頭の中をからっぽにすることができなくなるでしょう。 文法的に見れば、ずっと三人称で街を歩いていた。町の人たちにとって、クリメネは「君」でも「お前」でもなく、「あなた」でさえなく、不特定多数の旅行者たちのひとりにすぎなかった。 クリメネは痛みというもの、もっと正確に言えば、痛みの文法というものに関心を持っていた。馴染のない感触を与える痛みがある。肉の中のねじまわし、槌、ナイフ。それが職人もいないのに勝手に動く。何か言いたいことのありそうな痛みというのもある。言いたいことの内容は不明のまま、メッセージも跡形なくすべて消えてしまう。痛みの発祥地はどこなのか、探してみるが、見つからない。114-115 「クリメネ」 とてつもなく高い年齢に達したい、とテティスは思っていた。年寄りになってからも、長く生きたい。あまりにも年を取りすぎて、年齢を数字で表すことができなくなり、年を聞かれても、数字の代わりに永い溜息が出るくらい、年を取って見たかった。~テティスは月と年を集め、無数の年月を積み重ね、未熟な年齢から無限に遠いところへ行ってしまいたかった。もう絶対に二十五歳には戻りたくない。その時点からできるだけ遠く離れていきたい! 「テティス」 ポモナはわたし自身にも見えないわたしの顔に現れた兆候を見逃さない。ポモナはわたしに心を集中し、わたしのことだけを考え、わたしだけを見つめている。顔を、お腹を、手のひらを、わたしの方向に何度も向けなおす。わたしが言う言葉のひとつひとつに耳を傾ける。その声は探し求めながら振るえ、わたしと同じ周波を見いだそうとする。外面的に見れば、恋人と完全に同じことをしている。 「ポモナ」
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中編2作を収録。 全く印象の違う2作が1冊に纏まっているというのがまず面白い。『変身のためのオピウム』の方が多和田葉子らしいと感じたが、『球形時間』も面白かった。
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