フランクル『夜と霧』への旅 の商品レビュー
意味は教えたり与えたりすることはできない。唯一与えられるのは「真理探究に挺身する己れ自身の生きた実例」。ただ手本になることができるだけ。 人はされたことしかできないし、言うことより何をやってるかということに注目する。子どもができたときに、正しいことを言う大人ではなくて、目で見て...
意味は教えたり与えたりすることはできない。唯一与えられるのは「真理探究に挺身する己れ自身の生きた実例」。ただ手本になることができるだけ。 人はされたことしかできないし、言うことより何をやってるかということに注目する。子どもができたときに、正しいことを言う大人ではなくて、目で見てすぐにわかるような正しいことに動いている自分を見せられるような大人になりたい。
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フランクルの『夜と霧』はみすず書房を代表するベストセラーである。時にベストセラーともなれば「ちょっといい話」の類の受け取られ方をしてしまうことも見受けられる。しかしベストセラーとして多くの人が手に取る以前にまずこの本は「深く」受け留められていたのである。日本におけるフランクルに...
フランクルの『夜と霧』はみすず書房を代表するベストセラーである。時にベストセラーともなれば「ちょっといい話」の類の受け取られ方をしてしまうことも見受けられる。しかしベストセラーとして多くの人が手に取る以前にまずこの本は「深く」受け留められていたのである。日本におけるフランクルにまつわる出来事を丹念に追っていった本書はそのことを明らかにしている。 奇しくも東日本大震災と時を同じくして書き継がれていった本書は、改めてどうして今フランクルの『夜と霧』が読まれるのかを明らかにしている。アウシュヴィッツを生き残った人として受け止められがちなフランクルは、強制収容所の生還者である前に、一人の医師であり、生きることの意味を説き続けた哲学者であった。本書はフランクルの他の著作を突き合わせながら解説していく本とは一線を画し、ただひたすら著者が見出した様々な『夜と霧』との出会いを追跡していくものである。そのジャーナリスティックな筆致を通して確かめられる事実の一つひとつは、ともすればフランクルにすでに親しんでいる読者にとって新たな発見をもたらすものであろう。そういったものとして日本における受容を決定づけた訳者の霜山徳爾のドキュメント、あるいは著者が強制収容所で確かめるプーヘンヴァルトの歌をめぐる事実の一つひとつが挙げられよう。そしてエリーがフランクルを語る箇所はフランクル自身が語る「日常の形而上学」を如実に浮かび上がらせる。フランクル自身は自らを語らない、そしてフランクルを実際に知る人々も自らを語らない。そうしたフランクルに近しい人々を訪ねて書き記された本書は自らを語らない人々の声を集め、フランクルの生きた姿を記録した特異なドキュメントである。 著者は、フランクルが語ることを「理解する」のは難しいことではないが、それを「受け留める」のが難しいのであると書いている。しかしそのフランクルの言葉がどのように人々の心を揺さぶったのかを確かめる本書は一見平易に語りかける特異な思想家の深みをありありと感じさせてくれるものである。苦悩に貫かれながらも実存を賭すように日々を生きたフランクル。その人自らがその思想の証であることを示す一言がエリーによって語られている。「彼は、自分の治療を受ける人に誠意を尽くして、すべてを与えました。私はいろんな医者を知っているけれど、それは普通のことではありません。医者は本来どうあるべきか、その姿を映しているように、私には思えたのです。」
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われわれが人生の意味を問うのではなく、人生がわれわれにその意味を問うている。 ーー私が『夜と霧』を読んだ時、有名なこの言葉の意味があまりわからなかった。 人生色々あるけどなんだかんだ毎日充実してる!楽しい!という気持ちで生きてきたからだろう。 多分、行き詰まっていないとこの言葉は...
われわれが人生の意味を問うのではなく、人生がわれわれにその意味を問うている。 ーー私が『夜と霧』を読んだ時、有名なこの言葉の意味があまりわからなかった。 人生色々あるけどなんだかんだ毎日充実してる!楽しい!という気持ちで生きてきたからだろう。 多分、行き詰まっていないとこの言葉は響かない。 今回本書を読み、この言葉の意味を改めて考えてみた。 私は今とても仕事が楽しくなく、何をやってもうまくいかないと感じていて、自分の存在意義がわからないと思っている。 この社会でなんらかのプレゼンスを発揮したい、誰かの役に立ちたい、ささやかなことでもいいから何か一つをやり遂げたい、そういう思いがどうにも報われないような気がして悶々としている。 とてもありがちでしょうもない悩みかもしれないけど、その思いは深く自分を巣喰い、心に翳りを与えている。と思う。 でも、フランクルの言葉に照らして考えれば、この状況に意味があるのか問うべきではなくて、この状況からどんな意味が見出せるか、私自身が問われている。この現状を自分がどのような態度で引き受け、ここからどんな意味が見出せるかは私次第。 ということなのだろうか。 というわけで、この現状にどんな意味が見出せるのか、考えてみることにしよう。 確かにそうすれば、少しは前向きに生きられる気がする。
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ブックサンタには渋い本かもしれませんが、私が高校の頃に読んでいたら人生が変わっていたかもしれないと思い登録しました。
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フランクルの『夜と霧』は霜山徳爾訳、池田香代子訳を読んだのだが、もう少し理解を深めたく読んでみた。丹念に取材してあり、基本的な背景や知識が無かった私にはありがたい本となった。参考資料一覧も助かる。改めて『夜と霧』を読み直したいと思った。
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『フランクル「夜と霧」への旅』(著:河原理子) 付箋部分を抜粋します ・どんな運命に見舞われたとしても、人は運命に翻弄されるだけの存在ではなくて、不条理を引き受け、運命に対してどんな態度を とるか決める精神の自由があるのだとフランクルは説いた(p4) ・人間はあらゆるこ...
『フランクル「夜と霧」への旅』(著:河原理子) 付箋部分を抜粋します ・どんな運命に見舞われたとしても、人は運命に翻弄されるだけの存在ではなくて、不条理を引き受け、運命に対してどんな態度を とるか決める精神の自由があるのだとフランクルは説いた(p4) ・人間はあらゆることにもかかわらず 困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の 運命の下にあったとしても 人生にイエスと言うことができるのです(p24) ・患者の回復が思うように進まないと話すと「どんな人にも生きる意味はある。ただ気づいていないだけ。治療者の役割は 一緒にそれに気づくことだ」と言われたという(p79) ・あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに期待することをやめない(p81) ・変えられない運命に対して、どのような態度をとるか、その事実をいかに引き受けるのかという心構えと態度によって 人はなお意味を見出すことができるのだ(p84) ・人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが 問題なのである(p88) ・「人は生まれた瞬間の高みから、死に向かって毎日降りていく。人は死ぬのだというわきまえを持っていると 思いやりが生まれる」(p98) ・人生にはさまざまな困難があるけれども「にもかかわらず」生きようとする生き方なんですね(p99) ・人間は人生から問われている存在である。人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、人生からの問いに 答えなくてはならない(p105) ・人生の真の幸福は、幸福を追い求めることでは決して手に入らない。逆にそれを忘れて「人生からの問い」に答えることに 専心した時にはじめて自ずと訪れるものなのだ(p109) ・「ロゴセラピーは、技法ではなく、生き方なのです」(p118) ・「大事なのは、人間の心のあやに気がつくこと。そのためにも、人間的な教養を深め、成熟したゼネラリストになってほしい」(p247) ・不幸や不条理に立ち向かうには、すごく地味なことをコツコツやっていくしかない、という感じがしませんか。あるところに 大きな救いがあって、そこに自分も回収される、というのは絶対うさんくさいし、本物じゃない。小さくて地味で一見、これかよ みたいなこと(p253) ・問うのではなく、こたえる 引き受ける(p262) ・人間と向き合う仕事をする人たちがそうであるように 自分の全身を使ってするものになった。自分の感情も含めて総動員しなければ 受けとめられない部分が大きくなったのだ(p264) ・自分のしていることに何の意味があるのか、生きる意味とは何なのか・・・。問うても仕方のない問いにがんじがらめになるとき 問うのではなく、刻々と問われることにこたえるのだ、というフランクルの言葉は、不思議なほど救いになった(p265) ・ただひたすら応答する。こたえる。そのことのなかに実感はある(p266) ・フランクルのいう「苦悩」は、自分では変えることのできない運命的なものに対する苦悩を指すのだが、そのような運命に人は 翻弄されるだけの存在ではないのだ。運命に対してある態度をとる自由がある。みずから引き受けて、苦悩を苦悩することによって 自分自身へと成熟し、ものごとを見抜くことができるようになる。 人間の本質は「苦悩する人」なのだ、とフランクルは言った(p268) ・あたかも今が二度目の人生であるかのように、生きなさい。一度目は、今しようとしていることに、まちがって行動してしまった かのように!(p280) ・人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである(p300) ・人生の意味は自身が見出す他にない。多くを失い、奪われ、途方に暮れる。人生にはさまざまな局面が訪れる。「それでも」 「にもかかわらず」「それでもなお」・・・フランクルの思想の、また本書のキーワードであると思う(p301)
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わかりやすく絶望的状況に置かれた人間の陥る心理や行動を知ることができる。 「待っている人がいる」 「実現を待たれている何かがある」 自分がしたい、したくない、という主観の世界ではなく、未来への希望を抱き続ける技術として使える。 上の二つが自分がやらないといけないと強く認識す...
わかりやすく絶望的状況に置かれた人間の陥る心理や行動を知ることができる。 「待っている人がいる」 「実現を待たれている何かがある」 自分がしたい、したくない、という主観の世界ではなく、未来への希望を抱き続ける技術として使える。 上の二つが自分がやらないといけないと強く認識することで、絶望せずに生きれるよ。という内容の本でした。 アウシュビッツでの環境と、現代のリアルの環境が、似ている!と思える人にとっては、切り開くヒントがここにあり勇気つけられます。
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「夜と霧」「それでも人生にイエスと言う」などを読んで、「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。…人生から投げかけられた問いに、われわれは、正しい行為によって応答しなければならないのである」の意味する...
「夜と霧」「それでも人生にイエスと言う」などを読んで、「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。…人生から投げかけられた問いに、われわれは、正しい行為によって応答しなければならないのである」の意味するところ、自分にとってはどういう行動をすることなのか難しいなと思っていたが、 著者がこの本でフランクルの別の書からの抜粋してくれた部分 「つまり満たされるべき意味、出会うはずのもう1人の自分、自分自身を差し出すべき理由、あるいは愛する人に向かって生きて初めて、人は人間として生きられると言うことである。/人間存在のこの超越性を人が生き抜くその限りにおいて、人は本当の意味で人間になり、本当の自分になる。そして人がそのようになるのは、自分自身を自己の実現に関与させることによってではなく、むしろ逆に自分自身を忘れること、自分自身を与えること、自分自身を見つめないこと、自分自身の外側に心を集中させることによってなのである」(意味への意志) (生きる意味を求めて) という抜粋や 著者の意見ーただ、つまりはどう生きるかしかないのだ。どう生きるか、人生からの問いかけに日々どう応答するかを考える時、「良心」はカギになる概念だ。フランクルによれば、「良心」は意味を感知する器官だから。このアンテナを働かせることによって、よりよく生きることができるーはずなのだ。 では善とは何か。意味の遂行を促進するものが善で、それを阻害するものが悪なのだ、とフランクルは話した。 と著者が書いた部分を読んで、長年の謎が解けたというか、少し理解が進んだように思う。 そして著者は判断に迷った時には 「あたかも今が2度目の人生であるかのように、生きなさい。1度目は、今しようとしていることに、間違って行動してしまったかのように」という言葉に立ち返るそうだ。 これは『それでも人生にイエスと言う』の中で、自分の記憶にも鮮明に残っている言葉だ。 この言葉は、生きている意味を促進するような、良心で判断した行動をとるようにということだったんだなと思った。 以前、『夜と霧』を悲惨な話と思って読んだら、読後感は爽やかだった印象が強く残ってる。 この『夜と霧への旅』では、フランクルが大変冗談が好きな、明るい人だったエピソードが出てくる。(例えば、ポケットに入っていたチョコレートのそう面白くない話を何度も何度も笑って話していたことなど) また『夜と霧』の中では、収容所生活があまりに辛くなった時に、「今のこの生活は、自分がここから解放されたあと、ホールで大勢の前でまさにこの生活について講演している内容なんだと想像してみることで精神的に耐えられた」という話が出てきたのを思い出した。 これは、フランクルは根から明るい性格だったので、窮地に陥った時に、ものごとを別の次元で捉え直すことできたのではないかと思った。 だから、「人生に期待するのではなく、自分が人生の問いに応答することが重要」…というものごとの捉え直し、発想の転換ができたのではないかと思う。 ものごとを捉え直してみる、というフランクルの明るさが、窮地を希望に変えたのだと思う。…と考えると、フランクルの「明るさ」のおかげで、今のわれわれもフランクルの発想に支えられ、その恩恵に預かっているのかもしれない、とこの本を読んで、ふと思った。 考えてみると、明るいというのは、自分の内に向かうのではなく、外へ向かっていることだなと思う。これもフランクルの言う人間存在の超越性に含まれるのかもしれない。
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『夜と霧』、『それでも人生にイエスと言う』等の著者であるフランクルを辿り、書かれた本。フランクルを知らない人には、入門書のような感じで、とても参考になると思う。 また、フランクルの著書を何冊か読んでいる人にも、整理ができ、しかも新たな発見もあって、フランクルをより深く知ることが...
『夜と霧』、『それでも人生にイエスと言う』等の著者であるフランクルを辿り、書かれた本。フランクルを知らない人には、入門書のような感じで、とても参考になると思う。 また、フランクルの著書を何冊か読んでいる人にも、整理ができ、しかも新たな発見もあって、フランクルをより深く知ることができると思う。 この本を読んで、「それでも人生にイエスと言う」とのフランクルの言葉は、彼自身が自分にまず言い聞かせた言葉ではないかと思った。
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烏兎の庭 第四部 書評 6.1.13 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto04/bunsho/yorukiri.html
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