百年の散歩 の商品レビュー
最初は彼女の硬い文体が苦手だと思った。感情を排除して、頭の中の連想ゲームを覗き込んでいるような。しかし、読み進めていくうちに引き込まれていく。まるでドイツの硬いパンを味わっているかのようだった。顎は疲れるのに、なにくそと引きちぎって齧り付いて噛み砕く。
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散歩をしながら頭の中をそのまま書き出してるかのような不思議な文章だった。表現が素晴らしく大理石のことを『ミルクが汚れを巻き込んで固まってできたような石』と表現したり、『若葉がきれいなのは数日間だけだ、すぐに色がくすんでしまう。必ずくすんで、それから先の時間はずっとうしなった色の事が気になっている』と恋愛も似ていると言う。面白い言葉遊びが散りばめられている。
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言葉から言葉へ、「音」を介して広がるイメージの面白さこそ多和田葉子、そんなふうに「洒落た」読み手たちはいうのだ。そうなのだろうか、一章「カント通り」から二章「カール・マルクス通り」にかけて散歩しながら居眠りを始めた奇特な方はいらっしゃらなかったでしょうか? 面白さなど、人それ...
言葉から言葉へ、「音」を介して広がるイメージの面白さこそ多和田葉子、そんなふうに「洒落た」読み手たちはいうのだ。そうなのだろうか、一章「カント通り」から二章「カール・マルクス通り」にかけて散歩しながら居眠りを始めた奇特な方はいらっしゃらなかったでしょうか? 面白さなど、人それぞれなのですが、ぼくにとって、多和田の面白さといえば、文章の中に多層化して畳み込まれた意識、そこから目の前の風景の底に流れる、多層化した時間を見抜く確固とした眼の力、あるいは、意志と呼ぶべきものが現れてくる瞬間に出会うことなのです。 「そうだったのか」という納得が何となくやってきて、再び消えてゆく。とても居眠りなどしていられない。たとえば、「コルビッツ通り」にあふれ出す子どもたちを見つけた多和田の喜びの深さ、これは、なかなか出会えない多和田葉子の素顔がのぞいた瞬間かもしれかもしれませんね。そこが面白い。 https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202002170000/
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ベルリンの通り名、いろんな場所に、いろんな名前がついている。ドイツ、全然知らないかとことに気づく。再読したい。
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「百年の散歩」(多和田葉子)を読んだ。 読んでいる自分も『あわあわ』とした影みたようになって「わたし」に寄り添ってベルリンの街を通りから通りへ彷徨うその揺らめきが快感となって魂を揺さぶる。 自分の中のこれまでの多和田葉子さんのイメージよりも今回は少ししっとり華やいている気がする。
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ベルリンの実在する通りをタイトルとした10編の話を収録した、エッセイ風の小説。 「あの人」を待ちながら、目に止まった自然や建物、人々などについての思いを馳せていく。その対象は現実のものであったり、過去へと飛んだ想像の世界であったりするのだが、その境界は曖昧でふわふわと漂っている...
ベルリンの実在する通りをタイトルとした10編の話を収録した、エッセイ風の小説。 「あの人」を待ちながら、目に止まった自然や建物、人々などについての思いを馳せていく。その対象は現実のものであったり、過去へと飛んだ想像の世界であったりするのだが、その境界は曖昧でふわふわと漂っている。 取り立てて大きな筋があるわけでもなく、言葉や文字の遊びを楽しみながら、思考の飛んだ先を作者とともに想像しゆったりと散歩していくような味わいのある一冊。
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3/25は散歩にゴーの日 わたしは今日もあの人を待っている、ベルリンの通りを歩きながら。 多和田葉子さん『百年の散歩』を。
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ベルリンに点在する芸術家や思想家等の名前が付された通りや広場を題名とする10編。 巻頭の「カント通り」誤変換を装う言葉遊び的な出だしからニヤリ。 エッセイともフィクションともつかない境界のはっきりしない、不思議な味わいにして多和田さん独特の文章。鋭い風刺性、政治性を記す一方で、無...
ベルリンに点在する芸術家や思想家等の名前が付された通りや広場を題名とする10編。 巻頭の「カント通り」誤変換を装う言葉遊び的な出だしからニヤリ。 エッセイともフィクションともつかない境界のはっきりしない、不思議な味わいにして多和田さん独特の文章。鋭い風刺性、政治性を記す一方で、無邪気にも無防備にも思えるような美しい一文が不意に現れて、惹き付けられる。 各編の題名の場所を歩く語り手の周囲のスナップショットと共に、空想、妄想めいた語り手の思索の飛翔に、随伴している読み手もまた、ベルリンの地と歴史性の中を散策する。
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あの人を待ちながら、ベルリンを歩き回る。人の名前のついた道では、その名の人が現れる。あの人には会えないままである。どこにも行き着けない、ずっと続く散歩。 シーンを思い描きながら読むが、「左の肘を」とか「右隣に」とか、具体的に位置関係が書かれた途端、自分の思い描いていたシーンが左...
あの人を待ちながら、ベルリンを歩き回る。人の名前のついた道では、その名の人が現れる。あの人には会えないままである。どこにも行き着けない、ずっと続く散歩。 シーンを思い描きながら読むが、「左の肘を」とか「右隣に」とか、具体的に位置関係が書かれた途端、自分の思い描いていたシーンが左右反対であることが続き、その度に頭の中の空間を丸ごと裏返しにしなくてはならない。 オリオン座の右側のペテルギウスが…と娘が言うので、いやペテルギウスは左上だぞと正したら、だってオリオンはこっちを向いているんだから右の肩のところじゃんと言い返されたのを思い出した。
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ベルリンにある実際のストリートにちなんだエッセイ集。購入時の期待としては、散歩+風景やレストラン、町の人々との交流などを想像したいたが違った。「あの人」を待ちながら空想にふける主人公の現実と空想が混じった不思議な流れ。好みに合わず期待と違ったという点で星一つ。
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