1984年のUWF の商品レビュー
男たちのコンプレックスとジェラシーが歴史を動かしていく、と改めて。UWFという復讐のために生まれたリングを舞台に繰り広げられる平家物語。著者が長年書き綴って来た「…年の…」シリーズの最新作ですが、原点は最初の作品「1976年のアントニオ猪木」で奇跡的に現出したリアル・ファイト。そ...
男たちのコンプレックスとジェラシーが歴史を動かしていく、と改めて。UWFという復讐のために生まれたリングを舞台に繰り広げられる平家物語。著者が長年書き綴って来た「…年の…」シリーズの最新作ですが、原点は最初の作品「1976年のアントニオ猪木」で奇跡的に現出したリアル・ファイト。そこで放たれた「プロレスこそ最強」という妖しい光に魅入られたのは実はレスラーではなく、我々観客だったのです。このファンタジーを体感するために、猪木、佐山、藤原、前田という最強神話の憑代を消費し続けて来たのだと自分の観戦歴を振り返ってしまいました。そんなファンの夢を受け止めてレスラーたちは自分の存在をブランディングしていく。そのファンタジービジネスみたいなものがプロレスコミュニティの中だったら成立してたものを外からの総合格闘技というリアルによって崩壊していく過程がUWFの流れの最期。プロレスから抜けれなくて自我だけ肥大させていく前田に厳しい視点です。それにしても、ちょっと前まで最強を求めていた若者たちのエネルギーは今、どこに向けられているのでしょうか?
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読み終えて思うのは猪木の影響力のすさまじさ。今更いうまでもないけれど。それと佐山聡の天才。 猪木が作った「プロレス最強」。それを下地に佐山が創ろうとした「総合格闘技」。その変遷途中に輝きを放ったのが「UWF」という存在。 その佐山の構想は理解されずに、リアルプロレスと謳ってプロレ...
読み終えて思うのは猪木の影響力のすさまじさ。今更いうまでもないけれど。それと佐山聡の天才。 猪木が作った「プロレス最強」。それを下地に佐山が創ろうとした「総合格闘技」。その変遷途中に輝きを放ったのが「UWF」という存在。 その佐山の構想は理解されずに、リアルプロレスと謳ってプロレスを続けたUWF。そこに徒花さがあるんだな、と思います。当時を知らない自分としては。 「UWFをわからないといえない風潮」「UWFを認めない=格闘技がわからない」というような言葉がでてきますが、その言葉自体がリアルファイトでない、と理解している証左であって、それをいうことがプロレス=八百長を認めるというコンプレックスと同じこと。そのコンプレックスを脱ぎ捨てるためのUWFが、同じものを着ているという事実。プロレスの凄さは夢を見て、夢を見せることができること。レスラーと観客が同じ夢を共有できる、させることができること。その猪木が作り上げてきた夢が幻となった時に、新たな夢を魅せてくれたのがUWFだったんでしょう。 そして、その幻想はPRIDEまで続きます。高田が背負って砕かれ、桜庭が希望となります。 日本の格闘技の源流はプロレス。プロレス幻想を壊したのはUFCとグレイシーの黒船。でも、UWFという格闘技に一歩近づいた近づこうとしたものがあったから、PRIDEが生まれて、その後の格闘技の隆盛があったわけです。後から振り返れば、UWFは徒花と言われるかもしれないけど、それは滅びの魅力があるから。振り返った時に、後付けとして滅びと感じるから。 歴史で見たらUWFは敗者と表現されるのかもしれない。でも、敗者は敗者として歴史に貢献していることは紛れもなき事実。敗者という表現が妥当かどうかはわかりません。帯で中井祐樹が「過去は否定するべきじゃない」といっているのが真実です。 現在進行形のUWFの時代に、UWFを体験してみたかった。何かが新しく生まれる時、何かが失われる時。それを確信できてもできなくても、その時代を体験できるということは、幸せなこと。 さて、柳澤健は次にどの時代を書くのか。 PRIDE行きましょう。自分の期待が膨らんでいるからですが、桜庭主人公でどうでしょうか。
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【UWFとは何だったのか。その光と影を描く】1984年に設立されたUWF。そこに関わる男達、アントニオ猪木、タイガーマスク、前田日明、藤原喜明らの愛憎入り乱れる物語。
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