鬼滅の刃(5) の商品レビュー
累は「お前に頸を切られるより先に自分の糸で切ったんだ」って言うけど、あのタイミングは完璧に炭治郎の刀でしょ……と何度見ても思う……。
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3人がピンチ。柱現る。冨岡義勇再登場。一巻では厳しくも人情が垣間見えたが、今回は死んだ鬼を踏み付けやや非情。登場した2人の柱はとてつもなく強いが、凄みが強調されている。炭治郎と死闘を演じた鬼の過去の話がグッとくる。愛情に飢えていた鬼。親の本心に気づく。鬼滅の刃の魅力の一つがこの辺にあるのだろう。
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炭治郎は、強い。 禰豆子も、頑張った。 それ以上に強い鬼滅隊員が出てきた。 面白くなってきた。 ドラゴンボールみたい。
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虚しく悲しい生き物。底抜けに優しい炭治郎。 「刀2本持ってるもん!」の伊之助が可愛かった。 もっと伊之助と善逸ください。 (アホのコ好き)
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しのぶさんが人気なの分かった気がしました。善逸も頑張ってたし。しのぶさんを呼んだのが善逸のスズメだったという大正コソコソ話が面白かった。伊之助も相変わらず無謀で、義勇さんに戦い挑むし、癒されます。累の勘違いからくる身勝手な思考にぞっとします。過去に不幸はあれど愛されてたのに。無惨、鬼畜。鬼だけど。禰豆子も強かったし子供達が爆血!!って叫んでいたのはこれか。ヒノカミ神楽とはなんだ?
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1から4巻は、まぁまぁ面白いなあというところだが、この5巻の累の最期は何度見ても涙してしまう。自分で壊してしまった家族を追い求め、鬼として「家族」を作ろうとしてきた、彼の暴力性、残酷さの裏にある物語が心を揺さぶり、どうしようもなく優しい主人公が伸ばす手が、また、心に響くのである。
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『鬼滅の刃』は2020年に大ブームになった作品である。実は私は読まず嫌いでブームに乗り遅れたが、ダイバーシティの21世紀に相応しい作品と言える。『鬼滅の刃』ブームはアニメの影響が大きい。『鬼滅の刃』のアニメはufotableが制作した。ufotableは東京都中野区野方で「ufo...
『鬼滅の刃』は2020年に大ブームになった作品である。実は私は読まず嫌いでブームに乗り遅れたが、ダイバーシティの21世紀に相応しい作品と言える。『鬼滅の刃』ブームはアニメの影響が大きい。『鬼滅の刃』のアニメはufotableが制作した。ufotableは東京都中野区野方で「ufotableカフェ東京」を運営し、アニメとコラボした企画を開催している。 新型コロナウイルス感染拡大時も『鬼滅の刃』コラボ企画を開催し、周辺住民らから感染拡大をもたらすと批判された。中野区では杉並区の中野区寄りの立正佼成会附属佼成病院で新型コロナウイルスの院内感染が起きて以降、感染事例が増えていた。『鬼滅の刃』コラボで全国各地からファンが訪れ、感染拡大になると懸念された。この出来事から私は『鬼滅の刃』に良い印象を持てなかった。 『鬼滅の刃』の魅力は個性的を通り越した奇人変人のキャラクターである。主人公と共に闘う善逸と伊之助は身勝手である。善逸は弱虫であり、伊之助は猪突猛進である。主人公を助ける頼もしい味方という感じではない。集団主義的な視点では否定的評価になるが、逆にそれが物語の魅力になる。ダイバーシティが重視される21世紀ならではの作品である。 善逸はよく最終選抜に合格したと思えるほどである。最終選抜は生き残ることが目標であり、強敵を倒すことではない。それが善逸の合格要因だろう。最終選抜のような試験方法ではチームプレーは鍛え難いのではないだろうか。集団主義的な日本の教育の真逆である。それが鬼殺隊の組織風土にも影響する。何しろ最高幹部の柱も奇人変人揃いである。那田蜘蛛山編終盤での富岡義勇と胡蝶しのぶのディスコミュニケーションは面白い。21世紀の発想ではダイバーシティのある組織の方が危機に強い。 那田蜘蛛山編で竈門炭治郎は十二鬼月の下弦の伍と対決する。ヒノカミ神楽の竈門炭治郎の覚醒ぶりは目を見張る(『鬼滅の刃 5』)。アニメの作画は神作画と評価が高い。しかし、それで決着はつかない。覚醒したから勝てる訳ではないという展開は現実味がある。精神論根性論で何とかする昭和の物語とは一線を画している。2020年に大ヒットする作品である。
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炭治郎のお父さん、一体何者だったのでしょうか。 父から教わった神楽の呼吸で技がでるなど、彼の家にはなにか秘密がありそうです。
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那田蜘蛛山編終幕の5巻。 山にいた鬼の親玉は十二鬼月・下弦の五。名前は累。親玉という言い方は嫌うのだろう。彼が那田蜘蛛山に鬼を集めていたのは、家族を作り上げるためなのだから。家族に親玉なんて呼ばれる存在はなく、強いて言うなら父親がそれだろうけども、あくまで家長としての意味合いで...
那田蜘蛛山編終幕の5巻。 山にいた鬼の親玉は十二鬼月・下弦の五。名前は累。親玉という言い方は嫌うのだろう。彼が那田蜘蛛山に鬼を集めていたのは、家族を作り上げるためなのだから。家族に親玉なんて呼ばれる存在はなく、強いて言うなら父親がそれだろうけども、あくまで家長としての意味合いであって、戦闘集団としてのそれとは違うのだから。 累のことを親玉といった自分は、サイコロステーキにされてしまうこと請け合い。 鬼となるきっかけの事件で家族との絆を失った累。その空白を埋めるために鬼になった後も、絆を作り出そうと偽物の家族ごっこを強制します。 自己犠牲に絆を見出す累。炭次郎と禰豆子の存在そのものが、理想とする絆。 その二人の前に累が負けるのは、必然だったと思います。 一方的につなぐことができると思っている累に、二人のつながりは負けない。 ここの戦いはアニメで屈指の演出してくれたので、感涙。敗北後の累の後悔、懺悔も含めて、心震えます。 アニメ初回を見て大人買いしたのですが、まさかもう一度やられるとは思っても見なかった。 鬼は虚しい生き物だ、鬼は悲しい生き物だ。 命を懸けて、命を削って、殺し合う相手の心情を思いやれる炭次郎。 思いやってしまう、と言うのがしっくり来るのかなぁ。思いを寄せてしまった相手を殺すことは、この先苦悩となってきそうな感じです。
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累はどうして記憶をなくしたんだろう?ねずこって血鬼術使えるんだね!炭治郎はヒノカミ神楽を、どうやって出したのだろう…
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