英語の帝国 の商品レビュー
英国内の英語化と、植民地を中心にした英語化、さらに日本を含むその外部の英語化について連続的な説明を試みる。 良くも悪くもアカデミックな書。 英国内の英語化については興味深く読んだが、それ以降については植民地化の言語面における発展の解説という域を出ないように思える。その限りでの資...
英国内の英語化と、植民地を中心にした英語化、さらに日本を含むその外部の英語化について連続的な説明を試みる。 良くも悪くもアカデミックな書。 英国内の英語化については興味深く読んだが、それ以降については植民地化の言語面における発展の解説という域を出ないように思える。その限りでの資料的価値はあるとは思うが。 森有礼の英語公用語化論にも触れられていて(210頁以降)、必ずしも日本語を捨て去る趣旨とはいえないとのこと。 要するに、英語教育は現地の言語を見下し脅かすものであり、帝国主義・植民地化の一環であるという主張だと認識した。 これに関連して、日本における英語教育の早期化にも反対しているようだが、ではどうあるべきかについては明記されていない。 本書の主題ではないのだろうが、言いっぱなし感というか、モヤモヤ感は残る。 「議論もあるところだが、……「連合王国」の同義語としての「ブリテン」という言葉はスコットランド側から提案された。イングランド人はもちろん何事もなかったかのように、すべて(スコットランドを含む連合王国も)を「イングランド」と呼び続けた。」(62頁)
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本書の核となるのはウェールズ・スコットランド・アイルランドにおけるイングランド語の進出の過程である。その後,インドやアフリカ,日本などの歴史についても触れている,日本の章では森有礼の「日本語廃止論」を読み解いている。
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「英語帝国主義」の成立に、支配する側の強制が必要なのはもちろんだが、もうひとつ重要なのが、支配される側のこどもの将来を案じる親の気持ち。この親心がブリテン島から始まって、インド、アフリカと広がり、日本にも到達した。 センター試験での英語四技能試験へと至る、長い長い歴史の流れがわか...
「英語帝国主義」の成立に、支配する側の強制が必要なのはもちろんだが、もうひとつ重要なのが、支配される側のこどもの将来を案じる親の気持ち。この親心がブリテン島から始まって、インド、アフリカと広がり、日本にも到達した。 センター試験での英語四技能試験へと至る、長い長い歴史の流れがわかり、植民地主義の内面化とどう向かい合うべきか、を考えさせられる。
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英語の拡散とその需要のされ方についての通史である。 紛れもなく帝国的な広がり方と言えるし、 もしかすると帝国主義とは言語の不均衡な浸透を言うのではないかとも思える。 しかし、当然軍事的な侵略のみで言語の浸透は起きない。 当該地方の積極的な受け入れもあってこその不均衡な浸透であ...
英語の拡散とその需要のされ方についての通史である。 紛れもなく帝国的な広がり方と言えるし、 もしかすると帝国主義とは言語の不均衡な浸透を言うのではないかとも思える。 しかし、当然軍事的な侵略のみで言語の浸透は起きない。 当該地方の積極的な受け入れもあってこその不均衡な浸透である。 つまるところ、それが「役に立つ」から喜ばれるという側面だ。 京都に住んでいると外国からの旅行者を多く見かける。 ヨーロッパだけでなく、アジア圏からも多く来ている。 中国人か韓国人か台湾人か、区別はつかないけれど 土産物屋の店員やホテルの対応は特に困らない。 みんな同じように英語を話すからだ。 これが支配言語があやふやで 日本語を勉強しないと日本に行けないのでは大変だし 受け入れ側も3、4ヶ国語話さないといけないのでは これはもうほとんど無理だと言っていい。 それを英語だけで来訪客のほとんどをカバーできるなら これほど役に立つこともない。 これを自発的な植民地化としてとらえるのは真っ当なことだと思う。 真っ当なことだと思うが、この場合、防ぎようはないのではないかと思う。 もしくは勝敗があるとすれば、 言語の植民地化が始まる前から勝敗は決していたのだと言うほかないのではないか。 今の日本語は間違いなく消える。平安時代の日本語はすでに 日本の標準語ではなくて、明治維新からの教育とNHKによって 薩長連合あらため大日本帝国が日本語を征服した。 それとまた同じことが起きるだろう。 そして、教育の力を持ってしても青森の人の話す言葉は 僕には聞き取ることが困難だし、 沖縄の人の言葉は単語からして何か違うが、 同じ日本語を話していることになっている。 200年後ぐらいには京都訛りの英語はねちっこいとか言われたりするんだろう。
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英語がいかにウェールズ、スコットランド、アイルランドで広がり、アメリカやオーストラリアに広がり、その他植民地に広がり、日本や韓国といった直接的に英語を必要としない国々で親が子に教えようとやっきになっているのかという事情がわかる本。オストラーの英語に関する未来予測やカチュルによる円...
英語がいかにウェールズ、スコットランド、アイルランドで広がり、アメリカやオーストラリアに広がり、その他植民地に広がり、日本や韓国といった直接的に英語を必要としない国々で親が子に教えようとやっきになっているのかという事情がわかる本。オストラーの英語に関する未来予測やカチュルによる円を使った世界諸英語のモデル化など、あまり英語の歴史に詳しくないので勉強になったし面白い。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
本多勝一にとって、英語に迎合する彼らは植民地状況下の「飛んで火に入る夏の虫」であり、文化的自殺である。歴史的にも、隷属化を進める「忠僕か幇間(タイコ持ち)」の役割として宗主国の言語を使う輩もかならずでてくるし、むしろその方が多い。本多は、英語が支配者側=宗主国の強制の他に、被支配者の「飛んで火に入る夏の虫」によっても普及していくことをよくとらえている。(p.132) ここでわれわれが注目するのは、こう言った「翻訳」や「発信型」の教科書という「膨張する円」の一つである日本での英語のあり方である。「翻訳」や「発信型」の教科書は、開国を余儀なくされて世界的な英語の世界に放り込まれた明治のような時期における「言語帝国主義」への抵抗や歯止めの形態となる。(p.231) 森有正はおそらく、日本、すなわち「膨張する円」=「非公式帝国」にもひたひたと押し寄せる「英語の帝国」を感知していた。このように圧倒的な「言語帝国主義」にそのまま屈するのではなく、これを受け止めつつも何とか対抗していくのが「翻訳」や「発信型」の教科書であった。「翻訳」は現地語が存続する余地を残すために英語への抵抗や歯止めとなる。「発信型」の教科書も現地文化を盛り込むために一方的な押し付けを食い止める。現に、「外郭の円」では英語が小学校から「教授言語」となったが、「膨張する円」での多くでは英語は中等教育段階での「教科」としてとどまった。「教科」としての英語を教える「発信型」の教科書をつくることは「言語帝国主義」への抵抗となる可能性があった。(pp.232-233) 「今、英語を学ぶということは、イギリス人という英語民族を先頭にしての西洋の支配、非西洋人に対する支配、抑圧、収奪、差別の歴史をいやおうなしに学ぶということだ。英語をしゃべる人間たちが犯した悪行について学ぶということだけではない。英語そのものが、あるいは英語教育そのものがそこで重要な役割を果したことを知ることでもあるにちがいない()逆に言うと、そういうことを学ばないような、あるいは教えないような英語教育はまったくのところ無だ」(小田実)(p.250)
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一番の問題点は、文章がひどすぎて内容に集中できないことである。この著者はフィリプソンの『言語帝国主義』の訳者の一人。さもありなん。 しかも、この本の引用文献にあるような英語史・社会史の文献をそこそこ注意深く読んでいれば予想がつく内容で新たな発見はほとんどない。 著者は「「グロ...
一番の問題点は、文章がひどすぎて内容に集中できないことである。この著者はフィリプソンの『言語帝国主義』の訳者の一人。さもありなん。 しかも、この本の引用文献にあるような英語史・社会史の文献をそこそこ注意深く読んでいれば予想がつく内容で新たな発見はほとんどない。 著者は「「グローバル・ヒストリー」と「英語の普及」を結びつけた政治社会史的な研究」だと誇っているようだが、成功しているようには思えない。 かなり研究が進んできたWorld Englishes関連の文献から引用がほとんどないのも気になる。 講談社選書メチエで初めてひどい本に出会った。
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