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最悪の将軍 の商品レビュー

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44件のお客様レビュー

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2026/02/07

第5代将軍綱吉は暗君か、明君か。 朝井まかてさんの綱吉を読んで、今までぼんやりとした綱吉像だったのが生きた人の形をとって立ち上がり、新しい目を開かせてくれた。 確かに江戸の中期、文化が花開く太平とうたわれた元禄の世を作り、戦いによって生きてきた武士に、新しい文治政策をいきわたら...

第5代将軍綱吉は暗君か、明君か。 朝井まかてさんの綱吉を読んで、今までぼんやりとした綱吉像だったのが生きた人の形をとって立ち上がり、新しい目を開かせてくれた。 確かに江戸の中期、文化が花開く太平とうたわれた元禄の世を作り、戦いによって生きてきた武士に、新しい文治政策をいきわたらせ、人が人らしく生きることを目指した。生類もまた同じ命を生きるもの、そのことを知らせることもした。 歴史は振り返っても闇の部分が多い。まだ比較的新しいこの時代でも、事実だけでなく、当時の人心は深い闇の中にある。そこに作者は肉付けして綱吉を作り上げた。 作者の事実を拾い上げる腕と確かな想像力で歴史小説は作られるのでしょう。 家綱に世継ぎがなく、養嗣子として城に入る。その後将軍宣下を受けて綱吉の世になったが母と妻妾の眼から見た綱吉の日常は、政治家ということは別として、実直で歌や能を好み、威を借りて奢ることもない、儒教の心に従って生きようとしていたと表からは知ることができない人物として書かれている。 時代を作る将軍の日常はあまり考えたこともなかったが、ここで一つの政策を打ち出す背景を知ることができた。 病気がちの先代家綱の時代に権勢を広げた坂井忠清を罷免し、将軍選びの評定で功績があった堀田正俊を傍に置き、大老職まで与える。その堀田が殺された事件から、前向きに政治に乗り出した。 新進気鋭の堀田正俊は若くして刺殺されるのだと何かで知っていた、なぜなのか、それは今か今かと読み進みながら気持ちが落ち着かなかった。襲った稲葉がすぐに殺されて事件はあと後まで闇の中だが、綱吉の思惑はどこにあったのかといまさらながらあまりの思い切りの良さに不思議に(想像だが)思われる。その後傍に柳沢正保などを置いたが、評定の折から長く重用した家臣を失っても、代わりはあるとしみじみ優秀な人材は尽きないものだと思う。大老という職を取りやめ身軽になってますます文治政治に傾いていったのか。 能楽や兄たちに倣った儒学の偏重からの文治政治という時代を産み、悪令といわれながらも生類を憐れみ、それによって人が犠牲になることもあった。大名家の改易や減封で大勢の家臣を路頭に迷わせたこと、紀州藩の一例を思い出す。だがそれで優秀な浪人が陽の目を見る機会もあったことを思うと暗い部分だけではなかったようにも思う。 「忠臣蔵」では綱吉は暗君になっている。片手落ちというが采配の難しい所、人気の光圀は旅に出ているしw。 こうした風評が、今少し変わってきているそうだ。 朝井まかてさんも大筋の心境は綱吉寄りで、家庭人としての優しさや、民衆の側に立った政策など、こうして教えられて初めて知るところも多かった。 リーダーとしての本領はどこにあるか、人格だけでなくその時代に即した生き方を見分け、実行できる眼を持ち、人間らしい弱さは別として一面冷酷な強さを持ち合わせてこその名君のようで、これには運もよく時代に逆らわない生き方ができるということだ。綱吉は 晩年次々に襲った災厄の中で苦しんだが、人間は生まれて来た時から毀誉褒貶の波の中で喜びも悲しみ多い浮き沈みの一生を送るものだと感じる。歴史は流れていく、過去の時代に戻れないなら暗君だったか、名君だったか、常に悩みながら生きる仏教の国の人として自分流に考えてもいいように思う。

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2025/09/02

徳川第5代将軍・綱吉といえば悪名高い生類憐れみの令でおなじみですが、そもそも何故そんな令が出されるに至ったのか…というお話。懸命に政務に取り組むのに、本意とかけ離れて行ってしまう実情…やはり言葉が足りなさすぎるのでは、と思いました。

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2025/03/06

読書期間;3月4日から3月6日 生類憐れみの令で暴君と呼ばれている江戸幕府5代将軍徳川綱吉。どうして、こんな呼ばれ方なのか、かなり苦労したのではないかと感じた。

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2024/06/02

5代将軍、犬公方と民衆から言われた徳川綱吉の半生の物語。最悪の将軍二綱吉もなろうとなったわけではないけど、時代が武から文になる時、どうしようもない大火、天災、コロナのような感染症など、政治だけの責任とはいえないなかでの為政者自身が言ってしまった言葉。立場も立場で、責任感が強かった...

5代将軍、犬公方と民衆から言われた徳川綱吉の半生の物語。最悪の将軍二綱吉もなろうとなったわけではないけど、時代が武から文になる時、どうしようもない大火、天災、コロナのような感染症など、政治だけの責任とはいえないなかでの為政者自身が言ってしまった言葉。立場も立場で、責任感が強かった人だったんだとも思った。 今この本を国の偉い人が読んだらどんなことを思うのか。

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2025/12/02

綱吉の苦悩が伝わってくる 未だに生き物を売り買いする日本だけど。生きてるもの全てに憐れみを持って接する心を持った人沢山いるよ! 本書では語られてなかったけど、銃も綱吉さんのおかげ簡単に持てないようになってるよ! 富士山噴火して、私は悪いの将軍か?と聞いたセリフが堪らない。 その時...

綱吉の苦悩が伝わってくる 未だに生き物を売り買いする日本だけど。生きてるもの全てに憐れみを持って接する心を持った人沢山いるよ! 本書では語られてなかったけど、銃も綱吉さんのおかげ簡単に持てないようになってるよ! 富士山噴火して、私は悪いの将軍か?と聞いたセリフが堪らない。 その時の考えは実際どうだったか分からないけど。綱吉さんの時に事件や災害起こりすぎだよ。綱吉さんへの感謝の年が湧く一冊。

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2023/04/30

徳川綱吉の意外な解釈。確かに天変地異が多くて大変だったのだろうと思う。運のなかった明君ということか?

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2023/03/24

綱吉が何のために生類憐れみの令を出したかが正確に伝わり、かつ、処罰が厳し過ぎなければ、綱吉に対する評価は全く違うものになっただろう。 自分が思っていた綱吉とは全く違う姿が描かれていて、とても驚かされた。

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2023/02/14

異例とされた兄弟での将軍継承、度重なる災害と苦難に満ちた在位中、それでも民を愛し、民のために尽くした徳川綱吉の生涯を描く。 綱吉といえば犬公方くらいしか知識のない中、どの程度本作が彼の想いを汲んでいるかはわからないが、読めば読むほど綱吉への印象はすっかり変わってしまった。 民か...

異例とされた兄弟での将軍継承、度重なる災害と苦難に満ちた在位中、それでも民を愛し、民のために尽くした徳川綱吉の生涯を描く。 綱吉といえば犬公方くらいしか知識のない中、どの程度本作が彼の想いを汲んでいるかはわからないが、読めば読むほど綱吉への印象はすっかり変わってしまった。 民から悪評され、それでも民を憎むことを思い留まり愛する努力を惜しまず、でも本意が伝わらないことを思い悩む人間的な綱吉は、もっと長生きしていればいつか民にも愛されたかもしれない。

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2022/08/01

TVで綱吉は、実は良い将軍だった。生類憐みの令が目立ってしまっているけど、民のための政策を行っていた。というのを観たこたがある。それがどこから崩れていくのかを念頭において読んでみた。 将軍に就いて初めの頃は良い将軍だった。幕政で古くからの慣習を廃して自分流の政をしてた。その頃は...

TVで綱吉は、実は良い将軍だった。生類憐みの令が目立ってしまっているけど、民のための政策を行っていた。というのを観たこたがある。それがどこから崩れていくのかを念頭において読んでみた。 将軍に就いて初めの頃は良い将軍だった。幕政で古くからの慣習を廃して自分流の政をしてた。その頃は私も読んでいて感心してたけど、徳松の死と信頼していた重臣、堀田正俊の死(殿中で稲葉正休に殺されてしまう)で崩れ始めたと思う。もともと綱吉は、喧嘩や血腥い事が嫌いだったみたいで、二人の死で更に拍車がかかった感じだ。いつの頃か『生類を憐れむべし』という言葉が綱吉の支えみたいになってしまった。 よく言えば、優し過ぎた。悪く言えば、善悪のことで潔癖過ぎたのかな?民の為と言ってたけど、独りよがりで結局自分の為ではないかという印象だ。 あとは、孤独だったのがいけないのかな?偉くなればなるほど孤独になってしまう。 この話は、綱吉の視点と正室の信子の視点が交互になって進んでいく。主に綱吉の視点なんだけど。綱吉というと、桂昌院、柳沢保明、生類憐みの令を連想してしまう。正室の信子は全然知らなかった。私の中でノーマークだった。『信子の視点』というのがとても面白い。

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2021/05/26

第五代将軍・徳川綱吉が「余は、やはり最悪の将軍であるのか」と自責するほど、綱吉の治世は艱難辛苦の時代であったようです。嫡男・徳松の夭逝、将軍擁立に尽力のあった大老・堀田正俊の江戸城内での刺殺事件の衝撃から生れた「生類憐みの令」と悪名〝犬公方〟、松の廊下の刃傷事件と赤穂四十七士の切...

第五代将軍・徳川綱吉が「余は、やはり最悪の将軍であるのか」と自責するほど、綱吉の治世は艱難辛苦の時代であったようです。嫡男・徳松の夭逝、将軍擁立に尽力のあった大老・堀田正俊の江戸城内での刺殺事件の衝撃から生れた「生類憐みの令」と悪名〝犬公方〟、松の廊下の刃傷事件と赤穂四十七士の切腹、江戸の大火(八百屋お七の火付)、富士山大噴火などご難続きでした。 挫折感に苛む綱吉を影日向で支えた御台所・信子(浄光院)は「民を等しく養う徳川右大臣綱吉は、断じて最悪の将軍にあらず」と天を仰ぎて胸の内で叫ぶのでした。

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