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英語化は愚民化 の商品レビュー

3.9

31件のお客様レビュー

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2018/10/02

英語はビジネスエリートを中心に大事であることを前提にするとして、別の次元で日本語が日本民族のベースであることをわかりやすく説明している。発展途上国ではない、明治から作り上げて来た日本の民族性を大切にすることの大事さを理解できる。

Posted byブクログ

2018/05/08
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日本の公用語を英語やフランス語に変えるべきという意見は、明治期以降これまで幾度となく議論されたが、世論を得られず実現しなかった。しかし、新自由主義の考え方が一般的になった昨今は事情が異なる。新自由主義が一因となって進行する「グローバル化」は、「時代の流れ」という認識(歴史法則主義)のもと、各国の経済政策は、自国の状況に合わせた政策を打つ自由度を失い「拘束」される。結局、外国資本の比率が高くなった経済界の論理が絶対視されるのである。下(現場)からの反発があっても、意思決定のスピードが優先され、多様な意見に耳を傾ける民主的意思決定のプロセスが切り捨てられてしまう。 このような中で進められる英語の公用語化は、自由民主主義を破壊し、国民の知的成長の機会を奪い、結果的に国力が退化させるというのが、本書の批判の肝である。その主な理由は、次のとおりである。 ・民主主義の前提条件となる国民の連帯意識を奪う。 ・連帯意識がなくなると福祉政策が成り立たない。 ・日常の言葉(母語)で政治を論じることが大切。 ・言語の分断(英語能力の有無)が格差を生み出す。 ・職業選択の自由を奪う。 ・自分たちの潜在能力を発揮できるに至らない。 ・英語を身につけるための莫大な時間と労力。 土着語で学ぶことが社会全体の活性化を促した重要な前例として、宗教改革がある。贖宥状の販売に代表されるようなカトリックへの批判を強め、1517年にマルティン・ルターが、ヴィッテンベルク市の教会・城内に「95ヵ条の論題」を張り付けたことが始まりとされる。しかし、宗教改革では、聖書をラテン語から土着語に翻訳したことも重要だ。ルターはドイツ語に、ティンダルは英語に、オリヴェタン(カルヴァンの従兄弟)はフランス語に翻訳した。こうして、当時の「ラテン語という『国際語』『文化語』『学術語』『書物の言語』に対してひたすらコンプレックスを持ち続けていた人々」が、自分たちも、日頃使って暮らしているごく身近な言語を通して、最高度の道徳や知識に触れ、活動することができるという自信を獲得した。これが近代化への原動力になったのだ(pp.46-66)。 英語偏重の教育改革提案は、児童・生徒の将来の幸福や日本の長期的な安定や発展、日本の学術文化の興隆といった観点からではない。「新自由主義的」な経済の論理から発しているのである。しかし、英語偏重の教育改革は結局、世界の「英語支配の序列構造」の中で、日本が非常に不利な立場(搾取される植民地のような立場)に置かれるのは必至であるというのが、著者の主張である(p.218)。

Posted byブクログ

2017/08/20
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ぜひ読んでください!としかいえない気がします。 『このままではインド版アントニ・ガウディは永遠に生まれない。専門教育が英語でしか提供されない環境では、他人のコピーしか作り出せない』 『他方、英語を公用語の一つに加え、日本よりも英語が堪能な人々が数多くいるフィリピンなどのアジア諸国、あるいはケニアなどのアフリカ諸国は、さほどの経済力を備えていない』 『英語化が日本人の愚民化を招くと半ばわかっていながら、エリートたちは、日本の社会の英語化に躍起になっている。本書の批判は、英語が得意な人々へのものではなく、国民の知的成長の機会を奪い、国力を低下させようとする人々に向けたものである。』 そして、もっと日本語に接してやさしくなりたいとも思いました。 『海外の日本語研究者や日本語教師、あるいは日本語学習者の間では以前から、「日本語を学ぶと、性格が穏和になる」「人との接し方が柔らかくなる」ということが指摘されていたそうだ。』

Posted byブクログ

2017/02/22

自分は幸いにも語学学習が苦ではなく、英語、フランス語、ロシア語、タイ語、朝鮮語の学習はほとんど趣味の領域である。だからこそ日本語にとりわけ強い拘りがある。小学校からの英語教育には断じて反対である。そんな時間があるのなら日本語の小説や詩でも自由に読ませた方がよっぽど有益だ。その意味...

自分は幸いにも語学学習が苦ではなく、英語、フランス語、ロシア語、タイ語、朝鮮語の学習はほとんど趣味の領域である。だからこそ日本語にとりわけ強い拘りがある。小学校からの英語教育には断じて反対である。そんな時間があるのなら日本語の小説や詩でも自由に読ませた方がよっぽど有益だ。その意味で著者の主張には全面的に賛成である。 ただ自説の正当性を主張したいがために、極論を前提とした反論が目立つのが残念である。政府や経済界はバイリンガルの育成を目指しているのであって、日本人が日本語を話さない環境整備を志向しているのではない(と信じたい)。そう言う極端な前提が無自覚に置かれていると、せっかくの正論が途端に怪しげになってしまうから注意が必要である。 また、問題の本質も見誤っているように思える。近年英語教育への要請がとりわけ高まってきたのは、一部エリートの陰謀だけではなく、英語圏から流入する、或いは英語圏に日本から発信する情報量が、翻訳と土着化のキャパシティを超え始めているからである。 今後日本が採るべき政策は、ネイティブと同じレベルで外国語能力を発揮できる翻訳専門人材と、日本語しか理解できないけれども各界で世界的な業績を残せる専門家を分けて育成する事である。中途半端に英語が出来る人材を量産しても国力の増進には全く寄与しない。残念ながら外国語の習得能力には個人差が大きいのである。そこは棲み分けが必要だ。

Posted byブクログ

2017/01/24
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いわゆる地域語を超越した普遍語(ラテン語)の蔓延は社会の中世化、二極分化の加速という観点は首肯できるし、現代の英語をラテン語に準える点も同様。しかし、表音・表意文字の混在した日本語の読み書きの語としての長所は書かれない。機能面の長所を挙げないとただのイデオロギー論に堕しかねない。また旧軍じゃあるまいし、情報獲得ツールとしての英語の価値は無視できないはず。加え、大学教授が英語講義をできない問題、留学生の低レベル化を等閑視するのは自己保身のそしりを免れまい(気持ちは判るが、正面切って言うのはどうなんだろう)。

Posted byブクログ

2016/09/02

翻訳と土着化なくして、国の発展なし。英語公用語化反対論の書籍の中でも説得力が群を抜いている。新自由主義の主張(国の歴史や文化はどうでもいい)には加担したくないな。英語ができる人にはなりたいけど、妙な優越感に浸った排他的な人間にはなりたくない。

Posted byブクログ

2016/07/26

名著。 日本人が苦労して築き上げてきた母国語で高度な学問を学べる環境を放棄してはならない。 新自由主義者どもの悪だくみに触れている点も素晴らしい。

Posted byブクログ

2016/07/17

近年の英語化、グローバル化に抱いていた違和感の正体が少しわかった気がする。確かに単純労働や介護とか、アジアの人呼んで低賃金で働かせたり、何でもかんでも欧米に迎合するのは違うと思う。ナショナリストではないけど、農産物とか、もっと自国のものを消費するようにしたい。 <メモ> ・福沢...

近年の英語化、グローバル化に抱いていた違和感の正体が少しわかった気がする。確かに単純労働や介護とか、アジアの人呼んで低賃金で働かせたり、何でもかんでも欧米に迎合するのは違うと思う。ナショナリストではないけど、農産物とか、もっと自国のものを消費するようにしたい。 <メモ> ・福沢の元でも学んだ自由民権運動家・馬場辰猪(たつい)が森有礼の「英語公用語化論」に対しての批判 1)英語学習には大変な時間がかかり、若者の時間の浪費につながりかねない。学ぶことの多い若者の時間が無駄に費やされる。 2)英語を公用語化すれば、国の重要問題を論じることができるのが、一握りの特急階級に限られる。 3)社会を分断し、格差を固定化する。 4)国民の一体感が失われる(例:インド) ・国立大学文系学部の統廃合(国立大学改革プラン)、国家戦略特区構想(解雇規制緩和、外国人労働者の受け入れ)に見られる独断決定 ・新自由主義者が打ち出す政策の3つの柱 1)開放経済…貿易や投資、人の移動を国境などの垣根を低くして自由化すべき 2)規制緩和…政府による経済活動への規制は最小限に抑えるべき 3)小さな政府…政府は財政規律を守り、公営企業は民営化してスリム化せよ →各国政府は国際競争力をつけるという名目のために、自国の国民一般の声よりもグローバルな投資家や企業の声を重視して経済政策を推し進める(法人税の引き下げ、規制緩和や民営化、労働者の権利の削減、福祉や公共事業の削減) ・グローバル人材=外需を奪いに行ける人材 ・貧しい国の人々が先進国に移動し、先進国の人々が従事したがらない職種を担う労働者として働きやすい状況を作る ・フィリプソンが『言語帝国主義ー英語支配と英語教育』 で指摘している誤りの信条 →英語は英語で教えるのが最も良い →理想的な英語教師は母語話者である ・津田幸男『英語支配と言葉の平等ー英語が世界標準語でいいのか?』2006 →英語による文化支配、序列構造の形成 ・加藤周一「日本文化の雑種性」『加藤周一セレクション5-現代日本の文化と社会』所収 →日本文化は外来の知を受容し、それを既存の土着文化とミックスすることで作られてきた。 ・オルテガ『大衆の反逆』 →民主主義社会を破壊するのは文化や伝統とのつながりを自覚しない愚かな大衆 ・クリストファー・ラッシュ『エリートの反逆』 →グローバル化の進んだ現代社会では、民主主義社会の基盤を損なうのはエリート層

Posted byブクログ

2016/06/19

英会話や英語学習を否定するものではなく、官庁や大学の受験や業務・授業の英語化、さらにそれに備えた低学年からの英語化学習ラッシュ(英語学習ではない)に警鐘を鳴らす。それは日本人の知性・感性の発達に膨大な負担を与え、長い目で見れば、国際競争力の向上どころか平均的に劣化をもたらすという...

英会話や英語学習を否定するものではなく、官庁や大学の受験や業務・授業の英語化、さらにそれに備えた低学年からの英語化学習ラッシュ(英語学習ではない)に警鐘を鳴らす。それは日本人の知性・感性の発達に膨大な負担を与え、長い目で見れば、国際競争力の向上どころか平均的に劣化をもたらすというもの。企業経営者・為政者・教育者には必読の書だと思う。森政稔氏「迷走する民主主義」を読んで、なぜ今のエリートはこんな簡単なことに気づかないんだろうと思わされること多々。その理由はここにもw 巻末「おわりに」だけでも読んでみて! それにしても、金融危機の国にイチイチ救済条件に英語化を強要するなんて、IMFは胡散臭すぎ… 

Posted byブクログ

2016/06/01

他言語を学ぶことはその国の文化を知ること。だからと言って自国の文化や言葉を失っては元も子もない。 「英語化」の前にまずは母語で深く思考すること。そして「政治や経済を論じることば」は、日常の言葉に「翻訳」されなければならないのではないかと痛切に思う。

Posted byブクログ