私の1960年代 の商品レビュー
学生運動を振り返って「ブームに過ぎなかった」と語る人は多いが、あれだけの運動を作るには何かしらの思想があったはずだ。運動の中心者にはどんな思想があったのか。長い間、それを知りたいと思っていた。東大全共闘代表だった山本義隆。東大闘争について沈黙を貫いた彼がついに当時を語った。東大闘...
学生運動を振り返って「ブームに過ぎなかった」と語る人は多いが、あれだけの運動を作るには何かしらの思想があったはずだ。運動の中心者にはどんな思想があったのか。長い間、それを知りたいと思っていた。東大全共闘代表だった山本義隆。東大闘争について沈黙を貫いた彼がついに当時を語った。東大闘争とは何だったのか、山本が何を考えていたのかを知りたかくて、本書を読んだ。。 東大闘争の一つの側面は「近代科学批判」であった。科学礼賛の風潮の中でそれは、総じては「時代との闘争」であり、別しては「東大批判」になった。そしてその「東大批判」は学生自身の「自己批判」を伴った。 学生運動が勢いを失ったのは、実はこの「自己批判」ゆえではなかったか。「自己批判」は他者を批判した自分をも批判することになり、つまり他者を批判したことを反省することになり、その反省をした者が「転向」したのではないか。 しかし、山本は「転向」しなかった。若き日の闘争心を今も持ち続けていた。山本義隆にとって東大闘争は終わっていなかったのだ。 「自己肯定している」や「自己批判が足りない」と山本を非難することもできよう。しかし、彼は自分が批判したものと距離を置き、今もそれを批判し続けている。年老いてなおそのスタンスを崩さないのは、それが東大闘争の同志を肯定したいからではないか。山本はいまだに同志を肯定し続けているのではないか。そうすることで、東大全共闘代表を務めた自身の責任を取り続けているのではないか。 1960年代の「政治の季節」が終わった後、若者は「しらけ世代」と言われた。山本は自分の信念が時代にそぐわないことを知っていただろう。語れば語るほどむなしくなることが分かっていたから、当時を語らなかった。語らないことが信念を風化させないための術だった。 東大闘争の後、山本義隆は「信念のままに生きよう」と誓ったに違いない。時代に背きながらも、時代に信念を刻印する。そのための方途が科学史の執筆だった。山本が執筆した重厚な科学史の書は、近代科学批判の延長にある。
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伝説的な予備校講師らしいのだが,全学連の経歴も含めて全く知らない人である。 とあるサイトで知って図書館から借用。 批判ばかりの〇〇党の主張? 自己弁護だけはしっかり。
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60年、70年の安保闘争でリーダーとして、日本の国の将来を按じ命懸けで闘った山本義隆の半生を振り返った内容。その一方で、物理学、数学では凄く優秀な科学者であった。全共闘のレッテルが無ければ、日本の科学技術や原子力政策に多大な貢献をしていたとも思った。
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この本には期待したというか、待望の本人が語る〝当時〟。しかし、読んで見ると他の元活動家と変わらない。非をなにもみとめず、言葉の上だけで片を付けようとしている。
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山本が静かに淡々と語りかけてくる。 東大闘争は、少なくとも山本にとって、戦争を通じ国策の片棒を担いでいた大学の在り方への批判と山本自身の自己批判としての闘争だった。そこには大学の研究を純粋な学問としてあるべきと捉える姿がある。 今では産官学の協働が当たり前となっているが、原発を例に挙げ、とぐろを巻くように民衆を体制に取込み、負の遺産(公害や核廃棄物など)を民衆の外(自然環境や次世代など)に押し付ける構造に警鐘を鳴らしている。
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山本義隆というと、僕にとっては高校生の時に物理の参考書でお世話になったというのがまず第一に来る。東大の学生運動の中心にいた一人だということはなんとなくは耳にしていたが、今回初めて著者が当時考えていたことを知ることができた。特に、科学と軍事や政治とのつながりをここまで厳しく批判し続...
山本義隆というと、僕にとっては高校生の時に物理の参考書でお世話になったというのがまず第一に来る。東大の学生運動の中心にいた一人だということはなんとなくは耳にしていたが、今回初めて著者が当時考えていたことを知ることができた。特に、科学と軍事や政治とのつながりをここまで厳しく批判し続けている人だというのは全く知らなかった。予備校講師をしながら、当時の資料の収集・保存を続け、一方で市民研究者として批判的に科学史を再構成するという人生はいったいどのようなものなのだろうかと想像してしまう。
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東大全共闘代表だった山本氏の自伝兼科学技術と大学と研究のあり方に対する一大考察。 陽明学徒というのは、こういう人のことを言うんだろうなぁ。
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著者は、1960年代の学生運動において、かの有名は1969年の安田講堂事件の時の東大全共闘議長であり、日大全共闘議長の秋田明大とともに、全共闘を代表する人物であった。 ************************ 全学共闘会議(ぜんがくきょうとうかいぎ)とは・・・(ウィペディアより) 全学共闘会議は、1968年から1969年にかけて日本の各大学で学生運動がバリケードストライキを含む実力闘争として行われた際に、ブントや三派全学連などが学部やセクトを超えた運動として組織した大学内の連合体。略して全共闘(ぜんきょうとう)。 全共闘は各大学等で結成されたため、その時期・目的・組織・運動方針などはそれぞれである。中でも日大全共闘と東大全共闘が有名である。東大全共闘では「大学解体」「自己否定」といった主張を掲げたとマスコミが伝え、広く流布した。「実力闘争」を前面に出し、デモでの機動隊との衝突では投石、ゲバルト棒(「ゲバ棒」)も使われた。 (追記)安田講堂事件では、更に建物の上から火炎瓶や劇薬散布も行われ、機動隊にもかなりの重傷者が出た。日大闘争では、16kgのコンクリート塊を建物の上から投げつけたことで、機動隊に死者も出ている。 ************************ ただ学生運動終息後は、日大全共闘議長の秋田明大は、一転して芸能界やマスコミに度々登場し、その思想信条のいい加減さをさらけ出したのに対して、山本義隆は全共闘に関するマスコミ取材は一切受けることなく、表舞台から去り、予備校で物理を教えながら、在野の物理学の研究者として研究を続けた。 その彼が、自分の過去に初めて触れたのが本書であり、興味を持ったので、読み始めた次第です。 本書を読んで、全編を通じて感じたのは、現在においても、物の考え方や表現が、学生運動のアジ学生が叫んでいたのと全く変わっていないのが、何か違和感を感じさせます。 もう少し客観的な視点から振り返って欲しい気がしました。 1969年11月に司馬遼太郎は、「学生運動と酩酊体質」という講演を行っています。 その中で、以下のようなことを述べています。 思想や宗教はフィクションつまり「うそ」であり、その「うそ」を信ずるには、狂おしい心が必要となる。極論するとうそか本当か分からないけれども、とにかく信ずると。 それは酔っ払いの状態と同じであり、思想の酔っ払い、それも集団の酔っ払いになると、一種のヒステリー状態を起こす。平素の個々の人間とは違う行動を取る。異様な雰囲気のなか、集団的な、ひとつの信仰的な行動が始まる。 前述した「客観的な視点から振り返って欲しい」というのは、この司馬遼太郎が言う「酩酊体質」ではなく「非酩酊体質」の視点から見た「私の1960年代」という本を書いて欲しかったという気がします。 具体的には、安田講堂に立てこもって機動隊を迎え撃つということは、「玉砕ごっこ」(この言葉が正しいか否かは?です)が、はっきり判断できるのに、彼らは「玉砕ごっこ」の道を選んだのですが、この考え方に対して、今はどう思っているかなどの見方を示して欲しかった。 本著では酩酊状態から未だ目覚めずという感がします。
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「磁力と重力の発見」で社会と歴史が科学というものを作り出していく過程を深く広く細かくダイナミックに描いた著者が「東大全共闘議長」としての自分の歴史と学生運動が吹き荒れていた社会を振り返ります。それは若き物理の大学院生の「大学と科学の再発見」の物語。我々の世代にとっては駿台予備校の...
「磁力と重力の発見」で社会と歴史が科学というものを作り出していく過程を深く広く細かくダイナミックに描いた著者が「東大全共闘議長」としての自分の歴史と学生運動が吹き荒れていた社会を振り返ります。それは若き物理の大学院生の「大学と科学の再発見」の物語。我々の世代にとっては駿台予備校の物理の先生であって、あれだけ戦っていた大学教育に学生を送り込むことを生業としていることに人生の苦さを勝手に感じてしまっていましたが、著者の澄み切った目は未だに社会と歴史と科学を見つめていました。3・11を自分事として捉えるスタンスも一貫しています。本書を読み終わったあとC調な感想ですがユーミンの卒業写真の一節「人混みに流されて変わっていく私をあなたは遠くで優しく見つめて…」というフレーズが流れました。軽くてどーもすいません。中間層が崩壊して社会の二極化が進んでいる民主主義の国ニッポン。ポピュリズムという言葉で民主主義そのものも傷んでいくような現代ですがこの老学者の「制度として体制に組み込まれ、たんなる手続きと堕落した民主主義が秩序として現出する場合、その秩序から取り残されるマイノリティを生み出してきます。」という言葉はとても沁みます。
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60年代の安保闘争,東大紛争の実態が始めてわかったような気がします.東大(あるいは科学者といってもいいかもしれないが)がかくも軍部や政府と密着していて,それは今も続いていることが色々な例によって提示されて,わかりやすく述べられているのですうっと腑に落ちました.科学の進歩の裏に隠さ...
60年代の安保闘争,東大紛争の実態が始めてわかったような気がします.東大(あるいは科学者といってもいいかもしれないが)がかくも軍部や政府と密着していて,それは今も続いていることが色々な例によって提示されて,わかりやすく述べられているのですうっと腑に落ちました.科学の進歩の裏に隠された欺瞞も,やりきれない思いで読みました.そして,膨大な資料の収集と編纂,後世に残したいという熱意に感動しています.
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