私の1960年代 の商品レビュー
元東大全共闘代表の山本義隆氏が、1960年代の闘争と、それが現代社会や過去とどうつながっているのか科学技術を通して語っている。戦時下に富国強兵を目的として、国策で科学に力を入れた。戦後は元海軍らを中心にその科学技術を持って、富国強兵から経済成長へすり換わっただけで、根っこの思想は...
元東大全共闘代表の山本義隆氏が、1960年代の闘争と、それが現代社会や過去とどうつながっているのか科学技術を通して語っている。戦時下に富国強兵を目的として、国策で科学に力を入れた。戦後は元海軍らを中心にその科学技術を持って、富国強兵から経済成長へすり換わっただけで、根っこの思想は同じと断じる。山本は「かつての侵略戦争にたいするいささかの反省も、アジアの人たちへの加害者としての最低限の自覚も読み取れない、この手のあっけらかんとした『成功』物語にはいささか鼻白む想いです」と語っているが、その通りだろう。山本は東大闘争で敗れ、大学と官僚機構や民間との癒着が止められなかったとする。その結果、「3.11の破局を防げなかった」と振り返る。戦時下から続く、科学技術で「富国強兵→経済成長」の流れは、原発を制御できない時点で「決定的に見直しが迫られている」といい、共感すべき指摘だ。経済成長を謳歌するベトナムにいて、経済成長に囚われず、新たな価値観を持って日本は進めるのか。子どもを持つ親として、親世代の責任は重い。
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山本義隆氏は元東大全共闘の代表者として有名な方だったそうです。 リアルタイムでは全然知らないのですが少し前にそういう経歴の方が予備校教師をされて物理学の本を出版されていたことを知りその人物像に興味を持っていました。 この本は講演をもとに本として出版されたものです。 少しだけ読み始...
山本義隆氏は元東大全共闘の代表者として有名な方だったそうです。 リアルタイムでは全然知らないのですが少し前にそういう経歴の方が予備校教師をされて物理学の本を出版されていたことを知りその人物像に興味を持っていました。 この本は講演をもとに本として出版されたものです。 少しだけ読み始めているのですが純粋にまじめな人であることだけはわかります。 ほとんどノンポリだった人がこういう運動に関わったのはやっぱり何かおかしいと思ったためだったんでしょう。 それも運命なのかもしれません。 将来を嘱望されていたのにそしてその能力を発揮できなかったのは日本の損失という人もいるようです。 これらの運動についての資料集を自費でまとめて全28巻の冊子とマイクロフィルムを国会図書館などに寄贈されているそうです。 きちんとマイクフィルムでも寄贈されているところが物理学者らしいなと思いました。 マイクロフィルムが一番保存としては実績があると聞いてます。 私が知りたかったことはこの本の「その後のこと」の章に載ってました。 宇宙開発事業の曾孫受けである零細企業の仕事をして零細企業としては求められる以上の仕事をしたとの自負があるそうです。 その仕事も権力の追求によって続けられなくなったそうです。 そして知人の紹介で予備校教師となったということです。
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2015年12月10日借り出し、12月14日読了。 これは山本義隆の遺書とでも位置づけられる本。これだけの知性を、この国は活かすことができなかったということ。山本だけでなく、既存の世界を打ち破る知性を恐れて抑圧をしてきたことが、結果としていまの反知性を導き出し、この国を滅びの道に...
2015年12月10日借り出し、12月14日読了。 これは山本義隆の遺書とでも位置づけられる本。これだけの知性を、この国は活かすことができなかったということ。山本だけでなく、既存の世界を打ち破る知性を恐れて抑圧をしてきたことが、結果としていまの反知性を導き出し、この国を滅びの道に誘い込んでいる。
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山本義隆という名前を聞いて、ああ、と思い出す人は世代的に限られているのだろう。在野の物理学者として、素人にもよく分かる物理学の歴史を説いた良書の筆者として知られているが、東大全共闘のリーダーとして、当時新聞紙上を騒がしていた名前である。東大安田講堂をめぐる機動隊との攻防は、一月の...
山本義隆という名前を聞いて、ああ、と思い出す人は世代的に限られているのだろう。在野の物理学者として、素人にもよく分かる物理学の歴史を説いた良書の筆者として知られているが、東大全共闘のリーダーとして、当時新聞紙上を騒がしていた名前である。東大安田講堂をめぐる機動隊との攻防は、一月の寒い日だったので、放水車が大量の水を浴びせるテレビ画面を、こたつの中に手まで入れながら、食い入るように見ていたのを覚えている。もちろん、学生側を応援していたのだ。 その山本氏が『私の1960年代』という本を出した。それまで、東大闘争について語ることを自ら禁じていたのか、市井の一学徒として主に科学に関する本しか書いてこなかったと記憶している。敗軍の将、兵を語らず、の心境でもないだろうが、ひとつの見識ではあると思ってきた。その人が何故今頃になって、過去を語ろうとするのか、と疑問に思い手にとった次第である。 ここには二人の山本義隆がいる。物理を学ぶ学生として東大に入学しながら、学内に蔓延する矛盾に気づき徐々に闘争に近づいていくうちに、いつの間にかその中心人物となってしまっていた自称「ほとんどノンポリ」の東大生、山本義隆がその一人。もう一人は、闘争に敗れ、拘留された結果、東大に残ることもなく、就職も公安に邪魔され、予備校講師をしながら、地道にこつこつと独自に研究を続けてきた在野の老学徒の山本義隆である。 60年安保に始まり、安田講堂占拠を経て、逮捕、拘留にいたる東大全共闘の闘いのあらましを、およそアジテーターにふさわしくない、人の話をよく聞き、考え、行動する真摯な大学院生の口から聞くことで、あの闘争とは何だったのか、東大という大学の持つ意味と、その問題点が明らかにされる。 山本は、当時のアジビラをはじめ、大量の資料を駆使し、東大が明治に始まる、殖産興業、富国強兵の掛け声のもとで産・学・官・軍の複合体として、国家の政策といかに一体化してその命脈を保ってきたかを暴いてみせる。当時は、目の前にいる総長や教授といった東大当局との戦いに明け暮れていて、はっきりしなかったことが、時を経て、その本質的な意味が雲が晴れるようにくっきりと見えてくる。 大学の自治などは初めからなかったのだ。国や企業から資金提供を受けた大学における研究行為は、すべて国及び企業の利益に結びついていた。それは、四大公害、沖縄基地問題、三里塚闘争、そして3.11の福島までずっと続いている。 先の戦争に敗れたのは科学力であると考えた日本は、戦争に対する真摯な反省をすることなく、戦後はその科学力を用いて高度経済成長期に発展を遂げる。昔軍隊、今経済、というのが相も変らぬ日本人の意識構造であった。その経済が思うように伸びず、行き詰った時、頭を擡げてきたのがまたもやファシズムだ。 この時期だからこそ、山本はもう一度皆の前に現れ、過去を語る必要を感じたのであろう。本書は2014年に行われた講演に加筆したもので、です・ます調で書かれており、読みやすい。民青や丸山真男に対する批判、深作欣二の映画『仁義なき戦い 代理戦争』に寄せる共感などには、若い山本の情念が感じられ、親しみを覚える。一方、戦争当時は天気予報さえ秘密とされ、戦争が終わるまで報道されなかったことをはじめ、昭和になって名古屋、大阪に作られた旧帝大には文科系学部がなかったことなど、今に通じる国の政策について教えられることの多い本である。一読をお勧めする。
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