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けもの道の歩き方 の商品レビュー

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27件のお客様レビュー

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2016/09/16

漁師という仕事の内容も知ることが出来るし、「生き方論」の本としても素晴らしい。千松さんの本はこれで2冊読んだが、すごいファンになってしまった。 〈本から〉 シカが増えれば寄生するマダニやヤマビルが増えるのも当然で、人への被害の増加につながっていく。 マダニは日本紅斑熱、ライム...

漁師という仕事の内容も知ることが出来るし、「生き方論」の本としても素晴らしい。千松さんの本はこれで2冊読んだが、すごいファンになってしまった。 〈本から〉 シカが増えれば寄生するマダニやヤマビルが増えるのも当然で、人への被害の増加につながっていく。 マダニは日本紅斑熱、ライム病などの病原菌を媒介するので、噛まれたときの処置を誤るとやっかいだ。噛まれたら、まず決してマダニの腹部をつままないこと。マダニの体液が血管に入ってしまう。無理に引っ張ると皮膚内に口器が残ってしまうので、口器を刺抜きなどでつまんで回すようにして抜くのが良い。漁師の間では反時計回りに回すととれやすいとよく言われるが真偽は不明だ。心配なら皮膚科を受診するのが無難だろう。 イノシシは鼻でいろいろ探ってから行動する習性があるので、普通ならたいてい電気ショックを受ける。逆に全身を剛毛で覆われているイノシシは、鼻さえふれなければ、電気柵の威力はほとんどないと言っていい。 現代では「シシ」と言うとイノシシを指すのが一般的だが、江戸時代以前は大型の四足動物の総称として使われていた。シカはカノシシ、カモシカはアオシシなどと呼ばれ、クマもシシに含める地域もあったようだ。 野口雨情が作詞した童謡「七つの子」を知らない人はいないだろう。かつて人里で多く見られたのはハシボソガラスだ。この童謡のモデルになっていると言われることが多い。ただ、ハシブトが澄んだ声で「カァー、カァー」と鳴くのに対し、ハシボソは濁った、「ガァー、ガァー」であることから、歌詞のイメージに合うのはハシブトだという異論もある。 イノシシにしても昆虫にしても、自然界の生き物は本当に律儀に自分たちの習性に沿った生き方を貫いている。そんな生き物を相手にするには闇雲に捕獲したり、殺虫剤に頼るのではなく、習性を理解したうえで対応する必要がある。自分の周りにいろんな生き物が生活していることを知り、自分の暮らしを見直していくことが自然のそばで暮らすということだろう。 人間だけが汚染を必死で退け、安全だ健康だなんて言って長生きを目指すのは本当に「地球にやさしいエコな暮らし」なんだろうか。

Posted byブクログ

2016/07/03
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「狩猟」というものが有るべき姿としてなかなか考慮すべきことが多く、むずかしいものであることがわかった。 狩猟に興味を持ったのは、シカ、イノシシ、サルおよびクマなどが過剰繁殖し農地を荒らして社会問題になっているので、ならば、家でテレビゲームをしているくらいなら、みんな狩猟をすればいいじゃないか、と思ったから。 でも、以下の記述がある。 「野生動物が好きで生態学を学ぶために大学に入った学生が、日本の森の現状を知って狩猟免許を取り、「生態系を守る」ために連日辛い思いをして鹿を銃で撃っていると言う話を聞いたことがある。僕はそこにはやはり無理があると思う。」 サルはこっちを向いて拝む格好をするので、撃つのがとても辛く猟師が嫌がるらしい。 問題点は 「獣害が山間部の暮らしを苦しめているとよく言われるが、山間部の主要な産業である農林業の衰退が獣害を招いているというのが実際のところだ。」 そして著者は 「生活の一部として行われる自発的で多様な狩猟の広がりによって、結果として生態系のバランスが整い、鳥獣害が減っている未来を夢想したい。」 としめている。 多くの人が狩猟免許を取って狩りに参加し、捕れた動物の肉を持ち帰って家族または仲間と一緒に(解体もやって)食べる、というのが有るべき姿なのか、と思う。 背景にある農林業の衰退、農村の荒廃問題は解決策が難しく、別途考えるのが適当ではないのだろうか。

Posted byブクログ

2016/03/07

2008年に初版が発行された千松さんの前作「ぼくは猟師になった」は、どちらかというと狩猟のノウハウ紹介に寄っていたと思う。その後「ぼくは猟師に~」は狩猟ブームも相まって版を重ねて2012年に文庫化されたが、僕は初版をウキウキしながら購入したので、かれこれ8年になる。時が過ぎるのは...

2008年に初版が発行された千松さんの前作「ぼくは猟師になった」は、どちらかというと狩猟のノウハウ紹介に寄っていたと思う。その後「ぼくは猟師に~」は狩猟ブームも相まって版を重ねて2012年に文庫化されたが、僕は初版をウキウキしながら購入したので、かれこれ8年になる。時が過ぎるのは早いわ…… 今回は具体的な方法論ではなく、「現代日本で狩猟することの意味」を考えた道のりがエピソードを交えて編まれていて、その思想は狩猟文化考察にとどまらず、広い意味での「働くこと」の領域へとしみだしてきている。 「ふむふむ」「そうそう」と腹に落ちる言葉はたくさんあるのだが、1カ所だけ引くとするならば次の文章になる。 「日々山に分け入り、自分の手で獲物を殺し、解体するのは大変な労力がかかると思われがちだ。だが、僕の感覚では現金を得るための労働に時間を割いて、そのお金で誰かがさばいた肉を買うというのは、そちらの方が手間がかかっているように思える。自分で時間をコントロールし、工夫して捕獲した獲物の肉を食べる方がよっぽどシンプルだ。自分の手を汚さず誰かに動物を殺してもらっていることを負い目に感じることもない。なにより食べ物を得る工程に他人が入らないことは、思った以上に精神的に楽になる」p.252 とりあえず一般化して言えるのは、僕たちは便利さと引き換えにいろいろ手放したものが多すぎるということ。原始生活に戻りたいわけではないけれど、やっぱりバランスがおかしいんじゃないかと思う自殺者3万人の国、日本。

Posted byブクログ

2016/02/28

前作「ぼくは猟師になった」から、さらに憂い感じる内容に。 シカ・猿などによる獣害増加と、減少する猟師と狩猟活動。 生態系を狂わせ、獣害を増大させたのも人間。 絶滅の危機にあるのは、どの獣よりも猟師そのもの。 千松さんの『けもの道』は続く。何年後になろうと、次作を待ちます。

Posted byブクログ

2016/02/11

『ぼくは猟師になった』の頃は、いかにも若者らしい瑞々しさがあったが、もう千松さんも40。妻子もいるから、若さの勢いはなくなったものの、成熟した人間の深い考察があって、二作目のつまらなさは全くなかった。 前作はイノシンとシカ猟を通じて、命を奪って生きることを正面から見据えるという感...

『ぼくは猟師になった』の頃は、いかにも若者らしい瑞々しさがあったが、もう千松さんも40。妻子もいるから、若さの勢いはなくなったものの、成熟した人間の深い考察があって、二作目のつまらなさは全くなかった。 前作はイノシンとシカ猟を通じて、命を奪って生きることを正面から見据えるという感じだったが、これは野性動物や森林と日本人がどう関わってきて、これからどうすべきかを、実生活を元に考えている。 学者が数値を見て出す答えより、毎日のように山林を歩き、狩猟しながら生きている著者の言葉にはずっと説得力がある。千松さんは猟師ならではの勘のよさの上に、学究者に相応しい頭の良さと探求心があり、文章も上手い。 普通は巻末にタイトルと著者名と出版社、出版年があれば十分の参考文献の内容まで教えてくれるし、その参考文献が学者の書く専門書だけでなく、猟師向けの雑誌からお役所のHP、子ども向けの絵本と多岐に亘っていて、しかもどれも魅力的に紹介されている。この部分のブックガイド的な価値だけでもたいしたものだ。 (それから、動物を描いた挿し絵が素晴らしい。写真より良くわかる。松本晶さんてどんな人?) 千松さんと服部文祥と内澤旬子の対談とかあったら夢のようだ。誰か企画して! それにしても、こういう知力体力判断力洞察力に長けた男って、天変地異や戦争が起こっても大丈夫だね。奥さんが羨ましい。

Posted byブクログ

2016/01/27

すぐに◯か✖︎で決めつけてしまうのではなく 山に入って見る、聞く、考えるだけでも 重みが違うし 知ってしまったらそんなに簡単に判断はできなくなるということがよくわかる。

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2016/01/11

最近、現役猟師の書く本が増えたと思う。 この本も、猟師になりたくて縄猟の資格を取って職業にした人が書いています。 こういう人たちの自然観、動物への愛情は、半端がなく、甘くない。 自然界の厳しい決まりを心得ていて、それを破ってきた人間の浅はかさを反省したい。 野山の動植物の詳しい...

最近、現役猟師の書く本が増えたと思う。 この本も、猟師になりたくて縄猟の資格を取って職業にした人が書いています。 こういう人たちの自然観、動物への愛情は、半端がなく、甘くない。 自然界の厳しい決まりを心得ていて、それを破ってきた人間の浅はかさを反省したい。 野山の動植物の詳しい解説もあり、自然観察の助けにもなりそうです。

Posted byブクログ

2015/12/08

「ぼくは猟師になった」でおなじみ。大学卒業と同時に京都でわな猟師になった著者の久々の著書。「自分で食べる肉を自分で手に入れたい」という素朴な欲求から猟師となった彼は、運送会社で働きつつ、猟師として生活し、おそらく廃れゆく猟師という生き方と現代社会との接点を探っているのだろう。猟師...

「ぼくは猟師になった」でおなじみ。大学卒業と同時に京都でわな猟師になった著者の久々の著書。「自分で食べる肉を自分で手に入れたい」という素朴な欲求から猟師となった彼は、運送会社で働きつつ、猟師として生活し、おそらく廃れゆく猟師という生き方と現代社会との接点を探っているのだろう。猟師の目を通してみる日本の野山の姿は新鮮だ。都会に住んでいると昔話の中にしか出てこないような動物たちが、今もちゃんとそこにいる。私たちが知らなかった外来種が繁殖していたりもする。これだけ開発が進み、自然破壊が行われてもなお先進国の中ではかなり高い森林率を持つわが国で、これからどう自然と付き合っていくべきなのか。本書はそれを考える上で、とても重要な視点を与えてくれる。

Posted byブクログ

2015/11/30

「ぼくは猟師になった」の千松さんによるエッセイ。「ぼくは~」では、生き物好きだった幼い頃のことから、大学生の時猟をするようになったいきさつ、実際の猟の様子、獲物の食べ方などが、具体的に気負いなく述べられていて、非常に面白かった。これはその続篇的なものかと思ったが、読んでみるとそう...

「ぼくは猟師になった」の千松さんによるエッセイ。「ぼくは~」では、生き物好きだった幼い頃のことから、大学生の時猟をするようになったいきさつ、実際の猟の様子、獲物の食べ方などが、具体的に気負いなく述べられていて、非常に面白かった。これはその続篇的なものかと思ったが、読んでみるとそうではなくて、副題の通り、猟をするなかで日本の自然について考えたことが綴られている。 鹿や猪などが耕作地にも出没して、食害が深刻だとよく耳にする。これをどのように考えるか。里山の荒廃ということもよく言われる。里山は失われつつある日本の原風景のようにしばしば語られるけど、本当にそうだろうか。著者が実際に野山を歩いて体感していることと、きちんとした知識に基づく考察は、本当に射程が広い。物事を考えるときに歴史的経緯を十分踏まえていることがいかに大事か、あらためて感じさせられた。 「狩猟採集生活と汚染」という章も頷くところが多かった。狩猟採集生活というと、究極のエコで地球にも人のカラダにも良いようなイメージがあるけれど、実際には様々な汚染や危険がつきまとう。そのことを指摘した流れで、原発事故による汚染についても触れられていて、このくだりにはまったく同感であった。 「事故が起こる前から原発の問題は存在し、多くの作業員が被爆させられてきた。事故が起きて、いざ自分の身にまで放射性物質が降り注ぐとなった瞬間に反原発、というのは都市住民の身勝手なのではないかと思った」 「豊かな都市生活のために、地方が電力や農産物を供給し、産業廃棄物を引き受ける」「事故が起きてその深刻な被害を受けたのはやはり地方だった」 「地方の負担が前提の都市生活を問い直さないままで反原発を議論しても、『都市にまで悪影響が出るのなら原発はいらない』という風にしか聞こえない」 そうなんだよねえ。原発問題に限らず、自分を「無垢の生活者・消費者」という立場に置いて、「安心・安全」を当然のことのように求めるようなもの言いにはひどく違和感がある。声高にではなく、静かに語られる著者の思いが胸にしみた。 千松さんは現在、妻と幼い子ども二人の四人暮らしだそうで、その子どもたちも少しだけ登場する。飼っていたニワトリの「どんちゃん」(一番鈍くさいからこの名がついた)が目の前でイタチにとられて小学生の長男が号泣した話、保育園児の次男は肉を食べると必ず「このおにくはおとうさんがとってくれたん?」と訊くという話、とってもほほえましい。で、どうしても気になるのが奥さん。運送会社で働きながら猟に明け暮れる著者とは、どういういきさつで結婚に至ったのだろうなあ。オバサンは知りたいよ。

Posted byブクログ

2015/11/22

元々は新聞で連載していたエッセイをまとめたもの、そして著者がプロの文筆家ではないことなどもあって、一冊を通した筋のようなものはあまり感じられず、どことなくヌルッとした印象を持った。 精読すると、章によって著者の主張が若干矛盾しているようなところも見受けられるが、そのブレこそが、き...

元々は新聞で連載していたエッセイをまとめたもの、そして著者がプロの文筆家ではないことなどもあって、一冊を通した筋のようなものはあまり感じられず、どことなくヌルッとした印象を持った。 精読すると、章によって著者の主張が若干矛盾しているようなところも見受けられるが、そのブレこそが、きれいごとじゃない、実際に山に入って野生動物を獲っている人の正直な思いを反映しているのかもしれない。

Posted byブクログ