私の恋人 の商品レビュー
[関連リンク] 私の恋人 by 上田岳弘 - 基本読書: http://huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/2015/07/03/233837
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ラブストーリーのように思わせてそうではないのだな、と思わせておいて、最後はやっぱり「ラブストーリー」らしい読後感があった。 何だかひどくもの悲しい気持ちになって、涙が出そうになった。 愛しい愛しい、たまらなく可愛い、私の恋人。 巡りあうまでに私は10万年の時を生き、地球を3周もし...
ラブストーリーのように思わせてそうではないのだな、と思わせておいて、最後はやっぱり「ラブストーリー」らしい読後感があった。 何だかひどくもの悲しい気持ちになって、涙が出そうになった。 愛しい愛しい、たまらなく可愛い、私の恋人。 巡りあうまでに私は10万年の時を生き、地球を3周もしたのだ。 どうやら「語り手の視座」ということが最近の純文学系のキーワードらしい。 「私」は輪廻転生を繰り返し3回目の現世を生きている。けれどその語りはどちらかというと1回目の過去世にあり、そこから10万年の時間を睥睨するような視座で物語は進んでいる。 だから、語り手はすでに死んでいる(しかも10万年前に)のだから、物語に一種の閉塞感というか虚無感というか、もの悲しさが漂っているように思う。その一方で、「来世に期待しよう」ではないけれど、どこか希望のようなものも感じさせる。この語り手の視座が、物語の雰囲気を決定付けているのではないだろうか。 人類の歴史を「地球3周目の旅」と表現する発想が、単純に面白いと思った。それから「旅の終り」「旅の始まり」という歴史観に単純に納得してしまった。 現在の人類は「3周目の旅」を始めたところであり、人類が「彼ら」を生み出したところでその旅は終わるのだという。そして「4周目の旅」を始めるのはおそらく「彼ら」なのだろう、とも。 それならば、人類は誰からこの世界を引き継いで、「1周目の旅」を始めたのだろう? 人類は誰の、何周目の旅の終りで生まれたのだろう? 言い換えるなら、誰の、何周目の旅を、人類は終わらせたのだろう? 「私」とはだれか? 「あなたがた」とはだれか? 「恋人」とは? 「彼ら」とは? いくつもの代名詞が、いかにも企み深く並べられている。 それらに「何」を当てはめるかによって、この悲劇的な予言の書は何通りにも読み出せそうだ。
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