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生きて帰ってきた男 の商品レビュー

4.4

68件のお客様レビュー

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2015/10/03

戦争は始まりがあって、終わりがない。 これまで いろいろな 戦争を経験された方のものを読んできた ものすごく 悲惨なことの連続であったり 妙に おもしろおかしく書かれていたり はたまた 極端に主観的に書かれたものであったり どこかで 自分の中で コトンと気持ちの中に落ちてくる...

戦争は始まりがあって、終わりがない。 これまで いろいろな 戦争を経験された方のものを読んできた ものすごく 悲惨なことの連続であったり 妙に おもしろおかしく書かれていたり はたまた 極端に主観的に書かれたものであったり どこかで 自分の中で コトンと気持ちの中に落ちてくるものは なかなか 少ない 本書は その中の 落ちてきた興味深い一冊です 類い希なる 優れた 語り手 と 類い希なる 優れた 聴き手 がとが 打ち揃って 本書が生まれている あらためて 一人の古老が亡くなる のは 一つの図書館が無くなる のと 同じことだ という 言葉を 改めて 思い起こしました ※蛇足ですが、筆者の父上はまだご存命です。 あまりに面白かったので 一気に読んでしまった もう一回読んでみようと思っている

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2015/10/02

小熊英二の父親の話を聞き取ったものを本にしたものである。かなり詳細に書かれているので、個人史というよりも、その時代の大多数の人々の生活を描いている。  こうした聞き取りを卒論で書けるということはいいと思われる。

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2015/09/27

社会学者の小熊英二氏が、自身の父親である謙二氏の生い立ちから現在までを描いた作品。 謙二氏は1925年に北海道で出生、母親の死をきっかけに東京の祖父母に引き取られ、太平洋戦争ではシベリア抑留を経験し、帰国後は結核を患い5年間の療養所生活、幾度かの転職を経てスポーツ用品販売店を起...

社会学者の小熊英二氏が、自身の父親である謙二氏の生い立ちから現在までを描いた作品。 謙二氏は1925年に北海道で出生、母親の死をきっかけに東京の祖父母に引き取られ、太平洋戦争ではシベリア抑留を経験し、帰国後は結核を患い5年間の療養所生活、幾度かの転職を経てスポーツ用品販売店を起業、引退後は市民運動に積極的に参加するなどなど。 たまたま息子の英二氏が執筆活動をしていたために、普段は知る由もない一般市民の人生を垣間見る事が出来た。一見すると波乱万丈の人生にも見えるが、もしかするとこの世代の戦争経験者の方にとっては、珍しくない生き方なのかもしれない。 旅先などで車窓から見える街並みには、きっとたくさんの知らない人達が暮らしていて、おそらく自分とは一生涯すれ違うことも無いのだが、そんな一人ひとりにも必ず人生のドラマがあるのだと思う。本書はまさしく、そんな一人に焦点を当てた作品であった。

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2015/09/26

 歴史、特に第二次世界大戦の見直し作業が進められている。それも、修正方向に。  国家として共通の歴史を持つといっても、個々人の体験は共通ではない。  しかし、記憶は風化し教育される歴史の方向が一本になったとき、その歴史こそが共通認識になる。  例えば、400年前の江戸時代の話な...

 歴史、特に第二次世界大戦の見直し作業が進められている。それも、修正方向に。  国家として共通の歴史を持つといっても、個々人の体験は共通ではない。  しかし、記憶は風化し教育される歴史の方向が一本になったとき、その歴史こそが共通認識になる。  例えば、400年前の江戸時代の話なんか、徳川幕府の下で平和な時代が続きました。くらいの認識でしかない。  疫病に飢餓、貧困に苦しんだ下層民はいるはずだが、彼らが歴史を紡ぐことはない。  個々人の体験は歴史には残らない。  本書のタイトルからは、戦争に行かされた男がどうやって日本に帰ってきたか。その戦中記を予想させる。  しかし、本書において戦争に行かされて、シベリアで抑留されたのちに日本に帰ってくるまでに割かれるのは全九章のうち三章だけである。  戦争に行くまでの生活状況、そして戦後の混乱と現代までの暮らしが描かれている。  戦争中の人々の生活、考えに非常に詳しい。まるで、まだその時代を生きている人の語り口だ。  さらに本書が他の記録と異にするのは、語り部が下層民の視点から語っている点だ。  たいてい、記録を残すのは将校や、もしくは戦中を美化してしまいがちな主張の強い人が多い。  個々人の体験、記憶が紡がれて歴史となるのではない。  一つの方向に固まった認識が歴史になる。  しかし、歴史の裏には無数の体験、記録が埋もれている。それらを発掘する作業は非常に困難だ。  戦争を生きた人たちは、すでに大半がこの世からいなくなってしまった。  丹念に聞き取り、記録として残す作業が必要になる。  その作業が必要なのに、自分はその作業をしなかった。  自分の祖父は戦争中、ミャンマーに行って帰ってきた。そして戦争を多く語らず、10年ほど前に逝ってしまった。祖父が現地で見たものは何だったのか、今となってはわからない。  本書は、戦前から戦後にかけての、ある一市民の歴史だ。下層民から見た戦争、という点において一級の資料だ。

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2015/09/20

戦争を経験された方の談が、特に最近いろいろな形で世の中に出てくるようになった。 戦争の語り部が減ってきている中で、世の中の動きに危機感を感じてのことだろうか。

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2016/05/07

1925年からの現実に生きた歴史。祖父から親、姉弟の死、学校と仕事、軍隊、満州、シベリア抑留、民主運動、帰国、仕事の流転と結核療養、高度成長、結婚、事業拡大、引退、戦後補償裁判。 慰安婦もそうだけれど、更に多くの兵士がひどい境遇にあったということを再認識。世の中の状況と切り離せ...

1925年からの現実に生きた歴史。祖父から親、姉弟の死、学校と仕事、軍隊、満州、シベリア抑留、民主運動、帰国、仕事の流転と結核療養、高度成長、結婚、事業拡大、引退、戦後補償裁判。 慰安婦もそうだけれど、更に多くの兵士がひどい境遇にあったということを再認識。世の中の状況と切り離せないことだということも。

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2015/09/12

戦前、戦中、戦後、高度経済成長、そして現在。名の知れた方々の伝記は数あれど、無名の人の歩んだ時間をひと続きにみられる。 戦中が悲惨なのはもちろんだけれど、戦後も非常に厳しい。果敢に突き進める者がいる一方で、なんとか生還したものの、ハンディを負った者には過酷な日々が続く。 小熊...

戦前、戦中、戦後、高度経済成長、そして現在。名の知れた方々の伝記は数あれど、無名の人の歩んだ時間をひと続きにみられる。 戦中が悲惨なのはもちろんだけれど、戦後も非常に厳しい。果敢に突き進める者がいる一方で、なんとか生還したものの、ハンディを負った者には過酷な日々が続く。 小熊英二の父謙二は現在89歳で、僕の存命の祖父は94歳。どのように戦後を乗り越えたのだろうか。苦労話聞いたことはないけど、昭和天皇を嫌うのは共通している。 平和な日常から戦場は想像し難い。けれど、謙二の記憶を通して、祖父の事を考えると、そんなに遠い昔には思えなくなる。

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2015/09/11

「戦争の記憶を経験者から聴く」必要性がずいぶん語られるが、この本は、著者自身の父・謙二から聴いた戦前・戦中の生活、召集と戦後のシベリア抑留、帰国後の苦労・結核での療養生活、そして高度成長の波で成功するまで。苦しみの人生が詳細に語られ、文章化されている。一人の人生を語りながら、庶民...

「戦争の記憶を経験者から聴く」必要性がずいぶん語られるが、この本は、著者自身の父・謙二から聴いた戦前・戦中の生活、召集と戦後のシベリア抑留、帰国後の苦労・結核での療養生活、そして高度成長の波で成功するまで。苦しみの人生が詳細に語られ、文章化されている。一人の人生を語りながら、庶民生活の目線を合わせた歴史的な記録、昭和平成の社会史でもある。高揚はなく、淡々とした記述の中に戦争の悲惨さが身近な視線で訴えられている秀作である。この著者の書籍はこれまでもその詳細な調査ぶりに圧倒されてきたが、このヒアリング能力の高さ、賢二氏の記憶の量には驚愕。著者を左翼学者と叩く人は多いが、父親の言葉を通して、著者が左も右も嫌いである!ことが自然と伝わる。著者のルーツを知ることができたことも興味深く、この人が今回監督として制作した映画「首相官邸の前で」(脱原発デモ参加者のインタビューが中心)はぜひ観賞したい。

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2015/09/10

著者の父親のライフヒストリー。この人の歩んできた人生が語られることで、当時の時代が浮き上がってくる。佳作。

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2015/09/06

小熊さんの本は読んだことがないが、ずっと気にはなる人である。本書もだから多くの書評がでる前に買っておいた。本書の「生きて帰ってきた男」というのは小熊さんの実の父親のことである。本書はその父親のシベリア抑留を含む戦前戦後の個人史、オーラルヒストリーを、政治史、社会史、そしてシベリア...

小熊さんの本は読んだことがないが、ずっと気にはなる人である。本書もだから多くの書評がでる前に買っておいた。本書の「生きて帰ってきた男」というのは小熊さんの実の父親のことである。本書はその父親のシベリア抑留を含む戦前戦後の個人史、オーラルヒストリーを、政治史、社会史、そしてシベリア抑留の記録等々をはさみながら描いたもので、「平凡な」庶民が戦前戦後をどう生きていたかの貴重な記録となっている。小熊英二さんの父親謙二さんの記録である本書をぼくは自分が小さかったころの社会と重ねながら読んだ。謙二さんは北海道で生まれ、小学校へ上がるころ東京の祖父母の家に出される。これは謙二の母が結核で早く死に、父親の雄次には子どもの面倒を見る余裕がなかったからである。その後、謙二は次兄のすすめもあって中学である早稲田実業に進学する。この多少の学歴がその後の人生で役立っている。その後謙二は兵隊に取られたあとすぐ満州へ送られ、敗戦とともにシベリアに送られ、そこで3年を過ごす。シベリア抑留と言えば過酷なものと語られることが多いが、日本人の死者は60万の1割の6万。ドイツの捕虜になったソビエト兵は6割が死に、日本の捕虜になった米英捕虜の死は約3割弱だそうだ。生死の境は、精神力とかそういうものではなく、謙二の送られた部隊が混成部隊で上下の差がほとんどなかったこと、ソ連の待遇改善が早く及んだ収容所であったことが関係していると言う。収容所長次第で待遇が違ったということも読んだことがある。ある意味偶然が支配したのである。抑留時代での民主化運動、アクティブの活動は他の抑留記にも出てくるが、謙二はこうしたものに対しても淡々と語っている。もちろん、戦争に対しては怒りをもっていて、戦後東条が自殺未遂をしたことは馬鹿にしているし、天皇が訴追されなかったことには不満を抱いている。帰国後謙二は当時父がいた新潟にもどるが、その日にでた食事はあまりにふつうのものだったというのが印象深い。その後謙二は仕事を転々とし、引っ越しも何度となくするが、まったく失業状態とか住む家がなかった時はなかったそうだ。家はたいていだれか親戚の家をたよったりしていた。これはぼくの家でもそうで、ぼくが小さい頃は田舎の親戚がたよって出てきて、狭い家に同居したものだ。当時の人々はそういう生活を当たり前としていたのである。謙二は帰国後、25歳から30歳という青春を結核病患者として隔離されてすごす。その時受けた手術もすごいもので、骨を切り取っているから身障者の認定もうけている。結婚後、妻は謙二が風呂から出てくるのを見てぞっとするほどだったという。ぼくの小学校の恩師もそんなことを言っていた。あと少しすれば薬で治せたものを。結核が治癒し謙二は社会に復帰する。苦労はしたが、のちあるスポーツ商に就職することで、生活が上向いてくる。それは日本の高度成長期にうまく乗れたからであった。その後、謙二は子持ちの女性と結婚し、そして生まれるのが英二であるが、このあたり英二さんは淡々と描いている。謙二は最初公営住宅に住んでいたが、のちそこからでて持ち家を建てる。これもぼくの小さいころと重なる。ぼくが住んでいた公営住宅でも、お金を貯めた人たちは少しずつ家を建てて出て行ったからだ。新しく建てた家は上の生活を目指す奥さんのプランになるもので、謙二にはちょっと違和感があったように見える。その後、謙二は友人と自分の会社を持ち、定年後も仕事に少しかかわりながら地域の運動などに関わる。晩年には、日本人にされた朝鮮人の戦後補償にかかわるようになるが、ここはちょっと異質なような気がした。謙二もやむにやまれず加わっただけで、大きな政治運動をしようという気はなかったようだ。長々と書いてきたが、ぼくにとって面白かったのは、やはり戦後の庶民の生活誌である。400ページ近い本だから、読めるかと心配しながら読み始めたが途中からやめられなくなった。小熊さんの他の本も厚いがきっとすらすら読めるような気がしてきた。

Posted byブクログ