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スウェーデンの騎士 の商品レビュー

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6件のお客様レビュー

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2024/05/16

悲しみや喜びなんて屁みたいにはかないもんだ。何もかも消えていくのよ。蝋燭がひととき辺りを照らしたあと消えていくようにな。俺らは気まぐれな運命の投げる鞠にすぎん。高く放られればそれだけ惨く落ちてくる

Posted byブクログ

2019/02/16

おんもしろいわあ。時代物なんだけど、作者の若々しい活力溢れる文章にワクワクが止まらない。この読みやすさは作者の読む側への敬意とともに、ものがたりを共有する楽しさを何よりも大切に思っているからだろう。現在では見かけない紙芝居屋さんを思い出した。紙芝居屋さんも、子供達から発せられるワ...

おんもしろいわあ。時代物なんだけど、作者の若々しい活力溢れる文章にワクワクが止まらない。この読みやすさは作者の読む側への敬意とともに、ものがたりを共有する楽しさを何よりも大切に思っているからだろう。現在では見かけない紙芝居屋さんを思い出した。紙芝居屋さんも、子供達から発せられるワクワクが何よりも好物だったのだと思う。

Posted byブクログ

2017/03/26
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

タイトルは「スウェーデンの騎士」であるのに、目次をみると「泥坊」「教会瀆(けが)し」「名無し」などととあり、群像劇なのかと思った。 が、これはまぎれもなく一人の男の人生の物語だった。 生きていく手段が『悪』と言われるものだっただけで、主人公の心は決して穢れてはいない。 たった一つ、罪のない人間を陥れることになった経緯も、それを人でなしと断罪できる人はよほどの善人だけだろう。(あるいは自分のことを棚上げできる人。あれ?結構いるかも) 『悪』を生業にしている主人公は、基本的に真面目で勤勉でストイック。 だから彼の人生の変遷を、手に汗を握りながら、しかし心は彼に寄り添って読み進めることになる。 17世紀。 ヨーロッパはとっくにキリスト教の世界になっているはずなのに、「まじない」といわれる呪文も当たり前に存在する。 世界はそこに見えているものだけではなく、時間は一方通行ではない。 善悪の二元論では語りきれない、幾重にも重なった価値観の世界の中で、幸福を追い求めて生きる主人公は、ディケンズの作品の中にいてもおかしくないくらい魅力的。 そんなに厚い本ではないけれど、読みごたえも充分。

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2015/06/07
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

1701年冬、シレジアの雪原を二人の男が追手を恐れながら歩いていた。軍を脱走しスウェーデン王の許へ急ぐ青年貴族クリスティアンと、絞首台を辛くも逃れた市場泥棒だ。身を隠すため入った粉挽き場にあった料理を勝手に食べた二人は、ちょうど来合わせた粉屋に代金を請求される。無一文の二人は窮するが、貴族は近くに代父で金持ちの従兄が住んでいたことを思い出す。体が弱っていた貴族は泥棒に指輪を渡し、自分の代わりに従兄の領地に行きスウェーデン行きの支度を整えるよう頼みに行ってくれと泥棒に託す。 泥棒が訪ねた貴族の従兄の領地は荒れ果て、館には自分を追う悪禍男爵率いる龍騎兵の一団が屯していた。おまけに領主は死に、跡を継いだ美しい娘は多額の負債に苦しんでいた。粉挽き場に取って返した泥棒は貴族に事情を話し、二人が入れ替わることを提案する。自分がアルカヌムであるグスタフ・アドルフの聖書を携えスウェーデン王の許に行くから、お前はほとぼりが冷めるまで僧正館の鉱山に身を隠せ、と。つまり、この話は「王子と乞食」ならぬ「泥棒と貴族」という異なる環境に生まれた二人の人物の入れ替わり譚である。 年恰好は似ているが、二人の性格、能力はかなりちがう。坊ちゃん育ちの貴族はプライドの高いわりに肉体的には脆弱で何かというと弱音を吐く。一方、泥棒は知力、胆力、身体能力共に高く、人を差配するのに秀で、農業全般に詳しく経営の才能にも恵まれている。世が世であれば、泥棒の方が貴族の若殿にふさわしいのは誰の目にも明らかだ。泥棒が、貴族に成りすまし、娘を助けて領地を管理してやろうと考えるのも理解できる。 ヴァルター・ベンヤミンの『子どものための文化史』に「昔のドイツの強盗団」という話がある。泥棒のなかには王や皇帝といった権力者に楯突き、仲間内ではきちんとした盟約を交わした騎士団のような強盗団があったことを子どもたちに教える内容だが、ちょうどこの話の泥棒が悪禍男爵率いる龍騎兵と対抗するために首領に納まるのが、そうした強盗団のひとつである。いくつもある誓約の中には仲間を売らないという重要な一項がある。女の嫉妬がそれを破らせることで泥棒貴族の悲運が生じるのだが、それはもっと後の話。 美しい娘のことが頭から離れない泥棒は貴族との約束を反故にし、スウェーデンには行かずに盗賊団を率いて荒稼ぎをし資金ができたところで解散する。そうして娘のところに行き、自分があのクリスティアンだと名乗り、領地を監督、いつしか領民に<スウェーデンの騎士>と呼ばれるようになる。二人の間には可愛い娘クリスティーネもでき、幸福の絶頂にいるとき、昔なじみの盗賊二人が現れる。正体がばれそうになった泥棒は泣く泣くスウェーデン王の許に馳せ参じるためと偽って、家族のもとを去り、自分を陥れようとする昔の女を訪ねるのだった。 世界が今ほど固定化しておらず、未分化で混沌としていた時代。権力者としての王が君臨していても、それ以外にも地上の権力者は多数いて、治外法権に守られ、鉱山から産出される富で贅沢三昧する僧正、裁判権を手にし、好き放題に罪人を狩る悪禍男爵、強盗団の首領黒イビツ、といずれも手強い面々が群雄割拠しているシレジアの地。アルカヌムという羊皮紙でできた呪符に幸運を呼ぶ効力があり、体の傷みは呪いの言葉が癒すと信じられている時代である。年に一度煉獄からよみがえる粉屋の主人のような不審な人物も登場すれば、天使による天上での裁判の場面さえ描かれる。そういう場面には幻想小説の気味がないとも言えないが、異能の泥棒が盗賊団の首領から<スウェーデンの騎士>と呼ばれる貴族にまで成り上がるこの話はやはりピカレスク伝奇ロマンの名が相応しかろう。 「序言」で、この話はマリア・クリスティーネというデンマーク王国顧問官にして特命公使夫人の回想録をもとにしていることをことわっている。六歳の頃<スウェーデンの騎士>と呼ばれた父は母の懇願を無視して戦場に赴いたが、その後も何度か深夜に娘クリスティチーネの窓辺を訪れた。しかし、使いの者の報せによれば、父は三週間前に名誉の戦死を遂げていたという。では、二日前に父と会ったあれは夢だったのか。母は、お父さまのために『我ラノ父ヨ』を祈っておあげ、といったが、父の死を信じられない娘は、ちょうど表の街道をゆく葬列のために『我ラノ父ヨ』を唱えたのだ。この序言に示された不可思議の謎解きは最後に明かされる。いかにも悪漢小説(ピカレスクロマン)にふさわしい幕切れとなっていると思う。

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2015/06/01

1701年冬、シレジアの雪原を往く二人の男。軍を脱走し北方戦争を戦うスウェーデン王の許へ急ぐ青年貴族と、〈鶏攫い〉の異名をもつ逃走中の市場泥坊――全く対照的な二人の人生は不思議な運命によって交錯し、数奇な物語を紡ぎ始める。泥坊が一目で恋におちる美しい女領主、龍騎兵隊を率いる〈悪禍...

1701年冬、シレジアの雪原を往く二人の男。軍を脱走し北方戦争を戦うスウェーデン王の許へ急ぐ青年貴族と、〈鶏攫い〉の異名をもつ逃走中の市場泥坊――全く対照的な二人の人生は不思議な運命によって交錯し、数奇な物語を紡ぎ始める。泥坊が一目で恋におちる美しい女領主、龍騎兵隊を率いる〈悪禍男爵〉、不気味な煉獄帰りの粉屋、〈首曲がり〉〈火付け木〉〈赤毛のリーザ〉をはじめとする盗賊団の面々ら、個性豊かな登場人物が物語を彩り、波瀾万丈の冒険が展開されるピカレスク伝奇ロマン。

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2015/05/17
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

レオ・ペルッツ中期の代表作と言われる作品。 国書刊行会から刊行されたペルッツ作品としては3冊目となる本作は、ミステリ的な構造を持っていて、幻想小説というよりはサスペンスに近い。 冒頭の印象的なシーンがラストで繰り返されるが、物語を追ってから再び読むと、強い余韻を残した。 既に出ている他の作品と比較しても、本作はエンタテイメント性が強く、一番とっつきやすいのでは?

Posted byブクログ