祈りの現場 の商品レビュー
「人がいるところには、かならず悲しみがともなう」 そして、悲しみ、苦しむ人達が前に進むために必要とするのが、祈り。 その祈りを、悲しみの現場につくりだすのが宗教者の役割。しかし、祈ったからと言って、悲しみや苦しみが消えるわけではない。 それでも宗教者は人のために祈り続ける。 そ...
「人がいるところには、かならず悲しみがともなう」 そして、悲しみ、苦しむ人達が前に進むために必要とするのが、祈り。 その祈りを、悲しみの現場につくりだすのが宗教者の役割。しかし、祈ったからと言って、悲しみや苦しみが消えるわけではない。 それでも宗教者は人のために祈り続ける。 そう著者は語り、そのことを、5人の対談のなかに見ることができる。 5人それぞれの話は、心に染み入る。 ただ、著者の受け答えが何となく上から目線に感じてしまった。
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東日本大震災 釜ヶ崎 刑務所教誨師 伊豆大島土砂災害 広島原爆 災害、貧困、犯罪者、原爆。 理不尽な死や社会の隙間に落ち込んだ人々と真正面から向き合っている宗教者の方々。 被災地や紛争地帯、超貧困国でたくさんの取材をしてきた石井さん。 悲惨な現場の只中で現場の人たちに寄り添って...
東日本大震災 釜ヶ崎 刑務所教誨師 伊豆大島土砂災害 広島原爆 災害、貧困、犯罪者、原爆。 理不尽な死や社会の隙間に落ち込んだ人々と真正面から向き合っている宗教者の方々。 被災地や紛争地帯、超貧困国でたくさんの取材をしてきた石井さん。 悲惨な現場の只中で現場の人たちに寄り添ってきた者同士の対談は、きれい事だけではない生々しさに溢れている。 宗教は時として弱った人の心につけ込むこともあるけど、寄り添う宗教は圧倒的に人の心を救うんだと思う。 だから、人間は太古の昔から祈りを捧げてきたんじゃないかな。 東日本大震災の片山さんのお話には、特に共感する部分がたくさんあった。
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「死」と向き合ったからこそ 「悲しみ」と向き合ったからこそ 見えてくる「こと」がある どうしようもない現実に直面してしまったとき そこに遺された人にできることは 「祈り」になるのだろう 絶望 無力 悔悟 その果てに 到達された 「祈り」の言葉を 携えた人たちの言葉は尊い 人...
「死」と向き合ったからこそ 「悲しみ」と向き合ったからこそ 見えてくる「こと」がある どうしようもない現実に直面してしまったとき そこに遺された人にできることは 「祈り」になるのだろう 絶望 無力 悔悟 その果てに 到達された 「祈り」の言葉を 携えた人たちの言葉は尊い 人はなぜ生きるのか 人はなぜ祈るのか 人はなぜ生きていかなければならないのか 人はなぜ祈らざるをえないのか いろんなことを考えさせてもらった 一冊です
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ノンフィクション作を世に出し続けてきた石井光太氏と、東日本大震災、釜ヶ崎、刑務所教誨、伊豆大島土砂災害、広島原爆の5つの大きな悲しみの場において、祈りをささげて来た仏教とキリスト教の宗教家、5人との対話集。 宗教は、人がつらい時、絶望した時に必要とされる心のよすがですが、あまり...
ノンフィクション作を世に出し続けてきた石井光太氏と、東日本大震災、釜ヶ崎、刑務所教誨、伊豆大島土砂災害、広島原爆の5つの大きな悲しみの場において、祈りをささげて来た仏教とキリスト教の宗教家、5人との対話集。 宗教は、人がつらい時、絶望した時に必要とされる心のよすがですが、あまりにも想像を超えた悲惨な状況に直面した時には、本当に「救いようがない」状態に置かれてしまいます。 傷ついた人々を癒やすはずの宗教家でさえも、やはり動揺し、無力感にさいなまされるものの、それでも人の気持ちを救おうと向かっていった心の様子が語られます。 どうしても、自分が体験した東日本大震災の時の話が一番リアルに受け止められます。 被災地の住職は、自分も被災し、お寺も流されて、長い付き合いの檀家さんたちも喪いながらも、やはり僧侶として慰労に周ったのだそう。 土壇場まで緊張した中で、宗教家の存在は、平常時よりもはるかに人々の心の支えになったそうです。 それは被災者だけではなく、救出作業に携わる人々にとっても同じで、遺体にお経をあげると、周りの作業員たちも、頭を垂れて手を合わせたのだそう。 業務優先で、遺体確認を進めても、やはり人を人として弔いたいという気持ちが、誰の心にもあると、住職は語ります。 人間の力ではどうにもしようがないような悲劇に襲われた時、人が最終的にできるのは、祈ることだけ。 祈ることで、亡くなった人が生き返るわけではありませんが、そうすることで自分の心をなんとか落ち着かせられます。 何もできないと悲しんでいるよりは、ずっと発展的なのです。 祈るという行為を通して、安心感と少しの満足感が生まれると、自分も救われる気になるもの。そのために、祈りを導いてくれる人を欲するということです。 現代において宗教の影が薄くなったのは、恵まれた平和な近代社会において、人々の生死に関わる、戦争のような大きな共通の悲劇が減ったことがあると思います。 どうしようもない追い詰められた時にこそ、宗教の必要性が増すのです。 しかしその時には、実際に絶望を目の当たりにした宗教家自身の心の鍛錬が必要とされるのでしょう。 そうした時に、彼らは「めげない、逃げない、くじけない」をモットーに、祈り続けたそうです。 これは、一般でも大切な立ち直り方です。 絶望した時、人は孤独感にさいなまれるものですが、一人ではないと伝えることが、暗闇から引き出す大きな後押しになるのだそう。 絶望しないに越したことはありませんが、そこから抜け出す策を知っているといないとでは、かなり心の救われ方が違うでしょう。 宗教家も、恐れと無力感を抱えながら、それでも人々に寄り添い救おうと、一歩踏み出す努力をしている人間であり、そうした小さな存在同士で、力を合わせて悲劇や絶望から抜け出すということが、大災害の中では必要なのだと感じました。
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