1,800円以上の注文で送料無料

歩道橋の魔術師 の商品レビュー

4

37件のお客様レビュー

  1. 5つ

    10

  2. 4つ

    11

  3. 3つ

    5

  4. 2つ

    2

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2016/07/25

連作短編10編 歩道橋の魔術師の記憶をベースに,今は存在しない中華商場の空気感,子供の頃の思い出を聞き書きするといったていで小説は進む.懐かしさ,後悔,憧憬あらゆる感情がそれぞれの語り手のなかで蘇り,時や空間という哲学的な観念が,魔術師の存在で摩訶不思議な世界として表れる.あれは...

連作短編10編 歩道橋の魔術師の記憶をベースに,今は存在しない中華商場の空気感,子供の頃の思い出を聞き書きするといったていで小説は進む.懐かしさ,後悔,憧憬あらゆる感情がそれぞれの語り手のなかで蘇り,時や空間という哲学的な観念が,魔術師の存在で摩訶不思議な世界として表れる.あれは手品だったのか,魔法だったのか,私のなかでも謎である.

Posted byブクログ

2016/07/16

台湾の、ノスタルジックな連作短篇集。 台湾の方が書いたお話、というのは初めて読んだ気がする。 小説内の「1980年代初頭の台北」は、なんだか誰かの記憶の中にある「1960年代初めの日本」のようだった。 今はもうない『台北の中華商場に住んでいた子どもたちだった』自分たち。 ノス...

台湾の、ノスタルジックな連作短篇集。 台湾の方が書いたお話、というのは初めて読んだ気がする。 小説内の「1980年代初頭の台北」は、なんだか誰かの記憶の中にある「1960年代初めの日本」のようだった。 今はもうない『台北の中華商場に住んでいた子どもたちだった』自分たち。 ノスタルジックというと真っ先に恩田陸を思い出す私。 ほんのり不確かな記憶が混ざって、緩やかに幻想を含んで、一種、自分だけの寓話になっていくような…。 台湾の「ノスタルジック」は日本人の感じる「ノスタルジック」に似ているような気がした。 文化が違いすぎないからかもしれない。 綺麗な連作短篇集だった。 他の作品も読んでみたい。

Posted byブクログ

2016/07/03

初めて台北を訪れた頃、商場跡を道路にする工事が行われていた。 商場のものなのか今では知る術もないが、台北は随分歩道橋の多い街だという印象を抱き、それはかなり後まで続いた。 歩道橋の上では露天商やチャリティーを目的とした小品を売っている人などが、私の様な観光客にも声を掛けてきたもの...

初めて台北を訪れた頃、商場跡を道路にする工事が行われていた。 商場のものなのか今では知る術もないが、台北は随分歩道橋の多い街だという印象を抱き、それはかなり後まで続いた。 歩道橋の上では露天商やチャリティーを目的とした小品を売っている人などが、私の様な観光客にも声を掛けてきたものだ。 その中に、この小説を繋いでいる魔術師がいたとしても当然の様に思える、そんな世界。 懐かしさと、新鮮さが同居している。 商場の樓と樓を繋ぐ様な天橋は、自分が住んでいた香港の田舎の町で馴染みがあるので、この作品世界は妙に身近に感じる。

Posted byブクログ

2016/06/20

異国情緒あふれる短編集 場末の古い「商店街」 黒い紙の小人を躍らせる魔術師 家業の手伝いをさせられる少年 いかにも、これから起きる摩訶不思議な物語の中に 引き込まれていきました 読みながら、なぜか西岸良平さんの漫画を 思い起こしていました

Posted byブクログ

2016/06/02

『魔術師は少し考えてから、しゃがれた声で答えた。「ときに、死ぬまで覚えていることは、目で見えたことじゃないからだよ」』ー『歩道橋の魔術師』 記憶は事実とは異なっている。だからこそ美しいのだとも言える。事実と異なるからと言って嘘ではない。記憶の断片が勝手に結び付き合い再構築されて...

『魔術師は少し考えてから、しゃがれた声で答えた。「ときに、死ぬまで覚えていることは、目で見えたことじゃないからだよ」』ー『歩道橋の魔術師』 記憶は事実とは異なっている。だからこそ美しいのだとも言える。事実と異なるからと言って嘘ではない。記憶の断片が勝手に結び付き合い再構築されてしまうだけのこと。それも、決して自分に都合のいいように再構築される訳ではない。その意味で記憶は必要以上に中立であると思う。 台湾を訪れたことはないが、台湾に昭和の面影を求める人々がいるとは聞いたことがある。英語で質問したら、統治下時代に教育を受けた人々から日本語で答えられて不思議な感覚を味わったと出張から戻った先輩に聞いたこともある。しかしそれも既に二十年以上前のこと。戦後は最早手の届かない程に遠退いた。今更、昭和を持ち出す必要はないのでは、と少し斜めの目線の自分は思ったりもする。とは言え、確かに自分も文字を追って行くうちに、文章の中に埋め込まれたタイムカプセルを開けるような感覚を覚えるのだ。この小説で描かれる記憶の中の少年たちが過ごす時間からは約十年先行する時代、然程田舎でもなく都会でもない新興住宅街が拡がりつつあった町の子であった筈の自分の記憶は、台湾の中華商場の風景と奇妙に共鳴するのである。自分の過ごした町に中華商場のような場所が在った訳ではない。それなのに、駅前通りから裏に延びる入り組んだ路地の喧騒や、映画館、物欲しそうな子供で溢れていた模型屋、甘栗を煎る匂いなどが一気に蘇るのを止められなくなる。 もちろん記憶の対象は異なるけれど、舗装もされていない道で膝を強かに打ち付けて覚えた自転車で細い道を走り回り、名前も知らない子供たちと同じ時間と場所を共有していたこと、それが、呉明益の描く中華商場の雰囲気の中にかげろうのように浮かんでくる。八坂神社の縁日は、さして明るくはない白熱電灯の連なりの下、信じられない程がらくたが輝いて見えた。もちろん、家に持ち帰ることはほとんど出来なかったし、そんな幸運があったとしてもその輝きは家のぽつんと灯る白熱電灯の下では失われてしまうのが常だったけれど。だがそんな魔法の力は確かに自分にも作用したのだ。学校の正門の直ぐ側で、何の変鉄もない鉄板に張り付けられた発泡スチロールの円柱が、時代劇の主人公のように活躍するのを確かに自分の目で見たのだ。 何かを失うことが、回り廻って大人になることなのだと気付いてからどのくらい経つのだろう。失ったものと得たもののバランスは決して合ってはいないのに、今になってしがみつくように思い出すのは何故なんだろう。呉明益の小説が語るのは、そんな失われてしまったと思っている記憶の中身は必ず身体の何処かに潜んでいて、匂いや湿度や気温の変化のような意味もない出来事でよみがえるということ。それを紙片の上に定着させようとすればするほど、記憶の輪郭はぼやけ連なりはほどける。それを無理矢理並べれば事実と異なる物語となる。そんな記憶の変質をかろうじて回避した文書を呉明益はものにしたように思えた。 しかし、そんな文章に触発されて甦った記憶を愛で過ぎてはいけない。記憶はしばしば時間の差を無視して呼応し、多重露出の絵となって蘇る。自分自身の子供の頃の記憶に十年前の越南の市場の喧騒が混ざっていないとは言い切れない。郷愁はただ単に憧憬に過ぎないのかも知れない。魔術師は、学校の正門脇にも、夜の盛り場にも、そして歩道橋の上にも、居たとも言えるし居なかったとも言える。そんな由無し事が頭の中をぐるぐると廻っている。

Posted byブクログ

2016/04/29

本屋大賞候補に挙がっていたので。 歩道橋の魔術師 九十九階 石獅子は覚えている ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた ギター弾きの恋 金魚 鳥を飼う 唐さんの仕立屋 光は流れる水のように レインツリーの魔術師 台湾文学いいなー。邦訳は数少ないそうなので、他も触れてみよう。

Posted byブクログ

2016/02/25

図書館で予約してから2か月待ち。ようやく借りた本には「多くの方が待っているので早めに返すように」と図書館からのメモがついていた。昨今の台湾ブームのせい?そういえば奈良美智もこの本を読んでみたいと先日ツイートしてた。 読みやすい。「台湾海峡一九四九」「神秘列車」に続き、台湾の小説...

図書館で予約してから2か月待ち。ようやく借りた本には「多くの方が待っているので早めに返すように」と図書館からのメモがついていた。昨今の台湾ブームのせい?そういえば奈良美智もこの本を読んでみたいと先日ツイートしてた。 読みやすい。「台湾海峡一九四九」「神秘列車」に続き、台湾の小説は3冊目(たぶん)。あれらほど台湾色は濃くないし、誰もが共感できる幼年時代の懐かしさやリアルな「負」の生活感、魔術師という大人への扉を開けてくれるような存在と主人公との生き生きとしたやりとりなど、すっと話に入れ一気に読んだ。 一番好きなのは「石獅子は覚えている」だが、「唐さんの仕立屋」の唐さんとネコの対話、「九十九階」のマークからぼくへの手紙、「光は流れる水のように」の思い出までもが再現されている模型など、胸にぽっと灯がともるようなシーンがなんとも言えず良いなあ。 それにしても「元祖はここだけ、具なし麺」のインパクトはなんなんだろう笑

Posted byブクログ

2017/10/01

今から約3,40年前、台北の西門町にあった、今は無き中華商場で暮らしていた子供達が、「現在」からその当時を振り返る形で様々な思い出を語る、連作短編集。描写的にも実際現地を訪れた体感的にも、どう考えても話の舞台は熱気ムンムンだし臭いは色々濃いし、けたたましいわごちゃごちゃしてるわ何...

今から約3,40年前、台北の西門町にあった、今は無き中華商場で暮らしていた子供達が、「現在」からその当時を振り返る形で様々な思い出を語る、連作短編集。描写的にも実際現地を訪れた体感的にも、どう考えても話の舞台は熱気ムンムンだし臭いは色々濃いし、けたたましいわごちゃごちゃしてるわ何か色々ベタベタだわで絶対そんな筈はないのだが、読後感が妙に清潔感…というか、サラッとして淡々とした印象なのは、追憶と郷愁という紗が幾重にもストーリーの上を覆っているせいか。繰り返し登場する魔術師という存在が、異国の過去話という虚実の境を更に曖昧にし、原著で示されたマジック・リアリズムという形容は確かに的を射ていると思う。

Posted byブクログ

2015/08/27

もう、消えてしまった世界。いまの時間には存在しないまるで違う空間で起こった、不思議な、そして日常の出来事。 台湾にかつて存在した「中華商場」それは、三階建の商業ビルが連なり、そして各建物は歩道橋でつながっている、空中の商店街。 その商店街で生活し育つ人々の連作短編集。 一つ一つ...

もう、消えてしまった世界。いまの時間には存在しないまるで違う空間で起こった、不思議な、そして日常の出来事。 台湾にかつて存在した「中華商場」それは、三階建の商業ビルが連なり、そして各建物は歩道橋でつながっている、空中の商店街。 その商店街で生活し育つ人々の連作短編集。 一つ一つの小品の主人公は、中華商場のなかで繋がり、そして外の時間とともに時間が過ぎていく。 ただし、時々、時間は進み、そして引き戻され、そして時には止まる。 ただ、いくつかのキーワード「魔術師」「歩道橋」「麺屋(元祖はここだけ 具なし麺)」を手掛かりに、その混沌を読み進めていけば、混乱を生じることは無い。 それら、いくつかのキーワードで、物語はつながる。 まるで、千と千尋が迷い込んだ世界のような、我々が生活しているのとは、少し異なる空間の物語。 しかし、それは虚構ではなく、現在の台湾、現在の我々に通じている時間であり、空間の物語。

Posted byブクログ

2015/08/11

台北に実在した巨大商場にいた人々の姿を描いた短編集。 日本とは違う場所であるのにそこに描かれる人々が 過去を思い出すさまは懐かしさに満ちていて それは私たちに共感を呼び起こす。 どの話もよいけれど、中でも特に好きなものは「金魚」。 うーんノスタルジー。

Posted byブクログ