街の人生 の商品レビュー
世間から、「ずれた」人たちへのインタビューを収録した本。 (私個人的には人間みなどこかしら世間からずれてるだろうって思ってるけど。 色々考えさせられる。
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あまり"編集"されていないインタビュー集。収録されているのは、5人の人たちの「自分の人生の語り」。それは、普通の人生の記録であり、「普遍的な物語」である。 著者(というべきなのか、編者というほうがまだ近いような気もするが)は、「はじめに」でこんなことを書く。...
あまり"編集"されていないインタビュー集。収録されているのは、5人の人たちの「自分の人生の語り」。それは、普通の人生の記録であり、「普遍的な物語」である。 著者(というべきなのか、編者というほうがまだ近いような気もするが)は、「はじめに」でこんなことを書く。 ▼私たちはあらかじめ決められた状況に閉じ込められ、その範囲のなかで、必死に最良の選択肢を選んで、ひとり生きるしかないのです。ここにあるのは、私たちと同じ普通の人びとが、たったひとりでさまざまな問題に取り組んだ、普通の、しかし偉大な物語なのです。(p.iv) 自分の人生を語った人たちと、著者はたまたま出会っている。たまたま出会った人との1、2時間の会話を記録するのは、「それが私たちの人生の、なにか非常に本質的なことと関係しているように思われるから」(pp.iv-v)という。 ▼「私」というものは、必ず断片的なものです。私たちは私から出ることができないので、つねに特定の誰かである私から世界を見て、経験し、人生を生きるしかないのです。(p.v) ここの箇所は、齋正弘の『大きな羊のみつけかた』で語られていることと似ている気がした。描かれた絵にあらわれているのは、それを描いた人が見ている世界であって、その絵を見る「私」が知っている世界とは違うものがそこにある、ということと。 5人の語りは、どれも、おもしろかった。スゴイ人の話ではなくて、ふつうの人の話。 5人目の語りとして収められている「西成のおっちゃん」矢根さん(仮名)は、私の知っている人だったから、その声を思い出しながら読んだ。ほんのわずか、これまでの人生の断片を聞いたことはあったけれど、この本で語られているほど多くのことは聞いたことがなかった。 矢根さん(仮名)は、お風呂に入っているときに一人でスッと死んでしまった。西成へ、そうしょっちゅう行くわけでもない私が、その亡くなられた日の午後に、紙芝居劇むすびのマネージャーさんと会っていて、その喫茶店に矢根さん(仮名)もいた。雨が降り出した中を福祉マンションへ帰っていく矢根さん(仮名)を「気をつけてー」と見送った。その翌日に亡くなったと聞いて、昨日会ったのが最後になるなんて思わなかったなーと、それは強く感じた。 ほかの4人の人たちの語りも、じーっと読んだ。たとえば、「りかさんにとって、人生でいちばん大切なモノって…」とインタビュアーが問うているところなんかで、私にとって、それは何やろなーと考えたりした。今の私と近い歳の人の語りでは、同じころに私は何をしてたっけなーと考えもした。 (9/12了) *この本のテキストは、組版の問題なのか、なにがどうしたのか、1行の中でまるでだるま落としのように1文字だけ横に飛び出しているところがあったり(54ページの最後の行)、不思議なところで行間が広く空いていたり(たとえば109ページの1-2行目)、どうやったらこんなんなるんかなと思った。 口語が文字化されているので、通常の書きことばと違うところがいろいろあるが、それでも以下のところは、やはり誤脱字かなと思った p.101 何かヤなところが見えりとか → 見え【た】りとか p.105 入店して当時なんて → 入店し【た】当時なんて
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読んでいて、ある章で立ち止まってしまった。それらしい出来事に悩まされた訳でもなく、世代的にも生きてきた環境的にもあまり共通する所が無さそうなのに、何かに感じ入ってしまい読めなくなった。その原因が分かるまで何度となく読み返すことになりそう…
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