闇の中の男 の商品レビュー
希代のストーリー・テラーがひとつ階段を上った。 9.11が起きず、内線状態に陥ったアメリカを老人作家が夢想するという展開は、オースター得意の「小説内小説」だし、その作家は妻を亡くし、そこに同居する孫娘は夫を殺されているという設定は、彼の作品に頻繁に登場する「再生」の物語を予感さ...
希代のストーリー・テラーがひとつ階段を上った。 9.11が起きず、内線状態に陥ったアメリカを老人作家が夢想するという展開は、オースター得意の「小説内小説」だし、その作家は妻を亡くし、そこに同居する孫娘は夫を殺されているという設定は、彼の作品に頻繁に登場する「再生」の物語を予感させる。 しかしながら、従来の作品の「小説内小説」、「再生」とは今回はひと味違う。力強さが感じられないのだ。どこか弱々しく、足取りも重い。かと言って、再生の希望が決して小さくなったわけではない。 そこでふと思い当たるのは、前著『写字室の旅』だ。 オースターは、前著はこの『闇の中の男』につながっている、と言っていた。そして、前著に関するワタシの解釈は、オースター自身が自分を見つめなおすための実験ではなかったか、というものだった。 この実験の結果、弱々しく、足取りも重くなったのだとすると、それは年齢を重ね、9.11を経験したオースター自身がひとつ階段を上り、別の境地にたどり着いたと解釈できるのではないか。内省を経たオースターが、自身がもっともしっくりる強さと速さが、従来より少し弱く遅い『闇の中の男』なのだ。 そう解釈すると、これまでの作品との差異、そして『写字室の旅』の持つ意味がきれいに説明できる。
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アメリカの片田舎で、一人の男が闇の中、眠れずに過ごす。2階には男の娘と孫娘がそれぞれの寝室に眠っている。 男は書評家だった。何十年もずっと書き続けてきた。だが今は老いた。妻を失い、自動車事故で脚は動かず、失意の中にある。 娘は若すぎる結婚に失敗して独り身でいる。教職に就きながら、...
アメリカの片田舎で、一人の男が闇の中、眠れずに過ごす。2階には男の娘と孫娘がそれぞれの寝室に眠っている。 男は書評家だった。何十年もずっと書き続けてきた。だが今は老いた。妻を失い、自動車事故で脚は動かず、失意の中にある。 娘は若すぎる結婚に失敗して独り身でいる。教職に就きながら、ホーソーンの娘、ローズの伝記を執筆している。 孫娘は映画を学んでいる。だが同棲していた恋人が不幸な死を遂げたことに立ち直れず、学校を休学中だ。男の娘である母を頼ってやってきた。 不幸な3人である。 男は眠れぬまま、1つの物語を思い浮かべる。 主人公はオーエン・ブリック。子供向けのパーティで手品を披露して生計を立てている。 ある夜、ブリックが目を覚ますと、彼は穴の中にいる。そこはもう1つのアメリカ。「911」がなかったアメリカである。しかしそこでは、激しい内戦が起きている。ブリックは投げ込まれたその異世界で、「世界を救う」任務を与えられる。 奇妙な任務にブリックは戸惑う。本当にそんなことで世界は救われるのか? なぜ自分が選ばれたんだ? わけもわからぬまま、異世界で、昔あこがれていた高校時代の同級生に誘惑され、一方で激しい暴行を受ける。 入れ子構造のようなパラレルワールドである。SFめいた様相も見せつつ、闇の中を手探りで進むように物語は進む。 だが劇中劇は唐突にぶつりと断たれる。実際の戦場を想起させるような、乱暴な不条理によって。 男は毎日、失意の孫娘と映画を見ている。孫娘は時折、鋭い批評眼を覗かせる。男は小津の「東京物語」が気に入っている。未亡人が幕切れ近くで手にする懐中時計は、彼女の心情を語る「命なき事物」である。 男と孫娘は、眠れぬ男の寝室で語り合う。男や娘、孫娘の人生について。さまざまな人に起こった悲劇について。世界の残酷さについて。密やかに流れる静かな時間。確かにある親密なぬくもり。2人の姿は一幅の静物画を見ているようでもある。 2008年の作品である。 全編に911後の「喪失感」は漂う。しかし、911がなかったとして、そこに暴力はなかったのかといえばそうではない。国家規模の大きな枠でも、個人対個人の小さな枠でも。 911後にアメリカの分断化は確かに顕在化したけれども、たとえ911が起こらなくても、いずれは対立は明らかになっていたのではないか。老人の妄想には作者自身の確信が滲む。 暴力も悪もすべての人の中にある。 しかし、闇の中で苦しむ誰かの背をそっと撫でさするような優しさやぬくもりもまた、すべての人の中にある。 「このけったいな世界が転がっていくなか(As the weird world rolls on)」は、詩人としては大成しなかったローズ・ホーソーンの詩の一節である。 この奇妙な世界を生きていく、いびつな存在である私たち。 世は悲劇や理不尽に満ちているが、くすりと笑える瞬間や美しいきらめきもまたどこにでもある。 時折、眠れぬ夜を過ごす。しかし、いつだって夜はいずれ明ける。 生きている限り、世界が回り続ける限り、私たちはそうして歩み続ける。
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闇の中、一人の老人が 911の無かったもう一つのアメリカを夢想する。 不可抗力的に大事なものを失い 痛みを抱えた壊れかけた人々が描かれており、 世界の残酷さ儚さ理不尽さに なんだか苦しい気持ちに。。 ただ、その現実に絶望したり 開き直るような姿を描いてるわけでもない。 特に老人...
闇の中、一人の老人が 911の無かったもう一つのアメリカを夢想する。 不可抗力的に大事なものを失い 痛みを抱えた壊れかけた人々が描かれており、 世界の残酷さ儚さ理不尽さに なんだか苦しい気持ちに。。 ただ、その現実に絶望したり 開き直るような姿を描いてるわけでもない。 特に老人が孫娘に自分の半生を語る場面は 何か感動のようなものを感じた。 この場面だけで個人的には 読んで良かったと思える。
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可能性としての「911が起こらなかったアメリカ」の虚構の物語を作り出していく男と、そこに奇妙に絡んでいく現実の世界。 この本を読む時、読者は物語を作り出していく男の目線に合わせて読み進めていくのだが、そもそもこの男自身が作家による虚構の産物に他ならないため何重ものメタ構造を理解し...
可能性としての「911が起こらなかったアメリカ」の虚構の物語を作り出していく男と、そこに奇妙に絡んでいく現実の世界。 この本を読む時、読者は物語を作り出していく男の目線に合わせて読み進めていくのだが、そもそもこの男自身が作家による虚構の産物に他ならないため何重ものメタ構造を理解しながら読まねばならず、時として自分が「どの現実」を生きているのか(『今この本を読んでいる私』を含め)が分からなくなっていく。 非常に面白い。
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語り手の老人ブリルを中心にその家族構成が少し複雑なので、多少わかりずらい。更に、ブリルは自分自身にブリックが主人公の物語を語っており、それが全体に含まれている。 ブリックは朝目覚めるとパラレルワールドのような場所にいる。それはFalloutのゲームが始まる前の、核攻撃以前の内戦...
語り手の老人ブリルを中心にその家族構成が少し複雑なので、多少わかりずらい。更に、ブリルは自分自身にブリックが主人公の物語を語っており、それが全体に含まれている。 ブリックは朝目覚めるとパラレルワールドのような場所にいる。それはFalloutのゲームが始まる前の、核攻撃以前の内戦状態のような世界だ。ブリックは、その悲惨な世界や運命をもたらした当の本人、ブリルを殺す役目を負わされるわけだが、結局果たせずに殺されてしまうのは、まあ妥当なんだろうが、残念と言えば残念。 オースターにはこういう、物語を語ることそれ自体に対して言及する姿勢がある。読者は、ブリックはブリルを殺すだろうと期待する。ところが、あっけなくブリックは殺されて、おそらく本来語るべきブリルの話に戻っていく(これは献辞からみて妥当だろう)。 そして、そもそもブリックの物語は、おそらく死んだタイタスに関係し、それは最近のテロリストとの戦争にも絡んでいるのだと最終的にわかる。もしかしたら、タイタスはオースターの「ガラスの街」で描いたクインに類していて、文学への希望も愛も(カーチャとは戦争に行く前に別れていたという)失って、そこにもしテロリストとの戦争があったらこうなるかもしれないという投影なのかもしれない。
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戦争は誰かの頭の中だけで作られているのか? それともこの戦いは、時の政府に対する反旗なのか? 自分が抱える闇を消すために自分が殺される物語を作る… あちら側とこちら側を行ったり来たりしながらの物語は突然だけど、不自然さはあまり感じない 感じたのは小さなつながりの中で育まれ...
戦争は誰かの頭の中だけで作られているのか? それともこの戦いは、時の政府に対する反旗なのか? 自分が抱える闇を消すために自分が殺される物語を作る… あちら側とこちら側を行ったり来たりしながらの物語は突然だけど、不自然さはあまり感じない 感じたのは小さなつながりの中で育まれる小さな希望
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Man in the Dark 闇の中の男、男と訳されているものの、Manは一般に人である。作中の老人のみならず、人間全てが纏う闇とは何なのか。作中に限れば戦争や、浮気、喪失感、夜が闇にあげられるだろう。しかしそれは全て突き詰めれば人間にとっての、世界にとっての自然natureで...
Man in the Dark 闇の中の男、男と訳されているものの、Manは一般に人である。作中の老人のみならず、人間全てが纏う闇とは何なのか。作中に限れば戦争や、浮気、喪失感、夜が闇にあげられるだろう。しかしそれは全て突き詰めれば人間にとっての、世界にとっての自然natureである。死者も正者もみな闇の中。
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世の中はどうにもならないから、思うことしかできない。東京物語の台詞のように。いやねえ、世の中って。わしはあんたに幸せになってほしいんじゃ。
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昔読んでいるのはすっかり忘れており、久しぶりのポールオースター。ものすごくインテリなんだろうな。この人。 村上春樹がどうしても浮かんでしまいました。
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この場所はどこだろう、その角を曲がるとカートを押しながらさまようアンナがいるかもしれない闇の世界。311以降のアメリカ、ニューヨーク、あったかもしれない、五分後の世界。 主人公の男は伴侶をなくし、その娘もさらに孫娘も共にパートナーは不在である。老人の物語のようでいて、そこで語られ...
この場所はどこだろう、その角を曲がるとカートを押しながらさまようアンナがいるかもしれない闇の世界。311以降のアメリカ、ニューヨーク、あったかもしれない、五分後の世界。 主人公の男は伴侶をなくし、その娘もさらに孫娘も共にパートナーは不在である。老人の物語のようでいて、そこで語られる小説のはざま、唐突に小津安二郎の映画『東京物語』の描写が出現する。妻を亡くした男が、亡くなった息子の嫁である義理の娘に再婚しろと勧めるシーン。 そういえば、数年前に新宿の紀伊國屋ホールで、翻訳者の柴田元幸氏がムックMonkeyのポール・オースター号を記念して講演会を行った時、未だこの『闇の中の男』は翻訳中で、柴田氏は本を紹介しつつ、このオースターの本の中に描かれる映画『東京物語』のシーンを朗読したのだった。たしか映画のシーンもその場でスライドで上映され補足された。 20世紀に人間が戦争によって引き起こした残酷なエピソードの数々が人生のささやかな一場面に過ぎないかのように語られる。(エウロペアナのように。しかしそれは確かに名前を持った人間の過去だ。)物語の中に入れ子に小説が存在するように見せかけて、それらがなぜ生成されているのかということは主人公の家族の過去が語られることで明らかになる。実際の戦地に赴かずとも間接的にアメリカ国民の家族と生活に傷跡を残した遠い国での戦争、それによって引きおこされる悲劇、それを映像で目の当たりにすることの現実。今に生きる人間はそれを受けいれることができるのか、果たしてその努力によって、わたしたちは、この「けったいな世界」を生きながらえることができるのか。
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