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記者たちは海に向かった の商品レビュー

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2023/01/25

2023年正月用の図書として準備 2011年3月11日午後2時46分に東北地方沖の太平洋海底を震源とする東日本大震災が発生する。 福島民友新聞の記者たちは震災状況と津波の取材のため奔走する。 一方、福島民友新聞本社では停電と通信障害に襲われる中、紙齢を絶やさぬよう紙面作りに取...

2023年正月用の図書として準備 2011年3月11日午後2時46分に東北地方沖の太平洋海底を震源とする東日本大震災が発生する。 福島民友新聞の記者たちは震災状況と津波の取材のため奔走する。 一方、福島民友新聞本社では停電と通信障害に襲われる中、紙齢を絶やさぬよう紙面作りに取り組む。 東京の読売新聞の助けも借り、災害の最中でも印刷、配布に成功している。 10年以上が過ぎ忘れがちな、震災当日の混乱と人々の証言が印象的だった。

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2019/10/27

あの日、自分が「冷蔵庫や食器棚が倒れていたらどうしよう」と半ベソかきながら自転車で家に帰っている間に沢山の命が失われていたことを恥ずかしく思います。自らも被災された記者の方が職務を全うしようとしていた姿に職業人のプライドを感じました。

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2019/02/22

東日本大震災のその時とその後。福島民友新聞の記者たちが、地震・津波・原発事故と格闘したノンフィクション。 通信手段が遮断されたり、停電で紙面を編集することができないなど、震災翌日の新聞が出せないかもしれないという非常事態に陥っていた。そんな中でも、命の危険を冒しても現場へ赴き取材...

東日本大震災のその時とその後。福島民友新聞の記者たちが、地震・津波・原発事故と格闘したノンフィクション。 通信手段が遮断されたり、停電で紙面を編集することができないなど、震災翌日の新聞が出せないかもしれないという非常事態に陥っていた。そんな中でも、命の危険を冒しても現場へ赴き取材を続けた記者たちの使命感は、どこからくるのだろう? 記者の中には、津波で命を落とした人もいた。 原発取材を通して、東電社員と懇意になっている記者もいた。 地元に密着しているから、より心が痛み、地元のこれからを憂う。 毎日当たり前のように届くと思い込んでいる新聞。けれど、未曾有の災害が起こった、全く当たり前ではない日にも、新聞は発刊し配達された。 胸が熱くなる。

Posted byブクログ

2017/08/19

職場で東日本大震災に見舞われた男性は、カーラジオから 流れる津波への警戒のニュースを聞きながら自宅へと急いで いた。 自宅まで数百メートルまで来たところで、男性の車に向か って何かを言っている青年の姿が目に留まった。何を言っ ているのか分からない。しかし、青年は両手を交差させて...

職場で東日本大震災に見舞われた男性は、カーラジオから 流れる津波への警戒のニュースを聞きながら自宅へと急いで いた。 自宅まで数百メートルまで来たところで、男性の車に向か って何かを言っている青年の姿が目に留まった。何を言っ ているのか分からない。しかし、青年は両手を交差させて 「来るな」と合図を送る。 次の瞬間、その背後に光るものが見えた。巨大な津波だった。 青年は地元紙・福島民友新聞の若い記者だ。 自らも被災し、本社の自家発電さえも稼働しなくなり、 明治から100年以上続いた新聞発行の危機を迎えた福島 民友新聞の闘いを描く。著者2冊目の東日本大震災関連の ノンフィクションである。 河北新報の闘いを綴った作品でもそうだったが、本書でも 打ちのめされた。 地震、津波、そして原発事故。次々と襲う過酷な状況のなか、 記者たちは福島の現実を記録し、読者の元に届けるという 使命を果たそうとする。 それは記者たちだけではない。製作の現場もそうだし、 新聞販売店もそうなのだ。被災者でありながら、翌日の 新聞を配達する為に、販売店に駆けつける人がいたのだ。 新聞記者は記録者だ。あの日、津波の取材の為に海へと 向かった。 ある記者は孫を抱え必死に走って来るおじいさんの背後 に迫る津波を目にして、海へと向かっていた車をバック させて逃れた。だが、後悔とトラウマが残った。 どうしてあのふたりを助けられなかったのか。自分が カメラへ手を伸ばした一瞬がなければ、ふたりを助け、 一緒に逃げることが出来たのではないか…と。 そして、自宅へ向かっていた男性に「来るな」と合図を 送った青年記者・熊田由貴夫は、津波に飲まれ帰らぬ 人となった。24歳。将来を期待された記者だった。 最後の数十ページは泣けて、泣けて仕方がなかった。 熊田記者の遺体は4月2日に発見された。そして、自分 が助けられたかもしれない二つの命のことを、重い 十字架として背負った記者の心情の吐露が辛すぎる。 余談だが、他の作品にでも熊田記者のことを読んだのを 思い出した。彼の「来るな」という合図で命を救われた 男性は、今でも熊田記者の写真を肌身離さず持っている という。 「僕らは、ペンとカメラしか持ってないんです」。悔恨 を抱え、今でも苦しんでいる記者が著者に語った言葉が 切ない。

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2017/02/26

途中までパラパラと読んだ。何のために書いた本なのだろう?新聞社へのよいしょ本なのか。大地震や大津波がくれば地獄絵図になる、ただそれを書いただけ。新聞なんか毎日発刊されなくても誰も困らないだろう。おまけに原発爆発の記載がきれいごと。これは天災ではなく金儲けを企む人間の悪意が起こした...

途中までパラパラと読んだ。何のために書いた本なのだろう?新聞社へのよいしょ本なのか。大地震や大津波がくれば地獄絵図になる、ただそれを書いただけ。新聞なんか毎日発刊されなくても誰も困らないだろう。おまけに原発爆発の記載がきれいごと。これは天災ではなく金儲けを企む人間の悪意が起こした事件。しかも当事者の東京電力は、周辺住民に事態を知らせる前に自分たち家族だけ逃すという卑劣な行為をとった。それらの社員の口座に億単位の大金を振り込んだ上で。こんな本を読んで感動などというおめでたいことを言える人生を送りたかった。

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2016/06/25

東日本大震災における福島民友新聞の記者たちの記録。特に、津波の犠牲になった相双支社の熊田由貴生記者(24)の物語を縦軸に、浜通りにいた記者たちがどう取材に立ち向かったかを描いている。この手のノンフィクションは新聞記者自身によって記されることは多いが、外部ライターが書くケースは貴重...

東日本大震災における福島民友新聞の記者たちの記録。特に、津波の犠牲になった相双支社の熊田由貴生記者(24)の物語を縦軸に、浜通りにいた記者たちがどう取材に立ち向かったかを描いている。この手のノンフィクションは新聞記者自身によって記されることは多いが、外部ライターが書くケースは貴重なのではないか。多少演出過多な描写もあるが、仲間を失った悲しさ、目の前で津波に飲まれた老人と孫を助けられなかった葛藤、新聞が発行できなくなるかもしれない焦りなどが伝わってくる。旧知の東電原発所長と再会して記者がお互い涙を流す場面や、毎日新聞の若手、神保記者に届いた母親からの「生きていてくれてありがとう」というメールなど、読ませどころも多かった。

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2015/03/31

3.11から4年。あの日、地元紙の記者がどう行動し、どう向き合ってきたか。『紙齢を欠いてはならない』という新聞社社員の意地と、海に向かった一人の記者の死。それぞれが直面した大震災がリアルに蘇る一冊。

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2015/03/26

門田隆将のノンフィクション作品は、どの作品も取材力が凄く、話に引き込まれる内容ですが、この作品も、東日本大震災で、津波と原発事故で存亡の危機に陥った福島民友新聞と、その記者たちの記者魂と壮絶すぎる体験談に心揺さぶられました。 この震災の津波で亡くなった福島民友新聞記者の話も心打た...

門田隆将のノンフィクション作品は、どの作品も取材力が凄く、話に引き込まれる内容ですが、この作品も、東日本大震災で、津波と原発事故で存亡の危機に陥った福島民友新聞と、その記者たちの記者魂と壮絶すぎる体験談に心揺さぶられました。 この震災の津波で亡くなった福島民友新聞記者の話も心打たれましたし、生と死が紙一重の状況で現場取材にあたった記者たちの使命感には頭が下がります。 改めて東日本大震災で亡くなられた方々へのご冥福と、1日も早く避難生活を強いられている方々が元の生活に戻れることを祈りつつ、何か自分にもできることはないか?と考えたくなるのでした。

Posted byブクログ

2015/01/10

桑田佳祐さんがラジオで紹介して読んでみた一冊。新聞記者魂はもちろんのこと、人間として行動した熊田さんの物語は語り継いでほしいものです。

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2014/10/07

東日本大震災直後の福島で混乱の中で新聞を発行しようと奔走した福島民友新聞の記者たちの闘いを描いたノンフィクション。 震災の被害の甚大さと新聞発行にかける福島民友新聞の記者や販売店の人たちの気持ち、思いが伝わってくる作品だった。

Posted byブクログ