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河北新報のいちばん長い日 の商品レビュー

4.2

24件のお客様レビュー

  1. 5つ

    11

  2. 4つ

    7

  3. 3つ

    4

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2014/11/02
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

自社も被災したにもかかわらず、新聞を発行し続けようとする河北新報の地元紙としての使命感。その戦いの記録。 宮城県の死者が万単位になることが分かったときに、新聞の見出しの文言を「死者」にするか「犠牲者」にするかで悩み、ただ一紙「犠牲『万単位に』」とした河北新報。それは被災者に寄り添うと決めた地元紙ゆえの苦悶。 石巻市上空のヘリで飛んでいると、小学校の屋上に「SOS」の文字を発見したカメラマンは、写真を撮り続けることしかできない。救助の手を差し伸べたいけれどもそれができない無力感。 それでも、この写真が新聞に載れば速やかな救出活動が行われることを期待していたが、後に明らかになった事実によると、このとき屋上で助けを求めていた人たちのところに医療チームが到着したのは1週間後だった。その厳しい現実に苦しむことになるカメラマン。 人々が津波にのみ込まれる様子を捕らえたスクープ写真の掲載を取りやめる。被災者とともにあると決めたことが、心の葛藤を生むという現実。 過酷な状況下に置かれた記者たちの葛藤に心揺さぶられる。そこはまさに戦場のようであった。 発災後、被災地で起こっていたことを再認識するためには良質なノンフィクションだった。 「あなたは頑張れと言うけれど、わたしたちはもう頑張っている」という被災者の言葉が心に痛かった。

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2014/09/10

【あの日――彼らはそれでも新聞を出し続けた】自らも被災しながら取材を続けた記者たち、倒壊した組版システム、被災者から浴びた罵声……彼らは何を思って新聞を出し続けたのか。

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2014/08/31

東日本大震災で大きな被害を受けた仙台に本社を置く地方新聞の河北新報社。3月11日の地震の直後から、その翌日の号外発行に始まり、その日以来の被災者に寄り添う報道の様子を伝えるノンフィクション。毎日当然のように私たちの手許に届く「紙の」新聞がいかに貴重なものであるか改めて認識を新たに...

東日本大震災で大きな被害を受けた仙台に本社を置く地方新聞の河北新報社。3月11日の地震の直後から、その翌日の号外発行に始まり、その日以来の被災者に寄り添う報道の様子を伝えるノンフィクション。毎日当然のように私たちの手許に届く「紙の」新聞がいかに貴重なものであるか改めて認識を新たにさせられます。その裏側には取材、編集、印刷、配送、配達など様々な部署の人たちの仕事にかける情熱やプライドがあることを再認識しました。電子版も便利ですが、やはり「紙の」新聞はいいと思います。

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2014/07/20

仙台に本社を置く河北新報は、東日本大震災で壊滅的な被害を蒙った。沿岸の支局は津波に呑まれ、安否不明の記者も続出。本社のコンピューターが倒れ、紙面制作の機能を失う。「それでも新聞をつくらなければならない!」この絶対命題を前に、彼らは何を思いどう行動したのか。“新聞人”たちの凄絶な闘...

仙台に本社を置く河北新報は、東日本大震災で壊滅的な被害を蒙った。沿岸の支局は津波に呑まれ、安否不明の記者も続出。本社のコンピューターが倒れ、紙面制作の機能を失う。「それでも新聞をつくらなければならない!」この絶対命題を前に、彼らは何を思いどう行動したのか。“新聞人”たちの凄絶な闘いの記録。

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2014/07/16

仙台に本社を置く河北新報は、東日本大震災で壊滅的な被害を蒙った。沿岸の支局は津波に呑まれ、安否不明の記者も続出。本社のコンピューターが倒れ、紙面制作の機能を失う。「それでも新聞をつくらなければならない!」この絶対命題を前に、彼らは何を思いどう行動したのか。“新聞人”たちの凄絶な闘...

仙台に本社を置く河北新報は、東日本大震災で壊滅的な被害を蒙った。沿岸の支局は津波に呑まれ、安否不明の記者も続出。本社のコンピューターが倒れ、紙面制作の機能を失う。「それでも新聞をつくらなければならない!」この絶対命題を前に、彼らは何を思いどう行動したのか。“新聞人”たちの凄絶な闘いの記録。 単行本発売当時から読みたいと思っていたものの、いつの間にか文庫が出ていました・・・月日がたつのは早いものであの震災から3年以上たつんですね。震度5弱の地震に恐怖は感じたものの特別被害にも合わなかった私は、当時は気仙沼などの被災地の映像をTVで見ては震えがっていたものの、正直今はその感覚も薄れ遠い話になっていました。でもこの本を読んで、そんな自分を強く恥じました。被災者にとって復興はまったく終わっていない。目にしないからといって忘れて良いわけでは決してない。小さくても、何かできることをやらなければと思いました。 記者たちの葛藤や決意が伝わってくる文章ばかりで何度も涙がこぼれた。当たり前のように享受しているTVやネットの情報がなくなったとき、何としても新聞を出す!と頑張ってくれた河北新報の行動は、どれだけ被災者を力づけたことだろう。悲惨さだけでなく、人の温かさや絆も伝える紙面に胸が熱くなりました。放射能の恐怖も抱えながら取材を続け、地元に寄り添ったメディアは数少ないと思います。迷いもありながら伝えることを選び、今も伝えてくれる彼らに最大の敬意と感謝を。これからも地元紙の誇りを持って頑張って欲しい。

Posted byブクログ

2014/06/18

 震災発生から3ヶ月後のアンケートを元に作られた本。  読んでいると、じりじりとしたものを感じる。  生活インフラが破綻するということ。そして大変な時は誰も責めないということ。頑張ろうって言われても頑張れないということ。  ただ、生きるということの奇跡を考えてしまう。  生きて...

 震災発生から3ヶ月後のアンケートを元に作られた本。  読んでいると、じりじりとしたものを感じる。  生活インフラが破綻するということ。そして大変な時は誰も責めないということ。頑張ろうって言われても頑張れないということ。  ただ、生きるということの奇跡を考えてしまう。  生きている人は悩むけれど、生きていなければ悩むことすら出来ない。  そして、生きていれば、ご飯が美味しいとか、暖かい場所で休めるとか、そういうことで幸せを感じることは出来る。

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2014/05/19

先ず、震災当時の悲惨な映像が思い出され涙した。 次に、被災者に情報を届けようとする河北新報社社員たちの努力と葛藤に目頭を熱くした。 そして、地元住民に寄り添う地方新聞社の大切さに気付いた。 私たちは、多くの情報から自ら判断し行動している。情報が突然に絶たれたなら、私たちは自らの...

先ず、震災当時の悲惨な映像が思い出され涙した。 次に、被災者に情報を届けようとする河北新報社社員たちの努力と葛藤に目頭を熱くした。 そして、地元住民に寄り添う地方新聞社の大切さに気付いた。 私たちは、多くの情報から自ら判断し行動している。情報が突然に絶たれたなら、私たちは自らの立ち位置すら見失い身動きできなくなってしまう。現在人にとっての情報は、水や電気・ガスと同じく無くてはならないインフラの一部と言える。 過日の東北では地震と津波により電力と共に情報も途絶え、救助を求めることも救援の手を差し伸べることもままならなくなった。そこに情報の光を射したのが地方紙河北新報の取材・編集・印刷・輸送・販売の総力を挙げた献身的努力だった。 全国紙は被災地の惨状を伝え、援助の手を集めることが大きな使命であり、被災地の地方紙は被災者の立場に立ち、励まし、希望の光を被災者に投げることが使命であることを知った。 こう書いては申し訳ないが、これまでローカルな記事に面白みを感じず地方紙を蔑んでいた。しかし本書を読んで地方紙の意義を知り、地方紙には全国紙と競うのではなく地元住民に寄り添って、特色のある紙面で益々発展してほしいと思う。 震災から3年が経ち、原発報道すら頻度が低下した昨今ではあるが、被災地はまだ震災と闘っている。一日でも早く傷が癒え、復興されることを祈念する。

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2014/05/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 仙台の地元新聞「河北新報」の記者たちが、東日本大震災の中でどのような経験をし、東北の人達をどのように励ましてきたかを記したノンフィクション。それを通し、あの大震災の中、ジャーナリズムの役割とは?意義とは何だったのか?を問い直してくれる。  もちろん答えは無い。でも、答えのない問題を提起してくれるのがノンフィクションなのだろう。  現場にいる記者たちは、自分たちも被災しているために自社制作で新聞発行できなかったのだけど、提携を結んでいる新潟日報の手を借りて、3月11日当日夜の号外、翌日3月12日朝刊を発行した。地元以外の人間からしたら、全国紙があるんだから、無理に地元紙が頑張って発行しなくても、、、と思ってしまうのだけど、地方新聞記者には彼らのプライドがあるのだ。  それに、被災した人達にとっても、「河北新報が無事なら自分たちもふんばれる」という安心感を与える上でも重要だったのだろう。地震の翌日くらいからラジオや全国紙は福島第一原発の報道メインになっており、宮城・岩手被災地で今何が起こっていて、何に困っているかを中心に知らせてくれるメディアとして、河北新報だけが頼りだったらしい。  そしてこれは結果論だけど、地元新聞だからこその親近感・気遣いの感じられる記事が紙面に載っていたため、全国紙とは異なる視点で、後世への歴史記録媒体として貴重なものとなった。  とはいえ、その場で懸命に取材していた現場記者たちは、困っている人たちを直接助けてあげられないことの無力感を、ずっと感じることになる。 ・ヘリコプターで空撮取材中に、石巻の小学校屋上で避難した人達がSOSという文字を書いているのを見つけても、何もできず泣きながら「ごめんなさい」と謝る姿。 ・福島支局の記者が、原発近くから避難せよという指示と、今こそ取材すべきじゃないかという使命感との狭間で葛藤し、新潟へ避難したり福島に戻って取材したり何度か行き来した後、一度でも現場から逃げた自分を許せず、会社を退職したというエピソード。 ジャーナリズムの無力さを感じさせられることも、この本には記されている。  報道とは、何が起きたか・何が起きているかを、今暮らしている人に伝えること、そして後世に残して未来の人達の役に立てること。  この本を読んで、新聞記者という仕事の尊さ、そして苦労や苦悩をいくらか知ることが出来たような気がする。

Posted byブクログ

2014/03/30

一昨年、ロンドンオリンピック終了後に半ば観光気分で訪れた東北。当時は震災から1年6ヶ月が過ぎ、震災関連の情報はほぼ全く報道されなくなっていたので、そこそこ復興しているものとばかり思っていましたが、現地に着いてみると復興などとはほど遠く、ガレキや潰れた車などの鉄材がそこかしこに残り...

一昨年、ロンドンオリンピック終了後に半ば観光気分で訪れた東北。当時は震災から1年6ヶ月が過ぎ、震災関連の情報はほぼ全く報道されなくなっていたので、そこそこ復興しているものとばかり思っていましたが、現地に着いてみると復興などとはほど遠く、ガレキや潰れた車などの鉄材がそこかしこに残り、何もない荒野や鉄骨だけになった建物が散見される光景がそこにありました。 そのありさまにショックを受けると同時に、“数字がとれない”(=“金にならない”?)という理由のためか、今まだ傷跡が残る過去の事柄を無視して流行ものばかり追いかける報道機関に対し、虫酸が走るほどの怒りを覚えました。 それ故に、全国紙が3.11ぐらいにしか東北に目を向けなくなった中で、現地の報道機関として被災地、被災者と寄り添い続ける河北新報社のあり方には感動すら覚えます。美談だけでなく、報道と救助の狭間における苦悩などを余すところなく書き連ねているところに真摯さが感じられ、それがまた胸を打ちます。 今月は震災から三年を迎え、一時は震災関連の報道もなされましたが潮が引くようにそれは消えゆき、他の話題に飲み込まれてしまいました。文庫版のあとがきにある編集局次長の誓いの言葉――被災地が新しい未来を手に入れるまで、責任ある報道を続けること――を、全国紙の記者どもに叩き付けてやりたい心境。情報の消費速度が速まってきているからこそ、情報を取り扱うプロが残すべき情報を残すよう努めて欲しいと願うばかりです。

Posted byブクログ

2014/03/28

震災の時は東京にいた私ですが、生後2ヶ月の息子と初めての育児に追われる中で、かなり情緒不安定になっていました。この本を手に取ったということは、あの時、被災地はどうだったのか、今やっと落ち着いて読めるところまできたと言うことなんだと思います。 やはり、心の奥底にある不安定なところに...

震災の時は東京にいた私ですが、生後2ヶ月の息子と初めての育児に追われる中で、かなり情緒不安定になっていました。この本を手に取ったということは、あの時、被災地はどうだったのか、今やっと落ち着いて読めるところまできたと言うことなんだと思います。 やはり、心の奥底にある不安定なところにダイレクトに訴えかけてくるので、かなり泣きそうになりながら読みました。あの中で、時に迷い、時に苦しみながらも、彼らが必死になったというこの記録は価値あるものだと思うのです。 新聞のあり方、メディアのあり方とともに、仕事とはなんなのか、働くとは何かという問いも突きつけられる気がします。

Posted byブクログ