戦争の日本中世史 の商品レビュー
呉座氏の作品は3作目。本書ではよく『階級闘争史観』に対する批判が見られる。何かといえば人々の専制支配への怒りが体制を崩壊させたという議論で、これは戦後歴史学で一時的にもてはやされたらしいが、革命の実現を熱望したマルクス主義歴史学の残滓である。(100p)例えば『悪党』の存在でもそ...
呉座氏の作品は3作目。本書ではよく『階級闘争史観』に対する批判が見られる。何かといえば人々の専制支配への怒りが体制を崩壊させたという議論で、これは戦後歴史学で一時的にもてはやされたらしいが、革命の実現を熱望したマルクス主義歴史学の残滓である。(100p)例えば『悪党』の存在でもそれが見られる。戦後歴史学では基本的に『悪党』の活動を反体制運動とみなし、彼らの肩を持ったので、『悪党』問題をゴシック太字の超重要歴史事項として大々的に取り上げた。結果として『悪党』は実態以上に派手に暴れまわっていたことにされてしまったのだ。やがて、『悪党』に代表される鎌倉後期の社会矛盾が南北朝内乱を生み出しただとか、鎌倉後期の『悪党』が南北朝期の『一揆』に進化したのだという学説が幅を利かせるようになり、鎌倉後期から南北朝期への連続性が強調されるに至った。(128p)歴史学においてこの『階級闘争史観』のフィルターを取り払って現代の視点から素直に解釈する事で真の中世史像が見えてくる、と作者は述べる。詳細→ https://takeshi3017.chu.jp/file10/naiyou34403.html
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階級闘争史からの脱却。 人は進化しているという考えをベースに歴史を紐解くのは危険。 たた、思想があるから解釈ができるとも言える。 事実と意見を分けること。 結局、過去も現在もいろんな柵の中でバランスを取って為政者は判断を行っている。 有権者である自分たちもバランスの上に成り立つ...
階級闘争史からの脱却。 人は進化しているという考えをベースに歴史を紐解くのは危険。 たた、思想があるから解釈ができるとも言える。 事実と意見を分けること。 結局、過去も現在もいろんな柵の中でバランスを取って為政者は判断を行っている。 有権者である自分たちもバランスの上に成り立つべきなのか。
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元寇から応仁の乱くらいまでの戦争の仕組み等を昔の歴史観を否定しながら語っている。 昔の歴史観を否定しながら語っている部分が若干くどかったが途中からその部分は薄まって読みやすくなった。
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応仁の乱で一躍有名になった著者の前著。 最後に「ハト派こそがリアリズムに徹するべきである。そのために歴史学が貢献できることは、まだまだあると思っている。」また、あとがきに「私は軍事学の専門家ではないし、ミリオタでもない。にもかかわらず中世の戦争を取り上げようと思ったのは、この分野...
応仁の乱で一躍有名になった著者の前著。 最後に「ハト派こそがリアリズムに徹するべきである。そのために歴史学が貢献できることは、まだまだあると思っている。」また、あとがきに「私は軍事学の専門家ではないし、ミリオタでもない。にもかかわらず中世の戦争を取り上げようと思ったのは、この分野の研究が一番遅れているからだ。」と記載のあるように、鎌倉中期から室町期を通じての戦争(合戦)に向かう武士の姿を丁寧に描き出しつつ、戦争の姿、平和の姿を見いだそうとしている。教科書では単に年表的に過ごされ、歴史小説では武勇伝的に描かれる武士の姿が、単にそれだけではない様子で丁寧に論じられるのが好ましい。また、時折顔を出す今風の表現や、会社組織になぞらえた比喩がこの著者の魅力。
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社会科学に興味があるなら『応仁の乱』よりもこっち。制度の特徴が歴史にどのように影響を与えたか、社会環境の変化に応じて制度が生成・変化していく様の記述が多々ある。(かなりくどいが)戦後史学、特に日本史研究に対してマルクス主義がいかに影響を与えていたかを考えさせられるのもよいところ。
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鎌倉幕府末期から南北朝の争いを経て応仁の乱までの日本中世、戦乱は乱発し、武士たちにとって「死」は身近な時代だった。だから、その時代の日本人は今とは違って、喜び勇んで戦乱に身を投じていたと考えるかもしれない。 しかし、どの時代だって、人間は死を恐れるし、平和に暮らしたいはず。そう...
鎌倉幕府末期から南北朝の争いを経て応仁の乱までの日本中世、戦乱は乱発し、武士たちにとって「死」は身近な時代だった。だから、その時代の日本人は今とは違って、喜び勇んで戦乱に身を投じていたと考えるかもしれない。 しかし、どの時代だって、人間は死を恐れるし、平和に暮らしたいはず。そう考えて日本中世史をながめてみれば、違う世界、人間が見える。 南北朝に分裂した天皇家と足利将軍が争い合う時代、武士たちは裏切りを繰り返し、複雑で混沌としていた。著者はこうした離合集散する武士たちのマインドについて、死を避け、富を得るために戦闘参加していたとシンプルに定義する。忠義、正義なんて言葉が登場する前の時代であればこその斬新な発想。 武士同士の戦闘に大義や革命、階級闘争なんて大げさな意味を見つけようとせず、現代と同じ人間の行動だと割り切ってしまえば、臆病で、子孫を守りたいという今と同じ感情が浮かび上がる。歴史上の人物はドラマチックであってほしいという大河ドラマファンと歴史学者の考え方は異なるのだ。
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本著で扱われている時代は、鎌倉末期から室町時代、元寇から応仁の乱くらいまでの期間。 一通り日本史は学んできたつもりだが、鎌倉末期から室町時代というのは正直なところ印象が薄い時代である。 建武の新政、南北朝、北山文化・東山文化、応仁の乱くらいで、そこから先は戦国時代、あんまり明確...
本著で扱われている時代は、鎌倉末期から室町時代、元寇から応仁の乱くらいまでの期間。 一通り日本史は学んできたつもりだが、鎌倉末期から室町時代というのは正直なところ印象が薄い時代である。 建武の新政、南北朝、北山文化・東山文化、応仁の乱くらいで、そこから先は戦国時代、あんまり明確なイメージが無い。 大河ドラマなどテレビの史劇でも、戦国時代や幕末を舞台にしたものは圧倒的に多く、あとは源平もので、室町時代を舞台にしたのは本著でも取り上げられている91年の大河ドラマ「太平記」くらいか(観ていなかったので覚えていないが)。 この時代がここまで影が薄くなってしまったのは、建武の新政や南朝正統論が戦前の皇国史観で特別な意味を持っていたことの反動もあるのかもしれない。 そんな影の薄い時代だが、本著により詳細に振り返ってみると、これが酷い内戦の時代であったことが分かる。 内戦といっても、天下統一のロマンだとか、或いは憎悪の連鎖だとか、わかりやすいドラマチックな構図ではなく、武士も公家も僧侶もただただ生き延びるための戦いで疲弊していた時代。 しかも戦場は東国から九州まで広範囲に及び、各陣営は遠く離れた場所への遠征を余儀無くされていた。 経済的な負担の大きさや、死や一族の滅亡が隣り合わせであったという時代背景を考慮に入れて、この時代の政策や社会制度を捉え直す試みもされている。 例えば、 ・徳政令は、御家人救済策というよりも、御家人の所領取り戻しを認めて彼らが軍役負担をできるようにするため、幕府の軍事上の必要性から採られた政策である。 ・一族のサバイバルのために、養子を早期選定したり、兄弟で均分に相続するなどの対策が採られた。 など。 著者の前著「一揆の原理」と同様、戦後歴史学が傾倒していた「階級闘争史観」を忘れ、この時代を生きた人々の「現実的な事情」を想像することに基点をおいたクールな視座が展開されます。 それにしても、細川、畠山、斯波、山内、大友、赤松、山名、大内といった有力氏族が、時に兄弟・親族間で争い、陣営をくっついたり離れたり、しかも同じような紛らわしい名前の人物が多く、とても覚えきれない。 そのあたりもこの時代がとっつきにくくなってしまっている理由の一つかもしれません。
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「応仁の乱」よりずっと読みやすく分かりやすい。ぼくのような素人が応仁の乱の上っ面だけを知りたいのなら、本書最終章の「山名宗全と戦後レジーム」以降だけで充分。とは言え、そこに至る過程を知っておく方が遙かに理解は深まる。 はじめに――「戦争の時代」としての日本中世 第一章 蒙古襲...
「応仁の乱」よりずっと読みやすく分かりやすい。ぼくのような素人が応仁の乱の上っ面だけを知りたいのなら、本書最終章の「山名宗全と戦後レジーム」以降だけで充分。とは言え、そこに至る過程を知っておく方が遙かに理解は深まる。 はじめに――「戦争の時代」としての日本中世 第一章 蒙古襲来と鎌倉武士 「戦争」を知らない鎌倉武士/蒙古襲来は避けられた戦争?/鎌倉幕府の“平和ボケ”/一騎打ちは本当にあったのか/鎌倉武士の装備/武士団の構成/日本軍の弱点/「モンゴル軍優勢」という虚構/「神風」は吹いたか/モンゴル軍撤退の真因/戦後日本の「平和主義」/遺言状を書いて出陣/幕府権力の変質/「戦時体制」と鎮西御家人/鎌倉後期は「戦争の時代」か 第二章 「悪党」の時代 楠木正成は悪党?/『峯相記』に描かれた虚像/訴訟用語としての「悪党」/宗教用語としての「悪党」/「悪党」論の限界/有徳人=ヒルズ族の登場/有徳人はなぜ僧侶なのか/坊主の姿をした武士たち/「一円化」というサバイバル/「都鄙名誉の悪党」寺田法念 「悪党」は強かった?/なぜ鎌倉幕府は滅びたのか 第三章 南北朝内乱という新しい「戦争」 後醍醐天皇と足利尊氏/“圧勝”が後醍醐天皇を過信させた/足利尊氏は躁鬱病か?/東奔西走する兄・尊氏/「政道」を任された弟・直義/幕府の内紛で“六〇年戦争”に/守護と大将/転戦する武士たち/略奪という軍事作戦/兵粮料所の設定/半済令とは何か/陣夫と野伏/「戦術革命」はあったか 第四章 武士たちの南北朝サバイバル 戦いたくない武士たち/続出する戦死者/死地に赴く気構え/戦死以外のリスク/武士たちの危機管理型相続/一族団結の必要性/それでも団結は難しい/思いがけず長期化した内乱/「天下三分」はいい迷惑/遠征の忌避と「一円化」の進行/「危機管理システム」としての一揆/戦時立法だった一揆契状 第五章 指揮官たちの人心掌握術 催促か勧誘か/戦うお公家さん/北畠顕家の地方分権論/北畠親房は“上から目線”か/親房の「失敗の本質」/今川了俊は悲劇の名将か/足を引っ張られた了俊/大将はつらいよ/約束手形をばらまく/大義名分を説く/大将同士の交渉/軍勢の「勧進」/旅する僧侶/「勧進」も軍功/大将たちの「大本営発表」 第六章 武士たちの「戦後」 遠征は諸刃の剣/足利義詮の挫折/畠山国清の勘違い/遠征はもうこりごり/大内氏・山名氏の「降参」/応安大法は“大規模戦闘終結宣言”/戦闘態勢の解除/足利義満の一族離間策/内乱の幕引き/弓矢よさらば 終章 “戦後レジーム”の終わり 妥協の産物としての「室町の平和」/足利義持と諸大名の“手打ち”/“ハト派”の重鎮、畠山満家/「戦後レジームからの脱却」を目指して/室町幕府の「終わりの始まり」/追いつめられた赤松満祐/将軍犬死/「幕府を、取り戻す」/空洞化する京都/山名宗全と“戦後レジーム”/足利義政の錯誤/足軽と土一揆/村の“集団的自衛権”/勝者なき戦争/墓穴を掘って下剋上/平和は「きれい」か[/private]
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元寇から応仁の乱までの日本の戦争や体制の変遷を記述。著者は、外的な要因としての蒙古襲来よりも、その後の南北朝時代の方が、全国の普通の武士たちを本格的な戦争に巻き込んでいったとみる。 著者は、民衆が権力を打倒するために決起するという「階級闘争史観」を批判的に見ている。例えば、鎌倉幕...
元寇から応仁の乱までの日本の戦争や体制の変遷を記述。著者は、外的な要因としての蒙古襲来よりも、その後の南北朝時代の方が、全国の普通の武士たちを本格的な戦争に巻き込んでいったとみる。 著者は、民衆が権力を打倒するために決起するという「階級闘争史観」を批判的に見ている。例えば、鎌倉幕府の滅亡は、北条氏の専制支配への不満が高まり体制打倒の機運が生じた背景があると説明されることが多いが、当時の人たちは当初鎌倉幕府の滅亡を想像もしていなかった。楠木正成のゲリラ戦で人々の不平不満が一挙に噴出していったという。
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荘園制が終わりの始まりを迎えた平安後期から戦国大名が統合的な統治を実現する16世紀にかけて、天皇家・公家の統治は空洞化し、権力と経済力を蓄えてきた武家により解体されていく。このプロセスがあったからこそ日本版絶対王政というべき豊臣政権・徳川政権が実現したのだし、その前に「戦争の中世...
荘園制が終わりの始まりを迎えた平安後期から戦国大名が統合的な統治を実現する16世紀にかけて、天皇家・公家の統治は空洞化し、権力と経済力を蓄えてきた武家により解体されていく。このプロセスがあったからこそ日本版絶対王政というべき豊臣政権・徳川政権が実現したのだし、その前に「戦争の中世」があったのは欧州も日本も同じ。本書はその戦争の中世の中後期、13世紀末の蒙古襲来から15世紀の応仁の乱前までを考察し、武士や民衆の下剋上が線形に美しく進んでいく、という唯物史観に警鐘を鳴らす本。ただ、線形ではないが、トータルで見れば下剋上が進むことで新秩序の実現に近づいていくことは間違いないだろう。 室町幕府の失敗は守護大名に京都近隣の大領を与えたことである、と言われる。江戸幕府は関東近隣には親藩や小身の譜代を配し、参勤交代や様々な賦役を課して大名のパワーを削ぐように努めた。そういう「元和偃武レジーム」の中で大名間の私闘の禁止が定められる。これは、鎌倉幕府や室町幕府の当事者には思いもつかなかったことかもしれない。 鎌倉将軍は関東の御家人に推戴された存在に過ぎず、各国の守護は任地内の動員権を持つに過ぎなかった。武力で木曽源氏と平家を圧倒して壇ノ浦まで遠征したとはいえ、日本中の武士が「鎌倉幕府になど従わない」と蜂起したならば、頼朝の平和はあんなに早くは実現しなかったに違いない。 当時の武士は荘園の現地管理人ないしは在地領主に過ぎず、近隣との小競り合いから身を守るのが仕事だったが、南北朝期にオレに味方すれば敵方の領地を取らせて遣わす、という書状を乱発する迷惑な存在が出現し、戦闘が各地に広がる。その時の現地司令官が守護・大将であり、武士たちを脅したり宥めすかしたりして動員し、食糧を賄うために中央貴族の荘園を接収するのが仕事だった。司馬遼太郎さんは「尊氏は部下に気前よく領地を与えた」と分析したが、そういう意識はなく、最適な軍団配置を考えたに過ぎないのだと思う。 やがて彼の孫が「義満の平和」を実現し、呉座さんはこの時の一連の政策を「戦後レジーム」と呼んでいる。義満も有力守護の力を削ごうと相続介入という手法を編み出すが、結局は武力行使にならざるを得ない。義満の孫の義教は将軍権力強化のために更に守護人事に介入するが、もともと脆弱な戦後レジームを更に脆弱にするに過ぎなかった。そして応仁の乱。短い平和に終止符を打ったこの戦いの原因は日野富子ではなく、南朝方から降る時に優遇され、京都近隣に大身を得ていた山名氏に求めるべきと呉座さんは言う。 元和偃武は義満の平和に比べ長く続き、強固であったが、その重要政策の一つに儒教がある。忠孝という価値観が導入され、平和下での武士のあるべき姿が模索された。我々はそれをサムライだと思っているけど、中世の武士は江戸期のサムライではない。清廉なサムライが惰弱な貴族の世を変えた、という階級闘争史観では中世を語れない。近隣領主と小競り合いを繰り返し、貴族の荘園を横領し、守護大名になっても武力闘争を止めないような連中だったが、やがてそういう統治体制も限界に達し、新しい姿の武士が統治者になっていく。そういうことなのではないか。
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